第10話 異界の精霊(1)
時間が飛びすぎて悪いけど、ウヅキから異世界転生に関する事情を聞いてから数日が経った。
特にこれといった、大事なイベントがあったわけではないからね?
その間、シリアスモードになるわけにもいかないほどのハイペースでヘルミーネの母、カレンから淑女教育みたいなのを受けていた。
その内容は厳しすぎるものだったと言っておく。
まず、元の世界とはテーブルマナーが違う。
目上の人に対する挨拶の仕方も違う。
晩餐の定番のご馳走の内容も、この世界の食用とされている食材が普通じゃないから当然違う。あ、でも、魔物の肉を使った料理じゃなくてよかった。
他にもいろいろ違いがあったが、前世の祖父母の教育方針でテーブルマナーとか習っていたから、授業自体はすぐに慣れてしまい、基礎はなんとか習得できた。
これ、きちんとしたレストランで食事とかしたことがない、平凡な庶民生まれの転生者だったら、馴染みが無さすぎて理解が追いつかないと思う。
カレンはヘルミーネと違い、赤毛のゆるふわ系美人で、しかも魔眼持ちだった。養母が結婚する時、祖国イステンスから連れてきた侍女で、養母の護衛も兼ねているらしい。
貴族の従者や侍女が魔眼持ちの場合、主の護衛の役割も担うのは当たり前で、平時は貴族の護衛を務め、有事になると騎士や軍人となり、一時的に所属が代わり、同じく軍属となった主と一緒に国や民を守る側になる。
大陸全土で何人の魔眼持ちが居るのか、具体的な人数は無いみたいだけど、イステンスのような大国は大体、千人は最低でもいるんだとか。
「本日は魔眼に関する基礎のお勉強となります。私は魔眼持ちですが、私より詳しい方が教えてくださる予定です。先生役をお務めになるのはダニエル様です」
朝食を食べ終わり、一息ついていたら、カレンがそんなことを言った。
「ん? なんでダニエルが?」
「ダルジア人は全員、魔眼の専門家だからです。ましてや、ヴァンダール王国時代から続く、名家中の名家であるヴァンダール伯爵家の若様はダルジア人の中でも特別、魔眼にお詳しい御方なのです」
「だから、俺の一番身近な人である、ダニエルが来るの?」
「はい。実地で魔眼の扱いを学ぶことになるので、汚れたり破れても構わない服装でお願いします、と伝言を受け取っております」
「わかった。じゃあ、ヘルミーネ、そういう格好に着替えるから、手伝って」
「はい」
俺の後ろに控えていたヘルミーネにそう頼む。貴族令嬢は基本ドレスだから、着替えが大変なんだよね。
数時間後、ダニエルが護衛らしい男を連れて、馬車でやってきた。馬車が玄関前に着くと、俺はダニエルを出迎える。
「よっ!」
前世でよくやっていた、クラスメイトに会うような気軽さで片手を上げ挨拶をすると、後ろに控えていたカレンは凄みのある笑顔を浮かべ、「お嬢様……?」と低い声で俺を呼んだ。
あ、やべっ!
「んっ……! お待ちしておりましたわ、ダニエル様」
咳払いをし、両手でスカートをちょっと持ち上げ、淑女の礼をする。
頭を下げるだけじゃないのが、地味にめんどくさい。しかし、この挨拶はまったく同じだったので教えてもらった時はびっくりしたな。
「あはは、大変そうだね」
「そりゃ、こういう挨拶とか無縁に生きていたからねー」
「……お嬢様?」
「いいよ、僕、肩の力を抜いている今のアオイが好きだから」
ダニエルがそうフォローしたからか、カレンからはそれ以上は何も言われなかった。ただ、ダニエルが帰ったら確実に説教されるね。
ダニエルを談話室に案内し、まずは座学っぽい形で教えてもらう。
「アオイは簡単なことなら、もうある程度できるんだよね?」
「まぁね? でも、燃費が悪いっていうか、あんまり派手なことや長時間は無理だぞ?」
「……ちなみに何の魔法が使えるの? 僕は『身体強化』、『高速回復』、『武器強化』、『遠見』、『放電』の五つ、使えるよ」
はっ? 五つ!?
