落ち込んでいる時に真っ直ぐな言葉を掛けてもらう事程心に染みるものは無い
長いサブタイトル第一段
気付けばジェンは鍛練場で、一心不乱に素振りを行っていた。これは何かを忘れたい時のジェンの癖だ。あくまでも鍛練用である為、振るっている剣に刃はついていないが、重さや大きさは支給される実戦用の剣と遜色ない。それだけあって、鍛練用といえどもそれなりに重く、この剣での素振りはなかなかの苦行だと評判だったりする。
ジェンは剣を振り上げ、振り下ろすという一連の動作をひたすらに繰り返す。悲しみも辛さも全て汗と共に流れ落ちてしまえば楽になれる……そんな思いが彼をこの行動に走らせたのだ。けれど、どれだけ汗を流そうとも、心の中に溜まったドロドロとした澱みのようなものは消えてはくれない。寧ろ疲労が蓄積していくと共に、それは徐々に体積を増していっていた。
何故あの男と結婚するのが彼女で無ければならなかったのか……
何故彼女は王女で自分は唯の兵士なのか……
何故自分は愛する人を守る事すら出来ないのか……
何故、何故、何故…………
思考している時も、ジェンの動きは決して止まる事はない。まるで自分を苛めているかのような無茶なその行為を止める者もいない。その筈だった。
ふと一瞬だけ空気が揺れ動いた。思考の迷宮に囚われていたジェンは、それを鋭敏に感じ取り、勢い良く振り向く。
「お? 気付かれちまったか」
視線の先にいたのは、つい数時間前、己が兵士長に怒られている時に現れ、王からの言葉を告げに来た騎士団長、ファスラム・グルーガ、その人だった。
「騎士団長…………」
「仕事サボって稽古なんて、お前も面白い事やってんな」
クツクツと笑みを溢しながら近付いて来るファスラムに、ジェンは思わず身構える。
何度も言うようだが、兵士に取って、騎士は雲の上の存在である。例えそれが気さくな事で有名なファスラムであっても、どうしても緊張せざるを得ないのだ。
「そんなに身構えんなよ、お前の才能を見出だした者としては、もうちょい懐いて欲しいと思ってんだからよ」
「は…………?」
サラリと告げられた事の意味が分からず、ジェンは首を傾げる。
ジェンは剣の才能があると、誰かが推薦してくれた事は知っていた。だが、己を推薦してくれたのが、ファスラムだとは知らなかったのだ。
「は? は? はぁぁぁぁぁ!!!???」
だからこそのこの反応である。
「あ、やっぱりお前知らなかったか。五年前お前がまだ下働きだった時に素振りしてんの見て、陛下に推薦したのオレなんだぜ? なのにお前ってば全然懐いてくんねぇからよ~、正直寂しいんですけど?」
ジェンの頭の中は真っ白になっていた。色々と言われているが、真実が余りにも衝撃的だった為、内容も殆ど頭に入ってきていない。
(推薦したって? 誰が? 騎士団長が? 誰を? おれを? 何で? 何の為に???)
