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5.第一章 ハヤト①

 5.第一章 ハヤト①



 少年が最初に感じた感覚は、涼しさだった。

少しばかり冷たい風が体に当たっている。次に黒い空が目に入る。続いて、背後の砂の感触に気づく。

 少年は全身の痛みを感じながら、頭を押さえてゆっくりと立ち上がった。

「どこだ。ここ……」

ふらつきながらも少年は周囲を見回す。砂の大地が続く向こう側にはなぜか縦にそびえ立つ網が見える。反対側には何やら見たことにない建物。いずれも、その外側は漆黒の闇に覆われていて、視認することはできない。まったく見覚えのない場所だ。

 否。少年は覚えがないのは今いるこの場所だけではないことに気づく。

 自分が何者なのか、今までどこでなにをしていたのか。そして自分の名前はなんなのかすらわからない。

「僕は……。誰なんだ……?」

 そのとき、獣のような唸り声が少年の耳に入る。少年が慌てて音のするほうに視線を向けると、そこには何やら体が緑色の怪物がいた。

 見た目の形状はトカゲに似ているが、その姿はあまりにも大きく、口は裂けており少年を丸のみしてしまいそうなほど大きい。

「う、うわぁ!」

 少年は慌てて逃げようとし、足を絡まらせ転んでしまう。恐怖のあまり立ち上がれなくなった少年は、その怪物の縦に細長い瞳孔を持つ瞬き一つしない不気味な目にすくみ上ってしまう。

 少しずつにじり寄ってくる緑の化け物。少年は現実から逃避するかのように目をぎゅっと閉じた。

 そのとき、自分と化け物の間でなにやら砂を踏みしめる音が聞こえることに気づき、直後桃の香りが少年の鼻孔をくすぐる。少年はおそるおそるゆっくりと目を開いた。

 そこには、何やら奇怪な服装をした人間が立っていた。手には切っ先が地面を引きずりそうなほど大きな細い剣を持っている。

「大丈夫!? 怪我はない」

 清涼感のある声。後ろを振り向くその少女は、驚くほど美しい顔立ちをしていた。

「う、うん。大丈夫」

「よかった。ちょっと待ってね。今このワニ退治するから!」

 少女の持つ剣に炎が宿る。少女がその剣を怪物の頭に突き立てると、怪物はうめき声をあげて体の端から白く光る粒と化し、闇の空へと消えていった。

「ふぅ。そんなに強くない敵でよかったわ。立てる?」

 少女は汗を拭きながら少年に手を伸ばす。少年はそれを掴み、少女に引っ張り上げてもらう形で立ち上がった。

「あなた、名前は?」

「それが……。わからなくって」

「え。自分の名前もわからないの?」

 うん。と少年はうなずく。名前どころか、自分が今までどこでなにをしていたのか、まったく思い出せないことを話す。

「記憶喪失、かあ。けど、その胸に書いてあるものはなに? 名前じゃないの?」

 少年はそれを聞いて自分の胸を見る。そこには、白い服に何やら「颯人」という文字が書かれていた。この字面に、少年は強烈な既視感を持った。もしかしたらこれが自分の名前なのかもしれない。

「あなたの名前は『ハヤト』ね。私はミホ。よろしく」

「うん。よろしく……」

 どうにも釈然としない。ハヤトというのが自分の名前だとは、どうにも思えないのだ。

 しかし、他に手がかりがないのも事実だ。少年は、ハヤトという名で呼ばれることを甘んじて受け入れることにした。

「あなた、どうしてここに……、って思い出せないんだったわね。ごめんなさい。こうして会ったのも何かの縁だから、あなたも一緒に私たちと協力して生き抜きましょう」

 ミホはハヤトを連れて建物に向かって歩き始める。その途中で、ミホはハヤトに今いるこの場所のことを解説し始めた。

「とはいっても詳しいことはわからないんだけど。ここは、見ればわかる通り学校ね。学校の外側は闇に覆われて出ることはできないわ」

「学校……? ここが?」

「そうよ。どう見ても学校以外にないでしょ」

 ハヤトの中で学校という言葉に付随するイメージは読み書きなどを習う場所というものだけであり、その具体的な象形はまったくハヤトの中に存在していなかった。

「そっか。これが学校か」

「あなた、ほんとになにも覚えてないのね」

 ハヤトはミホとともに建物に入る。何やら靴が大量に入れられた箱の横を通り、階段を登って一番上の四階にまで上がり、ミホは階段の先にある扉を開く。先には長い廊下が広がっていた。

 建物の中はどこも異様な雰囲気だった。木でできた建築。何やら薬じみた匂い。廊下に沿ってたくさんの部屋が並んでいる。

 ミホはその部屋のうち一つの扉を開き、ハヤトを中に招き入れる。

 中はたくさんの机と椅子らしき物体が置かれていて、壁にはよくわからない飾りがつけてある。上にはどういう原理で光を放っているのかよくわからない灯りがあり、部屋の中央あたりに、二人の少女が座っていた。

