18.香り高き茶葉
アリゼはカフェでルネにクッキーを買ってもらった。ルネの間食用に買おうと思ったにも拘らず、そのルネに買われてしまった。自分の分とアリゼの分に。
断ったのだがシモーヌ達と食べてと言われてしまった。友人達も来たがっていたカフェだったから、クッキーも喜ばれそうである。
差し出すと、予想以上に喜ばれた。
「甘くて美味しいわね」
「アリゼはケーキも頼んだのでしょう? どうだったの?」
「美味しかったわ。けれど、甘さが強すぎて全部食べられなかったの。とても残念」
エミリエンヌは頷いて、「私はもう少し甘さが控えめな方が好み」と言った。
「そう? これぐらい甘い方が、満足感が高いのではないかしら?」とはイレタ。彼女は甘いものに目がない。その所為なのか身体も全体的に丸みがある。
クッキーを渡された時、味の感想を聞かせてとルネに言われていたのだ。シモーヌ達の感想と自分の感想を伝えようとアリゼは考えていた。
菓子も市場調査とやらに入るらしい。ルネに言わせれば、ありとあらゆるものがピジエ家からすると商売の対象になるらしい。
貴族と言うよりは商人のように思える。それ故に初めの頃はその事で他家から揶揄されたと言う。
散々馬鹿にしていたにも拘らず、身代が倍以上に膨れ上がったと知るや否や、手のひらを返して寄って来たと言うから、ピジエ家からすれば呆れてものが言えなかった事だろう。
その後も擦り寄られたり、圧をかけられたりといった煩わしい事が続き、ピジエ家は隣国に籍を移す寸前までいった。領地がないのだ。身軽な身の上。転籍に障害はなかった。
ピジエ家を通して潤う市場の活気が失われる事を恐れ、王家が直々に引き留めたと言われている。それからピジエ家は最低限の社交しかしない、らしからぬ貴族として存在しているのである。
ピジエ家はルネの曽祖父から大きく栄えていった。それまでは子爵としては一般的な規模であった。資産は十分にあるにも拘らず、ピジエ家は商売に精を出す。
ルネ曰く、ピジエ家の趣味との事。
「それにしても、ジュリア様はお噂通りなのね」
カフェに行く前の出来事も友人に話した。とてもではないが自分の胸の内に収めておけなかった。
ルネがはっきりと拒絶してくれたとは言え、不快感を覚えた事は事実で、その気持ちを友人に分かって欲しかったのである。
「赤猫のあだ名は飾りではないのね」
ため息を吐くシモーヌ。
「だからなのね、つい先程もルネ様にジュリア様がまとわりついていたの。まったく相手にされていなかったけれど」
まぁ、と声に出してシモーヌは眉間に皺を寄せる。同時にアリゼの眉間にも。
「はしたない」とはエミリエンヌ。
手厳しいひと言ではあるが、誰もがそう思うだろう。つい先日までマチューを追いかけ回していたのに、今度はルネである。どちらもアリゼの相手だ。なんの恨みがあると言うのか。
もやもやとしたものがアリゼの心に広がる。
「ピジエ様はアリゼ一筋なのだし、無駄な事ではあるけれど、そんな風にころりと相手を変えるなんて、良く思われないという事が分からないのかしら」
呆れた顔のシモーヌの横で、「案外開き直っているのかも知れなくてよ?」と答えてイレタはクッキーを手に取った。
皆が甘さに飽きていた為、イレタの手しかクッキーに伸びないのだが、この様子なら間もなくイレタの胃袋に収まる事だろう。
どちらでも良いが、アリゼにとっては迷惑な事に変わりはない。自然とため息が出てしまう。
ルネの事は好きである。婚約者として申し分もない。
彼の率直な言葉に胸を高鳴らせた事はあるけれど、彼女の中ではまだ、幼馴染の枠を出ていなかった。
幼馴染から大好きな幼馴染に昇格したぐらいの認識である。会いたいだとか、声を聞きたいというような感情が湧き起こった事もない。
気にはしているが、まだそれぐらいなのだ。残念な事に。かと言ってジュリアに取られて良いかどうかは別の話である。
マチューの事もある。不快に思わない筈がない。
「アリゼは今日、ピジエ様のお屋敷に行くのでしょう? 羨ましいわ」
イレタの言葉に二人も頷く。
