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君は君のままで  作者: 黛ちまた


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20.淑女の枠

 ルネの兄 ユベールとトニが言った通り、他の商会も茶葉入りのクッキーやらケーキを販売し始めた。それこそ猫も杓子も茶葉入ってますと言った様子である。

 思い付いたのは自分達なのにと、面白くない気持ちでいたアリゼの目の前に、バニラと、ミルクティー味のアイスクリームが入った容器が置かれる。

 アリゼの講習レッスン後に甘いものを食べてから一緒に帰るのが定番となりつつある。

 暑さも落ち着いてきたとは言え、まだ日差しは強く、冷たいものが口当たり良く感じる。


 普段は甘いものを食べてひと休みしたら屋敷タウンハウスまで送ってもらうのだが、クッキーの礼をしたいとピジエ子爵から夕食ディナーに誘われていた。

 本当はケーキも食べたかったが、ルネにアイスクリームにしておいた方が良いと言われてしまった為、我慢する事にした。


「アイスクリームは美味しいけれど、すぐになくなってしまうし、溶けてしまったりもするから、ちょっとがっかりするの」


 溶けて器に広がっているアイスクリームのなれの果てを、少しだけ恨めしく思いながら見つめる。そんなアリゼを見てルネは柔らかく笑った。

 婚約者の反応にアリゼはわずかに頰を赤らめる。甘いものが食べ足りなかったとは言え、令嬢としてはよろしくなかったと思ったからだ。


「食いしん坊だって言いたいのでしょう?」


「アリゼは甘いものが本当に好きなんだなって思っただけだよ。それに講習レッスンで疲れているだろうし、その気持ち、僕も分かる」


 思った以上に優しい言葉にアリゼは気を良くして、つい日頃アイスクリームを食べる度に思っていた事を口にしてしまった。


「淑女としてよろしくないと分かっているけれど、この溶けてしまったアイスクリームがとても勿体なく思えるの。器ごと食べられたら良いのにって思ってしまうわ」


 小さくため息を吐いたアリゼとは反対に、ルネの表情は笑顔になる。


「アリゼ、その話、僕以外にはしないでね?」


「言わないわ、怒られてしまうもの」


「そうじゃなくて。きっと、アリゼの希望に応えられると思うから」


 にこにこと嬉しそうにするルネを不思議そうに見つめながら、アリゼは頷いた。


「そろそろ屋敷に行こうか」


 先に立ち上がったルネがアリゼに手を差し出す。

 すっかり慣れたルネは、自然にエスコート出来るようになっていた。アリゼもルネにそうされる事に慣れて、違和感は覚えなくなっている。

 あれから何度か参加した夜会でも、ルネのダンスは少しずつ上達していて、足を踏まれる回数は減ってきた。贈られるドレスも、装飾品も少しずつ増えて、アリゼの宝石箱に大切にしまわれている。

 毎回贈りものをしてくれなくて良いと断った時の事を思い出すと、自然とアリゼの口元はほころんでしまう。

 ルネは不快な顔をするでもなく、顔を赤く染めてごめんと謝った。咎めている訳ではなく、毎回用意してもらう事が申し訳ないとアリゼが慌てて謝り返すと、赤い顔のままルネが言った。


『装飾品を見ると、アリゼに似合うのはどれだろうって思っちゃって……』


 その言葉にアリゼも赤面した。


 婚約者だから用意してくれているのだろうと思っていたのに、装飾品を見るたびにアリゼを思い出し、彼女に似合うものを選びたくなってしまうと言っているのだ。


「アリゼ?」


 ルネの声に我に返る。

 緩んでしまう口元に力を入れて引き締める。


「なんでもないの」


 ルネと一緒にいる事にも慣れて、知らなかったルネの一面を目にするたびに、少しずつ、少しずつ、アリゼの中で幼馴染のルネから婚約者のルネに変わっていく。

 それはとても自然で、アリゼ自身気付いていないほど、緩やかに、けれど着実に、ルネは彼女の中に存在感を増していった。


 馬車の中で今日あった事を話すアリゼに、それを笑顔で聞くルネの姿があった。ともすれば聞き役にばかり回ってしまうルネに、自身の話が終わったから今度は貴方の番よ、と言って話をさせるのだ。

 ルネの日常は穏やかで、いつも話す話題は同じだけれど、彼はいつも空の話をし、風の話をする。何気なく見ていた空模様も、ルネが話すと違うのだ。

 雲の形ひとつからその日の天気であったり、季節の移り変わりを感じると言ったように。同じ空を見ているのに、見る人間が違えばこんなにも違って見えるのかとアリゼは驚き、見慣れていながらよく知らなかった雲の形を教えてもらうようになった。

 風についてもそうで、風が匂うから雨が降るね、そうルネが言えば本当に雨が降り、魔術師を目指す人は皆分かるのかと尋ねてルネを笑わせた。


 いつも自分の周りに当然のようにあったものが、ルネを通して命が吹き込まれたようだった。大袈裟に感じるだろうが、アリゼにはそう思えた。

 花はいつも種類と色と本数、それから花言葉ばかり気にしていた。ルネがアリゼにくれた花も、ひと口に黄色と言っても様々で、蜂蜜のようであったり、陽の光のようであったり。今まで何処に隠れていたのと問いたい程に、アリゼの周りは彩色豊かになった。