「二人とも。さっきのワニから男の子を助けてきたわ。これから私たちと一緒に過ごそうと思う。みんな、自己紹介して」

 ミホはそう言いながら視線を向けてくる。お前がさきにやれということだろうか。

「ハヤトです。よろしくお願いします」

「ハヤトは記憶喪失なの。知識も全然ないようだから、怒らずに教えてあげてね」

 机に向かっていた少女のうち一人が立ち上がる。女の子にしては短めの蒼い髪と、同じく澄んだ蒼い瞳を持っている。

「あたしはエルルケーニッヒ! よろしくね! エルルでいいよ!」

 エルルの自己紹介に、ハヤトは戦慄し、全身の毛が逆立つのを感じた。エルルはその元気そうな声の調子とは裏腹に、目にまったく生気が宿っていなかったのだ。はっきりとは言えないが、まるで作られた人形のような、生きているとは思えない死んだ目。

 慌ててハヤトはミホの顔を見る。かわいらしい整った顔立ち。その眼には、確かな生気が宿っていた。

 ミホはエルルと、そしてもう一人の少女の死んだような目を見てなんとも思わないのだろうか。一切の不気味さを感じていないのだろうか。

「わたしはハムレット。よろしく」

 もう一人の少女は、立ち上がることもなくそう一言告げる。こちらも目に生気がない。口調も落ち着いているので、ハヤトはエルルのときほどの恐怖は感じなかった。

「私たちはあの怪物たちから逃れるために、ここで共同生活をしているの」

「怪物って、さっきの緑色のやつ?」

「そ。あれもその一種あのワニは比較的弱いほうだったし、まともな形保ってるほうね。もっと異形の化け物がたくさんここには出るわ」

 ワニというのはなんだろうか。あの怪物の名前か。

 そしてミホはハヤトと共に部屋を出て薄暗い廊下を歩く。

「この建物、すごく変な感じだね。さっきの部屋の装飾も」

「そう? 元は普通の学校だったように見えるけど。部屋の装飾って言ったって、普通にスピーカーや黒板がついてるだけじゃない」

 ミホのいうことはよくわからない。ミホはこの異様な建築に対してなんとも思っていないのだろうか。

 廊下の先には先ほど教室にあったものと同じ机が高く積まれて、紐で固く結ばれている。ミホ曰く、怪物が入ってこないようにしているらしい。廊下の反対側にも同じ机による壁が作られているようだ。

「廊下の両端はバリケードでふさいで、階段のところだけは防火扉で閉じてるわ。あとから電子ロックの鍵を取り付けたの。どういうわけか、ちゃんと電気と水道も来てるわ」

 ミホの使う言葉がよくわからないが、要するにちゃんと怪物が入ってこられないようにしているらしい。

 その後、トイレや寝室などにも案内される。トイレもハヤトの想像するトイレとは大きく違っていたし、なにより手をかざせば金属製の筒から簡単に水が出てくることに驚いたが、ミホは「普通じゃない?」とあっけからんと言い放った。

「さっきも言ったけど、この学校の敷地の周りはあの闇で覆われてるの。私たちの目的は、二つ。みんなで助け合って生き延びること。そして行けるところを探索して、脱出の糸口をさがすこと」

「ミホは、どうしてここにいるの。ここに来る前は、どこで、なにをしていたの?」

「…………」

 ミホは何も言わずハヤトの顔を見た。そして。

「実は、私たちも覚えてないの。みんな記憶喪失で。とは言っても、あなたみたいに何の変哲もない校舎を変に思ったりするほどの、生活の常識を忘れてしまうようなひどい記憶喪失ではないけれど」

「じゃあ、そのミホたちの奇抜な服装も、僕が来ているこの変な服も、ミホにとっては何の違和感もないの?」

「え……? 私たちの服はただのセーラー服で、あなたの服はただの体操着じゃない。おかしいところなんてなにもないわ」

 また知らない単語が出てきた。この絹に似た変な素材の布でできた服はどうやら体操着と呼ばれているらしい。そしてミホたちの紺と白の服はセーラー服というようだ。

「これで居住区の説明は一通りおしまい。私たちはこれから探索に向かうけど、あなたも来る?」

「探索って、この安全地帯の外に行くんだよね」

「当り前じゃない。この中は調べつくしてるわ」

「行かなかったら、一人で待つことになるよね」

「そうね。さすがに二人で探索するのは危険だし」

 いくらここが安全だからと言って、こんな場所で一人で待たされるのはあまりにも怖い。外に出てまた化け物と遭遇するのも恐ろしいが、他の三人もいるしどうにかなると思いたい。