ダニエルが今言ったことを俺は理解できなかった。
「なんで五つも使えるの!? 魔眼は一人一種類じゃないのか!?」
「あ」
どうやら言ってはいけないことを言ってしまったらしいダニエルは慌てた様子で、自分の護衛に顔を向ける。
護衛は仕方ないですね、という風に苦笑しながら首を縦に振る。
「えっと、アオイの家族ならたぶん知ってる話だけど、普通の人は知らない話だからね?」
「おう、誰にも言わないと約束する。何の魔眼を使えるか、教えることが相手を信頼している証って常識だけど、それを第三者に勝手に教えるのは非常に危険だって言われてるんだよね? なんか事情があるんだ?」
「うん、ありがとう。気になったことがあるだろうけど、ダルジア人はみんな魔眼持ちのはずなのに、僕を含め、ダルジア人は左右色違いの眼じゃないでしょ?」
そういえばダニエルもイシュヴァレン伯爵も、後ろに控えてるたぶん、ダルジア人であろう護衛も両眼が金色だな。
言われるまで気にしてなかったことは言わないでおこう。
「この世界で、両眼が金色の魔顔を持っているのは、僕らダルジア人だけなんだ。僕らはこの眼を『エルの瞳』って呼んでる。あと、異種族婚の夫婦から生まれた混血児であっても、エルの瞳をしていれば、ダルジア人として扱われるんだよ。理由は習得できる魔眼の魔法の数も、純血のダルジア人と同じだけの数を持てるからだね」
おい、ダルジア人がやたらとハイスペックそうなのは知っていたが、完全にこの世界の上位種族っぽくないか!?
異世界ファンタジー系の小説やゲームに似たような種族の特徴が出てこないから、この世界独自に存在する種族?
似てるとしたら、エルフ?
でも、筋力とか腕力とか高めで、物理方面の適性もかなりあるっぽいし、エルフみたいに魔法方面に優れた上に、戦士系能力も獲得した、万能タイプの種族?
イシュヴァレン伯爵の見た目も、麗しい森の賢者系じゃなくて、ワイルドなイケメンで髪型もオールバックでまとめられていた。例えるなら近代的なデザインの軍服とか似合いそうなオーラを放つタイプだった。
金色の眼をしていなかったら、亜人だとわからないぐらい、俺たちに姿が似ている。
「ダルジア人は肉体が持つ、魔力の許容量がヒト族とは比較にならないほど高すぎるんだよ。しかも、体の一部に魔力が片寄らず、全身をきれいに満たしているから左右色違いの眼にならない。ただ、高い魔力の影響はきっちり受けているから金色の眼になるんだ」
「ん? 魔力量が違うだけで亜人に分類されるのか? 単純すぎないか?」
「他にも寿命や、子供の作りやすさとかに違いがあるよ? 寿命は大体二百年から四百年。魔力量が多ければ多いほど長生きしやすいけど、最近は予想される寿命が二百年ほどの人しか生まれてこないね」
「なんで残念そうなんだ? 二百年も生きれるなら、じゅうぶんだろ?」
「あのね、アオイ、僕らは本来なら四百年は生きれるんだよ? 寿命がだんだん下がってきてるってことだよ?」
「あー……、種族として考えたらけっこう怖いことか」
「そう。帝国がヴァンダールを滅ぼしたあたりから、どんどん短命になってるみたい。お祖父様は事情を知っているみたいだけどね」
「ここでも帝国が絡んでくるのかよ……」
「うん。ダルジア人に限らず、帝国が大暴れしたあたりから、種族の特性がおかしくなった話があちこちにあるみたい」
うわぁ……皇帝、マジ、ヤバい。
その一言に尽きる。
あれから屋敷の書庫にこもって、四百年前の歴史を勉強したら、出るわ出るわ、皇帝絡みのヤバイ話。
一般的には獣人亜人を奴隷にして、めちゃくちゃに扱っても構わないという法律を作った元凶として知られているけど、皇帝は獣人亜人の能力獲得でもやりたかったのか、当時の帝国には非人道的な研究施設があったらしい。
俺が読んだ本の中には、その研究施設から生き残ったダルジア人の子孫もいるとか書いてあった。まさか、その研究で体をいじられたせいで、寿命が縮んだとしたら、大変なことだぞ!?