 これまで抑圧され、忘れていたり、感じる事も出来なくなっていた諸々の事が、自身の周囲を取り囲んでいた事を、ルネを通して思い出し始めていた。

 代わり映えしないよ、と言いつつも、今朝見た景色はこうだったと話すルネの話が好きで、アリゼはせがんだ。


 一緒にいると時が経つのはとても早く。あっという間に馬車はピジエ邸に着いてしまった。

 屋敷に着いてすぐに食堂に通された。ちょうど良かったらしい。

 用意されていた料理はアリゼの好きなものばかりで、それだけで歓待されている事が窺い知れた。

 もしケーキを食べていたら食べきれずに残してしまって、後悔する事になっただろう。

 独特の風味のある鴨肉にはオレンジのソースがかかっていて、その爽やかさがアリゼは大好きだった。


 たっぷりと食べて満足した後はサロンに案内された。


「アリゼ嬢のおかげで茶葉入りクッキーは好評だった。廃棄するしかないと思われていた茶葉を捨てずに済んだ。大変助かったよ」


 ルネの父 ピジエ子爵に笑顔で礼を言われ、アリゼは嬉しくなる。


「そんな、私とルネではあんなに美味しいクッキーは作れませんでした」


 ねぇ、とルネに声をかけると、笑顔でルネも頷いた。

 目を合わせて微笑み合う様子を、ピジエ家の面々が微笑ましく見つめる。


「各商会が茶葉入りの菓子を売り出すだろうが、うち程には売れまい」


 頷くユベール。

 トニがアリゼに声をかける。


「また何か思い付いたらルネにでも言ってくれるかい? 何気ない事が商品に結びつくものなんだよ」


 そう言うものなのか、とアリゼが思っていると、「それなんだけれど」と、ルネがトニに答える。


「アリゼとアイスクリームを食べていて、溶けたアイスクリームが勿体ない、器が食べられたら良いのに、って言われて」


 ルネの突然の暴露にアリゼの顔が真っ赤になる。


「ルネ!」


 笑われる。アリゼはそう思った。

 けれどアリゼの思っていたのとは違って、ピジエ家の男達は真剣な表情に変わった。


「面白い発想だね」


「確かにアイスクリームはすぐに溶けてしまって、慌てるよね」


「溶けるのは止められないけれど、溶けてしまったアイスクリームを器ごと食べられると言うのは、良いかも知れないなぁ」


 アリゼの目の前で、どんどん話が進んでいく。


「アイスクリームを何かで包んでみたらどうかな」


 ルネの言葉にトニが指を鳴らす。


「どうせ溶けるなら、ソースのように味わえば良い」


 ユベール、トニ、ルネの三人はこうでもない、あぁでもない、と、アリゼそっちのけで溶けたアイスクリームを如何にして美味しく食べるかに夢中だった。

 ぽかんとしているアリゼに、笑いながら子爵が声をかける。


「騒がしくてすまないな」


「いえ、そんな事」


 何気なく呟いた、自分の食い意地がこんな風に新しい何かを生み出すのかと、アリゼは不思議な気持ちになっていた。


「我が家は他の家とは違うからね」


「本当に、そうですね」


 巷を賑わせて、新しいものを生み出すピジエ家は従来の貴族の枠を平気で超える。

 だからこそだったのだろう。アリゼは子爵に聞いてみたい事があった。


「淑女が領主を務める事を、どう思われますか?」


 突然の質問に、子爵は一瞬動きを止めたものの、すぐにいつも通りに戻る。


「それは、ルネでは頼りないからかね?」


 子爵の問いにアリゼは首を横に振った。


「そうではないのです。ただ、私にも何か出来ないかと思ったのです」


 言ってから、少しだけ困ったように笑うと、「申し訳ありません、お忘れになって下さい」とアリゼは言った。


 ひと呼吸置いて、子爵が話し始めた。


「淑女の枠を超えるとアリゼ嬢は言うが、それだけで淑女でなくなる訳ではないだろう」


 思いがけない言葉にアリゼはわずかに目を見開いた。


「淑女という枠があったとして、領主の務めを果たしたとしても、それは枠の一部を超えるぐらいのものだ」


 それからにこりと微笑んだ子爵は、「ルデュック伯は良い顔はしないかも知れないが、反対はしないだろう」と言った。


 アリゼは笑顔で頷いた。


「ありがとうございます」


 ルネが魔術師になる為の試験に専念出来るよう応援したいとアリゼは思っていた。その為に自分は何が出来るのかと。ずっとずっと考えていた。そのたびにぶつかるのが淑女としての枠だった。

 自分の未来をルネだけに押し付けるのではなく、一緒に頑張ってみたい、そう思った。


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