「わかった。行くよ。僕も」

「助かるわ。男がいるとやっぱり心強いし、あなたがこの先戦力になるようになれば、三人では行けなかったようなところも、行けるようになるかもしれないし」

 そして二人はハムレットとエルルのいる教室に戻る。

「じゃあ、今日の探索予定を決めます」

 机の上にミホが紙を広げる。そこに描かれているのは、どうやらこの闇に覆われた異界の地図らしい。探索するたびに行ったところの特徴などを書き足しているようだ。

「今日は、せっかく人手も増えたことだし、一階の図書室を探索してみたいと思うの」

「異議なし」

「あたしもそれでいいと思うよ」

 ハムレットとエルルがいう。ハヤトは特に反対する理由もないので、黙ってうなずく。

「じゃあ、行きましょう。ハヤトには武器を渡すわ」

 ミホは近くにおいてある箱から、一本の剣を手渡す。

「できるだけ私たちもあなたを守るけど、やりきれないことってどうしてもあるから。その時はその刀で自分の身を守って」

 ハヤトはミホに手渡された剣を握りしめ、ぶんと振ってみる。やや重いものの、なぜだかこの剣はとても手に馴染んだ。

 四人は部屋を出て、先ほどミホが防火扉と呼んだ大きな鉄の扉を開き、その先にある階段を下りていく。後ろでミホが何やら扉に鍵をかけている様子だった。

 階段を一階まで下りて、階段横の廊下をしばらく歩く。先頭のミホが扉を開くと、そこにはミホが教室、と呼んだ部屋三つ分ほどの広さの空間に、たくさんの棚が人二人ほど通れそうな幅でおかれており、その棚にはぎっしりと書物が詰め込まれていた。

 古くなった紙の匂い。それはなかなかに強烈で、ハヤトは少しばかりの吐き気を催す。

 壁には、何やら不気味な絵が何枚も飾られていた。

 ハヤトの目の前にあるのは、漏斗のような、山のような形をした茶色い錐が、株に描かれた小さな水色の半円に刺さっている絵。

 その横にあるのは、蒼い空に浮かぶ雲の上に、多数の裸の男女が描かれた絵だ。皆が中央に描かれた屈強な男に視線を向けている。

 その隣の絵は、先ほどの二つとは大きく異なる画風。染料が違うのだろうか。緑の体をした大男が、裸の女の体を何やら刃物で切り刻んでいる。血の色が生々しく、女の白い体との落差が痛々しい。

 だめだ。このまま絵をじっと見つめていると頭がおかしくなりそうになる。ハヤトは壁の絵からは目を逸らすことに決めた。

「本を全部見ていくわけにはいかないから、一部気になったやつだけ持って帰りましょう。あんまり多くなると、帰り道化け物に遭遇したとき大変だから気を付けて。あと、もしも探索中に化け物を見つけたら、一人でなんとかしようとせずに、大声でみんなを呼ぶこと、いいわね」

 そして各自この図書室を調べることになった。とは言ってもハヤトには何もあてがないので、漫然と歩き回るしかなかった。

 相も変わらず、エルルやハムレットの顔には全くと言っていいほど生気が宿っていない。元気に力をみなぎらせているミホとは対称的だ。

 いや、よく考えたらこんな状況で何日も過ごせば当然かもしれない。ハヤト自身、今にも気が狂いそうなところを必死に押さえつけているのだ。エルルは口調だけでも元気に見せて、強引に笑顔を作り、なんとか自分を保とうとしているのだろう。

「ミホ、どうかな。何か見つかった?」

「しっ。ちょっと待って。今興味深い文献を見つけたの」

 ミホのところに行くと、ミホは棚から取り出した一冊の本を必死にめくっていた。どうやら構ってくれそうにない。僕も何か本を調べてみようかと思ったところで、突然悲鳴が聞こえる。

「エルルの悲鳴だわ。あなたも来て! 刀を忘れないように!」

 ミホは読んでいた本をその場に捨てて、悲鳴の聞こえたほうに向かって走り出す。

「ちょ、ちょっと待ってよ。ミホ!」

 ハヤトは持ってきた剣を掴み、慌ててミホの後を追う。

 そこには、腰に布一枚巻いただけの屈強な大男が、ごつい棍棒を持ってエルルとハムレットににじり寄っていた。異様なのは体の色と顔だち。全身が真っ青で、顔はたくさんの皺が刻み込まれており、鼻はとても大きく、犬歯は人間のそれよりずっと大きい。頭には鋭く大きな角が生えていた。

「ミ、ミホ。助けて!」

 エルルが叫ぶ。二人は化け物によって壁際に追い詰められていた。

人間のようでいて、とてもじゃないが人間とは呼べない化け物。それはゆっくりと手に持っている棍棒を振り上げた。

「ま、待ちなさい!」

 ミホは剣を持って化け物に駆け寄る。先ほどと同じように、ミホの剣に炎が宿り、ミホはそれを振り上げて化け物に切りかかる。

 が、少しばかり遅かった。

 化け物の棍棒はハムレットの頭をとらえ、いとも簡単に、まるで柔らかい果物のように何の抵抗もなく叩き潰した。

 首から上が赤い粘性の液体と化したハムレットはそのまま床に倒れる。

 あたり一面にハムレットの血液が飛び散る。ハヤトは恐怖のあまり、足がすくみ、声すら出すことができなくなった。

 しかしミホは違った。少しばかり動揺する様子はあったが、動きを止めることなく、化け物にむかって切りかかる。ミホの炎をまとう剣は、化け物の胸を貫いた。

 さっきの緑のオオトカゲと同じように体が光の粒と化して消えていく化け物。それを見て、エルルは力が抜けた様子で床にへたり込む。その全身には、ハムレットの血がべっとりとついていた。しかしその姿にもどこか現実感がない。なんだか、本気で怖がっているのではなく、そうするべき状況だからそうしている、そう見えるのだ。

