3 彼女の「父親」が倉瀬に願うこと
「…あれ?」
見慣れない顔が、そこには居た。
「…吉衛…どうしたの?」
「用事があったので」
簡潔な返事だった。なるほど、と彼は思った。
三月初め。教室に差し込む日射しが日に日に暖かくなる頃。
既に部の世代交代もし、高校も決まった三年生のクラスがずらりと並ぶ三階は、のんびりとした空気の中にあった。
とは言え、「のんびり」と思っていたのは倉瀬だけかもしれない。確かに勉強からは解放されたかもしれないが、個人的問題からは解放されていない者が多かったのだ。
例えば14日。ホワイトデー。単純にお返しに悩む者も居れば、この先の進路上、付き合いそのものを見直さなくてはならない者…様々だった。
もっとも、倉瀬はその類のことに関しては、鈍感だった。
いや、考えている暇が無かったと言ってもいい。彼の三年間は、結局部活に始まり部活に終わったと言ってもいい。
そして特にそうなった原因が目の前に居た。
それはとても珍しい光景だった。
トモミが彼等の学年のフロアにやって来たことは、彼が彼女を後輩として受け持ってから二年、一度として無かった。
彼女曰く「用事が無いし」。
倉瀬自身も、その返答に対し、実に「らしい」と思っただけだった。出会った時からそうだった。他人に無駄に使われる時間を惜しみ、「部活動の掟」を無視し、図書室から引きずられてきた後輩である。
彼女にとって「自分の時間」は一秒たりとも他人によって無駄にされるべきものではないのだろう。倉瀬はそう思う様になっていた。
それが彼女だ、と思ってしまえば大した問題ではない。
だったら彼女に「現在」を「無駄な時間」と思わせなければいいのだ。結果オーライ、彼のウッドベースの腕も非常に上がった。
だが彼女を良く知らない同級生は、そんな彼に茶々を入れてくれたりした。
「結構お前のとこの後輩、可愛いじゃん。付き合ってみようとか、そーいうの、ないの?」
知らぬが仏、である。聞くたびに彼は肩をすくめたものだった。
確かに自分が彼女と全く関わりもない、ただの「一学年上の先輩」なら恋愛対象として見たかもしれない。しかし実際のところ、この部活の先輩後輩はそれどころではなかったのである。
一度そうはっきり同級生に言ったら「そいつは淋しいぜえ」と思いきり呆れられた。
「うーん、よく考えてみれば、それはそれで淋しいかも」
「よく考えてみなくてもそうだろ」
確かに倉瀬とトモミの毎日は真剣だったが、同じ様の繰り返しだった――― かもしれない。彼等の間には必ず楽器があった。
しかしどうも、この日は違った。彼女の手には教本も、弦を弾く弓も無い。
そして彼女は口を開くや否や、こう言った。
「クラセ先輩、今度の日曜日、予定はありますか?」
「日曜日? 無いよ」
「じゃ十三時、**駅のロータリーの花時計の前に来られますか?」
彼は少し考えると、短く答えた。
「行ける。でも何で?」
彼はまずYESとNOを、彼女には言うことにしていた。それがどんな質問であったとしても。この回答が無いと彼女は混乱する。次の言葉が出て来なくなるのだ。
そして次の言葉はこうだった。
「父が食事かお茶を一緒にしたい、って言ってましたから」
「お父さんが?」
彼は濃い眉を寄せた。はい、と彼女はあっさりとうなづいた。周囲の方がその会話を耳にして、固まっている。
「そういう条件ですけど、行けますか? 大丈夫ですか?」
彼女は重ねて問いかけた。
「ああ… 大丈夫」
彼は首をひねりつつも答えた。断る理由も無かった。
「ではその時に、…よろしく」
彼女は来た時同様あっさりと背中を向けた。
何なんだ、と彼女の行動には慣れていたはずの倉瀬も、この時には首をひねるばかりだった。しかしゆっくり考えている余裕は無かった。うわ、と不意に彼は後ろから首を絞められるのを感じた。
「おーいクラセ、今の何だよ」
「ううう、く、苦しいって… 何だよって何だよ」
