ハニートラップ
墨俣に藤吉郎が築いた墨俣城とも呼ばれる砦。そこは日々増強され、容易に落とせぬものとなった。墨俣城の無言の圧力は美濃の武将たちの心の奥に大きな動揺を与えている。それだけに尾張にとっては失う訳に行かない拠点。それを守るためと称して、藤吉郎は一向に戻って来ない。
仕事熱心。そう言えば、それでいいのだけど、夜な夜なわかい女の子たちと宴会をしていると言う風の噂が私の耳に届いていた。
その真実を自分の目で確かめるため、私は墨俣城の前まで来ている。
かがり火が浮かび上がらせるその姿は大きく、威圧感がある。
正面の大きな門は閉じられていて、近くの櫓には見張りの兵の姿が見える。
「こっちですよ」
私にそう言ったのは八郎だ。
藤吉郎に知られずに潜入するため、あかめに最初に声をかけたのだけど、即拒否られた。
しかたないので、墨俣築城に立ち会い、ここの構造に精通している八郎に私を藤吉郎のいる場所まで連れて行ってくれるよう頼んだのだ。
八郎の後を追って城壁に沿って進むと、ある場所で八郎が立ち止まった。
「ちょっと待っていてください」
そう言うと八郎は軽々と城壁を飛び越え、砦の中に姿を消した。
「どうぞ」
八郎が城壁の一部を開き、そこから顔を出して言った。
「ぱっと見、扉には見えないんだけど」
「まあ、隠し扉ですからね。
ここから出て迂回して、正面の敵の側面に回れるんですよ」
「へぇ。って、感心している場合じゃないよね?
あなたたち、よその国の間者なんだから」
「私たちが使えている国は尾張と隣接していませんから、別に敵ではありませんから」
「って、それは今はって話だよね?」
「まあ、そうなりますけど。
それより、行きましょう」
八郎の言葉に促され、墨俣城の中に入って行った。
周囲は城壁で完全に囲まれ、外に睨みを効かす櫓の上には星明りが警備の兵たちの姿を浮かび上がらせている。
そんな城壁に囲まれた中にある一つの建物の中に八郎は入って行った。
「八郎さん、その方は?」
進む廊下の中で出会った兵が言った。さすが築城に立ち会った八郎だけあって、顔見知りで味方と思われている。
「いや、それはいかんだろ!」
心の中で思いながらも、八郎に頼んだのが私なだけに、声に出す訳には行かない。
「木下様の正室 ねね様です」
「これは失礼しました」
そう言って、その兵は頭を下げて、私達に進路を譲った。
やがて、蝋燭の灯と思われる光が閉じられた扉の隙間から漏れる部屋の前までやって来た。
その部屋の中から声が漏れて来ている。
「いくらでも飲んで下され。
ほれ、皆の者注いで、注いで」
「どうぞ」
「もっと飲んで下さいな」
最初の声は藤吉郎。後は若い女の声だ。
その部屋の障子に手をかけると、大きく深呼吸して気を落ち着かせてから、その扉を開いた。
中にいた者たちが一斉に私を見た。
その部屋の中にいたのは藤吉郎、小一郎、小六と見知らぬ三人の男。そして、藤吉郎も含めた全ての男たちに体をぴたりとくっつけて寄り添う若い女たち。
「ね、ねね?
どうして、ここに?」
「木下殿、こちらは?」
見知らぬ三人が藤吉郎にたずねた。
「すみませぬが、少し席を外させてください」
藤吉郎はそう言うと、一人立ち上がり、私の所にやって来た。
「ねね。何しに来たんじゃ?
ちょっと、こっちへ」
そう言って、私の服の裾を掴んで引っ張った。
「藤吉郎様は墨俣に城を建てた手柄を祝い、夜な夜な楽しい宴会を催されているとうかがいましたもので」
藤吉郎は少し離れた部屋に私を連れ込むと座り込んだ。
「まあ、座ろうじゃないか」
そう促され、私は藤吉郎と向かい合うように座った。
「よいか。
わしは宴会をしたくてしているわけじゃない」
「かわいい女の人にぴったりと寄り添われて、嬉しそうでしたけど?」
「これは接待じゃ。
あの三人は西美濃三人衆と言ってな…」
「あれが西美濃三人衆なの?」
「知っておるのか?」
「稲葉、安藤、氏家だよね?」
「さすが、なんでも知っておるねねじゃの。
その三人を信長様に付くよう話をすすめておるのじゃ」
「ハニートラップかぁ。
そう言えば、藤吉郎様からもほのかに甘い香りが。あの引っ付いていた女の人の香りですよね。
で、お持ち帰りも付いてる訳?」
「すまぬ、ねね。
ねねの言っている事の意味が分からぬ」
「まあ、あの三人のお持ち帰りはいいとしましょう。
で、藤吉郎様はこの後、あの女とあんな事やこんな事をする訳?
甘い香りまでつけて」
「何を申すか、わしはあの三人の接待が終われば、それまでじゃ。
他の女と何もないわい!」
「じゃあ、私、夜も遅いからここに泊まるので、よろしくね」
ちょっと意地悪い笑顔を浮かべて、小首を傾げてそう言ってみた。
「そうじゃの。
終われば、ねねの所に戻って来るからの」
そう言って立ち去る藤吉郎の後ろ姿は、ちょっと寂しそうだ。
接待なんて口実で、結局は自分も楽しみたいんじゃない!
私はちょっと不機嫌だった。
西美濃三人衆はやがて織田方に寝返ることになった。
この理由は斎藤家が落ち目であり、将来性のある織田家に乗り換えたのであって、決してハニートラップに絡めとられたのではない。
そう男の人と言うものを信じたい私がそこにいた。