 ハヤトの目の前に、何やら白い球体が転がってきた。それがハムレットの目玉だと気づいた瞬間、ハヤトは喉の奥から湧き上がってきた胃液を床にぶちまけた。

 ハヤトはなんとか棚を支えに立ち上がり、かつてハムレットだった肉塊に近づく。

 首からは今もまだ血液が噴き出し続けている。手足がびくびくと動いており、まるでまだ生きているかのようにハヤトに錯覚させる。

 これはもう人ではない。先ほどまでは生きていた人間だったが、今はただの肉と骨の塊。わかっていても、ハヤトはその現実をなかなか受け入れることはできなかった。

 もちろん、ハムレットとは先ほど初めて会ったばかりだし、何の思い入れもない。しかし、一度は言葉を交わしたことがある人間が、こうも無残な姿になっている様は、ハヤトの心を強く抉ってくる。

「ミホ。さっきのやつ、なんなの」

「あれは鬼よ。ここに出る化け物の中でも、特に戦闘力が高くて、知能も人間並みにあるわ。青は攻撃力は高いけどあっさりやられてくれる。けど赤はほんとに強くて厄介なの。鬼こそが、この異界で、これまで私たちが出会った中で一番強い敵だわ」

 ハヤトは先ほどの青い鬼のおぞましい顔を思い出す。そして、少しばかりの違和感を持つ。

「あの鬼って、どこかで見たような……?」

「え? うそ。ほんとに?」

「うん。それも、だいぶ最近」

 ハヤトは必死で頭を回す。先ほどのハムレットが死んだショックからまだ抜け出せていないが、これはかなり重要な事項であるような気がするのだ。ハムレットの死を悲しみ絶望するのは後でいい。

 そうしてハヤトは気づいた。先ほどの既視感の正体を。

「そうか……。わかったぞ」

 ハヤトは、さっき図書室に入った直後に見た絵画のうち三枚目に駆け寄る。

 緑の大男が、女の四肢を切り刻んでいる絵。

 この大男がもしも青色だったら、先ほどの鬼とそっくりになる。

「緑……、は見たことがないわ。けど、色以外は鬼と全く同じね」

 あの化け物はすでにこの絵に描かれていた。今はそれ以上のことは何もわからないが、きっとこれは先々重要な手掛かりになる。ハヤトはそう確信していた。

 その後、ミホは泣きじゃくるエルルにあの青い鬼はどこからやってきたのか問いかける。

「部屋の扉があく音なんかはしなかった?」

 ミホの問いに、エルルはゆっくりと首を振る。

「あたしもハムレットも、何にも気づかなかった。いつの間にかそこの本棚から鬼が出てきて、それで……」

 あとはハヤトたちの知る通り、ということか。

「ここはかなり危ないみたいね。エルルも戦えそうにないし、今日はここまでにして帰りましょう」

 物陰から何の予兆もなく鬼が出てきたのだとすれば、この場所は危険すぎる。確かに逃げたほうがよさそうだ。

「ハムレットは、ここに置いていくの?」

「仕方ないわ。連れ出して埋葬する余裕もない。そんなことをしてたら、私たちも殺されちゃう。悲しいけど、あきらめましょう」

 その後、三人でハムレットの死体に手を合わせ、四階の居住区に戻った。



 ハヤトは思い出す。

 ハムレットの頭が多々潰され、血と骨と脳髄が飛び散るあの様を。

「ぐっ……!」

 あの光景が頭の中で再びよぎる、そのたびにハヤトは泣き叫びたくなる。ハヤトは誰もいない部屋で、一人頭を抱えた。

 先ほどは興奮状態だったからまだましだったが、こうして安全地帯に逃げ込んだ後は、より如実にハヤトの精神力を削り取ってくる。

「大丈夫?」

 隣の部屋にいたミホが、器に入った水と握った米を手渡してくる。

「あなた、ずっと何も食べてないでしょ。食欲ないのはわかるけど……。絶食は体に悪いわ」

 ハヤトは「ありがとう」と告げて貪るように米にかぶりつき、水を一気に飲み干す。

 水が体にしみこみ、米が腹を満たす。体に一気に活力が戻ってくる気がした。

「エルルは?」

「さっきまでのあなたと似たような感じ。むしろあなたよりもひどいかもしれない」

 当然だろう。遠くで見ていたハヤトと違って、エルルは真横でハムレットが頭を叩き潰されたのだ。かなり血も浴びていたし、なにより少し運が悪ければああなっていたのは自分なのだ。ハヤトよりもつらいに違いない。

 が、本当にそうなのだろうか。

 あの人間味のない目。まるで普通の人間を必死で演じてるような。

 しかしミホはエルルたちに一切の疑問を抱いていないようなので、そんなことを言ったら怒られそうだ。ハヤトは黙っていることに決めた。

 そのとき、完全に透明なのにとても固い不思議な板を通して外の景色を見たハヤトは、空が異様な姿になっていることに気づく。

「なに、あれ……」

 空に浮かぶそれは燃え盛る黒い縄に見えた。非常に巨大な縄。長さはおそらくこの建物の全長よりはるかに長く、太さは優にハヤトの身長を超えているだろう。不気味な雰囲気を放つ巨大な縄が、この建物三つ分くらいの高さに浮かんでいる。

