6・3 縁の加護と運命の聖女
カオンの街、カブロ教大聖堂の地下広間。
優に数千人は入れそうな広大な空間の祭壇で一人祈りを捧げる修道女。
その祭壇の一段下、二百人程度の合唱団でも広々と歌えるであろう舞台に、黒い渦と歪みが起こり空間の亀裂からエリンを抱えたハイルラが姿を現した。
「イクス様、縁の力を持つ者を連れて参りました、です、で、で、ました」
祈りを捧げる修道女は振り返らずに謝意を述べる。
「ご苦労様でした、縁の者を置いて下がりなさい」
「はいです、で、で、はい」
ハイルラが口を抑えながら自らが開いた空間へと消えてゆく。
「な、何の用ですか!人を無理矢理こんなところへ!」
震えてはいるが強い語気で修道女の背中に向けて問う。
その問いかけた背中がぼんやりと揺らぎ、半透明になり、消える。
そして、次の瞬間、信じられない程の力で顔面を殴られるエリン。
広い地下空間の端の祭壇から広間の中央まで二百メートルほど吹き飛ばされる。
何が起こったか理解できなかった。
ただ一瞬で気持ちは折られ、見たことがない程に高い天井を驚愕の表情を崩せないまま見つめていた。
だが骨折どころか、かすり傷一つない。
天井を見つめる視界の端から、修道女が顔を出す。
顔は薄いベールに覆われていてはっきりは見えないが、ベール越しでも整った目鼻立ちが分かる、1ミリの誤差もないのではと思わせるような真っ直ぐなブロンドの髪が不気味に揺れる。
「確かに」
それだけ言うとまた視界から消える。
起き上がることはできないが目線だけを動かし修道女を探す。
修道女はまた祭壇に移動しており、祈りを捧げていた。
「我らが神、運命を司る者よ、哀れな隷属たるこのイクスに御神託を……」
修道女はそう言うと頭を垂れ、その格好のまま動きを止めた。
エリンは何も出来ずにいた、少しでも動けば、いや、声を漏らせば、また一瞬のうちに感じた事もない圧倒的な力で殴られる事に怯えて。
そのまま数分が経ち、修道女が短い言葉を発した。
「仰せの通りに」
そして、再びエリンの視界から消えた。
背後から温かみのある優しい声が聞こえた。
「恐怖は捨てなさい、貴女にはするべき事があります」
先ほど自分を全力で殴ったとは思えないほど心に沁みる清らかな声。
「な、何もしません!」
その声に全幅の信頼を寄せようとする自分の心に必死に抵抗する。
「怒りを捨てなさい、このイクスが導く先に感情など必要ありません」
背後に居るイクスの手が自分に近付いてくるのを首筋で感じて震えるエリン。
「やめてください!」
イクスの手がエリンの頭に触れる。
「気付きなさい……」
その言葉と同時にエリンの頭の中に様々な感情が流れ込んでくる。
それは喜びであったり、
悲しみであったり、
慈しむ優しい光であったり、
絶望であったり。
ただ、そのどれもがエリンの持つ感情ではなく。
この世界の顔も知らない誰かの記憶。
「気付きなさい……」
再びイクスの声が聞こえたかと思うと、無数に聞こえていた感情の声が結ばれていく。
それは笑い声であったり、
泣き声であったり、
子供を愛でる母親の声であったり、
叫び声であったり。
それらが、繋がってゆく。
叫び声を助ける勇敢な声。
優しい母親の声に寄り添う父親の声。
泣き声を受け入れる慰めの声。
笑い声の輪を広げる更なる笑い声。
「ははっ、ははは……ははははっ……」
自分の感情とは無関係に笑い声を発しお腹を抱えるエリン。
その目には涙が浮かび。
その口は憎悪に歪む。
「気付きなさい……」
三度目のイクスの声は天の声を招いた。
ー 魂魄連結を習得しました ー
「よく、気付けましたね」
エリンを抱きしめるイクス。
「さぁ共にこの世界を在るべき姿に還しましょう」
