第10話 初心者講習1日目 ‐午前‐
次の日、僕は窓から差し込む太陽の光によって目を覚ました。
ぼんやりした視界のまま周囲を見回すと、見慣れぬ部屋の光景が目に映る。
どうやら、寝て起きたら何事もなくいつもの日常に戻っているというような、都合のいい展開はなかったらしい。
枕元で眠ったままのシロを起こす。
だが、薄く目を開いてこちらを見ただけで、すぐに再び眠ろうとする。
仕方ないので、そのまま両手で抱き上げた。
「おはよう、シロ。
どうやら寝て起きたら元通りなんてことにはならないみたいだから、これからよろしくね。」
「ナー。」
わかっているのかいないのか、シロは気だるげに鳴き声を返した。
借りていたギルド2階の仮眠室から降りてくるとエミリアさんが待っていた。
「来たわね。
じゃあ、今後の具体的な仕事についての話をしようかしら。」
「はい、お願いします。」
昨日できなかった具体的な仕事の話を聞くため、エミリアさんから勧められた椅子に座る。
同時に、シロが膝の上に飛び乗って丸まった。
その様子をエミリアさんがうらやましげな表情で見つめながら口を開く。
「まず仕事についてだけど、基本的には昨日やってもらったのと同じように食堂の手伝いをしてもらいます。
これが、昼と夜の2回ね。
で、時間なんだけど、食堂の営業時間は昼が11時から13時まで、夜が18時から21時までよ。
マナ君には準備と片づけもあるからその時間に加えて前後それぞれ30分ほどとられると思っていて。」
「はい。」
「で、残りの時間なんだけど、これはお父さんに頼んで冒険者としての基礎訓練をしてもらいます。
午前に2時間程度、午後に3時間程度の予定よ。」
「ギルドマスターから訓練を受けるんですか?」
「ええ、見てもらってわかるようにこのギルドには人がいないの。
なので、お父さんが担当するしかないのよ。
私でもいいんだけど書類仕事をお父さんに任せることになるからやりたくないのよね。」
「そうですか……。」
僕はギルドマスターの強面を思い出して不安になる。
訓練が無事に終わるといいんだけど……。
「大丈夫よ。
お父さんは元Aランク冒険者ですもの、多少訓練が厳しくてもちゃんと加減はわかっているわ。」
内心の不安が表情に出ていたのか、エミリアさんからフォローが入る。
「最後に、お金の話なんだけど。
訓練期間中のお給料は出ないわ。
食堂を手伝ってもらった分は、ギルドの仮眠室を宿として提供するのと食事などの生活費の代金という形で相殺する形ね。
着替えや訓練に必要な道具の費用も含まれているから安心していいわ。」
「それだと借金をどうやって返せばいいんですか?」
エミリアさんの言葉に疑問を感じて聞き返す。
「それは訓練期間終了後に働いて返してもらうわ。
訓練が終われば、その時間を冒険者としての活動に充ててもらって依頼をこなしてもらうつもりだから。
お金ができたのであれば宿に泊まってもらってもいいけど、ギルドの仮眠室を使うのであればお金の代わりに食堂の手伝いをしてもらうことになるわね。」
「わかりました。
訓練が終わってからどうするかはまだわかりませんが、しばらくはその予定でお世話になります。」
「そう。
じゃあ、食堂に行って朝食をもらってくるといいわ。
そのあとは8時に訓練場に行ってね。
お父さんが待っているはずだから。」
「わかりました。
ありがとうございます。」
エミリアさんにお礼を言って、2階へ向かうエミリアさんを見送る。
「じゃあ、朝食をもらいにいこうか。」
シロに向かってそう言うと、並んで食堂へと向かう。
朝食を食べ終え、余った時間でひと休みしてから訓練場に向かった。
「おう、来たな。」
訓練場に足を踏み入れた瞬間、既に来ていたギルドマスターから声をかけられる。
イヤな予感を覚えつつ、ギルドマスターの顔をうかがってみるとやる気十分といった表情だ。
「おはようございます。
今日はよろしくお願いします。」
「おう、任せとけ。
お前さんをバッチシと一人前の冒険者にしてやるぜ。」
そう答えたギルドマスターは、強面をゆがめて壮絶な笑みを作っていた。
必死になって訓練場を走りつづける。
たぶん今までの人生の中で一番の距離だ。
視界を流れる訓練場の壁をもう何回見続けたかわからない。
自分でもあり得ないと思うほどの距離を走っていることがわかる。
そろそろ終わりにしてもらえないだろうか、そう思って木剣を杖代わりにして立っているギルドマスターに目をやる。
「よし、後10周で終わりだ。」
すると、無情にも距離が追加された。
僕は落胆のあまり力が抜けそうになるのを必死にこらえ、残り10周を懸命に走り切った。
「はぁ……、はぁ……。」
走り終えた瞬間、倒れこむように地面に手足を投げ出して寝転がる。
横ではシロが心配そうに顔を覗き込んでいるが、それに答える余裕もない。
シロも最初の2、3周は一緒に走ってくれていたけれど、同じところをぐるぐる走ることに飽きたのか、気付いたらギルドマスターの横で丸くなっていた。
