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【現代・社会人】

眼鏡(はずした)男子

作者: 朝野とき

ちょっと言葉づかいのあらい女と、眉目秀麗だけど妙に残念な眼鏡男子の恋愛未満の一コマ。注)主人公の一人称は「あたし」です。

『ちょっと頼まれごとしてくれないか?』


 電話してきたのは、高校の時からの男友達、一樹いつきだった。


「久しぶりに電話してきて、頼みごとか!で、なに?」


 あたしが笑いながら答えると、


『車、出して欲しいんだ。来週の日曜、県立体育館まで』

「ん?体育館…?」

『うん、模範演技を頼まれたんだけど、朝ぎりぎりまで仕事の予定入って、電車じゃ間に合わん。いつもみたいに、行きだけでいいから』

「あぁ、いいよ、ひまだし。事務所にいけばいい?」

『サンキュ。7時に頼む』

「OK」


 あっけなく、電話が切れた。

 そう、あたしと一樹は気軽にものを頼み頼まれる友達だ。

 甘さのかけらも、ない。


 ……いや白状するなら、知り合った高校生のころは…眉目秀麗・文武両道で気さくでいいヤツな一樹に恋心をもったときもあった。

 でも、モテる男だったから、告白するタイミングもなくて。

 そうこうするうちに、あたしの中で恋心より友情に落ちついた。


 一樹はというと、その容姿と気さくな性格から告白されてつきあう機会はたびたびあるようだったが、みんなしばらくすると友達になってしまうようだった。


 つきあった女子、もしくは、私のように一時は片思いしていた女子は口ぐちに言う。


「だって、一樹はいいやつすぎるんだよ…」

「面倒見よすぎて、恋というか熟年夫婦みたいに馴染みすぎちゃうっていうか…」

「自分だけを見てほしいけど、みんなに優しいし…」


 ……だよな。

 ときめきに欠けるやつ、なんだよなぁ。


 ま、いいけど。


*******


 一樹と約束していた日曜日。

 一樹が働いている法律事務所のあるビル前に車を止める。

 運転席で待っていると、ビルのガラスドアが開いて、ボストンバッグを肩にかけた一樹がでてきた。


 ……あれ?


 遠目にみて、一樹に違和感をもった。

 黒のシャツにジーンズのラフな格好でこちらに歩いてくる一樹。


 あ。

 眼鏡が、ない……。

 

 あたしがその姿を凝視していると、一樹は慣れたかんじで助手席にのってくる。

 いや、車を出すことはときどきあるから、慣れてていいんだけどさ。


 あたしが固まってしまったまま一樹の顔をみてるからか、一樹はその綺麗な眉を寄せた。


「なに?」


 眉を寄せても綺麗なんてずるいが、そういう綺麗な顔をしているのは、もうずっと前から知っている――……眼鏡をかけた、状態で。


 長いつきあいだから、もちろん眼鏡をはずした顔だってみたことあるけど…。

でもそれは、眼鏡が汚れて拭く一瞬だとか、眼鏡をはずして疲れたように眉間をもむちょっとした時間だった。

 こんな普通に真正面から素顔を見ることはなかったように……思う。


 長めの前髪は黒のサラサラ。その前髪がかかる切れ長の目。すっと通った鼻筋に薄めの唇。

 室内仕事が多いせいか日焼けしていないが色白というわけでもない。細身の身体だが軟弱に見せないのは、姿勢の良さと堂々とした所作によるものだ。


 普段の表情は怜悧に近い。

 決して内面は冷淡ではないが、たぶん整いすぎた顔がクールな印象を与えるのだろう。


 それにしても。

 ……眼鏡の向こうに見えてても冴え冴えとしていた瞳が、眼鏡を外されるともっと威力をもつ美しさなんて…なんなんだよ、こいつ!


