07.頼もしい味方
屋敷に戻ったルネを待っていたのは、年の離れた二人の兄だった。
「どうだった」
「喜んだに決まっているよ、兄さん」
何か話すより前に兄達の会話が始まる。
口達者な兄を前にすると、ルネは聞き手に回る事が多かったが、その事に不満を抱く事はなかった。
物知りで、経験のある彼等の話を聞くのがルネは好きだった。
年頃の少年にありがちな、見栄を張りたいと言う欲求が薄かったルネは、二人の兄に教えを乞うた。
アリゼとは恋人ではなく、婚約者になりたいと言う願望があるのだ。家を継ぐ兄達に黙っていて拗ねられてしまうより、最初から話して助力を得た方が良いと考えた。
ルネから相談されなかったら、強引に割り込もうと二人の兄が考えていた事は内緒だ。
末の弟が幼馴染であるルデュック令嬢に恋心を抱いている事はピジエ家では公然の秘密であった。ルネ自身、隠せているとも思っていなかったので、驚かれるよりも受け止めてもらえている今の状況がありがたかった。
色々と説明させられたなら、心の臓が破裂しそうだ。
魔術の勉強ならどうやれば良いか分かるけれど、男女の機微など、ルネには想像も付かない。
書物などで予習する事も考えたが、こと、人と人の関係に於いては、人の数だけ関係が存在するものだ。正解もあれば不正解もある。
両親も兄も人と良好な関係を作るのが上手で、その交友関係は広かった。兄二人は異性によくモテたし、人が羨むような恋人がいる。その恋人とも婚約関係になり、来年には上の兄が婚姻を結ぶ予定だ。成功体験を多く持つ者が身近にいるのだ、頼らないと言う選択肢はなかった。
アリゼの事を相談して直ぐに、下の兄はルネに言った。
今すぐ夜会のエスコート役を買って出ろ、と。断られても良いから行け、と。それを止めたのは上の兄だった。
闇雲に突っ走ってはいけない。エスコートするならば贈り物の一つも持って行くのが紳士と言うものだ。近々女性向けの装飾品が店に届く筈だからそれを待ちなさい、と提案した。
なるほどとルネ達は納得し、装飾品が届くのを待ったが、それが思いの外遅く届いた。手元に届いた装飾品を目にして、直感的に蝶の髪飾りを選んだルネは、アリゼの元へと駆けて行った。
「受けてもらえた」
ほっとしたように答えるルネの肩を下の兄はでかしたとばかりに叩く。
「さっき兄上とも話していたのだがね、夜会にエスコートすると言う事は、パートナーと踊る訳だ、ルネ君」
さっとルネの顔が青くなる。
アリゼにエスコートを受け入れてもらえるかどうかにばかり意識がいっていたが、夜会なのだ。ぼんやりと横に立っていれば良いと言うものではない。
「アリゼ嬢の婚約者となると言う事は、未来の伯爵だ。ダンスだけではない、領地経営やらなんやら覚えなくてはならない事は山積みだぞ」
魔術師になれたならば輝かしい未来が約束される事だろうが、あちらもこちらもとやれる程弟が器用な人間ではない事を二人の兄はよく知っている。
元々才能があっても、魔術の勉強にそこまで身を入れているようにも見えなかった。この際魔術師になる事を諦めた方が良いのではと考えた。
そんな兄の考えに気付いたルネは、首を横に振る。
「何処まで出来るか分からないけど、僕の取り柄はそれしかないから、諦めたくないんだ」
容姿は普通だし、打てば響くような頭の回転の良さも持ち得ていない。あるのは魔術の才能と、彼女への想い。
どれだけ諦めようとしても、アリゼを好きだと言う気持ちだけは消せなかった。
不器用な自分があちらもこちらもと手を出すのは、欲張りであると謗られて当然だとも思っていた。
けれど、今の自分に出来ることは、ただひたすらに努力する事だけ。目の前にあるもの全てに全力で立ち向かう事だけだった。
失敗を恐れる余裕すらない。
「努力は大事だ。無駄になる事は一つもないだろう」
上の兄がじっとルネを見つめる。日増しに父に似てくる上の兄からは、父と同じような圧のようなものを感じるようになってきていた。ごくり、とルネの喉がなる。
「ただ努力を重ねれば良いと言うものではない。休息をきちんと取りなさい。おまえも魔術の勉強をしていて気付いて居るだろうが、疲労は全てを台無しにする」
十時間続けて勉強した時よりも、五時間の睡眠をとり、五時間の学習をした時の方が成績は良かった事を思い出す。闇雲に向かうよりも、遠回りをしているように見えたとしても、より効率的なやり方と言うものがある。
為すべき事は多い。取捨選択が出来ないならやり方を考えるしかない。
自分に向いたやり方を見つけるべきだ。
多くの人間に適した方法であっても、必ずしも自分に合うとは限らない。
「はい、兄上。心がけます」
しっかりと頷く弟に、二人は満足気に頷いた。
二人の兄は曲がる事なく真っ直ぐに育った、年の離れた弟が可愛かった。
弟の初恋を実らせる為に、どうすれば良いかと考えを巡らせるのもまた楽しかった。
アリゼの横に立つルネを想像して、それを現実のものにするには、何が必要なのかを思案する。
取り急ぎすべき事はダンスの練習だ、と強引に兄に腕を引かれて行った先には、母と兄の恋人達が待っていた。
アリゼと近い背格好の、下の兄の恋人とだけ練習すれば良いのではとルネは思ったが、色んな女性と踊る事で自分の欠点に気付く事が出来たとの経験談を語られてしまえば、ルネは否やとは言わなかった。
夜会まであと二週間しかない。毎日練習しろ、と兄は言った。長時間練習しなくて良いが、日々の練習は欠かせないぞ、と。
それから、母であるピジエ夫人を常にエスコートする女性と思って接しなさいとも。
頭で分かっていても、実際にやってみれば知らぬ事、気付かぬ事が多い。ほんの僅かな事に気付けるかどうかで、男の価値は変わるぞ、と兄に脅され、青い顔でルネは頷くしかなかった。
これまで魔術師になる事に専念すると言って、色んな事から逃げていたツケを払う時がきた。その魔術師の方も中途半端だった。
一瞬、後悔と言う二文字がルネの頭を過ったが、アリゼの涙と、贈り物の箱を渡した後に見せてくれた小さな笑顔を思い出した。
何処まで出来るか、ルネ自身まったく分からなくて、自信もなにもない。けれど、長い片思いが、どうしても諦められなかったアリゼへの想いを、ようやく彼女に向けられるのだ。だから、恥ずかしくとも、失敗しようとも、前を見ようと思った。
翌日から三日間、ルネは筋肉の痛みに耐える事になる。




