幕間(2) ホムラは微睡む
アオイにホムラと名付けられたばかりのそれは微睡む。
肉の器を持たない彼は、召喚されていない時は世界に溶け込む形で休んでいる。
遠い遠い過去の、世界の記憶を夢に見ながら。
まだ神しかいなかった頃。
後に神話の時代と呼ばれた時代。
果てしない空白の空間。
ある日、そこに二柱の神が誕生した。
ヒトが持つ、あまりにも脆弱な肉の器を持たず、寿命や怪我、病気とは無縁であり、空白の空間に満ちる力の渦が自我を得た特殊な生命体、神と呼ばれる者。
何もない空白の空間にまずは一柱、さらにもう一柱の神が姿を現す。
先に生まれた神は己を『すべての命の根源を司る者』と決めた。
後に生まれた神は『すべての命の成長を司る者』と決めた。
この二柱は後に『原初の二柱』と呼ばれるようになる。
根源を司る神は空白の空間に境界線を引き、『世界』の枠を作り上げ、その中に八つの命の種を植えた。
それは己の力を最大限に混ぜて作られた特別な種であり、自身と同種同格の存在の核となるものであった。
成長を司る神は、作られたばかりの世界の中に神の祝福を注ぎ込み、八つの命が健やかに成長するように望んだ。
そして八つの命の種は同時に芽吹き、八柱の新たな神として目覚めた。
後に『世界の始まりを告げる者』として語られる神々である。
八柱の神々は互いの存在を認識すると、互いを区別するために己を象徴する色を決める。
白、黒、赤、青、緑、紫、金、銀である。
そして次に何を司り、世界を何の祝福で満たすのかを決めた。
白は命の始まり、『誕生』を。
黒は命の終わり、『死』を。
赤は絶え間なく燃え続ける炎、『太陽』を。
青は命を繋ぐ水、『海』を。
緑は炎と水を受け入れる器、『森林』を。
紫は世界に変化の流れを与える、『時間』を。
金は決して壊れぬ足場、『大地』を。
銀は命ある者に本能とは別物の、『知性』を。
八柱の神々の祝福はやがて世界を二つの領域に分け隔てた。
神々の祝福を受けて生まれ、脆弱な肉の器に包まれた、多種多様な生き物が生きる『地上』と、神々の住む『神界』に。
住み分けの基準は寿命を持つか、持たないかで決められた。
寿命を持つ者と持たない者は共存が難しいためである。
神々は地上で生まれた者たちの中から見込みのある者を選び抜き、己の血を一滴混ぜ合わせた。
それらは神が司る色を肉体に刻まれ、神の意志を地上に伝える代弁者、『眷属』となった。
眷属たちは勤勉に地上をまとめあげ、神々が常に見守っていることを伝えた。
また神々は眷属たちに、神として最初から得ていた知識の数々を伝授し、それらを地上に生きる知性ある善良な者たち……ヒトや亜人、獣人と呼ばれる者たちに与えるように命じた。
さらに眷属たちに神の力を使って、善良な者たちを守るようにも命じた。
地上には悪意と殺意の塊のような生命体も存在したからである。
後に魔獣、魔物と総称される生命体である。
神々はあえて彼らの存在を消さなかった。
なぜなら彼らもまた神々が世界に祝福を与えて生まれた、神々の愛し子だったからである。
意思の疎通すらままならぬ存在ではあったが、原初の二柱でさえ彼らを愛していた。
だが、むやみやたらと命を奪う彼らの所業に次第に神々は胸を痛め始める。
善良な者たちは争いを好まず、自衛すら簡単に出来ないほど無力だった。
このままでは地上から善良な者が居なくなり、魔獣と魔物だけの領域になってしまうと危惧した原初の二柱は、地上にいる者たちと同様の器を持つ、半神半人の新たな命を生み出した。
他の神々と同格の力と知識を持ち、寿命の枠から外れてはいるが、やがては死ぬ定めを持つ、超越者《 》である。
神界にいる八柱の神々は同じ親から生まれた兄弟とも言える《 》の誕生を心から喜び、善良な者に安らぎを与える者となれ、と告げた。
