side:A
いらない理性は捨て去るべきだと。
何より彼女が強制した。
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「久しぶり。」
自宅兼酒場の裏手でゴミ捨てをしていた俺は、隣の家の屋根に乗る見慣れた白銀を見た。
「…本当久しぶりな筈だけど、君は変わらないね。」
最後に会ってからもう四年になるだろうか。綺麗な白銀の髪に紅く燃える瞳、少し幼げな顔立ちは昔とそれほど変わりなく、多少女性の魅力を備え闇夜に会いに来た彼女は俺の幼馴染。
「四年たったのに?自分では結構変わったつもりなのだけど。」
自分の体を見下ろして彼女は呟いた。俺が言った『変わらない』は外見の事だけではなく、そのふらっといきなり帰ってきては通常運転で世間話をしようとするマイペースな性格の事も含まれている。
「そっちも大して変わらないわね。どう?酒場は結構盛り上がっているみたいだけれど。」
言うと思った。『そっちはどう?』と。そして昔から彼女と会うたびに
「まぁね。でもそれほど変わらないかな。」
と同じ会話をする。それからきっと彼女はこう言う。
「「・・・前も同じ会話したかしら。」」
綺麗に合わさった俺と彼女の声。少しきょとんとして屋根から作業している俺を見下ろす。
滅多なことでは笑わなかった彼女は多分、今も変わらず表情筋が硬い。しかしほんの僅かな変化のなかに驚きと少しの嬉しさが混ざっているように感じた。
「アルは私の事をよく知っているのね。」
四年前から彼女は王宮に住んでいる。国の軍人として雇われたことになった彼女に自由は少ないはずだが、彼女からしてみれば綿の首輪がついているくらいの感覚なのだろう。どんな強靭な檻も首輪も、手折ることのできる草花と同じこと。俺が知っている彼女でそれくらいの事が出来たのだから、成長した今、不可能はより少なそうだ。
「・・・四年もたって俺が予測できるなら、レイが変わってないんだよ。」
四年前。彼女は国に自ら囚われた。彼女の願望と俺の平和を両立させるために。
「変わったわ。アルのもとへ四年も行かないなんて、私は・・・変わってしまったわ。」
間髪入れずに彼女は答える。心なしか言葉を強めて、訴えかけるように彼女は言う。
「・・・君は賢いよね。」
それは何より彼女自身が分かっているだろう。
『アル。自由と理想って、なんだとおもう?』
昔、彼女は俺に聞いた。
『・・・じゆう。じゆうは今、レイがしたいようにしていること、じゃないかな?』
『・・・へぇ。私がアルにとっての自由なのね。』
幼い頃から彼女は周りの子供たちよりもずば抜けて賢かった。質問の意味は理解できたから、ひとまず自由についてしっかりと考えたのだ。しかし声に出した後、自分のなかに拒絶反応が起こっていることに気が付いた。俺は「自由」という言葉すら彼女を縛っているように感じたのだろう。頷こうとした頭を思いっきり横に振った。
『ちがう。レイが今、とっているこうどうが「じゆう」で、レイ自身がじゆうなんじゃない。』
『・・・』
目を見開いた彼女は少し目線を下げて、消えそうな声で言った。
『・・・じゃあ、アルにとっての、「理想」は・・・?』
『ゆめ。』
『え?』
『ゆめだよ。』
即答できた。なぜかぽろぽろ言葉が口から零れてきて、無表情に泣きそうな彼女をしっかり掴む。
『「りそう」なんて、レイが頭をつかうことばじゃない。ぼくたちにとってのゆめと何もちがわない。レイは皆より、ぼくより「大人びてる」って皆いうけど、レイはまだ子供だよ。いらない。そんなにレイを困らすことばなんてぼくには、なくていい。』
頭がよかった。賢かった。綺麗だった。真っ白な彼女にだんだんと大人が色を着けていくのがたまらなく嫌だった。わかりずらいけど壊れやすい、ガラスみたいな彼女はきっと大人たちの話を聞いて理解していた。
『ぼくは、レイを困らすものが、なくなればいい。それがぼくの「ゆめ」で、きっとレイの言うぼくの「りそう」だよ。』
