4 眼鏡の秘密
店番は、楽しかった。
ハーブは女性のたしなみの中で唯一好きな分野だったし、接客も新鮮な体験だった。それに、店主ジュニパーはとても気さくで、ヘンリエッタが困らないよう、きめこまやかに配慮してくれた。
一方、クリスは朝早く部屋を出て、夜遅くに帰ってくる生活だということが判明した。
(うちの事件のことはついでで、クリスさんに近づくのが一番の目的なのに、家にいないんじゃ意味なぁい!)
客の引いた店内のカウンターで、ヘンリエッタは頬杖をついた。
家出をやめて帰ったあと、父に、クリスを好きになったと打ち明けたら、機会をやるから口説き落としてこいと送り出された、というのが今回の押しかけ助手の真相だった。
「エルマーくん」
ジュニパーがバックヤードから顔を出して、ヘンリエッタの偽名を呼んだ。
「はい、店長」
「お届け物を一件、お願いできる?」
「もちろんです!」
ヘンリエッタは元気に答えた。
*
難なくおつかいを済ませたあと、ヘンリエッタは気まぐれを起こした。
すぐ近くにキングスフォード家の造船所がある場所だったのだ。
(さっと見てくるだけなら、そんなに時間はかからないわ)
クリスを口説けないなら、せめて家の問題だけでもなんとかしたいと思った。
造船所の、レンガ造りの建物が見えて来たところで、ヘンリエッタは足を止めた。
(ああ、遅かったわね。すっかり綺麗に片付けられちゃって。これじゃあ、どんな爆発だったのか分からないわ)
現場は壁に大穴があいているだけで、爆発で散ったはずの破片は撤去されていた。
がっかりしたヘンリエッタは、そこで先客に気付いた。
(クリスさん…!)
壁の穴が良く見える位置に、クリスが立っていた。
眼鏡を外して、集中した様子で穴を見ている。
(あっ! そっか、クリスさんは魔法の名残りを視るから、一昨日の魔法が判るんだわ…!)
国の宝と言われているクリスだけの能力、魔法の名残りを視る力。
たとえば、魔法で外から鍵をかけて完全密室犯罪を成立させても、クリスには鍵をかけた魔法の名残りが視える。クリスの目は魔法による悪事を裁く強力な武器なのだ。
しばらく集中して視たあと、クリスはうつむいて、眉間を押さえてから眼鏡をかけた。
そのとき。
ヘンリエッタはクリスの後方に気配なく立つ男に気付いた。
どこにでもいそうな野暮ったい中年男だが、魔力のオーラを身にまとっていた。魔法使いだ。
そして。
(あの口の動き…魔法の呪文だわ…!)
「危ない!」
ヘンリエッタはクリスに向かって走っていき、飛びついた。
クリスも魔法使いの存在に気付いた。
第三者の登場に驚いた魔法使いの魔法が、少し遅れて繰り出される。
魔法と魔法がぶつかった。
死を覚悟してクリスにしがみついていたヘンリエッタは、心底驚き、混乱した。
クリスは魔法を視る者であって、魔法使いじゃない。魔法使いの攻撃を彼が魔法で防いだように感じるなんて、あり得ないのだ。
しかし、混乱をきたしたまま、おそるおそる確認すると、魔法使いは地面に倒れていて、クリスはとても辛そうな顔をしていた。
地面に倒れた魔法使いは、おそらく…亡くなっている。
「クリス!」
直前まで誰もいなかった至近距離から男性の声が響いた。
見ると、強い魔力のオーラを持った黒髪の青年がいつのまにか現れていた。ひどく無愛想な青年だった。
「ケント」
クリスが、突然ふってわいた魔法使いの名前を呼んだ。
名前を聞いてヘンリエッタも思い出す。
彼はケント・ブラウン。最上位Aランク魔法使い。
クリスが教育したもう一人の魔法使いだ。
年は十六歳のはずだが、かなりの老け顔だ。二十代に見える。
「魔法返しの札の使用を検知したから来た! 敵は?」
勢いこんで、魔法使いケントが言った。
多くの場合、クリスと個人的に親しくなると、都の支配者マッキンレイの攻撃対象になる。が、強い魔法使いで天涯孤独の身の上のケントは、さすがのマッキンレイも手を出しにくい相手らしい。
