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06.エスコート

 マチューとアリゼの婚約解消は、周囲にすんなりと受け入れられた。マチューは見目も良く、成績優秀ではあったが、傲慢さが鼻につく男だった。その傲慢さはアリゼが見切りをつけてもなんら不思議ではなかった。

 アリゼの方が選べる立場であったのにあれだけ酷い仕打ちに耐えているのは、彼女がマチューに恋をしているからだと思われていた。惚れた弱みと言う奴である。

 二人の婚約が解消された時には、遂に百年の恋も冷めたのかと言われた。実の所、二人の間にそんなものは無かったのだが。

 アリゼの目が覚めたのは、真実の愛に目覚めたからだとか、マチューよりも好条件の婿候補をルデュック伯が見つけたからだというような噂が流れ始める。

 十代の少年少女にとって恋の話は関心が高い。

 人生の勝者のように振る舞っていたマチューに対して苦々しく思っていた者達が多かった事もあり、いつもよりも噂が消えるのに時間がかかりそうだった。


 真実の愛にしろ、マチューの上をいく好条件の婿候補にしろ、マチューの自尊心は酷く傷付けられた。

 だが、彼はその噂を肯定も否定もしなかった。どちらも不名誉ではあったが、彼はまだアリゼとの婚姻を諦めていなかった。

 自分に対してアリゼが恋愛感情を抱いていない事は重々承知していたが、かと言って自分よりも優秀な同年代の男はそうそういないと言う自負があったし、アリゼが誰かに対して関心を抱くそぶりも見た事がなかった。

 それに、アリゼは本来、大層お転婆だ。今でこそマチューに抑圧された事で大人しく振る舞う術を身に付けているものの、彼女らしさを目にして幻滅する男達はそれなりにいるだろうと思い込んでいた。


 ただ、そんな彼にとっての不安要素はルネだった。

 幼い頃のお転婆なアリゼを知っていて、それでもアリゼを好きだと言う。

 歯牙にも掛けない存在であったのに、ルネには魔術の才能がある。もしその能力が認められ、難関と言われる魔術師の塔の入門試験に合格などすれば、男爵位が与えられる。

 既に失敗をしている自分とルネが並んだ場合、ルデュック伯がルネを選ぶ可能性は高かった。

 愛娘本来の性質を知りながら好意を抱き、実力で以て爵位を手にしたなら、自分なら間違いなくルネを選ぶ、マチューはそう思った。

 だからこそ、マチューに取っては噂よりも何よりも、ルネの動向が気になった。魔術師の塔への合格を妨害したいと思う程に。




 アリゼ達は内緒の話をする際、学園から程々の距離にある、大通りに面したカフェに足を運んだ。


「今度の夜会、アリゼはどうなさるの?」


 シモーヌはメニューをテーブルに置き、アリゼを見た。他の二人もアリゼを見る。


「さすがに婚約解消して間もないのだし、今回はルデュック伯にエスコートしていただくのでしょう?」


「あら、アリゼにはもう一人の幼馴染みがいるでしょう?

ピジエ子爵の三男の」と、イレタが言う。


 ぴく、とアリゼの身体が反応する。


 アリゼは近付く夜会のエスコート役をどうしたものかと思っていた。婚約を解消したばかりでもあるし、今回は参加を見合わせるなり、エミリエンヌの言うように父親に頼むのが良いのだろう。

 ルネは婚約を解消した後、自分の事を見て欲しいとは言ったが、すぐにルネに目を向ける事を周囲はどう思うのだろうと思い悩んでいた。彼が年下である事も、アリゼには悩みの種であった。


 ルネの名前にこれまでにない反応を見せた事に、シモーヌが目敏く気付く。


「……アリゼ、ピジエ様と何かあったの?」


 射抜くような視線に、アリゼは身を竦ませる。シモーヌの鋭さにはいつも助けられているが、正直なところ、今回は気付かれたくなかった。


「あら?」


「もしかして、告白でもされたの?」


 頰を赤らめたアリゼに、三人は同時に身を乗り出した。


「まぁ!」


「だから婚約を解消なさったの?」


「違うわ!」


 慌てて否定をするものの、アリゼの顔は赤いままだ。

 にんまりと微笑むシモーヌに、表情が乏しい筈のエミリエンヌまで笑みを浮かべており、イレタに至っては興味津々である事を隠しもしない。

 これは逃げられそうにない、とアリゼは思った。年頃の令嬢に恋の話に関心を持つなと言う方が難しい。


「素直にお話しなさいな。テター様の事だけでなく、そちらもお手伝い出来るかも知れなくてよ?」


 アリゼ自身、ルネとの事をどうして良いのか分からないのに、手伝うも何もないのだが、自分の胸のうちだけに納めておく事も出来なかった。両親にも話せないし、何が正しいのかアリゼには分からなかったのだ。