かくいう昔の俺もそれなりに頭がよく、発音は苦手だったものの言葉は沢山知っていた。
地域の大人たちが、レイを愛人としてでも迎えてくれる貴族に娶ってもらえば幸せになれるだろうと。第一夫人として貰ってくれれば理想ね、なんて。彼女ほど器量がよく頭もよかったら自由に好き勝手出来るでしょう、とか。
下品な笑いを響かせて話していた大人たちは、俺の両親に『程度の低い』と怒られていたけれど、横にいた彼女は青い顔をして俯いた。その日はそれから二日たった日だった。
『たにんがきめることじゃない。けど、自分できめるにはおおきすぎる。だから、レイ。』
『アル・・・あの日の、話・・・』
『うん。わかってる。レイとずっと、これからもいるためにぼくしっかり勉強してる。みくびらないで?』
『うん、うん・・・アルは、かっこいいのね。そして私より、賢いわ。』
『そんなことはない。レイといるためだけにしか、勉強できないぼくは頭が悪い。だけど、はなしてくれていいんだ。頭の悪いぼくは、レイが忘れてほしい事、すぐに忘れてしまうから。』
『・・・私、好きな子には泣いているところとか、格好の悪い姿を見られたくないの。』
『そう。まぁレイが泣くところなんて、これまでもこれからも覚えていることはないだろうね。』
『・・・そう。ありがとう。』
彼女は脆い。たとえ大人たちにも巧妙に力を隠しきる頭脳があろうとも、人ひとり簡単に殺せる魔法の腕があろうとも。高みにたつ彼女に追いつける者などそこには居ない。
嗚咽を殺すように展開されたのはおそらく消音魔法。ひんやりとする彼女の魔力に周囲三十センチほどの音が消される。向かい合っていた距離はいつの間にか詰められて、俺の肩にほどよい重みが乗っかった。腕を回して背中を撫でる。震える背中はまだ幼い子供のものだった。
今から四年前は、この日から三日後の事。
思い出すのは、酷い匂いとあの日さすった幼いはずの背中。凛々しく目の前に立ち、溢れる魔物に対峙する、彼女。
「・・・愚行よ。賢くないわ。」
ここまで俺の言葉を否定するのも彼女らしくない。・・・四年ぶりだ。変わらないものばかりじゃないだろう。しかしこの落ち込み具合と会いにきた時間を考えて、少しの心当たりがあった。
「・・・レイ。」
敵は魔物だけではない。近頃落ち着いてきたはずのこの国だったが、何を考えているのか国王陛下が隣国に戦争を仕掛けたせいで混乱している。その要因に少なからず彼女の存在が関わっているのだろうが、それは一度置いておこう。
「戦争に参加して、最前線であの魔法を打ったのか。」
「・・・」
暗い闇に覆われても尚輝く白銀。けれどそれが絶対的なものではなく、段々とぼやけていく凛とした雰囲気にため息がもれた。彼女はいつもギリギリに存在している。四年たっても悪癖は治らなかったようで、屋根から落ちてくる白い塊を受け止める。
「・・・アル。私ね、泣いているところとか、格好悪い姿・・・愛しい人に見られたくないの。」
俺が大きくなったのか、彼女が小さいままなのか。幼い頃より顕著にわかる頼りなさ。抱きしめて、感じる低い体温に眉がよる。
ふと、変わらないひんやりとした魔力が辺りを包み込んだ。弱みを見せたくないと、彼女は言う。俺の顎より下にある頭を撫でると震えて何かを叫びだした。閉じ込めてある心の声を、俺はまだ聞かせてもらえない。
「君が誰より俺を好きでいてくれて、俺が誰より君の事が好きだ。それはお互い含めて誰よりも。」
だから伝える。彼女は自分の事も操れない、自由に、理想的にできないレイ自身が大嫌いだ。それは、俺が忘れたはずの四年間もそうだった。だから、変わらない。
(でもこの声は伝わらない。)
彼女の魔法は絶対だ。レイが要らないと断じたものは俺の欠片でさえ届かない。
「レイ、愛してる。」
俺を必要としていない彼女は、あと何年を『忘れてほしい』のだろう。
――—俺たちは、あの日から、再開を切に願っている。