「まぁ、暗い話をするのもなんだし、話を戻すとね、ダルジア人は魔力が上手に体中を巡ってるから、複数習得可能になってるんだよ。」
「魔力が巡っていればいいのか?」
「血の巡りがいいと健康的に過ごせるでしょ? それと一緒」
「あ、なるほど」
実に分かりやすい説明に納得する。血の巡りが悪いとたしかに体に良くないもんな。
だから、普通の魔力持ちは一種類だけしか習得できないのか。
「魔眼の魔法って、生まれてから十歳までの間に強烈な感情の爆発が起因となって、魔力がその感情の影響を受けて、魔力の性質が固定されちゃうんだ。魔眼を持たない一般の人は固定化が無いから、使える魔法が制限されないんだよ? ただ、もともと持っている魔力が少ないから、あまり強い魔法は扱えない。それが欠点だね。魔眼の魔法の習得には一応、法則があってね。例えば、幼少期に火事に遭うと、それが恐怖体験として心に刻まれ、火に関係がある特殊な魔法を習得しちゃうとかね」
「あぁ、だから、魔眼の魔法の中には愉快なやつもあるのか」
「そうだね。僕の弟は大道芸を見て大興奮した結果、物を自由自在に浮かせる魔眼の魔法を習得したから、たしかに愉快な魔法もあるよ」
つまり、「これがやりたい!」みたいな具体的なイメージと、幼少期の感情の爆発が重なった結果、魔眼の魔法が生まれるのか。
……あれ? そうなるとバーツ公爵の『束縛』の魔眼って、わりと洒落にならん状況で手に入れた……?
やめよう、シリアスに突入しそうだ。いったい、俺の周りにどれだけヤバイ話が転がってるんだよ?
この「感情の爆発」が、いわゆる「幼少期の魔眼の暴走」に繋がるのか。
実にわかりやすい。
「もしかして、子供の頃にやってしまう魔眼の暴走が、魔法を習得する瞬間ってやつ?」
「正解。だんだん分かってきたね」
「なんか、ダニエルの使える魔法の種類がかなり意図的に感じるけど?」
「あぁ、ダルジア人には、自分の子どもに習得させたい魔法を意図的に習得させるやり方があるんだよ。このやり方はさすがに秘密。知られると悪いことに利用されちゃうんだって」
そだな。それを北の大国が知ってしまったら、怖い気がする。
現代兵器をこのファンタジーな世界に生み出されるのも怖いが、そのやり方を知られたら魔眼持ちの部隊運用に使われそうな気がする。
「で、アオイは何の魔法が使えるの?」
「『召喚』だよ」
「召喚……? もしかして、前世の誰かに会いたいと思った?」
あ、俺の魔眼習得の理由か。そうくるとは思わなかった。会いたいという気持ちが、そのまま誰かを呼ぶ魔法になったって、解釈かな?
「……どうなんだろ? この世界に生まれてすぐに道端に捨てられて、誰かに拾われなきゃ死ぬ! 泣いて呼ばなきゃ! って必死になったせいかも?」
こっちの理由もありえるから、困る。
本当に深く考えたら駄目な話題が多いな。どうしようか。
「召喚って使い手が少ないから、燃費が悪い理由がわからないな。庭に出よう。ちょっと使ってくれる?」
え。あのしんどい思いをしろと?