「思考錯誤」
様々な声や感情が渦巻いていたエリンの頭の中から音も映像も全てが消えた。
聞こえてくるのは慈愛に満ちたイクスの温かい声だけ。
「在るべき……姿に?」
「そうです、在るべき姿に還すだけ」
「はい……」
イクスの抱擁に応えるようにエリンは身体を預けた。
明け方から馬に乗って走り出して休憩もなくもう数時間、目線の先にはこの世界では初めて見た超高層の一棟の建物、その周りを囲むように街がぼんやりと見えてきた。
そしてオレの尾てい骨は何度目かの死を迎えようとしていた。
「でね、そん時ペリルったらねー、ニムルの事間違えてお母さんって呼んだのー、めっちゃウケる、魔族に親いねーのに! って、ねー、聞いてるお兄ちゃん?」
オレはこの数時間ずっと仲良しのペリルの天然話をニムルから聞かされている。
会った事もないペリルと言う少女の全く役に立たない知識が膨大に増えた。
貝殻集めと竜の爪集めが趣味だの、魔王の玉座に身長を測った印の傷を付けて怒られただの、使い魔のゴリラドッグの名前が殺戮の貴公子略してスラプリだの。
知らねー、超絶どうでもいいー。
「ちゃんと聞いてるよ、お母さん」
「……ウケるー」
いや、真顔で言われると傷付く。
などと、一大事だと言うことを忘れるほど脱力していると街の手前に馬車が数台止まっている。
先行していたオネエ様やオルタスがその一団の横で馬を降りて、甲冑を着た金髪のお兄ちゃんと同じく甲冑を着てる小柄な美人さんと話をしていた。
追いついて馬を降りると金髪のお兄ちゃんが話し掛けてくる。
「初めまして、ロステリア騎士団の団長でカインと言います、タイトさんですよね?ゴラグリュース様からお話は伺っています」
その流れって、エリンの彼氏はオレより強いやつじゃないとって凄まれるのかと身構えてしまう。
「初めましてタイトです、どう言う風に聞いているのか気になりますが、大丈夫です、良いことではないでしょうから胸に秘めておいて頂ければ」
「はははっ、そんな妙なことは聞いてませんよ。エリンと初めて会った時に[うさ耳さいこー]という言葉と共に気を失ったとか、そんなところです」
胸に秘めとけって言ったじゃん!
オネエ様、それ一番言っちゃいけないやつ!思春期は繊細なんですよ!
「はは……」
苦笑いしかできねーよ。
「副長のシフォンだ、ご覧の通りうさ耳は無い人族だ」
おうおう、初対面で全力でいじってきてんじゃねーぞ!
「ほらほら、タイトちゃんをいじめないで、ちょっとど変態だけど優しいんだから、ね?」
自らが伝えた情報でオレがいじられてるのが心苦しいのかフォローにまわるオネエ様、そんなことで許されると思うなよ、いつか弱点を握ってやる。
「おーい、遊んでる暇はないぞ」
オルタスが馬車の荷台に見取り図のようなものを広げながら手招きする。
そこから、元カブロ教信者だったと言う兵士から建物内の構造や見張りの位置を一通り聞いて、侵入経路を絞り込む。
「で、今日この地下の広間でカブロ教の洗礼が行われる、集まるのはざっと一万はくだらないだろう、そのほとんどが兵士と傭兵だ」
「てことは、正面突破は問題外ですよね」
オルタスの言葉に当たり前のことを返すオレ。
「ううん、この場合はある意味正面突破が正解ね」
意外な言葉を返すオネエ様。
「いや、でも」
「こそこそと潜入してもエリンは運命の聖女と行動を共にさせられてるだろうから、エリンを見つける=運命の聖女と対峙するってことになると勝ち目はゼロに等しいのよ」
その言葉を受けてオルタスが続ける。
「そうだな、この場合は正面から仕掛けて混乱を起こしてなんとかエリンと運命の聖女を離すのが正解だな、一万も人間がいればちょっと突っつくだけで大騒ぎにはできる」
