19.接近
三ヶ月毎に行われる試験の結果が貼り出されたと聞いて、アリゼは友人達と廊下を歩いていた。
実の所、今回の試験に手応えを感じていた。ルネに食事を摂らせる為に一緒にいる間、邪魔をすまいと自身も勉強をしていた。
隣で食事をする間も惜しんでルネが勉強をしているのに、それも、自分と婚姻を結んで領主になった時の為、勉強をしているのだ。
ルネは好きに過ごして良いよ、と言ってくれたけれど、とてもではないがそんな気持ちにはなれなかった。それでアリゼも勉強を始めた。
目的地には既に多くの生徒がいて、いつにも増して騒ついていた。マチューの姿も見える。じっと結果の書かれた紙を見ていたかと思うと、去って行った。
すれ違う際、話しかけられる事もなく、アリゼはほっとした。婚約者であった時は順位を確認されて怒られたからだ。もうそんな事はある訳がないのに、なかなか身体に染み付いたものと言うのはそう簡単には消えてくれぬものなのだと、都度思い出させられる。
「アリゼ、成績が上がっているわ!」
「本当?」
見ると確かに前回よりも六位程順位が上がっていた。
なんとなく先程のマチューの様子が気になって、首席の名を確認すると見慣れた名がそこにはなく、彼は三位だった。首席から落ちたのを初めて見た。同学年の生徒の多くが同じ感想を抱いた事だろう。
予想外の出来事に騒つくのとは別に、明るい声が聞こえる一角があった。
同級生に髪を荒く撫でられて、止めてくれよと、言葉とは裏腹に嬉しそうな表情をしている人物が、今回首席を取った人物だ。常にマチューがいた為に万年次席に甘んじていた。
決して彼の努力が足りない訳ではなく、マチューは常に全教科において完璧だった。一問でも間違えれば、マチューの上に行けない。
「テター、やっぱり婚約解消されたからやる気がなくなったのかな」
「それはそうだろう。」
「これから頑張らなきゃいけないんじゃないのか?」
「それはそうだろうけど、それでも三位だなんて、頭の作りが根本的に違うんだな」
少し離れた所から聞こえた内容に、アリゼはぎくりとする。自分の所為と言われたように思えてしまったのだ。
「なるべくしてなっただけよ」
シモーヌが言った。
「……そうよね。
ごめんなさい、シモーヌ、つい、悪い方に考えてしまって……」
何でも結び付けて、自分の所為だと思うのを止めなければと思うのに、ふとした瞬間にそんな風に考えてしまう。
「これまでの事を考えれば仕方のない事よ。無理せず、これが普通なのだと理解していけば良いのよ。貴女は十分頑張ったのだもの」
友人の優しい言葉は、乱れていたアリゼの心を癒やすのに十分であり、笑顔で頷く事が出来た。
「ピジエ様、魔術師と領主教育の両方を勉強なさってるんでしょう? 成績下がっていたりしないと良いのだけど」
イレタの何気ない言葉にアリゼ達は真顔になる。
「……確認に参りましょう」
エミリエンヌの言葉に全員が頷き、掲示板に貼られた二学年下の成績表を見に行く。
ルネがいた。友人達に小突かれている。
表情からして、成績が上がったのだろうか? そう期待しながらアリゼは表を見る。
ルネ・ピジエ……六位。元が何位だったのか分からないが、あの様子を見るに、上がったのかも知れないと思っていると、声が聞こえた。
「ピジエって、前回八十三位だったよな?」
前回のあまりの順位の低さに四人は固まる。生徒数は一学年に百人程である。それで八十三位とは。
「だってやる気なかっただろう、あからさまに」
「魔術師目指してる奴が八十三位って言うのがそもそもおかしかったんだろ」
「やっぱり、好きな令嬢と婚約したからかなぁ」
「それ以外に何があるんだよ?」
「だよなぁ。良い所見せたいよなぁ」
無意識に聞き耳を立ててしまい、入ってきた情報にアリゼは顔が熱くなる。胸がぎゅっとする。