「今の! あれ、前言ってた後輩だろ?」
「変だ変だって、可愛いじゃんよー」
「こいつ隠してやがったなー」
同級生は一斉に彼をこづいたり冷やかしたりする。
「やめれ! …そんなんじゃ、ねーんだよ」
何とか彼等の腕を逃れ、へえへえと彼は息をつく。
「そんなんじゃないってよ、…ぜいたく」
なあ、と数人の男子は揃ってうなづく。
「何だっけ、吉衛トモミちゃん、だよなあ。確かこないだの期末で二年で五位だったって言うじゃん」
「まあ… 頭はいいよな」
彼は記憶をひっくり返す。確かに相変わらずその類の「頭はいい」のは変わらない。いや、出会った頃より良くなっていると言ってもいい。それは認める。
だが。
「それに可愛いし綺麗だし、大人しそうだし、いいんじゃないかあ?」
一人がそう言った時、彼は思わずこう言っていた。
「あいつ、綺麗なのか?」
「…おい」
周囲の同級生は、再び彼の身体を取り押さえた。
「だから俺が何したって言うんだっ!」
「お前目悪いんと違うか?」
「慣れすぎてる、ぜーたく」
そんなこと言われても。彼は再び必死で腕を振りほどく。
「だってなあ… 俺はそういう目で見たことは無いの!」
「だったらもったいない!」
「だよなー。そーいえば、隣のクラスの徳松、あの子が楽器弾いてるのがいいからって、付き合ってくれとか言ったんだろ?」
「は?」
初耳だった。思わず問い返す彼を、周囲は更に責め立てた。
「…何、お前、知らないの?」
「…知らん。でも断られたんじゃないのか?」
「ご名答」
ぱちぱち、と周囲は苦笑しながら拍手した。だろうな、と彼は思う。自分は単に彼女と近すぎてその対象に見られないだけだが、彼女はそれ以上にまず―――
「やっぱり倉瀬って、女に興味無いって本当だったんだ…」
「は? 何だよそれ」
そんな噂立ってたのか? と彼は眉をハの字にする。
「だから、いくら後輩ってなあ…」
「彼女、背も高くて綺麗だし、ああいう楽器、似合うんだよなあ… ゆったりとこーやって」
「あーいうの、『優雅』っーんじゃねえ?」
一人がポーズとしなを同時に作って見せた。思わず倉瀬は「そりゃ違う」と内心突っ込んだ。
優雅だなんて。彼の頭にひらめいたのは、ついコピーしてしまった某3ピースバンドの激しい曲を、弦も切れんばかりに弾きまくっている彼女だった。
どう考えても、そんな単語は自分の後輩とは結びつかない。彼女が「楽譜と音が結びつかない」と常日頃言っているのと同じ位に。
そもそもその「優雅」に見える演奏をするために、彼女がどれだけ繰り返し繰り返し練習しているのか知りもしないのに。
「…とーにかく、別に俺はあいつにどう、って訳じゃあないから、気があれば、当人に言ってくれ」
そんな、と周囲から声が飛ぶ。どうやら中には「取り持って欲しい」と内心考えていた者も居た様である。
彼は少しばかり不愉快なものを感じた。
そんなこと知るか。彼女のテンポを乱して玉砕すればいいんだ。
内心彼は、吐き捨てた。
*
日曜日。「**駅のロータリーの花時計前」に彼は居た。
そして花時計が十三時を指した時。
「先輩ーっ!」
パールピンクの軽自動車の窓から、聞き覚えのある声が飛んできた。トモミが助手席の窓から手を振っていた。
すっ、とそのまま車は彼の前に止まった。
「こんにちは先輩、後ろに乗って下さいな」
扉を開ける。すると、やあ、と運転席から声がした。
「こ、こんにちは」
「倉瀬くん? はじめまして。トモミの父です。よろしく」
若い声だ、と倉瀬は思った。振り向いた顔も、二十代後半位に見えた。
「いきなりでびっくりしただろ?」
なめらかに動き出すとすぐに、彼は倉瀬に問いかけた。
「ええ、まあ…」
「トモミさんから普段から君のことは聞いてたから、一度会いたいとは思ってたんだ。…お昼は食べたかい?」
「いえ、まだ」
「じゃあ食事としようか。いや、こんな半端な時間、おかしいと思っただろう?