「ああ、あれね。あれは私たちは『黒縄』と呼んでるけど、あれは私たちがここで目を覚ました時から、ずっと浮かんでいたわ。どういうわけかたまに消えたりするけど、形を変えずにずっとあそこに浮かんでるの」

 なんて不気味なんだ。変な建築などはそういう文化と思えば呑み込めなくもないし、化け物が出るのも、よくはないがまあいいだろう。しかし、あの縄だけはどうしても見ていられなかった。謎の恐怖を感じ、ハヤトは思わず目を背ける。

 その後、三人は部屋に布団を敷いた。ハヤトは遠慮して別の部屋で寝るといったが、万が一ということもあり、一緒に寝ることを二人が了承してくれたため、同じ部屋で眠りにつくことになった。

「安心して。それはハムレットの布団じゃないから」

 別に故人の使っていた布団でも構わないのだが。ミホは気を遣ってくれたらしい。

 明かりを消して、ようやく眠りにつける。というところで、ハヤトは空腹を感じた。なにしろミホにもらった米しか食べてないのだ。さすがにあれだけでは腹は満たされない。

「ごめん、ミホ。僕おなかすいたんだけど……」

「そこの棚に入ってるから、勝手に食べて頂戴。あまり食べ過ぎちゃだめよ」

 ハヤトは布団から出て、ミホの指さす棚を開ける。中にはたくさんの透明な袋が入っていた。中身はハヤトにとって得体のしれないものが多く、仕方なしにどうみても米にしか見えない食べ物を袋から取り出して、口に運ぼうとした。

「え……?」

 ハヤトが米に口をつけようとしたまさにその瞬間、米は赤い炎に代わり、一瞬にして消えてしまった。

 何かの見間違いかと思い、もう一度試してみる。

 今度も同じだった。ハヤトがそれを口にしようとすると、炎に代わってその食べ物は消えてしまうのだ。

 慌ててハヤトはほかの得体のしれない食べ物らしき物体にも試してみる。結果は何も変わらず、ハヤトが口に入れる前に、すべて炎に代わって消えてしまう。

「なんなの……、一体。」

 ハヤトは仕方なしに、空腹をこらえたまま眠りについた。



 それなりに長く寝ていた気がするのだが、起きても空は闇に覆わ、黒い縄も浮かび続けていた。どうやらこの世界に朝と昼と夜という概念は存在していないらしい。

 ハヤトは昨日、寝る前に口に運ぶ寸前の食べ物がすべて炎に変わってしまった出来事を思い出す。あれは夢だったのか。しかしこんな変な世界なのだ、その程度のことが起こってもおかしくはないだろう。

「あなた、昨夜はちゃんと食べて寝た?」

「それが……」

 ハヤトはミホに昨夜の現象を話す。食べようとしたものが片っ端から炎に変わってしまう謎の現象を。

 信じないミホのために、ハヤトは実演して見せることに決めた。

 棚から食べ物を取り出して、口に運ぶ。口内に放り込む寸前で、それは寝る前と同じように炎と化して消滅した。

「ほら。こうなっちゃうんだよ」

「でも、あなた昨日私があげたおにぎりは食べてたわよね」

 その通りだ、それがさらにこの状況の不可解さを際立てる。

「なんか、特別な渡し方した?」

「そんなことないわ。私はただおにぎり作って、あなたにこうやって普通に……」

 ミホは茹でた芋のような野菜をハヤトに手渡す。今度は炎に変わることもなく、普通に口にすることができた。

「もしかして、人にもらった食べ物だけはセーフ、みたいな?」

「ミホたちはこんなことあった?」

「ううん。こんなことはじめてよ。こんな、変な……」

 まだ傷心の様子を見せるエルルには申し訳なかったが、頼み込んで協力してもらい、次の実験を行った。

 実験と言っても単純なものである。エルルから食べ物を渡してもらい、ハヤトが食べる。それだけだ。

 おそらくこれは問題ないだろう、そうハヤトは思っていたのだが。

「ダメか……」

 エルルから手渡された食べ物は、すべて同じように炎と化してしまい、食べることができない。そうなると結論は一つだ。

「ミホからもらった食べ物だけ、僕が口にすることができるってこと……?」

 まったくもって意味が分からない。一体何なのだ。

 しかもほかの二人も、そしてハムレットもこんなことにはなっていないのだという。

「まあ、気にしないでいいでしょ。私はなるべくあなたの食べたいときに提供するようにするから」

 一通り食事を終えた後、再び探索にむかうことになった。

「とりあえず、もう一度図書室に行きたいんだけど、いい?」

「それはまた、どうして?」

「昨日、二人が襲われる前、あなたの目の前で本読んでたでしょう?」

「ああ、確か興味深いものを見つけたって言ってたね」

「そう。あの本、持って帰るつもりだったんだけど、あれから青鬼が出てすっかり忘れちゃったの。あれをどうしても取りに行きたい」

 ハヤトは、エルルの叫び声が聞こえた直後、ミホは手に持っていた本を投げ捨てていたのを思い出す。確かあれからあの本を取りに行った様子はなかった。自分もその後見た光景があまりにもショッキング過ぎて、完全に忘れてしまっていた。

