表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

8.最終章 颯人

8.最終章 颯人



 颯人は冷たい風の吹くグラウンドで目を覚ます。

「僕は……、そうだ。縄の燃えるこの校庭で、あの男に胸を刺されて……っ!」

 あれは颯人の体感ではほんの少し前のことだ。しかし実際のところはどのくらいの時間が経っているのかはわからない。

 颯人の頭の中では、次々と記憶がよみがえってきた。

 そう。自分は何度も何度も、いや、何千回何万回何億回とこの世界で殺され、その度に蘇らさせられ、また殺されるという責め苦を繰り返し受けてきた。

 突然よみがえったあまりに大量の記憶、しかもそれが苦しみぬく記憶であるが故に、颯人は思わず顔を歪ませ声を漏らす。

 しかし、考えるのをやめてはいけない。まだ自分は大事なことを思い出していない。

 そう。なぜこの世界で自分はそのような苦しみを受け続けているのか。その記憶は確かにかつては持っていた。持っていたが、今となっては思い出せない。

 だがこれだけはわかる。その記憶こそが、この状況を脱するための鍵なのだと。

 そうして何十回も前の記憶を精査しているうちに、かつてミホという女の子は、この世界にいなかったことに気付く。一体いつから現れたのかはわからない。だが、少なくとも百回前の世界にはまだいなかったことはわかる。

 また、自分がいたのはこんな学校のような場所ではなく、ここと同じように闇に覆われた農村だった。自分のいる世界がこうなったのは、ほんの数百回前だ。

 その記憶のなかで、多くの場合颯人は赤鬼に首を絞められて殺されていた。他の鬼が颯人を攻撃するときや、赤鬼がほかの子を攻撃するときは棍棒を使うのに、なぜか赤鬼が颯人を殺す時だけ、必ずその攻撃は首絞めになっているのだ。

 もちろん、死因は赤鬼による首絞めだけではない。他のいろんな怪物にも殺されてきた。美帆が現れる前は、多くの場合ここに現れた美帆がアメミットと呼ぶワニに喰い殺されていた。

 今はまだワニは現れていないようだが、早めに移動してしまったほうがいいだろう。

 颯人は校舎に入り、階段を上り四階へ、防火扉をたたいた。

「ミホ! 開けて! 僕だよ!」

 この世界のミホが颯人のことを覚えているかはわからない。だが颯人にはこうするほかなかった。

 しばらくして、警戒した様子のミホが蒼い炎を纏う剣を構えながら、扉を開けてくれた。

「颯人……」

「ミホ、覚えていてくれたの!?」

 それを聞いて、ミホは目を見開く。そうして「あれ……? あなたとは、初対面、よね?」と呟いた。

「ううん。そんなことない。僕らは何度も何度も一緒に戦ってきた。覚えてないの?」

「わからない……。ただ、あなたの顔を見たら、あったことがないはずなのに、会ったことがあるような気がして、なぜかあなたの名前が浮かんできたの」

 なるほど。はっきりとは覚えていないようだが、どうやらミホのほうにも少しは記憶が残っているらしい。

 颯人はまたこの居住区に住めることになり、防火扉を閉めてミホと教室に向かって歩く。美帆は何やら悩ましそうな表情で額を抑えていた。

「美帆、どうしたの?」

「ちょっと、待って……」

 美帆は苦しそうな表情で言ったのち、目を見開く。

「颯人……っ!」

 そういいながら見上げてくるそのミホの目は、明らかにずっとずっと前から颯人を知っていた者のそれで。

「ミホ、思い出した?」

「確か、あなたは前に、そこの校庭で後ろから刺し殺された、のよね?」

 よかった。どうやら思い出してくれたらしい。

「そうだ。僕たちは同じことを数えきれないくらい繰り返してるんだ」

「ちょっと、待って。思い出してきた」

 ミホは壁にもたれかかり、苦悶に顔を歪める。そしてしばらく経った頃、「ごめんなさい。もう大丈夫よ」と言いながら立ち上がった。

「それで、どうしてこの世界に来たのかは、思い出した?」

「ううん。それはわからないわ」

「そっか、それは僕と同じだ」

「けど、なんだかとっても大事な目的があったような気がする。絶対に忘れちゃいけないこと。なのに、どうしても思い出せないの」

 その感覚は颯人にはないものだ。この差は謎を解くカギになるかもしれない。

 それと、もう一つやっておくことがある。

 颯人は部屋に入り、棚から銃を取り出す。そして隣の部屋に行き、二人の額に照準を合わせ、躊躇なく引き金を引いて、まだ颯人が教室に入ってきた事態を呑み込めていないハムレットとエルルを射殺した。

