24.収穫祭 その1
収穫祭当日。
昨日までに刺繍を施したハンカチーフは三枚提出した。本来ならば一枚で良いのだが、何かをしていないと色々考え事をしてしまうアリゼには、手慰みとして丁度良かった。
ルネへの贈り物として、三本のリボンに彼の名を刺繍した。
昨夜まで迷いに迷って、渡すのは青いリボンと赤いリボンに決めた。それなのに心の中でまだぐずぐずと考えてしまう。
結局灰色のリボンは渡さない事にした。決めたのにも拘らず、渡した時に見せてくれるだろうルネの笑顔が簡単に想像でき、迷う。
ノックの音がし、侍女の声が扉の向こう側からした。
「お嬢様、そろそろお出掛けになられませんと、遅れてしまいます。本日は道が混み合いますから」
「そうだったわ!」
時計を見てアリゼは焦り、慌てて部屋を出た。
毎年収穫祭の日は道が馬車で混み合う為、いつもより早く屋敷を出る事になっていたのだ。
学園に向かう馬車の中、置いてくるべきものを持ってきていた事に気付く。
ルネの名を刺繍した灰色のリボンだ。
昨夜遅くまで刺繍をし、更に悩んでいたのもあって、睡眠時間が足りない。心なし、頭がぼんやりしていた。
ため息を吐くと、制服のポケットに押し込める。
ルネは詩を上手に詠めるのだろうか。人前が苦手だから、それだけで失敗してしまいそうだ。
どんな詩を詠むのだろうか。自分はその詩に登場するのだろうか。
そんな事ばかり考えてしまう。いつもならそんな考えを追い払うよう努めるのだが、気になって仕方がない。
馬車の中から窓越しに外を見る。
秋の空は高く、晴れ渡り、雲も少なかった。
近頃は風もすっかり涼しくなって、長く風に当たると身体が冷えてしまう程だった。
収穫祭を終え、その余韻に浸るうちに冬が訪れる。
雪も降るが、この国は大陸の南側に近い為、そうそう大雪が降る事もなく、港が凍る事もない。
湖に張る氷も薄く、アリゼはスケートというものをした事がない。
いつかやってみたいと思っている。
氷の上を滑るのを想像する。笑顔をアリゼに向け、手を伸ばすルネの姿が脳裏に浮かんだ。
ほんの数日前まで、こんなにもルネの事ばかり考えなかったのに、とアリゼは思う。
未来について考えを巡らせると自然とルネが浮かんでくるのは、婚約者なのだから悪い事ではない。
アリゼは自分の気持ちに目を背けたかった。
戸惑っていた。
こんなにも誰かの事ばかり考えてしまう自分が。
ルネに会いたい。でも会いたくない。会ったらきっと嬉しくて微笑んでしまう。ルネは微笑み返してくれるだろう。
要するに己の気持ちを持て余していた。
これまで以上に御せない己の心をどう扱っていいのか分からない。
取り留めのない事をつらつらと考えているうちに、馬車は学園に到着した。
思ったよりも早く着いたが、同じ事を考えていた者が多かったのだろう、生徒の姿がそれなりに見られる。
教室に向かっている途中、窓から人影が見えた。見るともなしに視線をやると、男女の姿が見え、思わず足を止めた。
男性の姿に、アリゼの身体に力が入る。マチューだった。女性はジュリア。
少し前に偶然目にした光景が思い出される。
ジュリアはパオロにすげない態度を取っていた。いくらなんでもあれは失礼だと思った。
自分に言われた言葉ではないにも拘らず、思い出すと不快に感じる。
二人の間に何があったのかはあの二人にしか分からない事ではあるし、自身には関係のない事だから関わる気は毛頭ない。けれどあの瞬間のやりとりだけを見ればジュリアは不誠実であった。たとえパオロとの関係を終わらせるにしてもマチューの事まで口にする必要はないとアリゼは思う。
あの二人の姿をパオロが見ない事を祈りながら、アリゼは教室に向かって歩き始めた。
胸の内に広がるざわつきを、ぐっと奥に押し込める。
教室に入ると、イレタが既に登校していた。
手持ち無沙汰だったのだろう、教室に入って来たアリゼに目敏く気付いて、彼女に声をかける。
「アリゼも早めに来たのね」
「えぇ、道が混むかと思っていつもより早めに屋敷を出たのだけれど、思う以上に早く着いてどうしようかと思っていたの。イレタがいてくれて良かったわ」
「私は妹に付き合わされてこんなにも早く来てしまったの」
何かあったの? とアリゼが尋ねる。
「男子生徒は詩吟があるでしょう? 妹と仲の良い男子生徒の予行演習の為に早く連れて来られたの」
「それはご愁傷様」
アリゼは苦笑いを浮かべた。
イレタの妹に面識があるアリゼは、彼女の妹を思い出していた。
姉よりも行動的で、初めて会ったアリゼに対しても物怖じせず、堂々とより良い伴侶を学園で見つけるのだと豪語していた。
「この様子だと、私より先に相手を見つけて婚約どころか婚姻まで結びそう」
同感だ、とアリゼは頷いた。
「ピジエ様が予想外の活躍をなさった事で、妹の学年では将来有望とされる男子生徒の幅が広がったのですって」
それは良い事なのか、悪い事なのか。
イレタの話の続きを促す。
「首席のゲイソン様が落ちてしまわれたけど、前回の試験では全体の平均点が上がったらしいの。
磨けば光る方が他にもいらっしゃるのではないか、と言う事みたい」
納得して頷く。
パオロの名前が出てきた事で、先ほど見かけた光景が思い出された。胸に仕舞いきれなかったアリゼは、イレタにマチューとジュリアが共にいた事を話した。
アリゼと同じようにイレタも驚いていた。
「テター様は最近出席率が低くなり過ぎて卒業が危ぶまれているってシモーヌから聞いていたから、今日いらしてる事は不自然ではないけれど……ソネゴ嬢と一緒なのは、複雑な気持ちね」
「そうなの」
何も起きませんように。
アリゼは心の中で祈る。
今回の収穫祭は、アリゼとルネにとって最初で最後の行事である。
これから長い間共に過ごす事になるとしても、学生生活は一度きり。
二人の思い出を少しでも作りたいとアリゼは思っていたし、ルネも思っていた。
「ルネ様の発表はいつなの?」
かつては学年の若い順に行われていた詩吟の発表は、数年前からくじ引きにより順番が決められる事になった。
大概の生徒は早めに発表して、楽になりたいと望む。
「それが、最後の方なの」
「ピジエ様って、くじ運がないのね」
「そうみたい」
今頃緊張して固まっているのをほぐそうとする兄達によって、更にかちこちにさせられているのではないか、とアリゼは思っていた。
申し訳ないと思いながらも、そんなルネを想像するだけで胸の中がふわりと温まった。
「賞賛されるような結果にならなくても、失敗しなければ良いと思っているの」
会えたらリボンを渡すとアリゼは決めている。
発表会では側にいられない。その代わりにリボンを自分の代わりに髪に結んでもらいたい。
気休めでも良い。ルネの緊張をほぐす助けになれたら良い。




