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05.溢れたミルク

 屋敷に訪問出来ずとも、学園でアリゼと会う機会はある、マチューはそう思っていた。

 確かにアリゼの姿を学園で見る事はあったが、彼女に近付こうとすると、彼女の友人達が邪魔をした。


「テター様、アリゼとの婚約は正式に解消されたと伺っております」


 これまで、マチューによって友人が傷付けられる事を苦々しく思っていたアリゼの友人──シモーヌは彼を睨み付けながら言った。

 何故部外者に邪魔されなくてはならないのだと思いながら、アリゼとの関係を取り戻したいマチューは耐えるしかなかった。


「確かにそうだ。だが、これまでのオレの行いが悪かった。その点について謝罪させて欲しい」


 友人に守られるように立つアリゼに聞こえるように言う。


「殊勝なお心掛けですこと」と別の友人のエミリエンヌが言った。その視線はマチューに冷たく刺さる。


「テター様は溢れたミルクを嘆いてらっしゃるの?」


 イレタはそう言って困った顔をする。


 シモーヌ、エミリエンヌ、イレタ。アリゼには多くの友人がいるが、学園生活の多くをこの三人と過ごす事が多い。

 三人共、友人であるアリゼへのマチューの態度の悪さは腹に据えかねていた。耐えるアリゼ自身に怒る事もあった程だ。

 だが、アリゼがもうマチューとの未来を望んでいない。はっきりと関係を解消し、接点を持ちたくない。協力してもらえないかと友人に頭を下げた。ようやくアリゼが自分達を頼ってくれたとシモーヌ達は喜んでいた。

 マチューを絶対にアリゼに近付かせないと決意し、これまでの彼の行いに不快感を覚えていた級友達にも根回しをした程に張り切っていた。


「あら、炒り卵を元の卵に戻す事は出来ない、の方がよろしいのではなくて?」


 エミリエンヌが言った。何を今更と言う事を、別の言い回しでマチューに突き付ける。


「後の祭と言う言葉もあってよ? 先人の方達はよく言ったものですわね」


「私達よりも聡明でいらっしゃると、常々自負なさっていらっしゃるテター様がご存知ない筈がありませんものね?」


 関係を続けなくて良いとなれば、言葉を選ばずに済む。むしろこれまでどれだけの言葉を飲み込んできた事か。

 アリゼの苦しみを思い知れとばかりに、三人は次々と言葉でマチューを攻め立てた。

 対するマチューは、今まで何を言われてもきっちりと反論してきた。正義は我にありと言わんばかりに。何も言い返せないまま、アリゼ達四人の背中を見送る事になったマチューは、拳を強く握りしめていた。苛立ちを抑え込む為に。

 アリゼは、マチューを一瞥すらしなかった。


 その後もマチューはアリゼに接触を図ろうとしたが、いずれも上手くいかなかった。

 彼も友人を頼ろうとしたが、困った顔で断られた。


「あれだけルデュック令嬢を悪し様に言っていたのは君だろう。君が婚約を疎ましく思ってあの様な態度を取っているのだと思っていた」


 他の友人も頷く。


「婚約者以前に、紳士の振る舞いとしてもいかがなものかと言う我等の苦言にすら耳を傾けなかったのだからね」


 同性の友人からも素気無くされるのは、マチューの日頃の行いの結果であった。男女の別なく、下に見ていた彼らへのマチューの態度は褒められたものではなく、その意趣返しを受けていた。


「ルデュック嬢の事は諦めて、誰だったか、ホラ、男爵家の令嬢との親睦を深めたらどうだい?」


 腹立たしさを堪えきれずにその場を立ち去れば、渡り廊下を行くもう一人の幼馴染み──ルネの姿が見えた。

 ルネの言葉ならアリゼも耳を傾けるに違いない。マチューは瞬間的にそう思った。

 周囲の大人達はマチューの言葉にアリゼが従っているように思っていたが、マチューの感覚からすれば、自分の言葉よりもルネの言葉の方がアリゼには伝わっていたと感じていた。より強い言葉でアリゼの関心を自分に引き付け、思うように動かしていた、と言うのが正しかった。


「ルネ!」


 胸に分厚い本を抱えて歩くルネに声をかける。ルネは足を止め、マチューの方を向いた。


 二歳年下と言う事もあり、マチューよりも華奢に見える。魔術を専攻する為、日に当たって身体を動かす事よりも、机に向かい、知識量を高める事に専念するからかも知れない。


 ルネにはマチューが話しかけてきた理由が分かっていた。アリゼとの仲を取り持って欲しいとでも言うのだろう。


「ルネ、頼みがある。アリゼの事だ」


 内心不快に思いながらも、ルネは言葉にも表情にも出さず、マチューの話を聞いていた。

 マチューと言う人間は、自分の話を遮られる事を嫌がる。特に下に見ている人間に邪魔されると、激昂する。


「アリゼは誤解している。婚約者のアリゼ以外に親しくしていた令嬢などいない。言い寄られるのまで親しいと表現されたら、困るがね」


 ほんの僅かな時でも、己が上だと思わせたいマチューは、言葉の端々に自慢を盛り込む事を忘れない。

 その姿を周囲がどう感じているかも考えた事はない。


「アリゼに強く言って来たのも、アリゼを思えばこそだ。彼女には完璧な淑女になってもらいたい。それだけなんだ」


 我が幼馴染み殿は、詐欺師が天職なのではないか、とルネは思った。あのような酷い態度をここまで好意的な言葉に変える事が出来るのは一種の才能かも知れない、と感心する程である。


「そう、マチューの気持ちはよく分かったよ」


 ようやく自分の言葉を受け入れる人間が現れたと、マチューは胸を撫で下ろし、笑顔になった。


「でも、そのマチューの思いがアリゼにとっては重荷だったから、婚約は解消されたんでしょう?」


 冷水を頭からかけられたような感覚がした。

 ルネの目は、マチューを責めてはいなかった。けれど温かみもなかった。


「異性の関係は、よく分からないけれど、マチューがどう考えていたのかはあんまり関係がないんじゃないかな。

アリゼが嫌だと感じたなら、不適切だったんだと、僕は思う」


 何を生意気なと言い返したいのに、ルネの言葉はどれもマチューを直接的には責めていなかった。あくまでアリゼがそう感じて、結果として婚約が解消になったのだと、ルネは言っている。


「マチューは、アリゼとの婚約関係を取り戻したいの?」


 咽喉がカラカラに渇く。

 ぺたりと張り付くようだった。返事をしたが、掠れた声しか出なかった。


「あ、あぁ、勿論、そうだ」


「そうなんだね」


 やっぱり、すんなりとは諦めないのか、あんなに酷い態度を取っていた事を悪いとは思っていないのだな、とルネは思った。


「……僕、アリゼに告白したんだ」


「…………は?」


 マチューは目の前の幼馴染みが、分からなくなった。身知らぬ男を見ているような気持ちになる。

 年下で、いつも自分とアリゼにくっついて来ていた、弟のような存在だった。

 いつも俯いて、自己主張など出来なかったルネ。


 ルネはマチューを見て言った。


「アリゼに選んでもらえるように、努力するつもりでいるんだ。だから、君の頼みは聞けない。ごめん」


 ルネが、アリゼを好き?

 告白をした? いつの間に?


「いつからだ?」


「え?」


 一体いつから、アリゼを?


 ルネは困ったように僅かに笑うと、「何故そこが気になるのか、よく分からないけど、ずっと前からだよ」と答えた。


「じゃあ、僕、行くね」


 ルネはそう言ってマチューの前から去って行った。

 マチューはその場に縫い止められたように動けなかった。


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