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伯爵令嬢ヘンリエッタと三番目の求婚者  作者: 野々花
伯爵令嬢と三番目の求婚者
3/52

1 賽は投げられた

 波乱の舞踏会から一夜明けて。

 ヘンリエッタは自室のティーテーブルにつっぷして、「はぁーっ」とため息をついた。

 母が倒れたというのは、あの場を辞するための演技だったので、母の心配はないのだが。


「エッタお嬢様。元気をお出しくださいな」


 黒髪黒目の三十代半ばの女性が、ハーブティを注ぎながら言った。軽やかな香りのするお茶をヘンリエッタに勧めてくれる。

 幅広い知識を持つ才女で、妃教育の家庭教師を務め、仲の良い友人でもあるグローリアだ。


「先生ぇ…」

「それにしても、この会場にいる女性とは結婚しないとまで殿下に言わしめた幸運な女性はどんな方なんでしょうねえ。やっぱりご学友の方かしら」


 自身もティーテーブルにつきながら、グローリアが言った。

 王太子は学校を卒業したばかりだから、恋人も同じ学校にいた女性ではないかとの推論を展開する。


「どーでもいいわ、殿下の恋人なんて」

「え?」

「だって、出会っちゃったんだもん」


 ヘンリエッタは微塵の興味も示さず王太子の話を却下した。


「お嬢様…まさか」


 グローリアは、さっと顔色を変えた。

 王太子妃の座を逃してもヘンリエッタに恋愛の自由がないことを知っているから。


「探偵物語のトリスタンみたいな人、現実には絶対にいないと思っていたのに、いたの」


 ヘンリエッタはそんな風に彼の話を切り出した。

 物心ついた頃から、いわゆる家のための政略結婚に邁進してきたヘンリエッタだが、それは物語のヒーローに恋するあまり現実で恋愛できる気がしないという前提があったからだ。


「ええと、探偵物語のって、お嬢様がいつも聞かせてくださる……一見は眼鏡をかけた優しい青年だけど、心の芯は熱く、とにかく頭が良くて、勇気と行動力があって巨大な悪に立ち向かっていくという」

「そう! 本当にそのとおりの人! 眼鏡かけてて、第一印象は静かな人で、でも、わたしをエドマンドから助けてくれたの! すごくない?」


 ヘンリエッタは勢いこんで言った。


「まあ…勇気のある人ではありますね」

「でしょ? でも、すぐに姿を消しちゃって。名前も聞けなかった。彼が酷い目に遭ってないか心配なの…」


 曖昧ながらもグローリアがうなずいてくれたので、彼の話を掘り進めてみる。


「…貴族の方ですか?」

「ううん。視る者協会の正装だったわ。階級ポーラータイはしてなかったけど」


 視る者協会というのは、この国でもっとも権威のある行政機関の呼び名だ。階級ポーラータイは彼らにとって身分証のようなものだった。


「ええ? それは…なんというか、怪しくありません? 王太子殿下の祝賀会に正装を着崩す職員なんていませんわ」


 視る者協会総務長官の妻でもあるグローリアは、夫の組織名が出たところで、否定的な態度になった。


「なにか理由があったのかもしれないし」

「…お嬢様は、殿下にフラれたショックが大きすぎたんですわ」

「なによ、それ。わたしがショックのあまり現実逃避してるって言いたいの?」

「そうです。物語のヒーローみたいな人、現実には存在しません。わざわざエッタお嬢様のお心をさいて無事を祈るに値する人だとは思えませんわ」


 グローリアがため息まじりに言ったとき。


「お姉様、大変、大変!」

「大変、大変!」


 十歳になる双子の妹、イングリッドとシルヴィアが騒々しくやってきた。


「うちの造船所で爆発事故が起きたの!」

「マッキンレイ の仕業じゃないかって!」

「なんですって!?」


 ヘンリエッタは勢いよく立ち上がると、部屋を飛び出した。


  *


 ある大陸の東の国。

 パパラチア王国の都には『逆らうも地獄、従うも地獄』という言い回しがある。


 長く都を支配してきた貴族の一大勢力マッキンレイ伯爵家と、その一族を差す言葉だ。

 逆らって酷い目に遭うのはもちろん、従っていてもマッキンレイ一族の気分ひとつで酷い目に遭わされる。そういう意味である。

 マッキンレイ一族は、自分たちは王家につぐ特別価値のある存在で、他は虫けら同然だと認識しているのだ。


 社交界の支配者ブレンダ・アンダーソンも、そのマッキンレイの娘だった。

 彼女の夫アンダーソン伯爵は王の摂政を務めるが、もともと貧しい男爵だった彼を今の地位まで押しあげたのもマッキンレイの力──それがブレンダやマッキンレイ一族の考え方だった。


  *


「お父様!」


 ヘンリエッタが双子の妹たちとその部屋に入ると、父、母、十四歳の弟と、家族全員が揃った。

 つまりヘンリエッタだけ除け者にされていたのだ。


「どうしてわたしに声をかけてくださらなかったの?」

「おまえが心配するような話ではないからだよ」


 父は力のない声でヘンリエッタの恨み節に応えた。


「嘘! 造船所の爆発事故はマッキンレイの返礼でしょ!? これまでマッキンレイに従わず、でも正面切っての争いは避けてきたうちが、昨日、わたしが王太子妃の名乗りを上げることで宣戦布告したんだもの!」


 そう。

 あれは、ただの妃立候補ではなかった。

 マッキンレイ家と並ぶ旧家で、貿易と造船業という独自家業を強みにその支配下に入ることなく生き残ってきたキングスフォード家。

 年々強まるマッキンレイの圧力に、減っていく独立系貴族。マッキンレイ一色に染まりゆく都。


 逃げ続けるだけでは生き残れない。


 そう判断した父は、十数年かけて準備した。

 まずはお調子者を気取り、政治的な話を避け、同い年の王の趣味の釣り友だちというポジションを取って、マッキンレイから攻撃されないよう立ち回った。

 やがて王の親友となり、息子の嫁に親友の娘をと望まれる事態を勝ち取って。

 そうして臨んだ、昨日の舞踏会だったのだ。


 ヘンリエッタが王太子妃となって、少なくとも都がマッキンレイ一色になることは阻止しようと。


「わたしの失敗でマッキンレイは勢いづいたわ。一気にうちを潰しにかかってくる──そうでしょう?」


 悲痛な叫びに、重い沈黙が答えた。


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