ep1 恩
法則:死んだら生き返らない
法則:時間は戻らない
法則:論理矛盾が起こらない世界である
曰く、「世界は法則に縛られている」と。
「なぜなのですか?」若かりし日の俺は当然の様に口走った。
「未熟者が。それを訊いたところで理解できるのか!?」言葉は辛辣だが、その根底にあるのは慈愛に思えた。
「すみません。で……、でも知りたい!理解したいです!!」そのときの俺は必死だったと思う。
「宜しい。だが、改めるべきは考えなしに他人に答えを求める、その癖だ。
考えること、感じること、その二つこそが答えに至るための最高の手法。
それを経由しないならば解った気になるだけだ。それを肝に銘じろ!!」
「す、すみません、わかりました」
「ところで、なぜと問うたな?」
「はい」
「理由など単純だ」
「そうなのですか?」
「三時のおやつは?」
「ぶ、文明堂?」反応が遅れる、完全に不意打ちだった。
「では、いまカステラを食べたいか?」
「いえ、先ほどごはんを食べたので今はそう思いません」
「空腹になれば食べたいと思うか?」
「た、たぶん」
「そんなものだ、理由などそんなものだ。」
「……」俺は先ほどの忠告通り自ら考えることにした。
「考えは纏まったか?」1分も経たない内に迫られる。容赦ない。
「ある程度は……。先ほどの流れからすると、『世界は法則に縛られている』その理由は生理現象に関連しているということでしょうか?」
「ヒントに囚われすぎているが、半分正解だ」
「半分ですか」
「そうだ。模範解答を教える。『存在の固定』が理由である。」
「存在の固定……」
「チェスは好きか?」
「はい、面白い競技だと思います」
「ではルールのないチェスは存在するか?」
「そんなのありえません。つまらないです」
「そうだな。チェスはチェスたるためにルールがある。ルールがなければチェスと呼べぬ。
では、ルールがないとは何だ。決まりがないとは何だ。
答えはシンプル。何でもありということ。それ即ち、同じ条件下であっても或る時には起り、また或る時には起らない。そんな事象を許容することに他ならない。
実に不安定な世界だ。そう、それこそつまらんだろうな。
そこでだ。世界は思ったのだ、如何様にでも変容しうるこの不安定な世界で、すべての可能性が等しく存在するこの世界において、『私は誰なんだ?全てであり、同時に全てではない私とは一体何だ?』と。そして疑問は決意に変わった『私は何かでありたい』と。世界はその瞬間、一般から特殊になったのだ。全体集合であった存在を一個の要素にして。等しく存在していたはずの無限個の可能性から一つだけを選び出して。世界は自身を唯一無二の世界として存在を固定した。それは世界の希望であり意志である。
まあでも本人的には、『おなか空いたからおやつ食べよ』くらいの生理的現象に近いだろうがな。
存在が存在たるためには境界を定めねばならぬ。世界はその境界を定めたのだ。世界の境界となるもの、これが法則だ。
ただし、これだけではお前の回答を換言したにすぎん。」
「そうですか?ぼくには到底考えるに及ばないことでしたが」
「そうか。では訊こう、ここまでの話で不自然なところはなかったか?」
「不自然、そうですねー……。あ、世界が何かを考えるという点。それはおかしくないでしょうか?」
「合格、そうだ。世界に人格があると決めつけているところはおかしい。更には、その人格の思うところを決めつけているところも無理やりだ、こじつけである。今の話はおとぎ話として受け止めてくれ。
然しながら、先ほどわしは揺るぎない事実を口にした。或いは定義とも言えるか。それは、『存在が存在たるためには境界を定めねばならぬ』というものだ。境界のないものは存在にならない。ということはだ……。
ところでお前は存在しているか?」
「えっ……?」
「お前は存在しているかと訊いているのだ。簡単だろう?」
「あっ、はい、存在しています。」
「よろしい。お前は存在している、どんな時でもそこを起点として考えるのだ。始まりなんていつもそんなとこから入るものだ。よく覚えておけ。」
「はい」
「で、お前が存在しているのならば、この世界には少なくとも一つ以上の存在があるということはわかるな。そして外的要因、内的要因のいずれにしろお前は変化をする。しかし、お前は存在し続ける。どんな容貌や精神構造に変わったところで、お前はお前だ。揺るがず安定しているのだ。存在が固定されていると言ってよいだろう。理由と呼ぶにはいささか乱暴かもしれぬが、お前が存在すること、それこそ理由だ。お前が存在するためには、法則が必要なんだ。世界が法則を持たなければお前は存在しない。これが解答だ。」
「何だか狐につままれたような気分です」
「そりゃそうだ。鶏が先か卵が先かみたいな結論になってしまったからな。滔々と説明したが、あくまでこれはわしの見解だ。矛盾点や穴があるかもしれない。お前はそれを本能的に嗅ぎ取って違和感を感じているのかもしれない。
然しながらだ。お前は最初の質問『なぜなのですか?』の時点で思考を放棄し、この命題を吟味し己が糧とすることを諦めたのは事実。先も話した通りに、他人から与えられた解答はお前の解答には成り難い。解った気になるということだ。戒めよ。」
「はぁー、落ち込みます。」
「ふぁっはっ。落ち込め、落ち込め。だが、その後悔を忘れるなよ。」
「そうですね。わかりました"師匠"!!」
目が覚めた。夢で昔のことを思い出していたようだ。
俺はかつて、へんな老人のところで暮らしていたことがある。仙人のような白髭に白髪のじいさん。
師匠と呼び慕うその人に対する恩を俺は忘れたことがない。
5才でおつかいを頼まれ意気揚々と家を出たは良いが迷子となり、それがきっかけで出会った人だ。
迷子になったとは言ったが、正確には迷子にされたのだ。野良猫に。
おつかいの途中で出会った野良猫は何かから逃げるように足早に動いていた。走りはしなかった。
今思うと俺から逃げていただけかもしれない。そのもふもふはなんとも魅力的で追いかけずにはいられなかった。
そして見失った。猫どころか居場所も見失った。泣きじゃくり座り込んだ所は「異界」「異世界」と呼ぶに相応しい場所だった。帰るあてもなく、文字も言語も種族も何もかもが出鱈目なその世界で、10年ものあいだ俺を養ってくれたのが師匠だ。受けた恩は返したい。如何なる形であれ。
今日も俺は道を往く