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11.夜会 その3

 聞き覚えのある声に身体が強張る。顔を見なくても分かる。マチューだ。

 アリゼはもう顔も見たくなかった。


「こっちを見ろ、アリゼ」


 何と言われても顔を向ける気はない。顔など見たくもない。


「もう婚約者ではないのですから、名を呼び捨てるのはお止め下さい」


「オレと離れてすぐに、昔の勝気虫が戻るとはな」


 はっ、と鼻で笑うマチューに、不快感が高まっていく。

 マチューはよく、アリゼの中には勝気な虫がいて、その所為で気性が荒くがさつなのだと言った。


「おまえを御せるのはオレぐらいだ。他の男には無理だ。気弱なルネなんて以ての外だ」


 マチューの腕がアリゼの細い手首を掴む。引かれた所為で見たくもない顔を見る事になった。


「離して」


 アリゼは強く抗議する。けれど恐怖で身体が震える。その事に気を良くしたマチューの顔に笑顔が浮かんだ。


「意地を張らずにルデュック伯に婚約を戻」

「何をしているの、マチュー」


 戻ってきたルネはアリゼとマチューの間に入ると、マチューの手をアリゼから引き剥がした。手には何も持っていない。アリゼに飲み物をとその場を離れ、すぐに戻ろうとしていた。そのほんの僅かな隙にマチューがアリゼに近付いた。


「元婚約者に暴力を振るうなんて、どうかと思う」


「暴力じゃない。ルネ、邪魔をするな」


 周囲に見られていないかを確認しつつ、声を抑えながらマチューはルネを牽制する。


「邪魔をしているのはマチューでしょう。今日のアリゼのパートナーは僕だよ」


 アリゼはルネの背中を見ていた。さっきまでマチューの登場に怒りと恐怖で胸の中があふれ返っていたのに、ルネの背中を見ているうちに少しずつ気持ちが落ち着いてきた。


「オレは婚約解消を受け入れていない」


「マチューとアリゼの婚約は家同士が決めた事で、解消もまた家同士が決めた事なんでしょう? それなら君が苦情を申し立てるべきはテター伯やルデュック伯じゃないかな。こんな風に力尽くで女性に言う事を聞かせようとするのはおかしいよ」


 もっともなルネの言い分に、マチューは言葉を詰まらせたが、すぐに強気な表情が戻ってきた。ルネを言い負かす言葉を思いついたのだろう。


「家同士と言うなら、ルネ、おまえがオレ達の事に介入する権利だってない筈だ」


 言い返せまいといわんばかりに勝ち誇った顔をするマチューに対して、ルネの表情は変わらない。


「うん、権利はないよ」


 あっさりと認める態度にマチューは拍子抜けする。


「でも僕はアリゼに婚約の申し込みをしている。だから、その障害となり得る君を排除しようと動くよ」


 三人を遠巻きに見る観客が人垣を作っていたが、目の前に集中しているアリゼ達は気付いていなかった。

 ルネがはっきりと口にした言葉に、誰かが囃すように口笛を鳴らした。

 自分達が注目を浴びている事に気がつき、マチューは逃げるようにして去った。

 見せ物が終わると、人垣はすぐにばらけて行く。


 ルネはアリゼに頭を下げた。突然頭を下げられてアリゼは慌てる。


「ごめん、アリゼ」


「ルネ? 頭を上げて?」


「マチューがアリゼに接触するって分かってたのに、ちょっとだからと一人にさせて、怖い思いをさせてしまって。本当にごめん」


 顔を上げたルネが泣きそうな顔をしている。その顔を見たアリゼは、これじゃどちらが危ない思いをしたのか分からないと思った。でも、胸の中に残っていた不快感が見る間に減っていく。


「でも、すぐに戻ってきて助けてくれたわ」


 アリゼもマチューが自分と接触を図ろうとする事は予想していた。けれどこんな一瞬を突くとは思わなかった。ルネはすぐ側にいる給仕に話しかけていたのだから。すぐに戻って来るのは、見ていれば分かる筈だ。

 それほど余裕がないのか、何なのか。


「本当に大丈夫よ、ありがとう、ルネ」


 こんな事が二度と起きないように帰ったら両親に話さなくては……。テターのおじさまとおばさまには申し訳ないけれど……。

 抗議は正当な権利であるのに、テター夫妻にはよくしてもらっていた思い出もある。申し訳ないと言う気持ちがアリゼの心を埋め尽くす。


「アリゼ」


「ご機嫌よう」


「アリゼ、ご機嫌よう」


 顔を上げると、シモーヌ、エミリエンヌ、イレタの三人がそれぞれパートナーを連れて来ていた。


「私達、咽喉が渇いてしまったわ、お従兄様」


 シモーヌが自身のパートナーに言うと、分かったよ、お姫様、と言って彼女達のパートナーを引き連れて飲み物を取りに行った。シモーヌの従兄も彼女に負けず劣らず勘が働くたちであったから、従妹の望みを正確に読み取った。女子だけの会話をしたいのだ。


