二人の上司と二人への罰
「さて……怒られる覚悟は出来てるか?」
二人は眼前に聳え立つ厳かな城を見上げた。この城こそ、フォルドナの国王が坐す城である。
周囲を水路に囲まれた菱形の城で、東、西、南、北、そして中央に塔が配置されている。東西南北に配置された塔は、それぞれ城壁で繋がっていて、内部と上部分が通路になっている。中央塔三階が玉座で、中庭から三階へ伸びる階段だけが、唯一玉座へと続く道だ。
「………………あのさ、レバンスまで怒られる必要ないんだぜ? おれが悪いんだしさ……」
ジェンはばつが悪そうな顔で、レバンスの顔を覗き込む。それに対し、レバンスはフルフルと首を横に振った。
「いんや、一人で怒られるより、二人で怒られた方がまだマシだろ。だから、俺も一緒に怒られてやるよ」
言っている事は格好いいが、顔は非常に強張っている。それというのも……
「お前達は今まで一体何をしていたんだ?」
覚悟もきちんと出来ぬまま、突然目の前に現れた人物に、二人は蒼白になった。
――オルトレン・ルーガイア――
フォルドナ王国兵士団の兵士長であり、一般兵であるジェンとレバンス直属の上司でもある。ダークブラウンの髪にグレイの瞳を持つ、やや神経質そうな面立ちの男で、年の頃は40を過ぎている。だが、たるんだところ等一切無い引き締まった身体は、彼を実年齢より若く見せていた。実直で公明正大、質実剛健、どんな相手であっても決して贔屓はしない。そして何よりも……
「婚姻式を一時中断させるという愚行を犯しておきながら、今まで戻らずに一体何をしていたと聞いているのだが?」
非常に厳しい事で有名である。
「えっと……あの……その……」
レバンスはしどろもどろとしながら視線を彷徨わせた。ジェンの方はというと、腕を上げたり下げたりを繰り返し、挙動不審になっている。そんな二人の態度にオルトレンは大きな溜め息を吐き、叱責するべく口を開いた。
「お前達が聖堂から飛び出した後、サクリシス陛下がどういう思いをなされたか分かっているのか?」
サクリシス陛下――フォルドナ・サクリシス・ベルクレイ――国王陛下の名が出された事に二人は戸惑いを見せる。
フォルドナの国王サクリシスは、武勲こそないが、非常に聡明であり、民からは賢王との呼び声高い。それだけにサクリシスは矜持も高く、己の自尊心を傷付けられる事を嫌っていた。そのサクリシスが二人が聖堂から飛び出した事で、グレヴァルドから恥辱を受けたとしたら……その怒りは計り知れないであろう。
二人は元々蒼白だった顔を更に青ざめさせた。
「グレヴァルド殿下はお前達二人が飛び出した後……多くの者達の目の前で陛下を罵って下さった。兵士の質が悪いのは陛下の徳が足りないせいだとな」
「「!!」」
「お前達…………この不始末をどうつけるつもりだ?」
オルトレンの怒りを目の当たりにし、二人は身体をビクリと震えさせる。そしてジェンは改めて事の重大さを思い知った。
(おれ……なんて事…………)
余りの辛さに我を失いやってしまった事であったが、どんなに辛くともやってはいけない事であったのだ。自分の罪の重さにジェンは拳を握り締める。
「陛下に迷惑を被らせた以上、お前達には罰を与えねばならん。それは分かっているな?」
「…………はい……分かって……」
「待って下さい!!」
項垂れるレバンスの前に出て、ジェンは膝をついた。そして頭を垂れながら、懇願する。
「今回の件はおれが悪いんです!! レバンスは……レバンスはおれを心配してくれただけで……だから! 罰はおれ一人が受けます!! レバンスは罰しないで下さい!!」
「な、何言って……」
「レバンスは黙っててくれ!!」
ジェンの身体は震えていた。今まで罰を受けた事がない訳ではないが、それは最後には笑い話に出来る程の軽いものであった。だが、今回は違う。ジェンが迷惑を被らせたのは、他でもないこの国の王なのだ。サクリシスの怒りを買った以上、重い罰は免れないであろう。
自分は仕方ないとしても、レバンスまで巻き込んではいけない……
そんな思いがジェンの身体を突き動かした。しかし…………
「確かに原因はジェン……お前かもしれないが、追ったのはレバンスの意志だろう」
「そんなっ」
オルトレンは考えを改めようとはしなかった。
「陛下はお前達二人にお怒りだ。どちらか一方だけを許す訳にはいかん。よって……」
「あんま苛めんなよ。オルトレン」
「!!」
叱責するオルトレンを止めたのは、二人には思いもよらない人物であった。
フォルドナ王国には、兵士団と騎士団という二つの団が存在する。