でもこの子の部活が十二時半までというからね」
まあそんなものだろう。日曜日の部活動は午前中だけだが、実際に終わるのは十二時半だった。おそらく彼女の父親は、学校まで彼女を迎えに行き、その足でロータリーまで向かったのだろう。
やがて車はこぢんまりとしたレストランに止まった。
木製の看板には、「洋風家庭料理」と書かれていた。扉を開けると、天井が高いせいか、外見より広く見えた。「三人」と告げて入った内部には、一つ一つのテーブルが、立ち並ぶ他の座席と壁や植物できちんと区切られている。
普段友人達と行き慣れているファーストフード屋やファミレスとは何処か違う、と彼は思った。普段家族と行く店ともやや違う。何と言ってもこの店は静かだ。家族で行く店はもっと雑多だ。それは「安くて量がある」店の宿命なのだ。
だがここはそうではない。
席に案内されると、彼女を奥に、父親はその隣り、彼は父親の正面に座らされた。
「何がいい?」
と言われても。彼は思わずメニューを手に固まった。
「どうしたんだい?」
穏やかな声で、父親は問いかけた。長身。丸眼鏡の下に優しそうな瞳、柔らかそうな髪。さっぱりとしたスーツ。ただしネクタイは無し。
…そしてやっぱり若々しい。歳の離れたきょうだい、と言った方が納得できるかもしれない程。
「や… あの、お任せします」
「何でもいいのに」
そうは言われても。いつも見るメニューとは値段が違うから。
「いえ、俺好き嫌い無いですから」
そう、と父親は微笑むと、軽いコースを三つ頼んだ。ウエイトレイスがデザートやアフタードリンクの種類まで、穏やかな口調だが事細かに聞いて来る。彼は多少戸惑った。
ウエイトレスの背を眺めながら、彼は水を口にする。そのグラスもまた、良く見る素っ気ないものではなく、細かいカットがされたものだった。
「緊張している?」
ふふ、と笑いながら彼女の父親もまた、水を口にした。
「ええまあ」
彼は率直に述べた。
「まあ、それはそうだろうね… ただ実のところ、僕は君に一度会ってみたかったんだよ」
「…はあ」
「どうして、って顔しているね」
「…はい」
「どうしてだと、思う?」
「…えー… まあ、俺が、吉衛… トモミさんの部活の先輩だった、ってことで…」
それ以上に彼には浮かばなかった。実際、自分達のつながりなど、それ以外何があろう。
父親はその言葉に大きくうなづいた。
「それはそれで、正解。それに加えて、この子に二年間よく付き合ってくれたなあ、というお礼が一つ」
「一つ」
「君、進学は公立の工業に決まったんだって?」
「…あ、はい」
唐突に変わった話題に彼は思わず身構えた。
「ということは、進学は、それ以上はしない?」
「はい。大学行く程の成績でもないし、勉強は…まあ…」
彼はぼかした。ちら、とトモミを見ると、何となく首を傾げている様だった。しかし以前に工業に行く理由は彼女にも告げてあった。
「で、だ」
そう言った時、前菜が運ばれてきた。ウエイトレスはそっと音を立てずに皿を彼等の前に置いた。父親はそれに構わず、テーブルの上で手を組むと、倉瀬の顔をのぞき込む様にして話を続けた。
「この子も工業に行きたい、って言うんだよ。君と同じ」
「は?」
さすがにそれには倉瀬も驚いた。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ…」
「初耳?」
「初耳です。…お、おい」
そう言いながら彼は今度はトモミの方を向く。
「確か期末テストでは、五位だったって…」
「ワタシ、言いました?」
「いや言ってないけど… それで何で工業?」
順番を飛ばした質問に、トモミは顔をしかめた。ふふ、と笑いながら、父親はそこに助け船を出した。
「つまりね、トモミさん。君は成績がいい。成績がいいなら、行くのはまず市内でもトップクラスの進学校だろうと普通は大もう。なのにどうしてそれほどランクが高くない… ああ失礼… 工業高校に入ろうとするのか、彼は不思議がっているんだよ」
さすがにその意味は父親の方が判っていたらしい。短い彼の疑問の中に含まれているものを一気に彼女に伝えた。