「見せて」
真剣にダニエルに頼まれたため、俺はうなずくしかなかった。
庭に出ると俺は先日と同じくジェームズに結界を張るように頼んだ。
通常の魔法の発動の手順はわりと面倒である。
精神を集中させて、世界の法則に働きかける請願となる「詠唱」をしてから、引き出したい現象の名前を言う必要がある。
魔眼は魔力が既に固定されてるから、この『詠唱』部分が要らなくて、魔眼を発動させるための最後の鍵、『現象名』を言えば良いだけになっているんだとか。
シンプルなのは好きだから、正直助かる。
「来い、イフリート!」
俺が自分の中にある赤い色の力を呼び出す。
砂漠の国の王子みたいな格好をした精霊が姿を現す。
「……あー……これは失敗だね」
イフリートを見たダニエルがはっきりと言う。俺はその言葉に驚きながらも、イフリートを元に戻し、ダニエルに向き合う。
「失敗なのか?」
「うん。精霊の名前、姿、力の安定化。……どれも合ってないよ」
「よくわからないけど、ちぐはぐってこと?」
「うん。まず、精霊の名前。アオイ、炎を操る精霊に付ける名前に相応しくないよ。適当にやってない? 名付けるなら、そうだね……アオイの居た世界の言葉で、アオイがしっかり意味を理解してる言葉で付けてあげなくちゃ。アオイが理解してない言葉で名前を付けてるから、精霊の存在が揺らいでしまって、定まってない。だから、燃費が悪いんだよ。召喚と、精霊が魔法を使う際に減ってしまう魔力は別物扱いだけど、この燃費の悪さはおかしいから」
たしかにイフリートの名前の由来とか、出典とか、何も知らないな。なるほど。精霊の名前は俺がゲームや小説をヒントに付けていたけど、それは駄目だったんだな。
「名前に合わせる形で、精霊の姿を想像し直したほうがいいよ」
「え? あれが正しい姿じゃないの?」
「あの精霊の姿はアオイが生み出した、想像の産物だよ。本当の姿じゃないよ? あと、森とかにいる本来の精霊種は姿形は変わらないし」
マジか。砂漠の国の王子みたいなのは、俺の勝手なイメージなのか。
「じゃあ、炎を操る精霊の名前を、日本語で炎にちなんだ名前にして、姿も和風な感じにすればいいのか?」
「ニホンゴとかワフウはよくわからないけど、具体性が増すからお勧めするよ」
ん? 召喚する側の具体的なイメージが持てるなら何でもいいなら、なぜ『魔眼で呼び出す精霊は異界の精霊』……みたいな話があるんだ?
さっき、本来の精霊種とか言っていたから、実在する精霊と区別する意味で、そう言われてるだけなんだろうか?
ま、とりあえず再召喚だ。
俺は和風アクションゲームに出てくる、炎系の技を持ってる男性キャラを思い出した。
そいつの武器は棍系で、当たると敵が火だるまになった後、ステータス異常:火傷になる、エグい必殺技を持っていた。
基本の動作は遅いが、当たればかなりでかいダメージが与えられ、ついでに火傷させる。
使える味方NPCの必殺技では一番のダメージを与えられるキャラだったから、ボス戦攻略には毎回連れていっていたな。
誰だ、こんなぶっ壊れた、便利なキャラを作ったやつは!? とゲーム発売当初はSNSを中心に大騒ぎになったもんだ。
味方思いの熱い奴、という性格で、プレイヤーが体力ゼロになり、蘇生待ち状態になると、「よくも相棒を!」とキレて、攻撃力が一時的に上昇し、さらに壊れた火力になるという、完全にゲームのバランスを崩壊させるキャラだった。
当然、発売直後に修正が入ったが、俺が死ぬ直前になっても、まだぶっ壊れ火力が完全には消えていなくて、ちょっと怖かったな。
アクションゲームだったから、彼の動きもしっかり想像できる。
わかりやすい和風の世界観のゲームだったから、名前も和風の安直なやつだったし。
俺はそいつをしっかり思い浮かべ、「ホムラ」と呟いた。
次の瞬間、まるで焚き火にあたっているような優しくて暖かい気配と共に、黒と赤を基調とした戦装束に身を包んだ、日本のゲームによくあるイケメン顔の青年が姿を現した。黒髪だが毛先だけが赤く、瞳も獰猛に輝く朱色。地獄の鬼とかが使いそうな物騒なサイズの棍を持っていた。背丈は執事のジェームズぐらいで、しっかり人間サイズだな。
なんか、無駄に再現度、高くない!?