「テター様がアリゼの腕を掴むから助けに行こうとしたら、すぐにピジエ様が来て下さって本当に良かったわ」


 うんうん、とエミリエンヌとイレタも頷いた。


「信じられない行いです」


 エミリエンヌの言葉にアリゼは同感とばかりに頷いた。


「あれ程アリゼに淑女としてどうこうおっしゃっておきながら、あの振る舞いはなんなのかしらね?」


 イレタが頰を膨らませながら言う。


「予想はしていたけれど、あのように強引に来るとは思っていなかったから、まだ少し緊張が残っているわ」


 そう言ってアリゼは掴まれた手首を撫でた。

 不快な感触が残っている。


「アリゼ、貴女がテター様との復縁を望んでいないのは存じ上げているけれど、ピジエ様との事をどうなさりたいのか、考えておいた方がよくてよ」


 シモーヌの言葉に少女達の視線が少し離れた場所にいるルネに向けられる。


「貴女に関心を抱く方がいらっしゃるように、ピジエ様に関心を抱いてる方は多いもの」


 爵位を望む男性は、跡取りであるアリゼを妻にと願うだろう。それと同じように相手の決まっていない女性もまた、ルネを望むだろうと言う事が、今日一日で分かってしまった。

 ピジエ家の三男で、魔術師になる可能性を持つ。アリゼは来る途中の馬車の中でルネの才能の片鱗を目にしている。見た目は普通で穏やかな気質。それに先程のように、いざとなれば淑女を守ろうと立ち回る事も出来る。

 夜会の会場をざっと見回すと、ルネに視線を向けている令嬢が何人かいた。


「貴族同士の結婚なんて、家同士の繋がりの為に結ぶのが多い中で、伴侶となる方から強く求められるのであれば、幸せよねぇ」


「本当に」


 イレタとエミリエンヌが言った。


 友人たちの言葉はどれも真実で、アリゼ自身結婚に夢など見た事はなかった。


「その髪飾り、ピジエ様からなのでしょう?」


 シモーヌの言葉に、思わず蝶の髪飾りに触れる。髪飾りを付けたアリゼを嬉しそうに褒めてくれたルネを思い出し、少しだけ頰を赤く染めて頷く友人アリゼに、シモーヌは目を細めた。エミリエンヌとイレタも笑顔になる。


「とても良く似合っているわ」


「アリゼの事を良く見て下さっているのね」


「流行りのものも良いけれど、自分に似合うものを持っているほうが素敵よね」


「ありがとう、とても嬉しいわ」


 お世辞だとしても嬉しかった。

 マチューによってもたらされた不快な気持ちはもう、何処にも残っていない。

 ルネと友人にアリゼは感謝する。


 パートナー達が飲み物を持って戻って来た。ルネも二つのグラスを手にしていた。二つのグラスをアリゼの前に差し出す。


「アリゼから見て右側は、アリゼの好きな梨の果汁が入ってるんだよ。左側のは炭酸が入っていて、飲むとすっきりするんだって。どちらが良い?」


 ニコニコしながら尋ねるルネに、アリゼは困った。どちらも魅力的だったからだ。決めきれない幼馴染に、ルネが提案する。


「じゃあ、半分ずつ飲んだら? 残りは僕が飲むから」


「そんな、飲みさしを渡すなんてルネに申し訳ないわ」


 シモーヌのパートナーがやれやれと言った顔をする。


「あれで恋人でもないなんて、嘘だろう?」


 途端にルネとアリゼの顔が真っ赤になった。


「赤くなるタイミングまで同じだなんて、信じられないよ。君達、今夜にでも婚約したらいいのに」


「名案ね」


「もうっ! シモーヌ! 皆さんもあまり揶揄わないでちょうだい」


 軽く抗議しながら、ちらりとルネに目をやれば、アリゼの視線に気付いたルネがにっこりと微笑んだ。恥ずかしそうだけれど、嬉しそうに。

 その笑顔に、これまでは胸が温かくなる事の方が多かったのに、今は締め付けられるような感覚がした。


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