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01.我慢の限界

 アリゼは婚約者のマチューを探していた。次に参加する夜会のエスコートをお願いする為に。

 本来であれば婚約者なのだからそんなお願いをする事がおかしいのだが、アリゼとマチューにとっては珍しい事ではなかった。

 庭のベンチに、マチューの赤みがかった金髪が見えた。

 いた、とアリゼは思った。それから声をかけようとして、言葉を飲み込んだ。


「マチューったら、良いの?」


「なにが?」


 呼ばれた名、反応した声から、彼がアリゼの婚約者のマチューである事は間違いなかった。

 そのマチューの隣には少女が座っている。彼の肩に頭をのせるようにしてもたれかかっていた。

 少女の存在に気付いた瞬間、アリゼの胸はチクリと痛み、それ以上先に進めず、その場に立ち止まった。

 婚約者のいる男性にする事ではない。彼もまた許すべきではない。しかもここは学生が多く通う学園である。不適切としか表現のしようのない距離感だった。


「そろそろ貴方の婚約者様が、エスコートを頼みに探しに来るんじゃない?」


 くすくすと笑いながら少女が言った。

 その言葉にアリゼは顔が熱くなるのを感じた。


「良いんだよ、探させておけば。見つからなければエスコートしなくて済む」


 うんざりしたようなマチューの声。マチューの冷たい表情がアリゼの頭に浮かんだ。

 いつもそうだ。 

 マチューは婚約者のアリゼに冷たい。

 幼馴染として接していた時はまだ今よりも優しかったようにアリゼは記憶している。それが婚約者になった途端に、マチューは冷たくなった。


「でも貴方、アリゼの家に婿入りするんでしょう? あんまり冷たくして捨てられても知らないわよ?」


「アイツのようながさつな女をオレ以外が相手にする訳がない。あのくすんだグレーの瞳を見るだけで吐き気がするよ。爵位さえなければとっくに婚約なんて解消してる」


「まぁ、酷い人」


 言葉では責めながらも、少女の声は楽しそうであり、心からマチューを酷いとは思っていない事は歴然としていた。その証拠に少女はマチューの頰に口付けをした。

 アリゼはそっと方向転換をしてその場から去った。マチューも少女も、自分達の姿をアリゼに見られている事に気付いていなかった。たとえ気付いていたとしても、あの態度では気にも止めなかったかも知れない。


 アリゼは逃げて、逃げて、逃げて、試験も終わって人の訪れが極端に減った図書室の奥まで逃げ込むと、座り込んで、ようやく泣いた。

 泣きそうになるのをぐっと堪えて、この距離なら、図書室までなら耐えられると思って。


「……誰か、いるの?」


 誰もいないと思っていたのに、声をかけられてアリゼの身体はびくりと揺れた。

 間も無くして現れたのは、アリゼのもう一人の幼馴染であるルネだった。


「アリゼ?」


 アリゼは慌てて顔を隠したものの、ルネはその前に彼女の顔を目にしていた。


「……マチューと、何かあったの?」


 優しく尋ねながら、アリゼの横に、少し間を空けてルネは座った。


 何もない。何もないけれど、アリゼの心は限界だった。

 伯爵家の一人娘であるアリゼは、婿を取る必要があった。そこで白羽の矢が当たったのが、幼馴染のマチュー。

 同じ伯爵家の次男である彼は、幼くても分かる聡明さを持ち、容姿も彼の母に似て優れていた。

 娘の幸せを願ったアリゼの両親は、マチューの両親にアリゼの婿となってくれないかと打診したのだ。マチューの両親は一も二もなく承諾した。

 アリゼの家、ルデュック家は領地に大きな農園を持ち、国内でも有数のワインの産出地でもあったし、小さいながらも港を持っていた。恵まれた土地を持つ裕福なルデュック家に、婿入りとは言え入れたなら、息子の将来は安泰だと考えるのはごく自然な事だった。


 アリゼは平凡な容姿だった。ブリュネットの髪に、グレーの瞳。顔もこの国でよく見かける目鼻立ちで、取り立てて特徴のない見た目。

 幼い頃の彼女はとてもお転婆で、幼馴染のマチューとルネは彼女の思い付きにいつも振り回されていた。そんなアリゼを窘めていたのはマチューだった。優しいルネは言葉で諭すけれども、アリゼがそれを聞いた事はなかった。

 あまりのお転婆さと、マチューがそんなアリゼの手綱をしっかり握っていた姿に、アリゼの両親はマチューを婚約者にと望んだのだった。

 アリゼもまんざらではなかったと言う。容姿も優れて、はっきりと物を言うマチューに対して好感を抱いていた。


 その関係が崩れたのは、二人が貴族の嗜みであるお茶会に参加するようになってからだった。

 付け焼き刃のマナーでは駄目だったのだろう、アリゼはちょっとした失敗をした。社交に出たばかりの令嬢によく見られた失敗だった。けれどそれをマチューは許さず、淑女らしくないとアリゼに言い募った。アリゼは反発したが、もう少し娘に大人しくなって欲しかった両親は、マチューの言う事が正しい、と言った。

 そんなやり取りを繰り返していくうちに、アリゼは以前のように溌剌と笑わなくなった。最初はお転婆娘が大人しくなったと喜んでいたルデュック伯夫妻も、俯きがちになり、笑顔が減った娘を見て、これは何かが違うと思い始めた。

 マチューにもうちょっと優しく諭してくれないかとお願いをしても、傲慢さを持ち合わせたマチューは正論で返し、自分は悪くないと答え、考えを変える気はないと言い切った。マチューの答えは間違えてはいない。けれど、将来婚姻を結び、長く生活を共にする者への配慮がなかった。

 アリゼには、彼女が以前好きだった事をやったらどうかと提案したが、首を横に振って断られた。マチューに怒られるから、と。

 娘の幸せを願うルデュック夫妻は、マチューにも、マチューの両親であるテター夫妻にも、アリゼにもう少し寄り添ってくれと依頼した。テター夫妻も同意して、マチューにもう少し長い目でアリゼが淑女になるのを手助けしてあげるのが紳士と言うものだと諭した。マチューは反発し、持論を曲げなかった。

 ルデュック夫妻は、さすがにこの婚約は愛娘を不幸にするだけだと判断し、娘に言った。アリゼが辛いなら婚約は解消しよう、と。けれどアリゼは自分が淑女として至らないだけだからと両親の申し出を断った。

 娘には断られたが、夫妻はアリゼの知らぬ所で他の婚約者候補を探し始めた。テター夫妻はそれに気が付き、何度となくマチューに警告をした。それでもマチューは変わらないままだった。


 騙し騙し続けていた関係だった。

 いつか立派な淑女になったら、マチューは態度を変えてくれると思っていた。

 けれど、マチューと少女のやりとりを図らずも立ち聞きして、無理だ、とアリゼは思った。

 これまでは何があっても頑張らねばと思えていたのに。限界に達したのだろう。唐突に、これ以上頑張れないとアリゼは思った。

 マチューはアリゼに良くなって欲しいとすら思っていない。彼がアリゼに求めているのは、邪魔にならない事と、彼女と婚姻を結ぶ事で得られる爵位だけ。

 アリゼの努力など、関係ないのだ。


「……婚約を、解消、しようと思うの」


 ルネは動揺したが、それを顔にも、声にも出さないようにして、そうか、と答えた。

 お互いに何も話さなかった。アリゼは言葉を求めていなかった。けれど、誰かに側にいて欲しかった。だから、何も言わずに側にいてくれるルネが心地よかった。

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