シモーヌ達に腕を引かれてその場を離れると、四人はカフェテリアに足を運んだ。
「八十三位から六位」
エミリエンヌが言った。
「他の生徒の方もおっしゃってましたけれど、余程やる気がなかったのね」
「愛する女性を手放さない為に必死ね、ピジエ様」と、揶揄うようにシモーヌが言う。途端にアリゼの顔は赤くなる。
「もう止めて、恥ずかしいから」
分かっていても、改めて言葉にされると恥ずかしい事と言うのはある。
四人はそれぞれ紅茶をカウンターで頼んだ。イレタだけビスケットを頼んでいたが。
席に座るなり、美味しそうにビスケットを口にするイレタを見て、シモーヌが別の話題を振る。
「ピジエ商会が新しく発売した茶葉入りクッキー、人気なのですってね」
アリゼはどきりとした。自分とルネが考案したのだと言いたいが、二人では美味しく作れなかった。
ピジエ子爵とルネの兄二人の手を通した所、瞬く間に美味しいクッキーが作り上げられた。
甘さがそれ程でなく、食べやすいとの事で、販売されるや否や完売したと言う。連日完売御礼の紙が貼り出されていると聞く。
茶葉を入れて焼く事は本職からすれば大して難しいものではない為、直ぐに真似をされるだろう、とルネの上の兄──ユベールは笑っていた。
それを聞いてアリゼが悲しそうな顔を見せた。そこへルネの下の兄──トニが焼き上がったばかりの、芳しい香りをさせたカトルカールを持って来て言った。
『商売なんてものは、一番が大事なんだよ。クッキーの次には、このケーキを出すよ』
目の前に置かれたカトルカールには、茶葉が刻まれて入っており、甘く、そして茶葉の良い香りがした。
試食するように言われて口にしたケーキは、茶葉だけではない複雑な味わいとぷちぷちした食感がした。
驚くアリゼを見て笑うユベールとトニは、まだ秘密、とだけ言って何が入っているのかは教えてくれなかった。
ピジエ家でのやりとりを思い出し、純粋に感心していた所、エミリエンヌが言った。
「……ソネゴ嬢ではないかしら?」
エミリエンヌの視線の先を追うと、確かにジュリアがいた。男性と一緒であるが、それはマチューではなかった。
「どなた? 存じ上げないのだけれど」と、怪訝な顔をするシモーヌに、意外と情報通のイレタが言う。
「ピジエ様と同学年の、パオロ・ゲイソンよ。ゲイソン子爵のご長男で、首席なの」
「……好みが変わったの?」とはエミリエンヌ。
マチューは伯爵家の次男であり、優れた容姿の持ち主である。ジュリアが彼に近付いたのは、伯爵位を継いだ彼の恋人になる為だろうと思われていた。マチューのアリゼへの態度は酷かった為、妻の座こそアリゼのものであっても、恋人として美味しい所を得ようとしているのだと考えられていた。その当てが外れ、ルネがアリゼの婚約者に収まると、今度はルネに近付いた。
どちらもアリゼに近い存在であり、容姿の優れたジュリアは、マチューの時と同じようにルネを自分の方に向かせられる自信があったのだろう。素気無くされて諦めたのかと思えば、子爵家のパオロである。
ようやく身の丈に合った相手を見つける気になったのかと思う者が殆どであったろう。
「男爵家のジュリア嬢と子爵家のパオロ様。釣り合いも取れていらっしゃるし、よろしいのではなくて? ゲイソン様に婚約者と言った決まったお相手がいらっしゃらないのであれば」
シモーヌの言葉にイレタが頷く。
「ゲイソン様はまだお相手はいらっしゃらなかった筈よ。容姿は普通でも、子爵家の跡継ぎで、成績優秀だから妹の学年では人気が高かったのだけれど」
なるほど。イレタの情報は妹からのものだったらしい。
「……何処までも罪深い方ねぇ、ジュリア様は」
同感ではあるが、まだどなたとも婚約などされていないのなら、問題はない。
問題はない筈なのに、アリゼはなんとなく不安を覚えて、何事もありませんように、と心の中でそっと祈りを捧げた。