ゲームからそっくりそのまま飛び出してきたような、「ホムラ」が目の前にいた。
「うん。すごく安定してる。このホムラ以外の精霊を呼び出すのは、しばらくやめて、想像だけしっかり作っていおいてね。出来れば、このホムラの仲間、みたいな形で」
ということは、ホムラが出てくる同じゲームのキャラを再現すれば大丈夫ってことか。
召喚しただけの魔力の消費もイフリートに比べて少ないし、本当に俺は間違った方法で召喚をしてたのか。
その後も細かい指示があったものの、俺はようやく自分の魔眼の力を正しく理解できたのだった。
※ ※ ※ ※ ※
同じ頃、アヴィールの首都、ヴァン。
貴族の屋敷や高級品を扱う店の区画にある、アヴィール国王が住まう王城では二人の貴族が会議室で火花を散らしていた。
一人は王弟ゲオルグ・バーツ。
王位継承を巡る争いに利用されないために、兄に臣下の誓いを立て、王籍から抜け出し、新たな公爵家を興した、魔眼持ちの元王子。
この世界の成人し結婚する年齢が低いため、元日本人のアオイの感覚では孫娘がいる年齢には見えないほど、まだ若い男である。
ゲオルグと睨んでいる男はヘイグ侯爵家当主、マーク・ヘイグ。
年はゲオルグより一回りほど上で、こちらは孫どころかひ孫までいる。マークの隣に座る、跡継ぎの息子カインはゲオルグと同年代で、ゲオルグの幼馴染みである。
カインはゲオルグの信頼の置ける、大事な側近兼友人となるべく、幼少期に先代アヴィール国王の指示で王城で生活していた時期があり、その結果なのか、マークの悪影響を受けなかった。
マークはゲオルグを目の敵にしている。
国王の代替わりの時にゲオルグが即位しなかったせいだ。
どの国でもある話だが、王位継承の順位というのは、基本的に国王の子供として生まれた順番、母親が正妃か側妃かといった母親側の力関係、生まれた子供につく後ろ盾になる貴族の影響力などを総合的に鑑みて、国王と国の重鎮たちの話し合いで決まる。
さらにアヴィールでは建国の経緯上、ダルジア人の血を強く引いていることを何よりも重視している。
血の強さの基準は単純で、ダルジア人の特徴である『エルの瞳』を持って生まれてきたか、どうかである。
エルの瞳を持つ、先代国王の血を引く子は正妃が生んだ双子の兄弟のみだった。
兄グレゴールは片眼の魔眼すら持たないが、国王として必要な他の才覚をすべて持つ、優秀な人間。
弟ゲオルグは片眼の魔眼を持ち、他の能力も完全に戦闘方面に特化している上に、剣術の天才。
当然、貴族たちはどちらに付くかで荒れた。
明確な年上年下の関係がない双子だったことが余計、話をややこしくした。
二人の王子が成長するに従い、『エルの瞳』を継いでないが魔眼持ちであるゲオルグを次期国王に、と望む声が大きくなっていった。
イシュヴァレン伯爵家などのダルジア人貴族は静観していたが、無責任に噂する貴族たちの一番の関心はヘイグ侯爵家が跡継ぎの息子をどちらの王子に仕えさせるか、というものに変わっていく。
初代ヘイグ侯爵がヴァンダールの王族の血を引く者に王位をお返しするべきだと主張し、当時のイシュヴァレン伯爵を指名したのはあまりにも有名な逸話で、以来、ヘイグ侯爵家当主の信頼を得ることが次期国王となる必須条件になっていた。
だからこそ、先代国王の唯一無二の親友であったマークは悩んでいた。
臣下として接していたが、王子二人を実の息子と同等に愛していたからだ。
悩みに悩み、魔眼を持つ人間が玉座に座ることは国益に繋がることだと結論を出し、先代国王にゲオルグを支持することを伝え、カインにゲオルグを支えられる優秀な人間になるように指示した。
その後、ゲオルグから親友として、かなり信頼される立ち位置に立ったと知った時は、嬉しさのあまり、秘蔵の最高級ワインを何の躊躇もせずに開けて一気に飲み干したほどだったという。
マークは息子が王族の信頼をちゃんと得られるのか、不安でたまらなかったからだ。
ヘイグ侯爵家はここ最近、分家筋からも魔眼持ちが生まれない状況が続き、政治的な影響力は低下していた。だが、ゲオルグにヘイグ侯爵家がついたという事実の影響力は絶大なままだった。一気に噂となり国内に広がっていった。
次期国王はゲオルグで決まり、という流れが完全に出来上がると、グレゴールに一切見向きもしない貴族が現れ始めた。
その貴族の存在を知ったゲオルグは当然ながら激怒した。
魔眼が無くても不貞腐れず、勉学と武術訓練に真摯に取り組む兄を敬愛していた。
その敬愛からくる思考回路がぶっ飛び過ぎているがゆえに、『兄上至上主義者』と友人たちに揶揄されるほど、グレゴールを慕うゲオルグには我慢できないことだった。
その怒りが15歳を過ぎてもなぜか魔力の固定化が起こらず、魔眼の魔法を扱えなかったゲオルグに変化を与えた。
殺すのは不味い。だが、俺を怒らせたらどうなるのか、その恐怖を愚かな連中に叩き込んでやろう!