アリゼは幼い頃から出入りしていたのもあって、羨ましがられる理由が以前は分からなかった。けれど今なら分かる。
ピジエ家は最低限の社交しかしない。お茶会などもほとんど開かない。開く時はピジエ家が経営する商会の敷地内で行われ、ピジエ家の屋敷では開かれない。
よっぽど親しくなければ招かれない為、呼ばれる事がステイタスのような扱いとなっている。
「普通のお屋敷よ? 過度に華美だとか、珍しい物が置いてある訳でもないのよ?」
「そうではないのよ、アリゼ」
ある程度の年齢になってからは、婚約者もいる立場でもあったし、ピジエ家に遠ざかってはいた。
ルネと婚約して再び出入りするようになったものの、以前と何ら変わっていなかった。
ピジエ家の住人達はルネの言うように商売を趣味としていて、豪奢な生活がしたい訳ではないのだ。
教室に迎えに来ると約束した通り、ルネがやって来た。
何故かジュリアも付いて来ており、思わずアリゼ達の表情が曇る。
「よくってよ」
隣に立っていたシモーヌがそう言うと、エミリエンヌも肯き、イレタも頷いた。
三人はあっという間にルネとジュリアの間に入って引き剥がしてしまった。イレタがアリゼに向かってウインクをし、アリゼは頷いてルネとその場を離れた。
ルネから引き剥がされたジュリアがなにやら騒いでいたが、聞こえない振りをする。
「お礼をしなくちゃ」
ルネの言葉にアリゼも頷く。
「そうだ、アリゼ。屋敷に向かう前に商会に寄りたいんだけど、いいかな?」
勿論と答えて、二人はピジエ家の馬車に乗り、商会に向かった。
ルネの目的地は商会の奥にある倉庫だったようで、一緒に足を踏み入れた。アリゼも入るのは初めてだった。
珍しいものばかりが所狭しと並んでいる。アリゼは童心に返ったように目を輝かせながら見ていた。
おもちゃ箱と宝石箱の中身を取り出したかのように、様々な物が並べられているのだ。
そこで大きな箱を見つける。“廃棄”と書かれた紙が貼られていた。
何が入っているのか眺めていた所、ルネが戻って来た。
「お待たせ。
アリゼ? 何か面白いものでもあった?」
「この廃棄と書かれた箱には、何が入っているの?」
尋ねてすぐに、訂正する。
「ごめんなさい、ちょっと興味が湧いただけで、深い意味はないの」
「それはね、紅茶だよ」
「紅茶?」と聞き返すアリゼにルネは頷く。
「この前父上が仕入れた紅茶なんだ。香りはとても良いんだけれどね、味が渋いんだ」
「そうなのね」
ピジエ家ともなれば適当なものは売れないのだろうな、とアリゼは納得する。
「勿体ないけれど仕方ないものね。
味も大事ですもの」
そこでルネからもらったクッキーの感想を伝えていなかった事を思い出した。
「そうだわ、クッキーご馳走さま」
「どうだった?」
「美味しいは美味しかったのだけれど、甘さが強くて、沢山は食べられなかったの。残念だわ。イレタがほとんど食べてしまったのよ?」
ルネが笑う。
「それから、バターの香りが強すぎた気もするの」
バターの芳しい香りを魅力的に感じたのは最初の数枚までで、お腹が満たされた後は、その香りが逆にきつく感じた。
アリゼを見ていたルネの視線が、すぐ側にある廃棄される紅茶の入った箱に注がれる。アリゼの視線も追うように箱を見た。
「クッキーに入れてみたら、美味しいかもしれないわ。紅茶にして入れるのではなくて、細かく刻んで」
ルネはアリゼの手を掴んで上下に大きく振る。あまりの勢いに驚いてしまった。
「その手があったね!」
いつものルネとは思えぬ程にテキパキと、ルネは商会の人間に紅茶を屋敷に運ぶよう頼んでいた。
「アリゼも味見をしてね」
「えぇ、勿論よ」
カカオが入ったクッキーなどや、ナッツがたっぷり入ったクッキーはあるが、飲む為のものである紅茶の葉を刻んで入れたものは多くない。紅茶を利用する際は、紅茶をミルクの代わりに入れる事が多い。
屋敷に向かう馬車の中で、刻んだ茶葉を他のどんな物に入れたら合うだろうかについて話した。
楽しくて、わくわくして、いくらでも話していられそうだった。