「あれ、何の本なの? そんなに重要なものなの?」

「そうね。これまでけっこう探索してきたけど、あそこまで重要そうな手掛かりを見つけられたのはあれがはじめてよ。せっかく見つけたんだから、なんとしても活用したい」

「けど、図書室って危険なんだよね」

 昨日もミホはここが危ないから早く逃げようといっていたっけ。エルルも「そうだよー。前の鬼も図書室から出てきたし」とつぶやいた。

「図書室は鬼の出現ポイントなのかも。けど、それって、図書室にあるものが重要である証拠なんじゃないかしら」

「なるほど。重大な情報が詰まっているから強い敵を配置してるってことか」

「その通り。私はやっぱりこの状況は何者かが意思を持って作り出したものだと思う。だからそんな嫌らしい配置になってるんじゃない?」

 なるほど。それなら確かに、取りに行く価値はありそうだ。

「けど、何の本だったの?」

「この学校の成り立ちを書いた本、かもしれない。確証はないけれど。だけどこんないろんな宗教がまざったような学校なんて他にはないと思うから」

「いろんな宗教? どういうこと?」

 宗教の知識もハヤトは一切持ち合わせていなかった。かつては知っていたが記憶喪失とともに忘れてしまったのかもしれない。

「私も宗教は詳しくないけど、仏教っぽい要素とキリスト教っぽい要素がこの学校の各所に散らばってるの」

 よくわからないが、要するに宗教的に不自然ということらしい。

「ただし、また昨日みたいな事態になったら大変だから、今度は三人全員で行動。本を取ったらすぐ帰ることにしましょう。場合によっては少し休憩してまた出発するけど、どちらにせよ一旦ここに戻ってきたい」

 ハヤトもエルルも異議を唱えなかったため、ミホの言う通りの方針で行くことが決定した。

 ハヤトは昨日と同じ剣を渡される。「それはもうあなたのものよ」とミホがいう。自分もミホのように炎を出せるようになりたいものだが、そういうわけにもいかないらしい。

 なんでも、ミホはどういうわけかわからないが、最初からあの蒼い炎を使うことができた。その原理はミホ自身にもわからない。わかっていることは、この炎をまとった斬撃は、ここに現れる化け物に対してかなり効果的なのだということだけ。あの攻撃によって一撃では倒せないのは、赤い鬼だけらしい。

 また昨日と同じように防火扉を開き、階段を降りて図書室へ。部屋の様子は、昨日最後の見たものと何も変わらなかった。

 本棚も、絵画も。

 そして、ハムレットの死体も。

「ちょっと待って」

 エルルがそういいながら、ハムレットの死体に駆け寄る。そして目を閉じて手を合わせた。

 ハヤトとミホは顔を見合わせ、うなずく。二人もハムレットの死体に近づいて、手を合わせ、背を曲げて目を閉じる。

 ハヤトは目を開いてハムレットの死体を見る。昨夜見たときと変わらない死体。流血は止まっているが、周囲にこべりついた血はまだ乾いていない。

 その後、三人で固まって奥の本棚に向かう。ミホの読んでいた本は、ミホが投げ捨てた時の状態そのままで、床に落ちていた。

 ミホはそれを拾い上げて、埃を手で払う。

「帰りましょう。また鬼が出てこないとも限らないし」

 この本に何が載っているのかはわからない。ミホ曰く、大きな手掛かりになるかもしれないものらしいが。それにしたって、今ここで読むのは危険すぎる。

 三人で分担して周囲を警戒しながら、図書室を出る。エルルは剣だけでなく小さな銃も持っているらしいが、昨日は鬼が突然近くに出現した驚きのあまり、構え損ねてしまったらしい。

 今度は化け物に襲われることなく、無事に四階の居住区まで戻る。

 教室に入って、ミホは机の上に持ち帰った本を置き、ページをめくっていく。

 紙はだいぶ古くなっており、中には手書きではなく何やら均整の取れた文字が並んでいた。

「やっぱり……。この学校はちょっと変な宗教を信仰してるけど、それ以外は普通の高校だったみたいね」

「変な宗教って、新興宗教みたいな?」

 エルルが訪ねる。ミホは本を持ち上げて「そういうわけでもないみたい」と答えた。

「この宗教自体は、けっこう昔からあったみたいなの。詳しいことはこの本には載ってないけど、この国じゃないところでひそかに続いていた宗教。この学校の建立にも、携わっていたみたい。その宗教について、これ以上のことはこの本には載っていないみたいだわ」

 ミホは「その宗教の話以外は普通の学校ができるまでを記した手記でしかないわね」と付け加える。

「これは大きな前進よ。少なくとも、この学校は普通の高校だった。それがどういうわけか、この異界にのまれちゃったみたい。生徒や職員がどうなったかはまだ分からないけれど、もしかしたら図書室に別のヒントがあるかもしれない」

 そのとき、ミホの持つ本から銀色に光る物体が床に落下して、金属音を鳴り響かせる。

「鍵……?」

 エルルはその物体を拾い上げた。確かに形はややいびつだが、どこかの鍵のように見える。

 ミホは本をめくり、鍵がどこに挟まっていたのか探す。ミホが開いて見せてきたページでは、紙が何ページかにわたってくりぬかれていた。その形はぴったりとこの鍵と同じ形をしている。

