32.惨劇の終わり
アリゼはルネに縋って、髪を切る行為を止めようとするも、刃物を持っている腕に触れる事は出来ず、言葉で説得するしかない。
魔術師を目指すルネは髪を長く伸ばす必要がある。必須であるし、生命線とまで言われている。その髪を、ルネは切り落とそうとしている。
ナイフの刃の問題なのか、なかなかすんなりと髪は切れないようで、時間を要した。
「止めて、ルネ!!」
アリゼが止めるのも聞かず、ルネはそのまま髪を切り続けた。
ルネの手が下ろされた時、あれ程長かった髪はなくなっていた。
少し離れた所に向けてナイフを放り投げる。
「髪……髪が……!」
ルネは辛そうにしていたが、ルネを見るアリゼもまた悲壮な顔をしていた。
「うん。髪は時間がかかっても伸びるけど、このままだと僕、焼け死んでしまうから」
「そうだけど……っ」
止まっていたのにまた、アリゼの目から涙が溢れる。
「私がもっと力があれば……」
その言葉にルネは悲しそうに微笑む。
「アリゼは何でも自分の所為にしすぎだと思う。
話したい事は色々あるけど、早くここから離れないと」
ルネは立ち上がると、アリゼの腕を掴んで立ち上がらせた。
木材はまだ燃えている。この場所に長居するのは危険だった。建物の周辺には雑多に物が転がっているのだ、それらにも火が点けばどうなるか分からない。
周囲を見渡し、二人は目にしたものに身体を強張らせた。
ジュリアが、先程ルネが放り投げたナイフを持って立っていた。自分達の事で頭がいっぱいになっていて、彼女の事をわずかの間、忘れ去っていた。
赤く美しかった髪は乱れ、顔色も悪く、幽鬼のようだった。
炎に焼かれた顔の半分を手で押さえたまま、呟く。
「終わりよ」
「え?」
思わず聞き返す。
「こんな顔じゃ、幸せになれない……」
顔を上げたジュリアの目は据わっており、真っ直ぐにアリゼを見据えていた。
「道連れに、してやる……」
ルネがアリゼの前に立つ。ナイフに対抗するようなものは何も持ち合わせていない。
どうやったらアリゼを守れるか、ルネは必死に考える。
周囲には火の点いた木材が転がっており、逃げる方向を間違える訳にはいかない。
木材で応戦するのが良いだろうかと考えていた時だった。
ジュリアの後ろにマチューが現れ、三人の様子を見て眉間に皺を寄せた。
己の背後にマチューが現れた事に、ジュリアはまだ気付いていない。
これが別の人ならばまだ、期待しただろう。助けてくれと声を張り上げたに違いない。
マチューの自尊心に傷を付けたアリゼを、マチューが助けるかは分からなかった。手を出さないでいてくれるならまだ良い。この状況でマチューがジュリアに加勢したらと想像してしまう。
何と声をかけたら良いのだろうとルネは考える。
どう言えばマチューは自分達の味方になってくれる? なってくれずとも、ジュリアに手を貸さないで欲しい。
マチューは息を吐くとジュリアの、ナイフを持つ方の手首を掴み上げた。
「あっ!!」
不意に背後から腕を掴まれ、軽く捻られた手首の痛みに耐えかねてナイフを落とす。それをマチューが拾い上げる。
「マチュー! 何するのよ! 邪魔しないで!」
ナイフを取り返そうとジュリアがマチューにしがみ付く。ジュリアの手が届かないように上げられた手の先にナイフはある。
「オレも、おまえも、愚か者だ」
そう言うマチューの表情が曇る。
「生まれ持ったものに感謝せず、欲しがるばかりだった。
人の努力を気にかける事なく、むしろ嘲笑った。
今のオレ達の状況は、他でもない自分が作ったものだ」
アリゼは呆然とする。
まさか、マチューがこんな事を言うなんて。
あの傲慢なマチューが。
「違う! 私はもっともっと得られる筈だった! それを奪ったのはアリゼよ!」
「そんな事実はない。おまえの妄執だ」
違う違うと髪を振り乱して叫ぶジュリアを、苦しそうに見つめるマチュー。
「仮令そうだったとしても、それを壊したのはおまえだし、オレだ」
マチューの言葉を受け入れず、違うと言い続けるジュリアはもはや正気を保てていないかも知れないと、ルネは思う。
「ピジエ!」
パオロの叫ぶ声と、複数人の足音が近付いて来た。
「なんだこれは!」
「火を消せ!」
「水だ! 水を!!」
マチューが教師達に向かって声を上げる。
「ソネゴ嬢が怪我をしている! 早く治療を!」
二人の教師が駆け寄り、ジュリアの顔を見て息を詰めるも、意を決してジュリアの腕を取り、校舎に連れて行こうとする。
「いやっ! 離して!」
諦めきれないジュリアは、引きずられながらも、見えなくなるまでアリゼを見続けていた。
他の物に火が燃え移らないようにと木材を動かしている男達を見て、アリゼはある事に気付く。
上に乗っていた木材がどかされたからだろう、ルネの切り落とした髪は、ようやく取り出す事が出来た。
出来たが、悔しさで胸がいっぱいになる。
溢れ落ちそうになる涙をぐっと堪えて立ち上がると、ルネとマチューが話をしていた。
「ありがとう、マチュー」
「……いや」
ルネの感謝にマチューは素っ気なく返す。
「……助けてもらえるとは思ってなかった」
率直なルネの言葉にマチューは苦笑いを浮かべ、「だろうな」と答えて頷いた。
「アイツを見てると、自分がどれだけ醜悪だったのかを痛感させられた……もっと早くに気付けていたなら、違う未来があったんだろうが……」
ふっ、と悲しそうに目を伏せる。
「オレも、ジュリアも、傲慢だった。それだけだ」
アリゼの胸が痛む。
何に対してなのかは分からない。
「それに、助けるのは当たり前だ」
顔を上げたマチューは目を細め、寂しそうに微笑む。
「アリゼの婚約者ではなくなっても、オレは、ルネとアリゼの幼馴染みだ。二人がそう思ってなくても」
「マチュー……」
どう答えたらとルネが考えていると、マチューは首を振った。答えなくて良いという意思表示だった。
「聞かれたらそれらしく答えておく。望みの回答があるなら、屋敷に届けておいてくれ」
じゃあな、と言ってマチューは校舎とは反対の方へ歩いて行く。
「ピジエ! 君も医務室に来なさい!」
腕を掴まれて校舎に連れて行かれそうになり、ルネは慌ててアリゼの元に向かう。
「大丈夫だ、ルデュック嬢も一緒だ」
その言葉にほっと息を吐き、二人は大人達に付き添われて校舎に向かった。