「颯人! あんたなにをしてるの!」

「こいつらは、人間じゃない。この世界に作られた存在だ。この世界に、人間は君と僕しかいないんだ」

 そうであれば、この二人の目に一切の生気がなかったのもうなずける。こいつらは何かに従って動く人形に過ぎないのだ。ミホだけが、颯人にとってこの世界に存在する他人なのだ。

 二人は頭を銃で打ち抜かれたにも関わらず血が出ることはなく、怪物たちと同じように体の端から白い粒子に変化していき、宙に消えた。

 颯人の記憶の中では、確かこの二人は死んだら普通の人間と同じように血を流していたはずだ。しかし今回は化け物たちと同じように白い粒子と化して消えた。これが意味するところは、いくつも考えられるが、颯人は確信をもってその理由を言える。

「僕が、この二人を人間ではないと正しく認識した。化け物たちと同じ存在だと正体を看破した。だから、ああやって消えたんだ」

 証拠はない。根拠を挙げろと言われても困る。

 だが、颯人の心の奥深くが、まだ失ったままの取り戻せていない記憶が、その仮説が正しいことを告げている。記憶の深淵から、そう叫んでいる。

 ミホは人間だ。あいつらとは違う。だから、颯人がどういう認識をもってミホを殺そうと、ミホは普通に血を流して死ぬだろう。

きっとあれは、僕が作り上げた存在なんだ。誰かの代わりとして。

「その二人っていうのが誰なのかは、ハムレットとエルルが誰の代わりとしての存在なのかは、まだ思い出せない。けど、これもきっと大事なことだったような気がする。とにかく、あの二人は、僕が、僕を助けてくれる存在として作ったんだ」

「どういうこと? 颯人は、この世界を自由にコントロールできるってこと?」

「正確には違う。かつてはもっと大きな権限があったはずだけど、今はそんなものほとんど残ってない。他の手がかりとして考えられるのは、あの化け物たちかな」

「化け物で手がかりになりそうなものというと……、あの、颯人を殺した、最初はみずぼらしい格好してるけど、笏を振ると閻魔大王みたいな恰好になって赤鬼を召喚できるあいつとか?」

 そうだ。他にも生首車輪男などもいるが、やはりあの少年が気になる。何やら深い意味のありそうな言葉を吐いているし、確か聖堂の小部屋で聞こえた声とあの少年の声は同じだったはずだ。何か手がかりを見つける方法というと、あの少年を当たってみるのが一番効果あるように思う。