「ミホ、どこか鍵がかかってるところってなかった?」

「ちょっと待って。何か所かあったと思うから」

 ミホは机の上に昨日と同じ地図を広げる。どうやら鍵のかかっていたところは赤い印がつけてあるらしい。

「どう? どこの鍵っぽい?」

「それはわからないけど。宗教的な要素がこの異常事態に絡んでいるのなら、ここであってほしいわ」

 ミホが指さす先には、「聖堂(?)」と書かれた部屋があった。どうやら二階らしい。

「何か重要な手がかりがありそうだから、銃で鍵穴を撃ってみたこともあるんだけど、頑丈すぎて開かなかったわ。ここの鍵だとしたら、大きく私たちの調査は前進すると思う」

 そうとなれば、迷いはなかった。もし聖堂の鍵じゃなかったら、それ以上の探索はせず今日のところはまたここに戻ってくると約束したうえで、三人は再び居住区を出る。

 二階まで降りて、廊下を歩く。二階の廊下は真っ暗で、ぞっとするほど不気味だ。灯りを持ったミホを先頭に、なるべく離れないようにして歩く。

「ミホ。懐中電灯って一本しかないの?」

「そんなこともないけど、電池があまりないの。あんまり一度にたくさん使いたくない」

 エルルとミホがそんな会話を交わす。

 聖堂にはすぐたどり着いた。ミホが鉄でできた重くて頑丈そうな扉に、その鍵を挿してひねる。

「開いた……!」

 ミホは取っ手をつかんで、ぐいと引っ張る。

「手伝うよ」

「ありがとう」

 ハヤトはミホが少し開けた扉に手を滑り込ませ、体重をかけて懸命に開こうとする。

 後にエルルも加わり、三人がかりでなんとか扉を開くことができた。

 中は、まるで教会だった。

 天井はかなり高い。おそらく三階まで吹き抜けになっているのだろう。

 長い椅子が何列も並んでいて、一番奥が祭壇らしきものがある。祭壇の上には、なにやら石像が置かれていた。その後ろには、男の絵が描かれていて、どういうわけかその絵は光を放っている。

「キリストのステンドグラスと仏像、かあ。なかなかちぐはぐな組み合わせね」

 祭壇の蝋燭には火がついていた。ずっとこの部屋に入った人はいないと思われるが、なぜ。最初にミホが聖堂に足を踏み入れる。その瞬間、ミホはその場に崩れ落ちた。

「ミホ! どうしたの!?」

 ハヤトは慌てて崩れ落ちたミホに駆け寄る。ミホの目には、涙があふれていた。次から次へと湧き出してきていて、止まる様子がない。

「ご、ごめんなさい。私もなんだかわからないの。けど、涙が止まらないの」

 ミホは必至で涙をぬぐう。

「二人は大丈夫?」

「う、うん。別に僕らはなんともないけど」

 エルルもなんともなさそうだ。つまりこれはミホだけに起こっているということだ。

 ミホは手を震わせながらハヤトの顔に手を伸ばし、頬に触れる。ミホの手に付着した涙が、少しばかりハヤトの口に入った。微かに甘い桃のような味がした。

 エルルとハヤトに支えられ、ようやくミホは立ち上がる。

「立てる? ミホはそこの椅子で休んでてよ」

 ハヤトがそう提案するも、ミホは「それはいや」と首を振る。自分もここの探索をさせてほしい、と言い張った。

 そして三人でこの聖堂を調べることになった。ハヤトは一番気になっている祭壇から調査を始めた。

 ハヤトの身長よりも高く、両手を広げた分よりも大きな祭壇の前にハヤトはたつ。まずは蝋燭を見てみる。下のほうに蝋がたまっている様子はない。まるで、自分たちがこの聖堂に入ってくる寸前に点火されたのではないかと思うほどだ。

 続いて祭壇の中央に置かれている仏像を調べてみることにした。赤ん坊を抱えた白い仏像。その足の左右には、二人の子供らしき像が立っており、右の子供の像は中央の仏像の顔を見上げていた。左上には何やら酒瓶の像らしきものがある。

 この仏像の後ろには、男の絵が描かれており、絵全体が光り輝いている。男は水色の服の上から赤い布をまとっており、さらに背景では後光が表現されている。

 一体どのような信仰なのだろうか。ミホはこれをあまりにもちぐはぐだと感じているようだが、詳しくどういうことかはわからない。

 そのとき、聖堂入口の扉が開く音が聞こえる。ハヤトは慌てて振り返った。

 聖堂に入ってきたのは、昨日も見たのと同じ青い鬼。その後ろに黄色の鬼もいる。

「二人とも! 今すぐ応戦して!」

 ミホが剣を構えながら叫ぶ。ハヤトは手の震えを感じながら、剣を目の前に構えた。

 黄色の鬼は目にも止まらないスピードで走り出す。そして棍棒を振り上げて、まだ戦闘態勢に移れていないエルルの頭を叩き潰した。

 昨日のハムレットと同じく、まるでたたかれた果実の中身のように赤い液体を弾き飛ばすエルルの頭。そのまま体をびくびくと痙攣させて、地に伏した。

 返り血を浴びた鬼が、その顔の半分を紅に染めてハヤトのほうを見た。ハヤトは思わずすくみ上りそうになる。

 その直後、ミホが蒼い炎をまとわせた剣で黄色の鬼に斬りかかる。断末魔を挙げて、黄鬼の体は光の粒となって消え去った。

 そのミホに対して、青鬼が後ろから殴りかかる。ミホはその攻撃を飛躍することによって躱し、振り下ろした鬼の棍棒を足場に飛び上がって、青鬼に頭の上から斬撃を振り下ろした。

