8 一回目の告白
王太子ギルバートの求婚をバッサリ切ったヘンリエッタ。
「あれ? 殿下はもう戻られたんですか?」
入れ違いに戻ってきたクリスの言葉に、ヘンリエッタはぞくりとした。
「はい。殿下にご用がおありでしたか?」
ギルバートとなんの悶着もなかったかのような顔をして、ヘンリエッタは応えた。
「いえ、まあ、大丈夫ですよ。へん…エルマーくんはそろそろ店番の時間ですね」
「ええ。でもその前に、お話があります」
「はい、なんでしょう?」
「わたし、クリスさんのことが好きです」
ヘンリエッタは言った。
ギルバートが言うように、落とせる気はしなかったから、軽く。
(殿下とした重い話を聞かれていなければ、駆け落ちの誘惑にしか聞こえないはず…)
そして、クリスは、王太子や今自分が抱えるものを投げ出して駆け落ちを考える人じゃない。
サクッとフラれて、終わり。
フラれる胸の痛みを先取りして感じながら、ヘンリエッタはクリスの反応を待った。
しかし。
クリスは言葉を失って、固まった。
(え?)
「クリスさん…?」
名前を呼ぶと、彼はハッとしたように口を開いた。
「す…すみません。あまりにおどろいてしまって」
「そ、そうですよね。突然すぎましたよね、ごめんなさい」
「私は…私は、その、ヘンリエッタ様に相応しいのは殿下だと思っています。殿下はそういったお話をされませんでしたか?」
予想通りの言葉を、クリスは言った。
しかし、予想と違ったのは、クリスの視線だった。
ヘンリエッタを見ようとしない。
「…されましたわ。殿下から、プロポーズ」
「それは…良かったです。………おめでとう、ございます」
言いたくない言葉を無理やりしぼりだしたようなクリスに、ヘンリエッタの胸はトクンと高鳴った。
余計なことは言わず、黙って姿を消そうと決心していた気持ちが、そこで崩れた。
「断りました。クリスさんが好きだから」
「な…駄目です! 殿下だけがあなたを救えるのに!」
「救われるのは伯爵令嬢ヘンリエッタの世間体だけです! わたしの心は殿下には寄り添えません」
「一時の気の迷いでしょう。そんなことでヘンリエッタ様の人生をふいにしてしまうおつもりですか?」
「いいえ。殿下との結婚ほど最悪な人生はないわ。あなたがそばにいるのに、他の人の妻として生きるなんて。それに…それに、どうせフるなら動揺しないで。期待したくなるじゃない!」
「あなたが勝手に私の生活に入りこんできて……」
そこまで言って、クリスは口を閉じた。
「すみません。仕事に戻ります」
耐えかねたように、クリスはヘンリエッタに背を向けた。
「いくじなし!」
ヘンリエッタは叫んだ。
*
「あら。………今日はもう店を閉めましょうか」
店番の約束を果たすため、タッジー・マッジーの店にやってきたヘンリエッタの顔を見ると、ジュニパーは言った。
「どうしても気持ちを伝えたくなって…」
ジュニパーの出してくれたミントティで気持ちが落ち着いたヘンリエッタは言った。
自分の気持ちにケリをつけたいと、告白したことを後悔していた。
脈がありそうだと…彼の好意を感じていたのに、彼に断らせようとした。ひどい女。最低だ。
(そうよ。わたし、バカなの? 殿下には言わなかった、キングスフォード家の保険の話をクリスさんにしたじゃない!)
父親に連れられてきたヘンリエッタに、婚家だけに伝える秘密の話。
あの時点で、クリスにはヘンリエッタとキングスフォード家の思惑が分かったはずだ。
だから、軽く言ったヘンリエッタの告白も、一緒にマッキンレイを倒そうというキングスフォード家の本気の誘いとして、正確にクリスに伝わったのだ。
(動揺されたときは期待しそうになったけど…やっぱり巨大な悪にひるまず立ち向かえるヒーローなんて、物語の中だけだよね)
「…辛い思いをさせてしまいました。ごめんなさい」
「どうして私に謝るの?」
謝ったヘンリエッタに対し、ジュニパーはそう言った。
「ええと、ジュニパーさんて………偽名でしょう?」
おずおずとヘンリエッタが言うと、ジュニパーは薄く微笑んだ。
「そうね……知り合いの話をしましょうか」
彼女は落ちぶれかけた男爵家で働いていたのだと、ジュニパーは言った。
彼女の主、若くして家督を継いだ男爵家当主は、視る目を活かして視る者協会で働いていた。
使用人の給料も満足に払えなかったが、彼を慕う使用人たちは他所に仕事を持ちつつ、男爵家を支えた。
やがて男爵系当主は、国王(前国王)の目に止まった。
当時十二歳の王太子ヘンリー(現国王)が芸術家肌で政治的な思考力がなかったため、王太子の後ろ盾に、若く有能な者を探していたのだ。
当主は、国王から視る者協会の長官に任命されるのと同時に伯爵位も賜り、さらに翌年、国王の声がかりでマッキンレイ伯爵の娘と結婚した。
ところが、結婚から一年後、国王が急逝した。
当主は十四歳で即位した国王の摂政として国の混乱を治めたが、それは、妻の実家マッキンレイ伯爵家の力を大いに借りたものだった。
「前国王陛下はご自身でなんでも決める方で、マッキンレイもうまく抑えこんでいらっしゃったのだけど、十四歳の頼りない王と、視る者協会しか基盤のなかった彼にはそれが精一杯だったの。本当は前国王陛下は、彼をマッキンレイの抑え役にするために抜擢されたし、彼がその任務を遂行できるよう態勢を整える手筈だったのだけど…」
マッキンレイを抑える態勢ができる前に前王がなくなり、当主、ウィルフレッド・アンダーソンはマッキンレイという巨大な波に呑まれざるを得なかった。