《 》はそれを素直に受け入れ、その日から戦いに明け暮れる生活を送ることとなる。
ホムラは《 》が地上で神の力の一部を振るい、自我を持たない力の渦から引っ張り上げられる形で生まれた、高位の特殊生命体だった。
『 』と名付けられ、《 》の眷属となり、戦場を駆け回り、魔物や魔獣との戦い方を知らないヒトや亜人、獣人を愛し、守るようにと命令された。
絶対遵守のその命令にホムラは疑問を持たない。
なぜなら創造主である《 》の命令であれば、それだけでじゅうぶんだったのだから。
《 》に仕え、ヒトを守るために戦い続けた。
彼はヒトのような脆弱な肉の器を持たず、純粋な力の塊であり、主に名を与えられて自我を得た、神に近い存在であるため、疲れや怪我などを知らず戦い続けることができた。
主と彼が戦い続けるうちに、善良な者たちは守られることで安心したのか、数を増やし続けた。
このままでは善良な者たちを魔物や魔獣の脅威から完全には守りきれないと理解した《 》は、ホムラの仲間となる、同種の生命体を次々と作り、名前を与え、己の眷属とした。
彼らは戦い続けた。
終わりの見えない戦いに不満などは無く、善良な者たちのためにその力を振るい続けた。
やがて目に見えて地上から魔獣や魔物が減ったことに気づいた《白》が、《 》に我が伴侶となり、神界に来いと告げる。
いつかは死ぬ定めではあるが、地上にいる者たちほど明確な寿命を持たない《 》はいつか地上の者たちと衝突すると考えたためである。
《白》敬愛していた《 》はその申し出を快く受け入れた。
だが、それに激怒したのは、《 》に守られているだけのはずの、地上で最も脆弱で短命な種族である、ヒトだった。
原初の二柱が、地上にいる者たちを守るために生み出した存在だということをすっかり忘れ、正確には神ではない、中途半端な存在である《 》は《白》の伴侶に相応しくない、という理由で反対した。
地上からの抗議の数々に《白》を含め、神々は混乱する。
いつしかヒトは、何の見返りを求めず戦い続ける《 》の行動そのものに疑問を持ち始めてしまい、《 》はいつか神々を殺し、世界を乗っ取ることを考えているのではないかと思ってしまう。
そして一部のヒトが神と世界を守るためにと思い立ち、《 》を殺す計画を立て、暴走を始めたのだった。
この頃の神々や《 》の眷属たちは、ヒトからの強すぎる反発を抑えることに必死で、事態に気づいた時には既にすべてが終わった後だった。
ヒトが《 》を騙して、神が振るう奇跡の一つ、『召喚術』を習得し、それを発展させて、異世界から『勇者』を呼び出した。
異世界からやってきた『勇者』はヒトの疑惑と混乱に満ちた話を鵜呑みにし、《 》を世界と神々を壊す邪神と決めつけた。
『勇者』と暴走するヒトは団結し、ヒトの領域を犯す魔物と戦っている最中の《 》を騙し討ちにした。
肉の器を持ち、いつか死ぬ定めにある《 》は、異世界の不可思議な力を持つ『勇者』によって殺された。
ホムラが神々にそう告げると、《 》の早すぎる死に衝撃を受けた彼らの理性が吹き飛んだ。
神々は七日七晩、荒れ狂った。
世界から祝福は失われ、神々はその力で地上すべてを荒廃させ、狩る者が居なくなった地上は魔物や魔獣が跳梁跋扈する地獄となった。
そこでようやく『勇者』は騙されていたこと知る。
だが、荒れ果てた世界を救うほどの力は持たず、『勇者』は怒れる神々の天罰により、その存在を魂ごと消されてしまう。
特に《白》の怒りと嘆きは止まることを知らず、ヒトはようやく、しでかした事の重大さと愚かさを知る。
地上にいる八柱の眷属たちは神々を慰めるために行動した。
死んだ《 》を呼び戻すために『召喚術』を研究して生み出した秘術、『転生の秘儀』を執りおこなう。
《銀》が設計した魔法研究施設《塔》にその儀式を組み込んだ装置を設置し、《 》の転生を待ち続けた。