人数が多く、主に王国の警護と防衛を司る存在、フォルドナという国家を守る為にある兵士団。
人数は少ないが、時に剣となり敵を殲滅し、時に盾となり王家の者を守る、フォルドナの王族を守る為にある騎士団。
現在、フォルドナに兵士は見習いも含め、千六百人近く存在する。これはこの国の人口の約五%である。
対して、騎士の数は実に八人のみ。この八人こそが、王族の剣と盾であるのだ。まぁ、一人例外がいる為、正確には七人と言えるが。
兵士に取って騎士は、雲の上にいるかの様な存在である。
大事な事だから、もう一度言おう。兵士に取って騎士は、雲の上にいるかの様な存在である。
「騎士団長……」
思いもよらない人物の登場に、固まったレバンスが呆然と呟いた。
その男は上の方で一本に縛って尚、腰元まである艶やかな白銀の髪を靡かせた美丈夫だった。アメジストを彷彿とさせる、濃い紫色の瞳を持つ卓越した美形であるその男は、国一番とも評される整った容姿を持ちながらも、驕る事の無い面倒見の良い気さくな性格の男だった。そして、その男はそれと同時に、26歳という若さながらに、ダルナシアとの戦争で数多の功績を挙げた、鬼神の如き強さを誇る国の英雄でもあった。老若男女、国の内外問わず、様々な人達から、敬意と畏怖の念を送られる、フォルドナ王国騎士団の団長。
――ファスラム・グルーガ――
そんな人物がジェンとレバンスを庇うように、オルトレンの前へと立ち塞がっていたのだった。
「…………二人を庇うんですか?」
オルトレンが問う。それは決して苛立ち等の悪感情を含んだものではなく、どちらかというと呆れが強いような響きであった。
「この件は兵士長である私の管轄で……」
「ジェンやレバンスが陛下に迷惑掛けたのは、確かに事実だろうが、ジェンとアーシャファルナ様の関係を知ってて参加させたのは、オルトレン……お前だろ?」
「…………グレヴァルド殿下が城の者は全員参加だと……」
指摘に対し、オルトレンは眉を顰め反論する。しかし、ファスラムは意にも介さない。
「兵士の数が一人二人減ってるからって気付く奴なんざそうそういねーよ。お前ってホント融通きかねー奴だな」
「なっ!」
ずけずけとした物言いのファスラムに、唖然としたオルトレンだったが、直ぐに表情を引き締め、言い返した。
「私は……唯職務を忠実に全うしようとしてしているだけで……それを融通が利かないなどと言われる謂われはない!!」
「口調変わってるぜ?」
融通が利かないと言われたのが余程癪に触ったのか、オルトレンの口調は変化していた。それを指摘し、ファスラムがカラカラと快活に笑う。自分の失態に気付いたオルトレンは、慌てて口元を抑える。
「………………本当に……あなたは…………」
にやけるファスラムをオルトレンが睨む。だが、ファスラムは何処吹く風とでもいったように、素知らぬ顔だ。
「大体あなたは騎士団長という立場にいながら、その口調はなんなんですか? いつも軽口ばかり……って、今はこんな話をしている場合ではなくて……」
苦言を呈するオルトレンであったが、目の前の男の背後にいる二人の姿を目に留めた瞬間、最優先事項を思い出し、話を軌道修正しようとする。
「とにかく……これは陛下のご意志です。いくら騎士団長といえども……」
「その陛下とちょっと話したんだよ」
「…………? 陛下と?」
ファスラムの放った言葉に、オルトレンは眉間に皺を寄せた。
「一体何の話を……」
「命令は撤回、二人への罰は無しだそうだ」
「!!」
サラリと放たれた台詞に、オルトレンは目を見開いて驚いた。
「ど、どういう事ですか!?」
「どういう事も何もそのまんまの意味だろ?」
「そんな……まさか……」
信じられないと言わんばかりに、オルトレンは呆然と呟く。
「陛下が意志を変えるとは……」
「ま、陛下も人の親。娘の頼みには弱いって事さ」
今まで流れる様な二人のやり取りを、呆然と聞き入っていたジェンとレバンスだったが、やれやれといったような仕草を取りながら、ファスラムが吐いた台詞に、つい反応してしまう。
「娘……って、アーシャ!?」
「ばっ、おま、会話に入っていくなって!!」
レバンスが慌てて諫めるが、時既に遅く、オルトレンとファスラムの視線はジェンに向かっていた。二人の視線を受けた事で、慌ててジェンは目を逸らす。
「ジェン…………お前はアーシャファルナ殿下を未だにそう呼んで……」
「まぁまぁ、今は俺達だけしかいないんだし、良いだろ」
再び小言を口にしようとしたオルトレンをファスラムが宥める。
「良くはありません、立場というものが……」