 これまで何もかもマチューに否定されてきた彼女は、自分の感覚を信じる事が出来ない。

 分かっているのは、マチューとの婚約を解消した事が誰から見ても正当に見えると言う事ぐらいだった。


 婚約解消をしたいと両親に話した時、二人は何度も何度もアリゼに謝罪した。マチューを選んだ事、初めの頃、マチューの言う事に賛同した事を悔やんでいた、と。

 アリゼは両親を許した。幼い頃の自分がどれだけお転婆だったか分かるから、あの時マチューに賛同した気持ちも今なら分かる。

 その後マチューを窘めてくれていたし、婚約を解消しようと何度も言ってくれていた。それを拒否していたのは自分なのだから、謝らないで欲しいと。

 それでも娘の心を傷付けた事は変えようのない事実だから、これからはアリゼの気持ちを尊重したいと両親は言った。


「マチューが他の令嬢と私の事を悪し様に言っているのを見てしまって……悲しくて、苦しくて、図書室に逃げた所にルネが来て」


 あれはたまたま通りかかったのか、私に気が付いて追いかけて来てくれたのか、どっちだったのだろうと、アリゼは思った。


「マチューとの婚約を解消すると、ルネに話したの。そうしたら、その、屋敷に花束を持って会いに来てくれて……」


 思い出すだけで恥ずかしくなる。


「それで?」


「愛の言葉を捧げられた?」


 恥ずかしさに俯きながら、「自分との事を考えて欲しいって……言われたの」と、アリゼが話すと、三人は頰を赤く染め、黄色い声をあげた。


「まぁ……っ!」


 思い出すだけで恥ずかしさに身が捩れてしまいそうになるのに、胸の中が温かくなる。


「虫も殺せぬような大人しそうな顔をなさっているのに、結構おっしゃるのね、ピジエ様ったら!」


 イレタの言葉にシモーヌもエミリエンヌも頷いた。


 アリゼも、ルネとは思えないような言葉に戸惑いを覚えた。長く付き合いのあるアリゼの方が、従来とは異なるルネの言動に対する驚きは大きかった。

 けれど不快感はなかった。


「そこまでおっしゃっておきながら、ピジエ様ったら、アリゼを夜会に誘って来ないの?」


「そうよ」


「ルネは、魔術師の塔の入門試験に向けて勉強をしなくてはならないもの。元々、夜会にもあんまり参加していないし……」


 そう言ってルネをフォローしながら、己の中にルネから声をかけてもらえない事に対する寂しさがある事に、アリゼは気付いていた。


 注文していた紅茶と菓子がテーブルの上に並べられると、少女達の関心は目の前の魅力的な甘い菓子に向かい、夜会の話はそこで中断された。


 可愛らしく、凝った見た目に、鼻をくすぐる香りがする美味しい菓子を、うっとりしながら堪能していた時だった。


「アリゼ!」


 突如アリゼの名が大きな声で呼ばれた。

 声の主を見れば、先ほど話題の中心になっていたルネだった。

 息を切らしている。アリゼを探していたようだ。

 話しかけてから、ルネはアリゼが友人達といる事に気が付いたようで、慌てて謝罪した。


「あ、と、歓談を邪魔をしてしまって、申し訳ない」


 シモーヌが笑顔をルネに向ける。飛んで火にいる、と言う奴である。

 この後のルネの言葉次第では、勝気なシモーヌはルネに強い言葉を向けるだろう。


「気になさらないで。ご様子からして、アリゼに急ぎのご用事なのではなくて?」


 ルネは頷いて、アリゼに向き直った。


「アリゼ、あの、次の夜会なんだけど」


 ルネから夜会について話題を振ってきたことに、シモーヌたち友人は興奮を覚えた。

 顔に出さないように平静を装い、紅茶を口にする三人。

 アリゼは期待と不安が入り混じる気持ちを必死に抑えながら、ルネを見つめた。


「僕、夜会とか参加した回数が少ないから、上手く出来る自信はないけど、良かったらエスコートをさせてもらえないかと思って……その、まだ、パートナーが決まってなかったらだけど」


「決まって、ないわ」


 夜会のエスコートをしたいと言われたのは初めてだった。ぎこちないけれど、こうして声をかけられた事が純粋に嬉しかった。


「嬉しいわ、ルネ」


 アリゼがそう答えると、ルネが笑顔になる。

 彼女をエスコートしたいというルネの気持ちが伝わってくる。アリゼの胸の中にまた、温かいものが宿る。


「あの、これ」


 小さな箱がアリゼの前に差し出される。ピンク色のリボンが結ばれた、可愛らしい箱だった。


「なぁに?」


「アリゼのドレスの色が分からなかったから、どんな色にも合いそうな髪飾りを用意したんだ。良かったら、夜会の時に、身に付けてもらえたらと思って」


 贈り物まで用意されるとは思わなくて、受け取った箱をアリゼはじっと見つめた。


 時計塔からボーン、と時刻を告げる音がした。


「あっ、もう行かなくちゃ」


 ルネはシモーヌたちに邪魔した事をもう一度謝罪し、時間をもらった事に対して感謝の言葉を述べた。

 言葉の一つひとつ、態度は自信なさげでたどたどしいものの、誠実であろうとするその姿勢は、好印象だった。


「じゃあ、アリゼ、また」


「え、えぇ。またね、ルネ」


 ルネが走って去って行った後も、アリゼは箱を見つめていた。そんな友人の様子に、シモーヌたちは目が合うと頷きあった。


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