第9話(3/3) 私たちにとっての当たり前
◇ ◇ ◇
不安で不安でたまらない。
そんな自分が惨めにすら思えてしまうほど気持ちが落ち着かない。
学校に着いてから陽大の心が全然読めなくなった。
午前中は直接話す時間がなかったから余計に不安が募ってしまう。
でも昼休みになれば部室に集まって昼ご飯を一緒に食べて、いつもみたく陽大をからかってやれば気は紛れる。
そう思っていたのに。
「ねー、あづっちー、中野っちは来ないの?」
部室にいるのは私とセアラだけ。
昼休みが始まってもうずいぶん時間が経つのに、陽大は部室に来ていない。
「……知らない」
「あづっちは中野っちのことなら何でも分かるんじゃないのー?」
「そんなことないよ」
「けどさー、心が読めるってそういうことでしょー?」
サンドイッチを頬張りながらセアラは無邪気にそんなことを言う。
学校に来てから陽大との間のテレパシーが通じなくなったことはまだ伝えていない。
どういうつもりなのか分からないけど、最近、私たちの関係をかき乱すようなことをするセアラにはなんとなく教えたくない。
「心が読めても分からないことってあるんだよ」
「そうかなー?」
「そうだよ」
「あづっちー」
セアラは手にしていたサンドイッチを食べ終え、指先をペロリと舐める。
色素の薄い眉毛をひそめて、じっとこちらを見つめている。
「なに?」
「もしかしてー、怒ってる?」
セアラの声音には少しだけ申し訳なさがにじむ。
「怒ってるって、どういうこと?」
「だからー、そのー」
「何なの?」
はっきりしない物言いに思わず棘のある言い方をしてしまった。
「ほらー、やっぱり怒ってるでしょー?」
「だから私が何に対して怒ってるっていうの?」
このままじゃ話が進まないから、今度はできるだけ優しい口調を心がけた。
セアラは両手の人差し指を合わせながら上目遣いで私の様子を窺っている。
「そのさー、あーしがいろいろやったこと」
「いろいろって?」
「あづっちと中野っちがデートに行くようにしたりとかー、中野っちと種井がインターンで同じ班になるようにしたこと」
「……やっぱり全部わざとやってたんだね」
「だってー、そうしないとー、このままグタグタいきそうだからねー」
「別にいいけど」
素っ気なく応えた私にセアラは目を見開く。
「ほんとにー?」
「ほんと。そもそも私はセアラに怒ってるわけじゃないから」
「そうなのー? ほんとにほんと?」
「ほんとだから」
「そっかー」
セアラは紙パックに入ったオレンジジュースのストローをくわえてチュルリと音を立てる。
ごくんと飲み干すと再びこちらに目を向けた。
「じゃあさー、なんでそんなにピリピリしてるのー?」
「ちょっと話したいことがあったんだけど、陽大が来ないから」
「たしかに今日は来ないよねー。どうしたんだろーね」
それが分からないから私も落ち着かない。
入学してから昼食は毎日この部室でとっている。
それなのに、テレパシーが全然通じなくなったこの日に限って陽大が姿を見せない。
陽大は不安に思ってないんだろうか?
「教室見に行ってみるー?」
「どうかな?」
「どうかなってー?」
セアラの言うように教室に行って陽大がいるかを確かめれば不安は和らぐのかもしれない。
たまたま担任の先生に何か用事を頼まれて教室に残ってるだけなのかもしれないし。
でもなんか嫌な予感がする。
「ねー、行こうよー?」
それでもセアラにしつこくせがまれ、私は教室に向かうことになった。
教室の前にたどり着き廊下から中を窺って、私は後悔した。
――やっぱり来なければよかった。
見なかったことでその事実がなくなるわけではないけど、でも見たくなかった。
教室の中で陽大は紗羽ちゃんと昼ご飯を食べていた。
机の上には豪華な重箱。
こんな何でもない日にあんなバカげた弁当を用意するのが誰かなんて確認するまでもない。
「へー、面白いことになってるねー」
私の隣で中の様子を窺っていたセアラが口の端をニヤリと吊り上げていた。
「セアラ、どういうこと?」
「どういうことってー、見たまんまだよー」
「はぁっ? 全然面白くないんだけど」
「まー、あづっちにはそうかもねー」
「あんたさぁ、さっき自分で私と陽大にいろいろしたって言ってたでしょ? 悪かったって思ってるんじゃないの?」
「別にー」
平然とセアラはそう言い放った。
ニヤニヤ楽しそうに教室の中で話す陽大と紗羽ちゃんを眺めている。
部室では怒ってないとセアラに言ったけど、この態度は理解できない。
「ちょっとこっち来て」
「えー、もっと見てようよー」
抵抗するセアラの腕を引っ張って私は教室から離れる。
階段の踊り場まで連れ出すと、セアラの目を正面から見すえた。
「セアラは何が楽しいの?」
「何のことかなー?」
「ふざけないでよねっ!」
「あっ、やっぱり怒ってるでしょー?」
セアラはまだ楽しそうに口元を緩めている。
そんな顔を見ていると余計に怒りがこみ上げてくる。
「セアラのせいだからね」
「何がー?」
「だからっ、陽大と紗羽ちゃんが楽しそうに食事をしてたことよっ! セアラも見てたでしょ?」
「そだねー。種井があんなに積極的だとは思ってなかったけどねー」
「なんでセアラはそんなに楽しそうなの? 私がどんな思いをしてるかも知らずに」
顔を俯ける私の頭に上にセアラのいつも通りの声が響く。
「けどさー、これであづっちと中野っちの関係は進むんじゃないかなー」
「……どうしてそう思うのよ?」
「だってさー、さっきのを見たってあづっちが中野っちに言えばー、中野っちは謝ってくるでしょー?」
黙ったままの私にセアラは淡々と言葉を重ねる。
「そしたらさー、あづっちが許してほしかったら告白してとでも言えば、さすがの中野っちでも告白してくれるんじゃないのー?」
「私はそんなに楽観的にはなれない」
「えー、どしてー? どうせ中野っちのことだからー、種井と食事をしてる間もあづっちに見られたらどうしようとか思ってるでしょー。でー、あづっちにはそれが聞こえてたんでしょー?」
「……聞こえないの」
いつの間にか私は拳を握りしめていた。
手の平に爪がめり込んで痛くて、そっと開くと痕がついていた。
「え? あづっち、今なんて言ったのー?」
「だから、聞こえないの」
「聞こえないって何が?」
「……陽大の心の声。だからさっき教室で陽大を見た時も何を考えているのか分からなかった」
「そんなことないでしょー?」
「……もしかしたら陽大は紗羽ちゃんとの食事が楽しいって思ってるのかもしれない。心の声が聞こえないんだから、分からないの」
「どういうことなのー?」
「そんなの私の方こそ知りたいよっ!」
ガバっと顔を上げると、その拍子に目の端から涙がこぼれた。
……みっともない。
「あづっち、ごめん」
セアラの顔には困惑の色が張り付いていた。
陽大が紗羽ちゃんと食事をすることになったのはセアラのせいだ。
けれど、もとはと言えば関係を進めていなかった私と陽大にも問題はあった。
だからセアラに怒るのはお門違いなのかもしれない。
「もう放っておいて」
だけど今はセアラの顔は見たくない。
私は背を向けて駆け出した。