08.蝶の髪飾り
ルネからもらった箱を開けると、シルバーの蝶がいくつも入っていた。
真珠を埋め込まれたもの、ルビーを埋め込まれたもの、サファイアを埋め込まれたもの。
いくつもの宝石が一つに埋め込まれているのではなく、真珠だけをひと粒。ルビーだけをひと粒。サファイアだけをひと粒といったように、ひと粒の宝石を抱くように埋め込んだ蝶は、小振りで、自己主張は控えめながら可愛らしさを損なわないものだった。
大きな飾りであったなら、ドレスとの相性であったり、身に付ける女性の髪や瞳の色などによって合わなかったろう。けれど、ルネがアリゼにと渡した蝶は、大き過ぎず、小さ過ぎず、使いやすそうな、つまり、丁度良い大きさだった。
「まぁ……なんて可愛らしい……」
アリゼの手に載せた蝶を見て、侍女が感嘆の声を漏らした。
「ルネ様はお嬢様に似合うものをよくご存知ですこと」
「似合うかしら?」
そっと髪に飾りをあててみると、侍女が笑顔で頷いた。
「鏡でご覧下さいませ。よくお似合いですよ」
自分の平凡な容姿と向き合うのが苦手で、進んで鏡台を覗く事なんてほとんどなかった。
ハーフアップにした髪に、侍女が蝶の髪飾りを一つ、二つと付けてくれた。手鏡越しに自分を見る。可愛らしいけれど、付ける人を選ばない無難な髪飾りだと思ったのに、自身が思っていた以上に似合っていた。自惚れではなくそう思えたのだ。
侍女の言葉はいくらか誇張しているだろうが、褒められた事が素直に嬉しかった。素直に受け止められた。
「この飾りなら、お嬢様のドレスにもよく合うと思います」
「えぇ、そうね」
一つだけだと控えめに見えるその髪飾りは、二つ付けると華やかさが増した。
「夜会が楽しみにございますね」
夜会でルネにもらった髪飾りをつけて、彼にエスコートしてもらう。その事を頭の中で思い浮かべる。
マチューにエスコートされての夜会は、淑女なのだからと義務感から参加を決めていた。
いつもなら感じる、職務に対する責任感のような感覚はなく、シモーヌ達が見たらこの髪飾りを褒めてくれるだろうかと、これまでにない事を思い浮かべていた。
そんなアリゼを、侍女が穏やかな表情で見つめていた。
「ルネ様はダンスはお得意なのですか?」
「うぅん、どうなのかしら。実は上手でした、って事はないと思うの」
アリゼとマチューの後ろを歩いているだけなのに、よく転けていたルネ。運動神経があるとは到底思えなかった。
「あらあら、ではお嬢様、お足元はいつもより硬めのものにしましょう」
侍女の言葉にアリゼは笑った。
ルネに何度も足を踏まれるだろうと言っているのだ。
「そうね。沢山足を踏まれてしまいそうね。でも私も踏んでしまいそうだから、おあいこかしら?」
ダンスは好きだけれど、ステップを間違えないようにと思えば思う程焦ってしまって、マチューの足を踏んでしまう事があり、その度に舌打ちをされた。
思い出すと胸に鉛のようなものが沈むような気持ちになる。そんなアリゼの気持ちに気付いていない侍女は、ルネとのダンスについて話を続けた。
すると、不思議な事に胸の重しがみるみると軽くなっていった。暗い気持ちが羽根でも生えたかのように、消えていくのだ。
「でしたら、踵はあまり細くないものがよろしいですね」
自身もルネの足を踏んでしまうかも知れないと思ったら、踵はあまり細くなく、こう言ってはなんだが、いざと言う時に力を込められるものが良いかも知れないと思えてきた。転けないように。
「そうしてちょうだい。私とルネの足を守ってね」
ルネの細腕では私を支えるのも大変そうだものね。あまりお菓子を食べて太らないように気を付けなくてはいけないわ、とアリゼは思った。
「責任重大ですね。心してご用意致します」
畏った言い方とおどけた表情を見せる侍女に、アリゼは我慢が出来ず、吹き出してしまった。
「もうっ、笑わせないでちょうだい。当日に思い出して笑ってしまうわ」
笑いながら、アリゼはすっきりした気持ちになっている事に気が付いた。シモーヌ達と話をして笑うことはこれまでにもあった。その瞬間は楽しいのに、すぐに現実に引き戻されてしまって、楽しい気持ちは長くは続かなかった。
けれどもう、アリゼを頭ごなしに否定する人はいない。
自分を受け止めようとしてくれるもう一人の幼馴染の存在がある。
両親はアリゼが婚約者のいない状態になっても気にした風ではなく、友人にも恵まれている。
婚約者との関係は最悪としか表現出来なかったが、それ以外は恵まれていたのだと今更ながらに知る。それらに感謝をした。
アリゼにも分かる。
ルネは変わろうとしている。
自分との未来を考えて欲しいと言った幼馴染は、いつの間にか成長していた。成長していく様を見ていた筈なのに、アリゼの中のルネは、ずっとずっと幼い頃のままの、優しくて、泣き虫な小さな子供だった。
でもそうじゃない。
ルネは成長して、少年になっていた。先日真っ直ぐに自分を見つめて気持ちを伝えてくれたルネは、さらに成長しようとしていた。
髪飾りの蝶を見る。
そう、ルネはさなぎが蝶になろうとするように、大人の階段を登ろうとしている。
ルネの目に、自分はどう見えているのだろう、と不意に思った。
これまでは淑女としてみっともないと思われないように気にする事はあったけれど、可愛く見えるだろうか、キレイに見えるだろうかと言う視点は持った事がなかった。
鏡に映る姿を見る。
ブリュネットの髪にグレーの瞳。日の当たらない場所だとどちらもくすんでいるように見える地味な色彩しか持たない自分。
そう言えばと思い出す。
グレーの瞳が嫌だと子供の頃のアリゼが言った時、その日はマチューはいなくて、ルネと二人きりだった。
あの時、ルネはなんと言ったかしら。
その時の情景を思い出す。
青い空のような瞳だったり、森の木々のような瞳が良かったと文句を言ったのだったわ。
マチューがいたなら、ないものねだりばかりするのはみっともないと言われただろう。でも、ルネはちょっと考えた後、言った。
『目にしたものが瞳に映しとられて、素敵だと、僕は思う』
思い出したらアリゼは恥ずかしくなってきた。
幼いのに、なんてマセた事をルネは言うのだろう。幼いアリゼは言葉の意味をきちんと考えず、自身が素敵な方が良いのだと答えたのではなかったか。
恥ずかしさと後悔が押し寄せて、赤い顔のままアリゼは頰を両手で押さえた。
「……なんてこと」
「お嬢様?」
「ちょっと、昔の事を思い出していただけなの」
「左様にございますか。お茶を用意致しましょうか?」
「えぇ、お願い」
一人になった部屋で、大きく息を吐いた。