そして彼女の答えはいつも通り、簡潔だった。
「先輩が工業に行くから」
「という訳だ」
言いながら自分の方を見る父親に、はあ、と彼は脱力した。
「…も、もちろん、反対…ですよね? あの、お父さんは…」
「いいや?」
そう言いながら、父親は前菜に手を付けた。
「君もお腹空いているだろう?」
空腹感はあった。だがショックでその感覚が迷子になったかの様だった。
だが一応フォークを手にする。チーズのかかったサラダを口にする。味は何とか感じられる様だった。しゃくしゃく。美味い。
ふふ、とそんな彼を見ながら父親は言葉を続けた。
「僕はね、倉瀬君。本当に君に感謝しているんだよ」
「はあ…」
またも彼は曖昧に返す。だが次の言葉が非常に怖い。
「で、これからも感謝したいんだ。それがもう一つ」
「はい?」
倉瀬はフォークを口に突っ込んだまま、顔を上げた。
「僕はね、別にこの子がどの学校に行こうが構わないんだ」
「はあ…」
「この子が楽しく学校生活を送ってくれること、それだけでいいんだよ。だけどこの子は少し変わっているだろう?」
彼は口ごもった。
確かに変だ。しかしさすがにそれを直接父親に向かって言うのは。
「変わってるんだよ。まあ変わっていて当然なんだがね。僕達はこの世界の人間じゃあないから」
「は?」
彼は眉を寄せた。すると父親は急に真面目な表情になり、フォークを倉瀬の前に立てた。
「実はね、僕等は十二年前にこの世界に飛ばされてきた異世界人なんだよ」
倉瀬の眉間のしわはますます深くなった。
からかってる、絶対からかってる!
「…冗談でしょう?」
「だから、この子が変わってるのも仕方ないんだよ」
「冗談ですよね?」
「この子は見かけはこの世界の人間と同じだけど、脳の作りが微妙に違うから、君等と同じ様なやり方でものごとをこなせないんだ。その代わりと言っては何だけど、記憶力はすごくいいからね。本当。それで全部補ってるんだ」
「…だ、か、ら! 冗談ですよね?」
言うに事欠いて、それはない、と彼は思った。
子供相手としても、それはあまりにもリアリティが無い。からかわれていると思っても仕方がない。
だが父親はまだも続けた。しかも今度は姿勢を低くして、声を潜めて。
「…実は僕も、この子の父親じゃあ無いんだ」
「…じゃあ何ですか?」
倉瀬はあきらめた。父親はどうやらその話を言うだけ言ってしまいたいらしい。
彼はサラダを噛むことの方に意識を集中させることにした。しゃくしゃく。レタスとチーズとドレッシングがちょうどいいバランスで口の中で弾ける。
「僕はね、この子の教育係だったんだよ…」
「教育係、ですか」
「そうなんだ。向こうの世界には、親とか子とか、そういう関係が無くてね。僕も人間に見えるけど、実は人間じゃあないし」
「…あの~お父さん、お仕事、何ですか?」
サラダが無くなった。さすがに倉瀬も話を遮ることにした。すると父親はふふ、と笑ってこう言った。
「物書きだよ」
「でしょうね」
倉瀬は大きくうなづてた。
「…まあ君が、僕の話を何処まで信じるかは自由だけどね」
まるで信じられるかって言うの、と彼は内心つぶやいた。
「ただこの子が周りの子達と『違う』のは生まれつきだ、ということは何となく、判るだろう?」
「…やっぱり、そうなんですか?」
「そう。だから父親としては、心配で心配で」
ぱく、と父親は情けなさそうな顔でサラダの最後の一口を口にする。
「で、君にこれからも、この子をお願いしたくて」
「は? だけど俺は工業で」
「だからこの子も、その次の年は工業に行くでしょう。まあこの子なら、そんな受験の一つや二つ、受かるでしょうし」
「だけどそんな成績がいいのに」
「成績は確かにいいでしょうがね。でもまた誰も学校内に話し相手の一人も居ないですか? それはさすがに… ね」
う、と倉瀬は口ごもった。確かにそれは、親としては辛いところではなかろうか。中学では小学校時代を知っている者が多かったからともかく、高校ではまた新たないじめに遭うことが目に見えている。
「だ、だけど俺は」
「この子のことは嫌いですか? 君がそうだと言うのなら、それなりに判る様に、この子には説明しますが」
