14.幼馴染の幸せ
両親から、実は以前からピジエ家には婚約の打診をしていたのだが、双方の考えから保留にしていたのだという話を聞かされたのは、夜会から一週間後の事。
ルデュック家から正式な婚約の申し込みをした後だった。
その事を聞いてアリゼの顔は青ざめた。
夜会の後すぐに、マチューの無礼を両親に伝えて、抗議の手紙を送ってもらう事が決まった。伝えるべき事を伝えた後、まだ時間が早い事もあって、夜会での出来事を聞いてもらった。
これまでマチューと参加した夜会の事は、アリゼを酷い緊張状態にし、楽しさも何もなかった。思い出したいとも思わないものを話して聞かせる事もない。
マチューの件以外にも不快な思いをしなかったかと心配した夫人が、どうだったかと娘に尋ねると、予想に反して楽しげにあった事を話し始めた。
珍しい事もあるものだと夫婦は大人しく聞き役に回る。
侯爵もルネに関心があるようだったという話と、令嬢達の中にもルネに熱い視線を送っている人達がいたのだと報告した。
ピジエ家との婚姻は良縁であるだろうし、ルネが魔術師を目指している事も魅力的なのだろうと話す娘に、父は尋ねた。
『アリゼにとっても魅力を感じるかい?』
勿論だと即答した。
でも、ルネはそれだけじゃないのよ、と我が事のように話していくアリゼ。
私をエスコートすると決まってからダンスの練習を欠かさなかったみたいなの、とか、決められないからと言って飲み物を二種類持ってきて、飲まなかったり飲みきれない分は自分が飲むと言って悩ませるだとか。困ったような口振りであるのに、それはそれは嬉しそうな表情で話すのだ。どう考えても惚気だろうと言う内容だ。
意識していなかっただろうが、ピジエ家と縁続きになったら、当家の港が使えるのはあちらの家にとっても良い事なのかしらと、酒精を含む飲み物を口にした所為だろう、思った事を素直に話していた。
滑らかに話し続ける姿は、アリゼが快活であった頃のようだった。
ルネとの未来の姿を想像出来るのだと思ったルデュック夫妻は婚約を決めた。だが、前回の失敗がある。間違いのないようにしたいとも思っていた。
『もし、彼と婚約になったら嫌かい?』
『嫌じゃないわ! むしろルネの相手が私で良いのかしら? あ、でも、ルネはそうじゃないのよね』
小首を傾げるアリゼに、『そうじゃないとはどう言う事なのかしら?』と、母であるルデュック夫人が尋ねる。
するとアリゼは頰を赤らめた。
『あの、マチューとの婚約を解消したいって弱音をルネに吐いてしまったの』
うんうん、と両親は頷く。
内心ではマチューに対する腹立たしさを覚えながらも、娘の話を遮らぬよう、笑顔で話の続きを促す。
『ルネが、マチューと婚約を解消したら、自分との事を考えてくれないか、って』
思い出して顔を真っ赤にし、頰を両手で押さえる娘を見て、最近の心境の変化や迎えに来た時の二人のあの空気はその所為かと納得した。
ルネはアリゼの気質を分かった上で好意を抱いてくれている。アリゼ自身の様子からしても嫌そうではないどころか嬉しそうである。二人なら良好な関係を築いていけそうだ、と夫妻は確信する。
結果、ルデュック伯はピジエ家に長女アリゼと、ピジエ家三男のルネの婚約の申し込みを正式に行った、という訳だ。
酒で気分が大きくなり、普段なら言わない事まで話してしまった事を両親から聞かされて赤面し、以前から打診していたのだが……の話を聞かされてアリゼは青ざめ、悲鳴をあげたくなった。
ルデュック夫妻がアリゼの気持ちを斟酌して話を保留にしたのは理解出来る。けれどピジエ子爵側の保留にする理由を想像して青ざめたのだ。
自分など選ばれる筈がない。たとえルネが好意を抱いてくれていたとして、凡庸な自分など。
ここの所自分に対して否定的な気持ちを抱かずにいられたが、子爵の思いを考えたら、自己を卑下する気持ちがあっという間に育ってアリゼの心を埋め尽くそうとしていた。
「あちらからも快諾いただけたからね、近いうちに挨拶に来るだろう」
アリゼは瞬きをした。
今、快諾と父は言っただろうか? 承諾された事を大袈裟に言ってるのだろう。いくらルネがアリゼを好いているからと言って快諾だなんて……。
戸惑いを隠せないアリゼに気付いていないのか、父親は笑顔のまま話を続ける。
「ピジエ家としてもルネ君は扱いが難しかったろうと思う」
「難しい? ルネが?」
娘の問いにルデュック伯は困った顔になる。
「ルネ君は穏やかな気性だ。それなのにピジエ家に生まれたばかりに注目を浴びてしまう。魔術師を目指している事もそうだ。魔術のように一人での行動は彼に合っているだろうが、魔術師の生み出すものには人が集まる。
言い方は悪いがね、食い物にされてしまう」
あぁ、とアリゼは思わず声にしてしまう。
ルネのように優しい性格の人間は貴族社会では利用されるだけされて使い捨てられる事が多い。
「私達もピジエ夫妻も、我が子の幸せを願っているだけなんだよ。
ルネ君がアリゼを想っているのであれば絶対に子爵は反対しないだろう」
アリゼの胸の中が、温かく柔らかいもので満たされる。
これからの自分の未来が明るくなる事を約束された気持ちになる。
「ただ、彼はこれから大変になるね」
ルネが大変になる?
「おまえと結婚すると言う事は、伯爵位を継ぐと言う事だ。私がいるから当面は大丈夫だろうがいずれは領主として領民を守る立場になる。
魔術師を目指す事そのものも生半可な事ではないからね。
まぁ、最悪そちらは諦めてもらう事になるかも知れないが」
「駄目よ!」
父の言葉を大声で遮る。
娘の突然の行動に夫妻は目を丸くしている。
「駄目よ、お父様。ルネは、魔術師の才能があるの。それを諦めさせるなんて、絶対駄目」
それにルネは人前に出るのも苦手なのに。
たとえ慣れたとしても、好きになれるかと言ったら別物だろうと思う。
あれもこれもルネにばかり押し付けるなんてとんでもない。
アリゼは幸せになれるかも知れない。自分を想ってくれる者と婚姻を結び、家を支えてもらう。
けれどそんなのはルネにとって不幸でしかない。そうとしかアリゼには思えなかった。
気が付けば幸せな気持ちは何処かに行ってしまった。
泣きそうな顔をする愛娘を、夫妻は優しく慰めた。何か方法を考えようと言って。
アリゼの頭の中に、ルネとの婚約解消が早々に浮かび、そのまま居座ってしまった。