ある夜会で、とうとう我慢の限界に達した瞬間、ゲオルグはその貴族を背後からの回り蹴りで床に叩きつけ、隠し持っていた縄をその貴族の足首に巻き付けた。
そして紐にありったけの魔力を注ぎ込み、バルコニーの外にその貴族を放り投げた。
強化された縄の端をバルコニーの柵に結びつけ、結び目にも魔力を注ぐ。
貴族がどれだけ泣き叫び、じたばたと暴れても、体の重さで縄が切れることなく、しっかりと逆さ吊り状態を維持した。
その上、今、魔法を解いたらどうなるのかと丁寧に説明し、周囲で青ざめ騒ぎ立てる取り巻きの貴族たちを脅した。
ゲオルグが魔顔を使って暴れているという連絡を聞いた先代国王夫妻とグレゴール、夜会に参加していたマークは駆けつけた現場のあまりにも酷い状況に絶句した。
先代国王の姿を見つけたゲオルグはとびっきりの笑顔で堂々と、王位継承の破棄し、さらに王籍を抜け、グレゴールを支える一臣下になると宣言し、騒ぎはとうとう収拾のつかない状態になる。
さらにとどめだと言わんばかりに、兄こそ国王に相応しいと貴族たちの前で言い放ち、どれだけ兄が優れているのかという自慢を語り始め、混乱が増した。
とまることなく、暴走し続けるゲオルグを止めたのは先代イシュヴァレン伯爵だった。
純血のダルジア人である彼は暴走するゲオルグに臆することなく悠然と歩き続け、あと少しで殴れるという距離まで近づいた。たが、彼はゲオルグと目を合わせ、耳元で何かを囁いたただけで、見事にゲオルグ自身の興奮状態を鎮めてしまった。
魔眼の魔法が消えたため、縄に掛かっていた強化状態が解かれる。
逆さ吊りされていた貴族は落下してしまうが、事前に下で待機していた騎士に助けられ、なんとか無事だった。
先代国王はゲオルグに部屋に戻って反省しろ、と言い、イシュヴァレン伯爵と共に騒ぎの収拾を始めた。
急展開すぎる状況と魔眼を持たないが故に手を出せなかったマークの混乱は最高潮に達し、次期国王になってほしいと願ったゲオルグに裏切られたことと、『エルの瞳』を持ち、混乱する貴族たちの話し相手をする先代イシュヴァレン伯爵に、強い感情を抱く。
それはやがて魔眼持ちやダルジア人を憎む心となり、マークはアヴィールに残っていた種族差別思想に触れてしまい、それに思考が染まっていき、国王がグレゴールに決まり、代替わりすると、国王の足を引っ張るようになっていった。
グレゴールを今も深く敬愛するゲオルグはそんなマークに嫌悪感を隠さないため、攻撃的な態度を取り、やがて二人の対立は修復不可能になっていた。
そして現在。
北の大国が戦争を仕掛けてきそうな気配をゲオルグは指摘し、何度も提案していた北の国境警備見直しをマークに却下され、会議室で睨み合っていた。
マークの息子であり、ゲオルグの親友であるカインは二人の険悪なやり取りに胸を痛めていた。
カインはゲオルグの行き過ぎた兄への敬愛を幼少の頃から知っていて理解はあるが、一般的にはゲオルグの感情はあまり理解されないことも知っていた。
国を動かす立場にある王族や高位貴族は、家族をどれだけ愛していても、最優先するべきは国益であり、常にそこに気を遣うのが基本だと叩き込まれるからだ。
そんなわけで、「少しは自重しろ、兄馬鹿野郎」と呆れていた。
父を味方にすれば、ゲオルグから非難されて魔眼で八つ当たりされそうだし、ゲオルグを味方にすると実家が荒れそうで嫌だと悩んでいた。
荒れる会議室の様子に同席する、国の重鎮たちの表情も重い。