「持ち場に戻りなさい。私なら大丈夫です」
抱きついたままだったヘンリエッタをそっと離し、クリスはケントに言った。
「王太子の許可は取ってる!」
「それは困りましたね。殿下にもお話したはずなんですが」
「あのなあ、魔法返しの札だって万能じゃない。多勢には対応しきれないんだぞ」
魔法返しの札。
攻撃魔法を術者に返す魔法の道具。ただし、上位魔法使いが作った札でないと有効範囲が限られる。
(魔法返しの札は、上位魔法使いを抱えこんでいる貴族の専売特許だと思ってたけど……そうよ、クリスさんにも、この魔法使いさんがついてるじゃない)
ヘンリエッタは、百の味方を得たような頼もしい気分になった。
ところが。
「いちいちあなたが来れば、あの人たちは私が強い魔法使いを従えて危険だと言い出すんですよ。とにかく今は戻りなさい」
クリスは厳しい口調で言った。
ケントが前面に出てクリスを守るような構図が出来上がれば、マッキンレイは圧力をかけて、ケントとクリスを引き離す。だから必要以上に近寄るなと。
ケントは「チッ」と舌打ちしたが、そこで大人しく従った。
魔法を使って、あっという間に空に舞い上がると、視界から消えてしまった。
「へ…エルマーくんも、お帰りください」
クリスは、ヘンリエッタの方を見もせずに言った。
明確に線を引かれている。近寄るなと。
悲しい拒絶だとヘンリエッタは思った。
人を拒絶しながら、彼自身が一番傷付いているから。
都を牛耳る貴族マッキンレイに睨まれて生きる人生は、彼をどれだけ傷付けて来たのだろう。
ヘンリエッタは思い切って口を開いた。
「あ、あの! 今晩、お時間ください」
*
夜、ジュニパーの店のバックヤードを借りて、ヘンリエッタはクリスと会った。
クリスはひとつしかない椅子をヘンリエッタに勧めた。
「今日はみっともないところをお見せして、すみませんでした。いつもなら攻撃される前に回避しているのですが」
明るめの声で、何でもないことのようにクリスは言う。
「それで…その、もし今日みたいなことがあっても、関わらないでください。お願いします」
おだやかな口調の裏にひそむ痛み。
大丈夫と笑って。
自分とは関わるなと一線を引いて。
頼れる味方に頼ることすら、よしとせず。
(王太子殿下と一緒に都を離れていたクリスさんが都に戻ってきたのは、三ヶ月前)
マッキンレイの苛烈さを考えたら、この三ヶ月、死と隣り合わせの毎日だったことは容易に想像がつく。
「クリスさん。ひとつ、教えてください。魔法使いに襲われる前、眼鏡外してたの、見たんです。クリスさんが普段眼鏡してるのって、視えすぎて辛いからですか?」
クリスは沈黙した。
やっぱり、とヘンリエッタは確信した。
眼鏡フェチのヘンリエッタは、以前、眼鏡を褒めた人から言われたことがあるのだ。
これはそんないいものじゃない、ただ世界を直視できないだけだと。
(命を狙われているのに、自分に近い人たちに心配や迷惑をかけないよう、常にあらゆる事態を想定して、先回りして、事を小さくおさめて。…この人はもう、疲れ切っているんだわ)
ヘンリエッタは椅子から腰をあげた。
関わるななんて言わないでと、クリスを抱きしめたかった。
けれど。
「クリス! キングスフォード家の件は待てって言ったろ!」
ぶしつけな男性の声に、ヘンリエッタの行動は邪魔された。
乱入者はずかずかとヘンリエッタの前までやって来た。
「ちょうどよかった。おまえだろ? キングスフォード伯爵が寄越した協力者って」
「!」
ヘンリエッタは息を呑んだ。
金髪碧眼の整った顔立ち──乱入者は、ギルバート王太子だった。
魔法使いケントは、私のもう1つの投稿作品「嘘でつないだこの手を、もう少しだけ」の主人公ですが、この時点では絶賛引きこもり中のため、登場はここだけです。「嘘で〜」はここより二年後の世界です!