「嫌いでは」
彼は言い籠もる。父親は軽く首を傾げた。
「嫌いではない。では好き?」
何って単刀直入な聞き方だ。彼は言葉に詰まった。
そこを狙いすました様に、メインの料理が運ばれて来た。大きな肉がごろごろとした茶色のシチュウだった。
彼女は中の赤い野菜をつんつん、とつついている。
「それはビーツですよ、トモミさん」
気付いた父親は娘に向かってすかさず解説をする。トモミは顔を上げ、父親と視線を合わせる。
「ビーツ? ビーツって何?」
「先日あなたとロシア料理の店に行った時、ボルッシィという名で出たでしょう? あのシチュウと良く似ています。つまり、大丈夫です」
判った、とトモミはうなづくと、スプーンを取って食べ始めた。
「君も料理をどうぞ。冷めますよ。どうやら答えの出しにくい質問を、僕はしてしまった様だ」
「や、嫌いか好きか、二つに一つなら、『好き』の方です」
倉瀬ははっきりと言った。
「それは、確かです」
そうですか? と父親は問い返した。そうです、と倉瀬は大きくうなづいた。
「ただ、あの」
「恋愛感情では、ない、と」
「…はい」
彼はその返事を一瞬ためらった。彼女の父親は彼に、それを求めている様に感じられたのだ。
普通なら逆だろう、と彼は思う。この年頃の女の子の父親というものは、たいがい娘に近寄る男子を害虫扱いするものだ。
だが相手は「トモミの」父親だった。
その時点で、倉瀬は自分にそんな「普通」の答えは求められていない様に思えた。
何かがずれている。それが「何」なのか、彼には上手く言葉にできないが、確実に。だから彼は率直に答えることを選んだ。トモミにいつもそうする様に。
さすがに二年弱の付き合いがあれば、様々な彼女の周囲との「違い」は見えてくる。
例えば彼女には嘘がつけない。嘘ということが理解できない様なのだ。言葉は彼女にとって額面通りのものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
だから彼女との対話は時間がかかる。周囲の、普通の同級生や部活の後輩、教師、家族、はたまたご近所のおじさんおばさんと話す時には「言わなくても判るだろう」ことを省略することが、全くできない。
父親はその意味では「普通の」人に見えたが、それでもここではトモミに答える様に、率直であるのがいい、と彼は思った。
「後輩か、…妹みたいな感じ、です」
そう、年下の女きょうだい。それが一番当てはまる言葉だった。
無論彼とて、思春期真っ盛りの男子だ。いくら「女子に興味が無い」と噂されようが、同学年の女子の体育の時間に揺れる胸や、年々短くなっていく制服のスカートの下の太股に目が行ってしまうのも事実である。
だけどそれはトモミに関しては適用されなかった。
彼女の体操服姿も見たことがある。夏の盛りの水着姿も目にしている。彼女は周囲に比べて成長がいい。背も高い。脚はすらりとしている。胸はやや小さめだがバランスがいい。
…客観的に言えば、確かに同級生から「お前目がおかしい」と言われても仕方が無いのだ。
だがやはり、彼女は彼女であって、倉瀬にしてみれば、それ以上の何者にも思えない。部活の後輩、困ったことができたらサポートしてやる存在。それ以外の何者でも無いのだ。
「…そうですか」
父親はその答えに満足した様にうなづき、スプーンを取った。
「だったらそれは、それでいいんですよ」
「…すみません」
「謝ることではないです。ただ、僕もずっとこの子を見ていられるという訳ではない。だから、外にできるだけ味方を作っておきたい、…それだけですよ」
「だからって… あの」
「別に多くのことを期待はしません。…ただ、この子とずっと友達で居てくれれば。それだけで、いいんです」
静かな声だった。だがそれだけに、奥に含まれた気持ちは強い様に、彼には思われた。
「…それだけ、ですか?」
「ええ」
本当に、だろうか。
倉瀬の中に、問いただしたい気持ちが無い訳ではなかった。だが自称物書きの父親は、それ以上言葉を費やす気は無い様だった。
「ほら、シチュウが冷めますよ」
慌てて彼は、スプーンを手に取った。