「けど、どうやって会おうか」

 何万回の繰り返しの中で、あの少年が現れたのはほんの数回。こちらから探して、易々と見つかるとは思えない。

 しかしそこで颯人は、ある一つの案を思いついた。

「そうだ。聖堂だ。あそこでその少年の声を聴いたことが何度かある。図書館で鍵を手に入れて、それから聖堂に向かおう」

『それには及ばないよ』

 背後から聞こえる、何やら聞き覚えのある声。振り返ると、そこには開いた教室の窓に腰掛ける例の少年がいた。

 颯人の記憶にある姿と同じく、鬼の面をかぶって、ボロボロの麻の着物を纏っている。履いている靴はかなり古風に見えた。

「お前……っ!」

 颯人は銃を構える。少年はそれを見て鼻で笑った。

『わざわざそんなことをしてもらう必要なんてない。僕はここにいる喧嘩したいなら、いいよ。だけどこじゃ狭すぎる。校庭で決着をつけようじゃないか』

「決着……?」

『そう。決着。僕が勝ったら、ミホにはこの世界から消えてもらう。武器はちゃんと準備してきたほうがいいよ。それじゃあ、待ってるね』

 一方的に告げて、少年は後ろ向きにふわりと落ちる。思わず颯人が窓に駆け寄って下をのぞくと、そこにはすでに少年の姿はなかった。

 グラウンドにもいない。颯人たちが行ったら姿を現すのだろうか。

「どうするの、颯人」

「どうするも何も、行かなきゃ始まらないよ」

 そして颯人は入念に銃の手入れをする。予備の銃や弾倉も何個かもっていくことにした。念のため刀も携帯しておく。

 その間、ミホはずっと窓の外を眺めていた。

「美帆は、準備しなくていいの?」

「別にいいわ。私にはこの刀しかないし、銃を使うのは下手だから。それより……」

「それより?」

 ミホは何やら思っていることをいうべきか逡巡する様子を見せる。そしてやがて意を決したように口を開いた。

「あの男の声、なんだかすっごく懐かしい気がする」

「え……?」

 ミホは何を言ってるんだ。懐かしい……?

「ごめんなさい。変なこと言って」

「ううん。それだって何かの手がかりかもしれないし」

 そして、準備を終えた颯人とミホは、階段を下りて校舎を出て、グラウンドに向かう。

「ミホ、怖い?」

 颯人が尋ねると、美帆はゆっくりと首を振る。

「怖くなんかない。あなたと一緒なら。なんだか、どんな怖い敵にでも立ち向かえる気がする。」

 颯人は「ありがとう」と返す。何しろミホはずっと一緒に戦ってきた人間なのだ。このこと一緒に、今からすべてを終わらせる。颯人は自分にそうはっきりと言い聞かせた。

 颯人とミホはゆっくりとグラウンドを歩く。気が付くと、その中央にあの少年が立っていた。

「ようこそ。怖気づいてこないかと思ったけど、ちゃんと来たんだね」

「決めたんだ。僕は。今からここですべてを終わらせるって」

 颯人は隣にミホを絶たせて、その少年と向かい合った。

「いい心がけだ。けど君のその希望は打ち砕かれて絶望に変わる。それもまた、僕と君にとって素晴らしい苦痛になることだろう」

「君と僕、どういう意味? それと、さっき言っていた、『僕が勝ったら美帆はこの世界から出て行ってもらう』って」

「まあそう慌てないで。焦らなくても、今から教えてあげるよ。その前に、まずこの仮面を外さないとね」

 少年は自らのつけていた仮面をつかみ、ゆっくりとはがす。

「お前は……」

 その下から現れた顔は、確かに見たことのある顔だった。

 会ったことのある相手だろうか。いや、会ったことはない。けど確かにこの顔を見たことがある。ずっとずっと昔に。

 颯人の頭が混迷の渦に巻き込まれる。そして果てに、颯人はようやくその答えを見つけ出した。

「その顔は、生きていた間の僕の顔だね」

「正解。さすが僕だ。いくらなんでも、自分の本来の顔は忘れていないようだね」

 少年は赤鬼の面を放り投げる。面は化け物たちと同じように白い粒子となり、そして消えた。

「どういうこと? 本来の顔って」

「あそこにいるのは、僕なんだ。もう一人の、僕自身」

 颯人は目の前にいる少年を指さす。

 そして、すべてを思い出した。

 自分はかつて、サーレンという名前の、田舎の農村に住む少年だった。

 友人のリャンとヤーイー達と一緒に、チャンの屋敷に忍び込み、地下室でメイファンという美しい少女に一目惚れした。

 もうすぐメイファンが売られていくかもしれないと知って、メイファンを連れて村から逃げ出したのだ。

 しかし桃娘タオニャンとして飼われていたメイファンの体は、桃しか与えられなかったが故にすでにボロボロで、どんどんメイファンの容態は悪化していき、ついには僕に殺してくれと頼んできた

「そして僕は、この手で、メイファンの首を絞めて殺した」

「その通りだ。僕は罪悪感に呑まれて、死刑を望んだ。しかし処刑される程度の苦しみでは満足できず、死後も煉獄を自ら作り出し、そこで自ら生み出した怪物に自分を裁かせ続けた。そして長い長い時を経て、僕の意識はもうこの責め苦を受けたくないという意志と、まだまだ僕の罪は償えていないと考える意志に分離した。責め苦から逃れたがる意識が君。そしてまだ僕は裁かれるべきだと考えているのが僕だ」