頭の中は疑問符で一杯である。そして、散々考え抜いた結果、出した結論は…………
「冗談…………ですよね…………?」
ファスラムが冗談を言ったというものである。が、
「いんや、大マジだけど」
「うえぇぇぇ~」
あっさりと否定され、ジェンは項垂れた。
「なんだよ、オレが推薦したの嫌だったのか?」
「え? いやっ、違っ! そういう事じゃなくてっ! その……だから…………」
あんまりなジェンの反応に、ファスラムが拗ねた様な声を出す。慌てて否定するも、じっとりとした視線に晒され、語尾が尻すぼみになってしまう。
誤解の無い様に説明するが、ジェンは別にファスラムが苦手な訳では無い。唯単に、ものすんごい失態を演じた上に、挽回するどころか、仕事をサボって素振りという、謎過ぎる行動を取っていた己が、雲の上の存在と思っていた人物に、実は目を掛けられていたという事実に、どう反応すればいいのか分からないだけである。
「…………なんでおれを推薦してくれたんですか……?」
色々と自分の行動を省みた上での問いであった。
「だから言っただろ? 下働きだった時に素振りしてんの見たって」
「…………あの時のおれ、剣握ったのも初めてで、大した事した覚え無いんですけど……」
ファスラムが説明してくれるが、ジェンには全く理解が出来なかった。何故なら、ファスラムに推薦してもらえるような事をした覚えが無いのも、抗いようも無い事実だったからだ。下働きの時に行った素振り等、適当に剣を振り回しただけに過ぎない。
「そうだな~、確かに型は無茶苦茶だったな」
「だったらなんでっ……」
肯定の意が返り、ますます疑問が募る。
「おれと同世代でも、もっと出来る奴はいっぱいいるのに……」
(そうだ、おれなんかよりも凄い奴は沢山いる…………)
落ち込んでいる為か、己を卑下するような後ろ向きな考えばかりが頭を駆け巡る。普段はもっと前向きなのだが、色々とあったせいで、精神的に不安定になっているのだ。
「そうだな。お前よりも出来る奴は確かにいくらでもいる」
追い討ちを掛ける様な事を聞かされ、ジェンは更に落ち込む。しかし、次いで放たれた科白に、目を丸くする事になる。
「でも、それでもオレはお前に才能があると思った」
「え……?」
ファスラムの発言は、ジェンに驚きをもたらすものであった。
(おれに……才能……?)
「嫌……そんなおれ…………」
否定しようとするジェンに構わず、ファスラムは続ける。
「確かにお前より出来る奴はいる。けど、オレはお前に才能を見出だした。他の誰でも無い、ジェン・サティアという人間に才能があると思ったんだ」
飾り気の無い真っ直ぐな言葉がジェンの心に染み渡っていく。
「このオレがここまで言ってるんだからよ、誇らしく思っておけよ」
最後はふざけたように笑いながら、締め括られる。
胸が詰まる様な思いだった。まさか騎士団長が己をここまで買ってくれているとは……知らなかったとはいえ、自分はどれだけ他人に迷惑を掛けたのだろうか。己が今やるべき事は落ち込み逃避する事なのか。否。それは違う。
自分が今やるべき事……それは己の立場を良く理解し、職務を忠実に遂行する事。己の今の立場を何か。己はこの国……ファルドナの警護と防衛を司る兵士団の一員、兵士だ。なら己の今の職務は何か。それはこの国の王族や貴族に害を為す者が侵入しないよう、中庭の警備を行う事。
ジェンは己の行動を振り返り、猛省した。そして、騎士団長がここまで己を買ってくれているなら、これからはより一層努力をしようと思った。
自分の今の思いを伝えるべく、ジェンは口を開いた。
「…………あのっ、騎士団長…………ありがとうございます」
まずは感謝の意を。
「おれ……騎士団長がそんなにおれの事買ってくれてるなんて知らなくて……でも、おれ、自信持てそうです」
それは心からの言葉だった。自分に才能があると言ってくれたのは、この国の英雄たる騎士団長なのだ。そんな人が認めてくれたのだから、己も認めなければならないだろう。自分自身の事を。
「これから……もっと努力して、強くなります。少しでも……騎士団長に近付ける様に、騎士団長みたいに、なりたいですから」
「あぁ、それは止めとけ」
「え」
今の精一杯の決意を伝えたが、ファスラムにあっさりと制される。意気込んでいたところに水を差された形になったジェンは、意味が分からず、何度も瞬きを行った。
「あのなぁ、オレみたいな適当な奴を目指そうとすんな。出来るだけ厄介事からは逃げたいと思ってる様な奴だぞ?」
余りにも自信満々に言われ、ジェンは困惑する。果たしてこれが先程、自身を鼓舞してきたファスラムと同一人物なのかと。頭の中に無数の疑問符が浮かんだが、程なくして気付く事となる。自分を適当な奴だと言っているファスラムの耳が赤くなっている。
(騎士団長……耳赤くなってる……?)
そこで思い出した。昼間、レバンスとの会話の際に、ストレートな物言いをされ、気恥ずかしい思いをした事を。
(まさか……照れてる?)
あの騎士団長がまさかとも思ったが、様子を見た限り、間違いは無いようだ。それもその筈。実は数多の人から賛辞を受けるファスラムだが、ファスラムのようになりたいと面と向かって言われたのは初めてだった。
実は物凄い間違いに気付いた為、編集してます。