そんな空気を切り裂いたのは、グレゴールの咳払いだった。
「落ち着け、バーツ公爵。……ヘイグ侯爵、貴方もだ」
「わかり……ました……」
「私も少々、興奮し過ぎましたな」
敬愛する兄に叱られ、落ち込むゲオルグ。
二人が同時に席につくと、誰かのほっと息をつく気配がした。
「北のあの国の動向はたしかに気になる点が多々ある。それはここにいる皆の共通認識であることは間違いないであろう?」
それには全員がうなずいた。
「ならばこそ、我が国は慎重に動かねばならん。下手に国境警備を強化すれば、あちらが我が国を攻める口実になるかも知れん」
「しかし、陛下、何もしない訳には……」
弱気ながらも意見を出すのは防衛大臣という要職につく男。その言葉にグレゴールはうなずきつつ、こう切り出した。
「相手に気取られずに動く必要があるな。……例えば魔眼持ちの子供の教育を強化する、など」
その言葉に誰もが反応した。グレゴールには正妃と側妃が生んだ子が合わせて四人いる。だが、どの子も魔眼持ちではない。母親は皆、魔眼持ちが安定して生まれている高位貴族の令嬢であるにも関わらず……。
対するゲオルグは三人いる息子のうち、独身の末息子は魔眼持ちである。だが、既に結婚している長男レギウスはなかなか子宝に恵まれず、そちらも難しい状況だった。
つい先日までは。
「バーツ公爵、わかっているな?」
「はい、陛下。我が孫娘が国や民を守れる人間になるよう、すでに教育は始めております」
その教育でアオイが悲鳴を上げていることを知らないグレゴールは、家族想いが過ぎるゲオルグがどこまでしっかり育て上げられるのか、予想が出来ずにいた。
「急な国防見直しは民に混乱を与えるものだ。まず身近なところから地道に頑張るしかあるまい」
グレゴールの言葉にゲオルグは悔しいながらも同意した。まだ明確な戦争の予兆が無いのだ。いろいろとやりにくいことは理解している。
「この話はこれで終わりとする。次の議題に入るとしよう」
議論するべき議題はまだまだある。会議の時間が有限である以上、これは仕方のないことであった。
会議が終わり、重鎮たちが互いを労いながら席を立ち、去っていく。
「陛下、このあと少しよろしいでしょうか? 我が娘に関する話なのですが」
グレゴールも会議の資料をまとめ、席を立とうとした時、かなり真面目な顔でレギウスが近づいてきた。
会議中、ゲオルグの後ろでずっと沈黙してい控えていのだ。
「そなたが余に相談事とは珍しいな?」
「……はい。黄色い月、といえばご理解頂けるかと」
黄色い月。
それはこの世界において、異世界転生者を指す隠語であり、これを知る者は限られている。
グレゴールは知っていた。あの騒ぎの後に、先代国王がゲオルグは国王に向いていないと言い切り、グレゴールに王位を継承する者のみに伝えられる国の秘密の一つとして伝えられていた。
この世界の形を歪ます、危険な異世界の知識を持つ者たち。
戦では諸刃の剣となり得る、異世界からの転生者について。
「場所を移そう」
それだけ言うとグレゴールとレギウスが同時に会議室から出ていき、国王の許可なく立ち入ることが許されない、城の奥の区画に入っていく。
それを興味深そうに見守るゲオルグと、何を思ったのか憎しみがこもった目を向けるマーク、そんな二人の様子を見ながら早く帰りたいと焦りながら汗をかくカイン。
アヴィールに嵐が訪れようとしていた。