「だから、この世界は何をどうやっても僕が苦しみぬいて死ぬように作られているんだ。そもそも、僕が僕自身を苦しめるために作り上げた世界だから」

「そうだ。ハムレットとエルルケーニッヒは、リャンとヤーイーの代わりだよ。二人の代わりに、都合よく自分を助けてくれる存在を罪深い君は作り上げた。そして赤鬼が必ず君の首を絞めて殺すのは、そもそもの罪が僕がメイファンを絞殺したことだからだ。それ以外にも、僕と君は過去を反映した化け物を作ったみたいだね。火車についている生首は明らかにチャンのものだし」

「そうなんだ。すべては、僕のむなしい一人芝居だった。自分で自分を痛めつけているだけだった」

「だけど、仕方なかったんだ。僕には僕を罰してくれる存在が必要だった。けど、それがいなかったから、僕は自分で自分を痛めつけなければならなかったんだ」

 颯人たちの周りを取り囲むように、大勢の赤鬼が現れる。そして怨嗟のこもった声を一斉に上げ始めた。

「な、なんて数なの!」

 美帆が刀を構える。しかし颯人は「ミホ、やめて」と手で制した。

「こんなことをやっていたって、何にもならない。メイファンへの償いにはならないんだ」

「そんなことわかってる! 所詮は自己満足に過ぎないんだって。けど、苦しみ続ける以外に、僕はこの罪悪感から逃れる術を知らない!」

「けど、それでも……!」

 颯人は銃を構える。照準の先は、もう一人の自分。

「メイファンは、僕がこんな無意味に苦しむことは望んでいないと思う。僕はバカだから、そんな簡単なことに気付くのにも長い長い時間がかかってしまった。けど、もう大丈夫。はっきりとそうわかる」

 颯人がそういうとともに、周囲の赤鬼が消し飛んで消える。颯人の向かいにいる少年は、初めて狼狽の表情を見せた。

「そんな……。君の意思が、この世界にここまでの影響を及ぼすまでに復活しただと……」

「君は、まだ気づいていないんだね。気付いてしまえば、当たり前のことなのに」

「ありえない! 僕と君は元来同一の存在だった! 君が気付けて僕が気付けないなんてありえないはずだ。つまり、それは君の妄想に過ぎないんだ!」

「確かに、僕らはもともと一人のサーレンという名の少年だった。だけど分かれてしまってから随分経つ。君と僕の差は、とっても大きいんだ。それは、美帆がいてくれたからだよ」

「そこの女に何の関係があるというんだ。この煉獄に、僕だけの世界に勝手に入り込んで邪魔してきているだけじゃないか!」

 どうやら、まだこっちの僕は気付いていないらしい。僕はサーレンだったころの記憶を取り戻すとともにわかったんだけど。

颯人は、地面にかがんで、そこにある文字を書いた。

「ミホ、君の名前は、こういう字を書くんでしょ?」

『美帆』

 そう書かれた文字を、颯人は美帆に見せた。

「そうだけど……、なんでそれを知ってるの?」

「わかるよ。当然だよ」

 そして颯人は目の前の少年に向かって声高らかに告げる。

「勝負をしよう。僕が勝ったら、この世界はもうおしまい。僕は新しい人生に向かう。そして君が勝ったら、美帆をこの世界から追い出して、僕らは一緒に永遠に苦しみ続けよう」

「駄目よ! そんなの。永久にだなんて!」

「いいんだよ。これはすべて僕が始めたことなんだ。僕が、ちゃんと決着をつける」

 これは、サーレンという一人の人間の中で、どちらの意思が強いのかを確かめる戦いだ。これは、気持ちの問題なんだ。

ここでは、最も強い意思が力を持つ。まだサーレンはこの煉獄で苦しみを受け続けるべきだという意思と、そんなことはせずに新しい人生を歩むべきだという意思。その強いほうが勝つ。

颯人の提案を聞いて少年は大声で笑う。そして一本の刀を颯人に向かって突きつけた。

「いいだろう。その条件で勝負してあげるよ。ただし、この世界の管理権の多くはいまだ僕にある。これがどういうことか、わかっていないわけじゃないだろうね」

「もちろんだよ。けど、それでも僕は君を倒す。倒さなくちゃ、いけないんだ」

 少年は笏を取り出し振り上げる。今回は浮かんでいなかった燃え盛る黒縄がまた空に現れ、そして落下してくる。

 縄は颯人と少年を囲むようにして地に落ちたようだ。まだ炎を放ち続けている。

 美帆とは分断されてしまったが、美帆はまだちゃんと生きている。声などで確認したわけではないが、颯人にははっきりとそれがわかった。

「ああ、言っとくけど、この戦いにミホを介入させないからね。この縄には、以前彼女が撃った蒼い巨大な炎の攻撃は通用しない。これで、正真正銘僕と君の二人の戦いになったということだ」