「となると重要なのは役割分担ですね、私たち騎士団は大手を振って教会を攻め込むわけにはいかないですし、中にはロステリアの兵士も沢山いるはずです。そうなると混乱を起こした後の避難と言う名の戦力分散が仕事ですかね」
冷静に立ち位置を決めるカイン。
「それがいいな、あとは正面で騒ぎを起こすのは魔法で派手にやりたいんだが、どうだろうニムルちゃん?」
オルタスがニムルに尋ねる。
「うーん、正直あまり存在を知られたくないのー、だけど最初の一発だけどかーんとなら大丈夫!」
「じゃ、後は私とゴラグリュースの組み合わせで西門から、タイトとネーシャさんの組み合わせで東門から地下広間を目指してエリンの奪還だ」
「あの、もしその聖女とやらに出くわしたら?」
絶対勝てない相手だ、戦うという選択肢はないがどうすべきかは知りたい。
「土下座……かしら?」
冗談の割には真顔で言うオネエ様。
「運命の聖女だけは魔王の側近の中で唯一面識がないんだ、なのでどう対応すれば良いかはわからないと言うのが正直なところだ」
あれ?今、さらっと妙なこと言わなかったオルタスさん。
「魔王の、側近?聖女が?」
「うむ、まぁ聖女と言ってもあれだぞ?私の英雄と一緒で通称だぞ?」
あんた英雄って呼ばれてるんかい!って突っ込みも虚しいくらいに肩書きのインフレがえぐい。
「そうよ、本物の聖女はこのカインの母親のマーサさんだけよ、そう考えると勝手に聖女を名乗るなんて失礼なやつね」
お母さん聖女かい、連れて来いここに、是非一緒に戦ってくれ!
って、ん、パルムの爺様の話に出てきた勇者と聖女の聖女か?
そうだ、勇者と聖女は魔族のヤベー奴に攻撃されて、あれ?どうなったんだっけ?
あ、十五年前から勇者は行方不明ってオネエ様が言ってたな、てことは聖女も行方不明なのか……。
んんん? 魔族のヤベー奴ってもしかして運命の聖女のこと?
だとしたら魔王でも倒せないんだよね? で、オレが呼ばれたのは、魔王と縁の能力者であるエリンとオレの三人で協力して倒すって筋書きだからで、あれ、だいぶ話が繋がってきちゃってるぞ。
大丈夫か? オレまだ全然レベル上がってないのに。
かなり不安そうな顔をしていたのだろう、いつまにかニムルが横に立っていてオレの腰のあたりをポンポンっと叩く。
「死なせはしないから安心して、お兄ちゃん」
うむ、実力はわからないが何故か心強い、そう言うのであれば全力で頼らせてもらおう。
いつの間にかネーシャも隣に立っていてオレの肩に手を乗せた。
こいつのことだから負けじと何かカッコいいセリフを言おうと思ってるんだろう。
「死ぬ時は一緒だ、タイト」
やめろやめろ、フラグっぽいこと言ってんじゃねーよ。
ゴーンっ ゴーンっ
教会の鐘が鳴り響く。
「さてと、そろそろだな。各自が持ち場についた後、ニムルちゃんの魔法を合図に攻め込むぞ」
「はーい、みんなが街に入ったらぶっ放しまーす!」
そう言うとニムルはふわふわと空高く舞い上がっていく。
え?空飛べんの?
ネーシャも飛べたりするの?
隣のネーシャはオレの心でも読んだかのようにフルフルと首を横に振る。
あ、そう、やっぱりニムルってちょっと規格外なのね。
「よーし、じゃ、みんな持ち場につけ!健闘を祈る!」
オルタスの言葉に騎士団が喚声を上げ、移動を始める。
ゴラグリュースとオルタスも見たこともない速さで走り出す。
あ、あれ、ちょっと、待って、置いてかれてる。
慌てるオレを見てネーシャは小さくため息を吐き、自分の顔を指す。
「あ、お願いします……」
ネーシャの小脇に抱えられ街へと運ばれるオレ。
うん、慣れたもんだね、この移動手段も……。
今度転生する機会があったら絶対に高速移動手段お願いするからな!
絶対だ!