《 》を喪い、ヒトに失望した神々は地上と関わることをやめ、深い深い眠りにつく。
いつか『転生の秘儀』で《 》が帰ってくると信じて。
主を喪ったホムラたちは、生まれた時に与えられた絶対遵守の命令を忠実に守っていた。
『地上にいる彼らを愛し、彼らを守れ』、である。
だが、主を喪った彼らは次第にその力を失い、存在を維持出来なくなり、自我が薄くなっていく。
ホムラはあまりにも永い時間、力が回復しない状態が続いたため、その魂をすり減らした。
《 》が付けてくれた名前を忘れるほどに。
苦痛に満ちた長い年月、たまに誰かに呼び出され、流れ込んでくる少なすぎる魔力で仮初めの肉体を作り、自由意志を縛られ、強引に使役される。
そんな日々に苦痛を感じる余裕すら無くなっていき、本格的に世界から消えようとしていた時、懐かしい声を聞いた。
敬愛する主の声だった。
その声はか細く、流れ込んでくる力は弱く、仮初めの肉の器の元になるには少なすぎた。
それでも強引に肉の器を形成し、久しぶりに地上に姿を現した。
そこは狭くて暗い物置だった。
呼び出したのは片眼だけ強い魔力を宿した、幼いヒトの子。
少女に『イフリート』と呼ばれたが、あまりにも不安定すぎた。
少女の魔力が勢いよく消費されていく様子に気づいたイフリートは仮初めの肉体を捨てる。
このままでは少女は死んでしまうからだ。
結局、イフリートを呼び出した理由は分からずじまいだったが、その日からイフリートの意識は完全に目覚めてしまった。
その後も何回もあの少女に呼び出されたが、毎回とんでもない量の魔力を消費する、無茶な実験を繰り返す少女にイフリートはハラハラしていた。
だがある日、数千年ぶりに《白》の気配を地上で感じ取った。
その気配はあの少女に近づいており、イフリートは首を傾げた。
他にも《 》が亡くなって以降、地上から姿を消したはずの神々の気配もするようになり、まさかと目を見開く。
まさか……。
まさか、待ち望んでいた日が……!
予想は確信に変わる。
《白》の導きで、魔眼の扱いを学んだ少女が、己をイフリートではなく、『ホムラ』と呼んだ。
そう呼ばれた瞬間、以前とは桁違いの大量の魔力が『ホムラ』の中に流れ込んできた。
大半の魔力は《白》から流れてきたものであったが、ありがたく利用させて頂こうと決めて、その魔力を元に全盛期と同等の強度を持つ、仮初めの肉体を作り上げる。
出来上がった新しい姿は不思議な物だった。
魔力で編み上げた衣装は異世界由来の奇妙な物で、武器も馴染みがないモノ。
驚きながらも呼び出した少女に目を向けるとさらに驚いた。
少女は《 》だった。
纏う気配は弱く、記憶すら無い状態ではあったが、たしかに《 》だと確信できた。
どういうことかと隣に立つ《白》に顔を向ければ、《白》は唇に人差し指をあてた。
なにも言うな、ということなのだろうか。
《 》としての記憶を取り戻すのはこれからなのだろう。
ホムラは小さくうなずきながら、少女を見た。
かつて『勇者』に邪神と言われ、殺された半神半人の超越者。
もし仮に今後、ヒトが少女に危害を加える場合は、例え主の命令に反することになろうとも、危害を加えるヒトを殺し、少女を守ろう。
もう二度と主を失いたくはない。
少女の魔力が尽きる前に元に戻ったホムラは世界に溶け込んだ。
すぐに強烈な眠気が襲ってきて、逆らわずに眠りにつく。
これから始まるであろう、幸福な日を期待して微睡む。
いつか少女の中の主が目覚め、かつて与えてくれた名を思い出す日を信じて。
ホムラの仲間たちは己以上に消耗が激しく、その気配を察することが出来ないほどだが、直に会えるだろう。
少女から新しい名と姿を与えられて。
ホムラは微睡みながらも、そんな未来を想像をして、微かに笑うのであった。