 そして颯人と少年は、お互いに銃と刀を構える。燃え盛る炎に囲まれたこの場所で、希望の弾丸と断罪の刃が相まみえた。

「さあ、最後の戦いを、始めようじゃないか」

 二人の周囲にある炎が、一瞬にして巨大化して二人を炙り始める。

 颯人は銃を構え、少年の頭を狙って引き金を引く。

 一瞬遅れて少年は刀を振るう。銃弾は刀に弾かれ、二つに裂けて地に落ちた。

 なぜだ。こいつの刀は確かに早かったが、銃弾に対応できるほどのものではなかったはずだ。それに、刀で銃弾が切られても、それだけでは弾は止まらないはずなのに。

「この世界を支配しているのは、君と僕だ。普通の物理法則は通用しない」

 そういわれて気づく。この戦闘など、所詮は半ば飾りに過ぎない。これは意思と意思のせめぎあい。自分の抱えた葛藤そのものなのだと。

 現在、この世界の支配権という意味では、向こうのほうがはるかに強い。となると、勝算は一つしかないのだ。

 それは、まだこっちの僕が唯一気づいていない真実に、気づかせること。

そのための時間稼ぎこそが最も重要となる。

「僕の罪はまだ赦されていない。勝手に赦されようだなんて、認められるわけがないだろう!その不遜な意思が僕として存在しているなんてありえない! だから、いまここで消してやるんだ!」

 もう一人の颯人は刀を構えて一気に接近してくる。颯人は銃身を使ってその剣撃を受け止めた。

「もう一人の僕。それは違う。僕はメイファンを殺すという罪を犯した。そしてその罪がすでに赦されたとは、僕も思わない。いや、この罪が消えることなんて、ないのかもしれない」

「だったら……!」

「けど、違うんだ! だからってこんな世界に閉じこもるのは、間違ってる!」

 颯人はもう一人の颯人の腹を蹴り飛ばす。もう一人の颯人は、少しばかり表情をゆがませながら後ずさった。

「随分と身勝手なことを言うようになったね。もともと僕らは一つの存在だったのに、どうして君だけそんな不遜になってしまったんだ」

「美帆だよ。美帆が、僕とずっと一緒にいてくれた。僕を助けて心の支えになってくれたんだ!」

「そうか。君はあの女にかまけているというのか! 本気でメイファンを愛した、メイファンだけを愛すると誓った。そのためならなにを捨てても構わないと決意したあの時のことを、忘れたというのか!」

「違う。そうじゃない。そうじゃないんだ」

 今ここでもう一人の自分に答えを教えるのは簡単だ。けど、それじゃだめなんだ。それじゃ、本当の解決にはならない。それだと、もしここで勝つことができても、僕はこちらの意識だけで、半分以下になった魂で次の生に向かわなくちゃならない。それはもはや颯人サーレンという少年の生まれ変わりとは言えない。

 もう一人の僕が、自らその答えに気づかなくちゃいけないんだ。

 それでこそ、颯人サーレンは本当の意味で前を向ける。

 もう一人の颯人が、二本の刀を放り投げてくる。刀は回転し弧を描きながら、両側から颯人を襲う。

 颯人は銃弾を二発放ち、その刀を打ち落とす。しかしそこでできた隙を、もう一人の自分に突かれる。いつの間にやら接近されており、胸を強くけられる。強烈な痛みとともに、颯人の体は後ろに吹き飛んで、巨大な燃える縄の壁に当たって止まる。

 背後の炎はあっという間に颯人の体を包み込む。一瞬で意識が飛びそうになったが、なんとか踏みとどまり、縄の炎から逃れる。

 普通ならあんな炎に巻き込まれたら間違いなく死ぬが、今ならなんとか耐えられるようだ。颯人はせき込みながら地面に手をつく。態勢を整えようとしている間に、もう一人の自分に頬を思い切り蹴とばされた。