「そんな事より兵士長がこんな所でずっと油売ってたら駄目だろ?」
「そんな事で済ませる様な話では無いと思うんですが……はぁ、もう良いです」
何かを諦めた様にオルトレンは溜め息を吐いた。
「しかし、私に油を売っていては駄目だと言いますが……それはあなたも一緒でしょう?」
話を違う方に向けようとしたファスラムだったが、痛い所を突かれ苦笑する。
「ははっ、違いねぇ……」
「ですが、騎士団長の仰る事は最もですね……ジェン、レバンス!!」
オルトレンは一瞬の思案顔の後、二人の顔を見回し、名を呼んだ。二人はピンッと背筋を伸ばし、大きな声で返事をする。
「「はい!!」」
「先程の騎士団長との会話で理解しているとは思うが、もう一度言おう。陛下が命令を撤回なされたそうだ。よってお前達への懲罰は無しとする」
「「ありがとうございます!!」」
オルトレンの言葉に二人は目配せをしあい、ほぼ同時に頭を下げた。そして安堵と喜びの混じった表情を浮かべる。しかし、次に放たれた科白に、顔を引き攣らせる事となった。
「だが、あれほどの事を仕出かしておきながら、何も無いというのは、他の者に示しがつかん」
「「え゛っ」」
「お前達の処遇については、今夜の祝宴パーティーの後にでも話そう。パーティーが始まるまでは自室待機。一歩も外には出るな。分かったな?」
「はい……」
「えっと……パーティーが始まったら俺達はどうすれば?」
ジェンはしょんぼりと項垂れるが、レバンスは自分達がどうすれば良いのかを問う。分からないまま放置して後で困るような事になりたくないからだ。
「レバンスは北東側の城壁上部、ジェンは中庭の警備だ。パーティーが始まる時刻はイチキューマルマル、7時きっかりだ。遅れるなよ」
「はい」
「分かりました。ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます」
普通に返事をしたジェンであったが、頭を下げたレバンスに賄い、急ぎ自分も頭を下げた。
そんなジェンの顔を見てオルトレンは溜め息を吐く。自分の態度に呆れられたかと顔を青くしたジェンだったが、その心配は杞憂に終わった。
「ジェン、お前はパーティーが始まるまでにはその真っ赤な目をどうにかしろ」
「うぇ!? あ!!」
慌てて目元を抑えるジェンの瞳は泣いたからであろう。兎のように真っ赤であった。
「そうそう。ちゃんと冷やしとけよ~。でないと腫れるぜ~?」
軽口を叩きながら脅し?を掛けてくるファスラム。
「は、はい……気を付けます」
そう返事をするジェンの頬は泣いた事を知られていた羞恥心からか、赤く染まっていた。
「他に何か質問は?」
オルトレンは顔を赤くするジェンを放置し、他に聞きたい事は無いかと問う。
「俺はもう特に無いです。ジェンは?」
「へ? あ、おれも無いですっ!」
先に返答をしたレバンスが、ジェンに質問を投げる。ジェンも慌てながらも返事をする。
「そうか。特に無いなら後は……あぁ、後これだけは言っておこう。パーティーの前に風呂に入り、その鎧は必ず着替えておけ。絶対にだ」
二人の返答に頷き、解散宣言をしようとした所で思い出したのか、オルトレンは最後に風呂に入り、鎧を着替える事をきつく言い含めた。何故なら二人とも鎧も含めて、泥や砂埃のせいで酷く汚れていたからだ。決して空気が良いとはいえない路地裏を全力疾走したからであろう。こんな姿では大広間に足を踏み入れないとはいえ、王族や貴族が沢山集まっている城の警護等出来はしない。
「「はい……」」
二人はオルトレンの言葉を深く噛み締め、ゆっくりと頷いた。
「ならば解散…………騎士団長……何のんびりしてるんですか?」
くるりと背を向け、立ち去ろうとしたオルトレンであったが、ファスラムがそのままその場に残っているのを見留め咎める。バレたかとばかりに舌を出して、ファスラムはひらひらと手を振った。
「いや~、二人にちょっと用事が……」
「嘘ですね。どうせまたサボろうとしていたんでしょう?」
ファスラムの言い訳をばっさりと切り捨てるオルトレン。
「別にそんな事は……」
「目が泳いでますよ?」
オルトレンの指摘通り、ファスラムの目は宙を彷徨っていた。これでは言い訳している事がバレバレである。
「へいへい……」
何を言おうと無駄だと悟ったのか、ファスラムは大人しくオルトレンの後ろに従った。騎士団長と兵士長では騎士団長の方が立場的に上なのだが、これではどちらが偉いのか分からない。因みに騎士団長が兵士長に怒られている光景は割りと良く見られる光景である事をここに記しておく。