43.これからはずっと二人で
落ち着きなく部屋の中を行ったり来たりする弟を、二人の兄は微笑ましく見つめていた。
数日前に末の弟の婚約者が王都に戻って来た。今日、会う約束を取り付けた。
優柔不断なようでいて頑固な面も持つ弟は、長期休暇に彼女に会いに行けと何度言われても首を縦に振らなかった。
会えば、我慢がきかなくなるからと言って。
その代わりに手紙のやりとりだけは頻繁にしていたし、どうやったら手紙をもっと早くにやりとり出来るかを真剣に考え始めた弟に、頑張る方向がおかしいとは思いつつも、コイツもピジエの男だと納得していた。
ルデュック伯爵家の一人娘として生まれたアリゼに、ルネは恋をした。
けれど彼の初恋は早々に砕け散った。
もう一人の幼馴染だったマチューとアリゼの関係性は褒められたものではなく、彼女に想いを寄せるルネが、どれだけ歯噛みしたか知れなかった。
何度も諦めようとして、その度に彼女への想いを再確認して。嫌いになろうと彼女の悪い所を列挙しても、悪感情を抱く事は叶わなかった。
何故ここまで心を捉えて離さないのだろうと考えた。
普通なのだ、アリゼは。
容姿も、成績も、性格が少し勝気な所があるぐらいで、至って普通の令嬢だった。
対するルネも、生家が有名である事と、魔術師としての才がある事を除けば普通だった。ぱっと見ただけなら、その辺を行き来する少年と何ら変わりがない。
答えらしい答えは見出せなかった。
どれだけ悩んでも彼女を好きな気持ちを消せない。それなのに彼女は別の人間と婚姻を結ぶ事が決まってしまった。
ルネはアリゼの幸せを願う事にした。自分が隣にいられないからと言って、彼女の不幸を願いたくなかった。
だから、アリゼが辛い思いをしている時にはそっと寄り添った。慰め、励まし、自分の思いを押し付ける事はなかった。
愛し方は人それぞれである。
奪う事しか出来ない愛もあるし、日向のように慈しむ愛もある。
ルネは後者であり、アリゼと婚約してからも傷付いた彼女の心を癒し、優しく温めた。
アリゼはルネの想いを受け止め、彼を愛した。
この幸運を、彼はいまだに忘れる事はない。きっとずっと忘れない。
二年ぶりの婚約者を前にして、アリゼは笑った。
「ルネ、貴方、変わらないわね」
そうなのだ。少しは背が伸びたものの、それぐらいで変化がない。ルネ自身ももう少し成長するだろうと思っていたので、自身の変化のなさにがっかりした。
「良かった」
そう言って微笑むアリゼを、ルネは不思議そうに見つめる。
「離れている間にルネが物凄く変わっていたら嫌だと思っていたの。私は流行りが少し遅れてから届く場所にいたから」
安心したの、と微笑むアリゼは、変わった。
思春期を過ぎ、大人になったアリゼには、以前とは違う雰囲気が漂っている。
洗練されたと言うのか、大人の女性らしい柔らかさが滲み出ていた。
「私は少し変わったと言われたのだけれど、大丈夫かしら?」
不安気にルネを見るアリゼに、ルネは微笑む。
「きれいになったね」
率直なルネの言葉にアリゼは花開くように微笑んだ。
平凡な顔立ちである事は変わらないが、彼女から滲み出る魅力のようなものを感じる。
「努力した甲斐があったわ」
悪戯が成功したような顔を見せてアリゼは笑う。
努力? とルネが聞き返すと、アリゼは頷いた。
「王都から離れている間に、ルネを驚かせる程にきれいになりたかったの。
元が元だから劇的には変われなかったけれど、少しはきれいになれたかしら?」
「少しどころじゃないよ、とても、きれいになった」
ルネは変わらない自分が情けなく思えてきた。
離れている間、全く努力をしていなかった訳ではない。
爵位を継ぐのだ。貴族としての振る舞いなどについても習熟度を上げたし、学園での成績も上がって首位、もしくは二位を取り続けた。