 立ち直る隙など与えないとばかりに、もう一人の颯人は颯人をひたすら殴打する 劣勢は必至だと思っていたが、ここまでひどいとは思わなかった。颯人サーレンの罪の意識は、ここまでに大きかったのだ。

 だが。

「何度言えばわかるんだよ! そんなことしたって、メイファンは……っ!」

「うるさい!」

もう一人の颯人の拳が颯人の喉を捉える。颯人は喉のわずかな空気を吐き出して、後ろに頭から倒れる。喉にかつての想像を絶するほどの激痛。しばらく呼吸すらもままならなかった。

「こんなくだらないことはやめよう。もう、終わりにしようじゃないか」

まだ起き上がった状態で立ち上がれずにいた颯人の足を、もう一人の颯人は思い切り踏みつけてきた。そして足の上から刀を突き刺し、颯人の足を地面に固定した。

「最期に、言いたいことはあるかい? 言う権利くらいあげようじゃないか」

「…………」

やはり、勝てないのか。

僕は、とても弱い。

だから、メイファンを守れなかったし、メイファンを自ら死を望むまでに追い込み、さらには生前に罪を償うことすらできず、こうして今も自分を煉獄に閉じ込めて自ら苦しめることしかできない。

 弱い僕が、最期に何を言うべきかはわからない。

 だから。


秦の始皇帝が築いた長城

  城壁が低く通路は狭く

  韃靼だったんの侵入を防ぎはしたが


 颯人の口からは、その歌が零れだした。

 孟姜女もうきじょ。あの日、メイファンに教えてもらった歌だ。

 メイファンとの、思い出の歌。

「それは、メイファンの……っ!」


  その後かわいい一人の夫人が

  千里の果てから夫を訪ねて

  城壁の前で泣いている

  神様と一声高く怨む涙は哀れで哀れで

  長城の端が崩れ落ちた


 闇夜の下、歌詞を紡ぎ終えた煉獄の囚人は、静かにもう一人の自分を見つめる。

「お前……。いったいどこまでメイファンを侮辱すれば気が済むんだ!」

 もう一人の颯人は、何度も何度も颯人の顔を殴りつける。憎しみを込めて、悲しみを込めて。

そのもう一人の颯人の目には、確かに一粒の涙が浮かんでいた。

もう一人の颯人は颯人の脚に刺さった剣を引き抜く。そして颯人の首を絞めて持ち上げる。赤鬼に殺される時と同じ首絞め。だがその苦しみは、赤鬼に殺されるときの比ではなかった。