 続いて聖堂の入口から続々と青と黄色の鬼が足を踏み入れてくる。

 ひとつふたつみっつ。十まで数えて、ハヤトはもう鬼の数を数えるのをやめた。

「大丈夫? 怪我はない?」

 ミホが心配そうな様子で祭壇の上にいるハヤトに駆け寄ってくる。ハヤトは「僕は大丈夫。エ、エルルが」とエルルの死体を指さして言う。

「あの子の死を悼むのは後。今はこの状況を切り抜けなきゃ。ちょっと数が多いわね。大変だけど、あなたも頑張って。私も頑張るから」

「や、やばいの? やっぱり」

「それはそうね。正直かなりまずい状況よ。鬼は聖堂に入ってこようとしてる分も合わせれば二十は超えてると思う。私は近くの鬼を撃退するから、あなたは遠くの鬼を攻撃して」

 ミホはそう言いながらハヤトに黒い鉄でできた物体を手渡してくる。ずしりと重い。ハヤトの目には、それは小さな銃に見えた。

 銃身がかなり短いし、よくわからない回転する筒が中央に取り付けられている。形状は変だが、どうやらちゃんとした銃らしい。

 ハヤトはミホにもらった銃を構え、一体の黄鬼に向けて引き金を引く。

 耳をつんざくような銃声と煙の音。手と腕と肩に強烈な衝撃。刹那、ハヤトが狙った鬼は、胸に風穴を開けて倒れ、光の粒と化して消えた。

「上手いじゃない」

「たまたまだよ」

「そんな様子なら、最初から渡しておけばよかったかもしれないわね」

 とりあえず、黄色の鬼から狙ったほうがよさそうだ。黄色の鬼は、おそらくかなり移動スピードが速い。遠距離攻撃担当の自分が倒して、ミホは青い鬼を担当してほしい。

 弾が切れると、ミホは一つの箱を渡してきた「これで弾を入れ換えて」と告げる。

 どうやら、弾を一発撃つたびに銃身の根元についた筒が少し回転し、そこにある弾を打ち出す仕組みになっているらしい。だから一回の補充で打てる球は十二発。弾を込めている間は隙ができてしまうが、ここで黄色の鬼を優先して倒していることが活きる。青い鬼の移動スピードは大したことがない。むしろミホのほうが素早く動き、対処することができる。

 二人は初めての共闘にしては抜群のコンビネーションで鬼を次々と倒していく。鬼は次から次へと湧いてくるが、少しだけそのペースが落ちてきたように感じる。

 いける。おそらく奴らだって無限にいるわけじゃない。こうして倒していけば、きっと……。

 ハヤトがそう思って、少しばかり緊張を緩めたその瞬間だった。

 後ろから何やら陶器が割れるような音。ハヤトが振り返ると、そこには赤い鬼がいた。男の絵を突き破り聖堂の中に入ってきたのだ。仏像を押し倒してその背に立ち、怒りに満ちた顔をハヤトに向ける。

 まるで全身血でまみれているかのような赤い色をした鬼。その体躯はほかの鬼よりもはるかに大きく、犬歯は大きく目は鋭い。青や黄色の鬼とは比較にならないほどの存在感。あまりの恐怖に、ハヤトは咄嗟に対応することができなかった。

 赤鬼はそのうろこのように硬い大きな手をハヤトの首にかける。そして生き物のそれとは思えない力でハヤトの首を絞めつけ、宙に持ち上げた。

 首吊り状態。ハヤトは息ができず、バタバタと足で赤鬼の体を蹴るが、その筋骨隆々な体はびくともしなかった。燃えるような憎悪を目に灯し、ハヤトの首を絞め続ける。

「ハヤト!」

 ミホが炎の剣を振り回して、赤鬼を必死で切り付ける。赤鬼はある程度のダメージを受けている様子だったが、ハヤトの首から手を離す気配はない。

「ハヤトを離せ! この!」

 ミホはあからさまに冷静さを失った状態で赤鬼に斬撃を繰り返す。あまりにも強い焦りからか、ミホは接近してくる他の鬼に気づくことができなかった。

 振り下ろされる棍棒。弾き飛ばされるミホ。ミホの剣は地面を滑り、慌ててそれをつかもうとしたミホの手は鬼によって踏みつけられる。

 ミホの周りに鬼が群がり始める。ミホの血と苦しそうな声は、ハヤトも認識することができた。

「ミ……ホ……」

 ハヤトの口から枯れた声が出る。しかしろくに息ができない状況で絞り出したこの声が、ミホの耳へと届くはずもなかった。

 赤鬼はさらにハヤトの首を絞める力を強める。いよいよ全く息ができない。視界もぼうと暗くなっていく。

 首のあたりから何か硬いものが折れる音が聞こえる。その瞬間、ハヤトの意識は蝋燭の火を吹き消すかのように消え去った。


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