「……情けないな。
まだ準備運動をしただけだぞ。」
「準備……運動……っていう……量じゃ……ない……です。」
頭の上からかけられたギルドマスターの言葉に、息も絶え絶えになりながら反論する。
「仕方ないな。」
そう言いながら、ギルドマスターは懐から栄養ドリンクほどのサイズのガラス瓶を取り出し、その中身を僕に振りかけた。
「うわっ。」
いきなりのことに驚いて体を起こす。
振りかけられた箇所を確認するが、すでにその痕跡は残っていなかった
かけられたのは液体だったはずだが、一瞬で乾いてしまったみたいだ。
「心配しなくてもこいつはただの回復ポーションだ。
まあ、訓練のときの必需品だな。
治癒ポーションほどではないが体力を回復する効果がある。
ついでに魔力を回復する効果もあるんだが、こっちは本当に気持ち程度だな。」
「そんなアイテムを使って、僕の借金は大丈夫なんでしょうか?」
ギルドマスターの言葉に不安がよぎる。
「心配するな。
訓練に使うアイテムに関してはよほどの物でなければ借金には追加せん。
それにこの回復ポーションは調合を覚えるために見習いが作った余り物だからな。」
その言葉を聞いてホッとする。
「理解できたようだな。
回復ポーションは十分に用意してあるから安心して訓練に励め。」
が、続くギルドマスターの言葉を理解すると同時に血の気が引いていった。
次に与えられた訓練内容は、メニュー的には普通の筋トレだった。
ただし、腕立て、腹筋、背筋、スクワットの各トレーニングを体力の限りやり続け、へばったら回復ポーションで無理やり回復してトレーニングの続きを行うというものであったが。
限界を無理やり突破するような過酷な筋トレに、僕は再び地面に手足を投げ出して寝転がる。
そんな僕を憐れんだのか、シロが僕の顔をなめてくれた。
シロのやさしさを感じつつ、そのまま体を休める。
いくら回復ポーションで体力が回復するからといって、無理やりトレーニングを続けるのはきつい。
どうにか体を起こせる程度まで回復したので、シロをなでることで現実逃避を始める。
そんな中、ギルドマスターから声をかけられた。
「そういえば、お前さんはどういう戦い方をしたいかといったことを考えているのか?」
その言葉を聞いて僕は考え出す。
この世界に来てからいろいろあったので、あまりゆっくり考えられていなかったが身を守る術は必要だ。
そのためにも今、訓練を受けているのだが、どういう戦い方をするかというのは頭になかった。
「うーん。
弓がいいですね。」
気が付くと無意識に答えていた。
戦い方を考えたときに思い出したのが、ワイルドウルフから助けられたときのことだったのだ。
「ほう、そうなのか。
召喚勇者や漂流者は剣や魔法を使いたがると聞いていたが、弓か。
ちなみに何か理由はあるのか?」
「そうですね。
ワイルドウルフから助けてもらったときのロビンさんの弓がかっこよかったというのもありますし、僕には前衛として頼りになるシロがいますから。
……まあ、剣とかでモンスターと近くでやりあうのが怖そうだというのもあるんですけど。」
「なるほど、一応考えてはいるんだな。
だが、弓使いといえどモンスターに近寄られたときに何もできないようではダメだぞ。
なんで、午後からの訓練ではそのあたりを鍛えるために近接戦闘に関する受けや回避についての訓練をすることにしよう。」
ギルドマスターがそう締めて、午前の訓練は終了となった。
僕も最後にもらった回復ポーションで体力を回復させつつ、昼の食堂の手伝いへと向かう。
「ちょっと、目が死んでるけどあんた大丈夫?」
ランチタイムの準備を手伝おうとすると、僕の顔を見たタバサさんから心配げにそう声をかけられた。
「はい。
回復ポーションで体力的には問題ないので大丈夫です。」
とりあえずそう答えたが、タバサさんは納得しなかったようで、厨房にいる料理長のブルーノさんと何やら話し込みだした。
その様子を気にしつつ、僕は準備に戻る。
食堂のランチタイムが始まろうという頃、僕はブルーノさんとタバサさんに呼ばれた。
「どうかしましたか?」
「ああ、今日は接客はいいから厨房で皿洗いを頼む。」
「分かりました。
……昨日の接客に何か問題がありましたか?」
「いや、昨日の接客に問題はない。
というか、接客態度以前にそんな目が死んだやつを接客に出せるわけがないだろう……。
お前、自分では気付いていないかもしれないが、かなり酷いからな。」
ブルーノさんに理由を聞いてみたが、呆れたようにそう言われてしまう。
どうやら、自分で思っているよりも表情が酷いようだ。
笑顔を見せて安心してもらおうと思ったが、2人からは引きつった笑い顔が返ってくるだけだった。
回復ポーションでは、体力は回復できても精神的なものは回復できないらしい。
結局、その日のランチタイムはずっと厨房の中で皿洗いをして過ごすこととなった。