10.夜会 その2
夜会の会場である侯爵邸に到着する。侯爵が招待したのは伯爵家以上であるが、ピジエ家は別格として扱われていた為、ピジエ家の家紋のついた馬車は侯爵邸に迎え入れられた。
その事にルネは感謝する。父と兄達の日頃の努力の結果があればこそ、子爵家の人間でありながら、侯爵家主宰の夜会に伴としてではなく、正式な招待客として参加出来る。
きっとこの夜会にマチューは来る。アリゼを取り返す為に。そこにアリゼの伴として参加したらマチューに何と言われるか。
爵位至上主義とまではいかないものの、爵位の有無は将来において重要である。アリゼは伯爵位を伴侶に与えられる女性だ。マチューがいなくなったからと言って安心出来る筈もない。同じように貴族の家に生まれ、継ぐ爵位のない男子など世の中には結構な数がいるのだ。数多いる好敵手に勝ち抜いて、アリゼの隣に並ぶ為に、己の立ち位置と言うのは重要な意味を持つ。
幼馴染みである事はルネに優位性をもたらしたが、子爵家出身という事は、貴族社会においては一段劣る要素である。上には上がいるからだ。その点を補ってくれたのは父と兄による功績。自身が生み出したものではない。優位性が有利に働いている間にアリゼに選ばれたい。
ルネは自分の立場をそのように理解していた。
家族はルデュック家がルネを婿にと申し出てくれている事を知っている為、アリゼとルネがその気になってくれさえすれば良いと思っていたが、当の本人である二人は知らない。
親が決めればアリゼはマチューの時のように受け入れるだろう。ルネに限ってはそんな事はあるまいと思いつつもルデュック夫妻が不安を払拭しきれなかった事もあり、様子見をしていた。
ピジエ家でもあてがわれた婚姻では良い関係は生まれないだろうと思っていたし、ルネの魔術師としての問題もあった。両方に全力投球するなど難しい事であるし、それが命令だったなら、不幸を生むと思ったからである。
両家の懸念を知ってか知らずか、ルネは必死にアリゼにアピールした。その手法が兄達の入れ知恵である事は誰が見ても明らかではあったが、やらされているのではないと分かるだけの熱量が、ルネからアリゼに向けられていたのは好印象だった。
会場は既に多くの来場者で賑わっていた。
あまりの人の多さに、隣に立つルネが気圧されている事にアリゼは気付いた。ルネは人の多い所が苦手だ。だからこそピジエ子爵は彼を魔術師の道に進ませようと思ったのだ。
アリゼの視線に気付いたルネが、彼女の方を向く。安心させようとにっこり微笑んだアリゼを見て、一瞬だけルネは困った顔を見せたが、すぐに笑顔になった。
「ありがとう、アリゼ」
二人は夜会の主催者である侯爵に挨拶に向かう。日頃ピジエ家を招待しても躱されてしまう侯爵は、子爵の末の息子が夜会への参加を決めた事に関心を抱いていた。
ルデュック伯爵家の総領娘とテター伯爵家次男の婚約解消は社交界でも話題に上ったが、すぐにたち消えた。社交界の懐は広く深い。若い男女の婚約の解消も破棄も成約も、物珍しい事ではないのだ。
けれど、ルデュック伯爵令嬢の新しい婚約者候補が、今をときめくピジエ家となれば話は違ってくる。ルネはその価値を半分程にしか理解していないが、ルネが晴れて魔術師の塔へ入門を果たしたとなれば、その研究をピジエ家が放っておく訳はない。莫大な富を生む事だろう。それを他の貴族達が放っておく訳はない。
これまでどれだけの家がピジエ家との繋がりと、未来の魔術師を求めてルネとの婚姻を申し込んだか知れない。その全てを息子には心に決めた存在がいるからと子爵は断り続けていた。上位貴族に利用される事を厭うて断っているのだと思われていた。そこに来て、ルネがルデュック伯爵令嬢を伴って夜会に参加した。
子爵の断りの言葉は半分が事実であったのではないかと、二人の姿を目にした者達は思った。同時に息子を貴族社会に放つ事を子爵が受け入れているという事も。
招待への感謝の言葉をルネとアリゼが述べると、侯爵は笑顔を見せた。
「よく来てくれた。是非楽しんでいってくれたまえ」
「ありがとうございます」
揃ってお辞儀をする二人に、意味ありげな表情で侯爵は言った。
「初々しい若者を助けるのも年長者の務め。何かあれば遠慮なく頼りたまえ」
ルネの表情が一瞬固くなったのを侯爵は見逃さなかった。笑顔でルネが謝意を述べ、アリゼの手を引いてその場から去るのを、侯爵は満足気に見送る。
魔術一辺倒と言われている三男が、正しく自身の言葉を汲み取ったのを見て、悪くないと思った。
それからすぐに、自嘲気味に笑った。
「いかがなさいましたの?」
妻の問いに、笑って答える。
「利用する為に庇護者を買って出たが、むしろ子爵に利用されたかも知らんな」
あぁ、と答えて侯爵夫人はアリゼとルネを見やる。
「たまには人助けもよろしいのではなくて?」
切れ味鋭く返されて、侯爵は肩を竦ませた。
「君には敵わんな」
そう言って妻の手の甲に侯爵は口付けを落とし、手を引いた。狙いすましたかのように、ちょうど曲が始まった。
ルネは胸に手を当て、アリゼにお辞儀をした。
「私と踊っていただけますか?」
アリゼは笑顔でカーテシーをすると、ルネの手に己の手を重ねた。
二人の身体が近付いた時、ルネにだけ聞こえるようにこっそりと尋ねる。
「ルネ、踊れるの?」
「エスコートの許可をもらってから、毎日練習はしたよ」
つまり、それまでは大して練習をしていない、という事である。侍女に足を守るように固めの靴にしてもらって良かった、と息を吐いた。
それから、自分がサポートしなくては、と心に決めてステップを踏み出した。
結論から言えば、ルネがアリゼの足を踏んだのが五回。アリゼがルネの足を踏んだのが三回。
踊り終えた後、散々な結果に二人は何十曲も踊った後のような疲労感を覚えていたが、お互いの顔を見た時、笑いがこぼれた。
「もっと練習しなくっちゃ」
「私も頑張るわ」
足を踏むのではないか、踏まれるのではないかと冷や冷やはした。でもマチューと踊る時のような恐怖感はない。
残る疲労感も、ちっとも嫌ではない。
「何か飲み物を持ってくる、何が良い?」
「あ、そうね……咽喉が渇いたから、味の強くないものをお願い」
分かった、ちょっと待ってて、と言ってルネはアリゼの前から去った。
飲み物を運ぶ給仕に声をかけるルネを、見るともなしに見ていると、名前を呼ばれた。
「アリゼ」