「苦しめ。もっと痛がれ! 僕はもっと、もっと苦しまなくちゃいけない。メイファンに僕が与えた苦しみの、何倍も、何十倍も、何千倍も!」

泣き叫ぶもう一人の颯人。直後、その胸から一本の剣が生えてきた。

「…………っ!?」

自分の胸から突き出される刀を見て、目を見開くもう一人の颯人。

颯人は、もう一人の自分にいるその子の姿を認識する。

「美帆……!」

 刀をもう一人の颯人に突き立てる美帆は、その顔を伏せていた。しかしここからでも見える頬には、確かに涙が流れ続けているのがわかる。

「もう、いいのよ。もう、いいの」

 そして美帆はもう一人の颯人から刀を引き抜く。傷口から一気に血が噴き出してきた。

「私のために苦しむなんて、自分で自分を苦しめるなんてことは、もう、やめて」

「メイ……ファン……?」

 もう一人の颯人は、美帆の顔を見て口からそう漏らす。

 どうやら、こっちの僕も気づいたらしい。

「やっぱり、君は美帆メイファン、なんだよね」

「あなたが、あの歌を歌ったその声が、私のいるところまで聞こえてきたの。それで……、全部、思い出した。私は、あなたを守るためにこの世界に来たんだって」

 美帆の体が白い粒子に包まれる。それが天に上った後、かつてすべてをささげた人の姿が、そこにはあった。

「「美帆メイファン……」」

 二人の声が重なり、そして同調する。

 颯人ともう一人の颯人も光に包まれ、二つの光は一つに集い、そしてまた人の形を作り出す。かつてのサーレンとしての姿を形作る。

 こうして、かつて分かれた颯人の意識は、再びひとつの存在に戻る。

 雪崩れ込んでくるもう一人の颯人の持っていた記憶と、そして罪悪感。颯人はあまりに乖離した二つの意識が混ざった衝撃でもだえ苦しんだ。

 しかし直後、美帆が颯人の手を握ってくれた。その苦しみは落ち着き、颯人はようやく目の前の美帆の姿をしかと見ることができた。

 黒い髪と白い肌。驚くほど美しい顔立ちに細い肢体。頭には一輪の黒バラを差しており、服は牢から美帆を連れ出したときに来ていたものと同じだった。

 このあまりに美麗な立ち姿を再び見ることができるなどと、颯人は想像だにしていなかった。

「美帆。君は、僕のためにわざわざ、僕が自ら作り上げた煉獄に、飛び込んできてくれたんだね」

「だって……。我慢ならなかったの。あなたが、私のためにあんなにがんばってくれたあなたが、自分で自分を責めて、自分で自分を苦しめてるのが。けど、あなたの罪悪感は私が思っていたよりもずっとずっと大きくて、私は記憶を失っちゃった。思い出せたのは、あなたの歌のおかげ」

 いつしかこの世界の一端を美帆が持つことになっていたのだろう。この世界の支配権の大きさが意思の強さで決まるというのなら、罪悪感につぶされていたほうの颯人が作ったルールをすべて美帆がぶち壊せたのは、美帆の颯人を想う意思が颯人の持つ罪悪感を上回ったことに他ならない。そして記憶を失っていたとはいえ美帆がいつも隣にいたから、もう片方の颯人は代わることができたのだ。

「美帆、ほんとにごめんね……。僕はかつて君を殺してしまった」

 颯人は頭を下げる。それを見て、美帆はゆっくりと首を振った。

「私のほうこそ、ごめんなさい。私も、あなたを殺してしまった。あなたの胸を刺した感触は、忘れられそうにないわ」

「けど、それは僕を助けるためにやったことじゃん」

「それをいったら、あなたが私を殺したことだって、私を助けるためのことじゃない」

 颯人は目を見開く。

 そうだ。確かに、そのとおりだ。

 颯人は美帆の目を見つめて微笑む。

「そうだね。その考え方は、思いつかなかった」


 こうして、颯人の長い長い贖罪の時間は、終わりを迎えた。


周囲の世界がかつて見た広大な草原へと変化する。当たり一面、曼珠沙華まんじゅしゃげの花が咲き誇った。空は澄んだ水色。涼しい風が二人をなでる。この景色は、美帆の最期を迎えた教会の周りの光景によく似ていた。

「美帆。僕と、ずっとここに居ないかい? 二人で、ずっと一緒に」

「そうね。それも幸せかもしれないわね。けど……」

美帆は言葉を切る。何かを逡巡している様子だった。

しばらくたって、ようやく美帆は口を開いた。

「やっぱり、私は生きたい。前の人生はほとんど牢の中だったから。次の人生は、いろんなところにいって、いろんなおいしいものを食べたい。それで、いっぱい楽しいことをしたい」

やっぱり、この子は美しい。颯人はそう思った。

見た目だけの話じゃない。そのあり方。意思の強さとそして勇気。それらどれもに颯人は目を奪われていたのだ。

「だけど、あなたと一緒に居たい強い気持ちもあるの。だから……、約束して。私たちは、絶対に生まれ変わったあと、広い世界でお互いを見つけ出すって」

 美帆の言う話は無茶な相談だ。生まれ変わったらきっとすべての記憶は消えうせる。この感動も、この歓悦も、何もかも失ってしまう。

 だが。

 この子のことは、見つけられる。

 この子のことは、探し出せる。

 もちろん根拠などない。

 けど、颯人ははっきりとそう思った。

 そう、思えた。

「わかったよ。生まれ変わった僕は、絶対に生まれ変わった君を見つけ出す。そう約束する」

 その後、二人のいる世界が、端から白い粒子と化して闇に解けていく。

 あの向こうにあるのは無の世界。心地のいい、何もない世界だ。

「颯人。怖い?」

「ううん。怖くなんかないよ。だって、運命はまた君と僕を引き合わせてくれるって、そう信じてるから」

「そうよね。心配することなんて、何もないわ」

 颯人と美帆はお互いの手をつかむ。

 世界のすべてが無の闇に飲まれる寸前まで、二人はこの手に伝わる相手の暖かさを、忘れないようしっかりと噛み締めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