魔術師としても研究を続け、小さな事ではあるものの、民の生活を少し便利にさせるような発表もした。
見た目にだって気を付けるようにしたのだ、ルネなりに。
やれる事はやって来たのに、彼女を前にして申し訳なくなってくる。
「ルネを誰にも取られたくなかったの」
恥ずかしそうに、嬉しそうに微笑むアリゼに、もやもやしていた気持ちが消えていく。
自分の為にきれいになったと言われて自信を失う程ルネは歪んではいなかったし、当然と思う程傲慢さを持ち合わせていなかった。
ルネは気を引き締める。
彼女に釣り合わないと卑屈になる暇があるなら、努力を重ねたいと思った。
ようやく手に入れた幸運。
彼女の気持ちを己の劣等感で無にする程彼は愚かではなかったし、己をよく知り得ていた。
「僕も、頑張らなくちゃ」
ふふ、と嬉しそうに微笑むアリゼの頰に、ルネは口付けを落とした。
真っ赤な顔になったアリゼが言った。
「見た目は変わっていないけれど、行動が変わった気がするわ……」
「え、そうかな。
会えて嬉しくて、つい口付けをしてしまったけど……ごめん、嫌だった?」
首を横に振るアリゼを見て、見た目こそ大人の女性然としているが、中身はよく知るアリゼのままで、ルネは思わず笑顔になった。
「何を笑っているの?」
「アリゼが好きだなって思って」
全く変わらないものなどなくて、外見であったり、内面であったり、日々変わるもの、変わらないもの、さまざまだ。
久しぶりの婚約者に、それぞれが相手の変化を感じたけれど、それもまた好意的に受け止める事が出来た。
「五年前のアリゼも、去年のアリゼも、今日のアリゼも、みんな好き。次にアリゼに会ったらまた、好きだって再確認すると思う。
同じアリゼはいないけど、変わっていくアリゼの側にこれからもいたい」
「私も」
赤い顔のまま、アリゼは頷く。
「変わらないものって、あるよね」
「どう言う事?」
「どんなに変わっても、アリゼの中で変わらないものがあるって思ったんだ」
それが人によっては不快に見える事もある。
ルネにとっては魅力的に見える。
感じ方は人それぞれ。
手を伸ばし、アリゼの手を取る。
「アリゼらしさって言うのかな。一つじゃなくて色んなものが合わさって、アリゼだなって感じる。
僕にもあると思う」
「そうね、あると思うわ」
「僕はその、アリゼがアリゼたる所以がとても好きなんだなって」
「ありがとう、ルネ」
ルネの言葉がアリゼの心をくすぐる。
他の誰もが自分を否定したとしても、ルネの気持ちがあるならば、どんな事も乗り越えていけるとアリゼは思っている。
ルネにとって自分もそうであれば良い。そうでないなら、そうなれるようになりたい。
「春が待ち遠しい」
春、ルネとアリゼは婚姻を結ぶ。
「知っていて? 春には恐ろしい嵐が来るのよ?」
脅かすように言うアリゼに、ルネは微笑む。
「僕が何者か忘れてしまった?」
「そうだわ、私の婚約者は魔術師だったのよね」
「うん」
繋いだ手を強く握り合い、額と額を合わせる。
「アリゼの行く先を照らしたい。風が強かったらそれを跳ね返したい」
アリゼは微笑む。
もうずっと前からそうしてくれていたのに、彼は更にアリゼを守りたいと言ってくれる。
「ありがとう、ルネ。それなら一緒に進んでいけるわね。私も貴方の心を灯したいし、風で冷えた身体を包んであげたいわ」
愛する彼女の言葉は、ルネの心をとても喜ばせた。
「アリゼがいれば、どんな事にも耐えられるよ。乗り越えられる」
私もよ、とアリゼは頷いて微笑む。
作ろうとしなくても、自然と笑う事が出来る。
とても、嬉しくて。
一人では無理でも、愛する人が一緒ならきっと乗り越えられる。
明日が来る事も、変わっていく事も、怖くない。
そっと、頬に口付けを落とし、見つめ合い、微笑み合う。
「おかえり、アリゼ」
「ただいま、ルネ」
これからは、ずっと一緒に。