「なに?どうした片瀬?」


 あたしの名を呼び、怪訝な顔してたずねてくる一樹。


「イヤ…別に。」


 あたしは振りきるように前を向いて、車を発進させた。


 前を向いて、一樹と並んでいると…つまり、顔を見ないでいると、気持ちが落ち着いてきた。

 普通に運転をはじめたあたしに安心したのか、隣の一樹が、


「あ、忘れないうちに、コレ、後部座席に置いておくから」


と言って、身を乗り出すようにして後ろに何か置いている。

 あたしだったら、後ろの席に何か置こうとしても腕が届かないが…。やっぱりデカイ体してるよな……細身なのに。


「コレって、なに?あたしには見えない」

「え、あぁ、車を出してくれた礼。今日は一心庵の茶菓にしてみたぞ」

「……あ、りがと」


 いつもながらに、一樹はよく気がつく。


 本来なら「礼なんていらない」と言うところだろう。

 だが、今までの長いつきあい、一樹に関してはそういう遠慮はしない方が良いと知っている。

 何を言おうと、結局あの綺麗な目に剣呑な色をのせて「オレからの礼を受け取れないのか?」と言われ、受け取らされることになるのだ。


 遠慮は無用……と、こっちがいいたいが、一樹は人になにかを施すのが好きなのだから、受け取ってやるのが一番良いんだということで、(自分の中で)落ちついた。


 ちなみに、一心庵の茶菓は大好きだ。

 これも洋菓子が食えないあたしの好みを熟知している一樹の、限りなく気の回る性質によるベストチョイスだ。


 この気の回りようが「特別な誰か」に限定されれば、きっと大恋愛に発展するんだろうが…万人に適用されるから、厄介なのだ。

 あたしは、ちょっとため息をついた。


「ん?もしかして、片瀬、体調とか悪かったか?」


 あたしの小さなため息も聞き逃さずに一樹は、たずねてきた。


「いや…元気だから、心配するな。一樹のその限りない気遣いがありがたかっただけ」

「気遣いなんてしてないが…礼は大切だろう。県立体育館までは距離もあるし。」


 一樹はきっぱりと返事してくる。


「…県立体育館に行くのは初めてだな。」


 話題を切り替えてあたしが言うと、


「あぁ。いつもは、隣県の武道館を使うからな。そっちが改修中で、今回は県立体育館の武道場なったんだ」


と返事した。


 一樹は、幼いころから合気道をしている。

 実は黒帯らしくて、師範からの覚えもめでたい…らしい。やっているところを見たこともないからわからない。

 そして、今日のように師範の手伝いでときどき模範演技やら会場設営やらを頼まれることがあるらしい。

 この頼まれごとのため、私も含めて車持ちの友達に車を出してくれと依頼がくるのだ。


 もちろん、車もちだからといって、誰にでも頼るわけではなく、運転が好きな友達連中に限定される。

 あたしのドライブ好きは、一樹は承知の上だ。彼氏と別れてフリーなのも確認済み。彼氏持ちだと、彼氏にどんな疑いがかけられるかわからないということで。

 しかも、負担がかからないようにと、行きだけや帰りのみなど、距離や状況を考慮して友人を選び頼むあたり、一樹の気の遣いようがわかる。



「片瀬、道順とか大丈夫か?いちおうマップも持ってきた」


 ……一樹、準備よすぎる。

 ナビをつけていないあたしに対する配慮だろうけれど……と思っていると、


「朝飯は食ってきたか?コンビニだけど、サンドイッチとコーヒーもあるから。あ、これおまえの好きなメーカーの眠気覚ましガム」


 そう重ねるように言われて、ガサゴソとコンビニの袋が運転席と助手席の合間に置かれる。


 そりゃ、一樹とつきあった女子は落ち込むよな。

と、横目でそのコンビニ袋を見て、(心の中で)再確認。


 ……おまえは、「鬼畜系」でも「独占欲垂れ流し」でも「王子キャラ」でも許されそうな外見&頭脳なんだが。

 なぜ、よりによって中身が……「良い人系」なんだ。


『世話好きで気が回ってでも押しつけがましくない優しさが、万人に善意100パーセントで発動する』

なんて。


 ――……つきあうカノジョ、つらすぎるだろ、それ。


 見目麗しい隣の男友達の「残念さ」に心の中でため息をついた。



***************


 郊外に新しく建った大きな体育館は、テニスコートやらグラウンドやらもいくつもあり、くわえて体育館そのものも大きな建物だ。ラケットをもつ人やスポーツウェアの人などが、駐車場横の歩道を通り抜けていく。


 私は、空いた駐車場に車を停めた。


「行きだけでいいんだっけ?あたし、今日は終日フリーだから、送ってもいいよ?」

と言いながら、隣を見ると……。


 しまった!

 こいつ、眼鏡かけてなかった!


 涼やかな瞳を流してこちらを見た一樹に、一瞬あたしは固まる。


 いつもは眼鏡をかけていて、ともすれば冷たい印象を受ける目が、今日はおそらく慣れないコンタクトなのだろうか。ちょっと焦点があわないような時があって……その小さな隙が妙に艶っぽくうつる。


 あぁ、もう!無駄に色っぽい流し目はやめて欲しい!心臓に悪い!

 そう心で悪態をついている私に、不思議そうに一樹は首をかしげる。


「どした、片瀬?」

「いやいや、なんでもない…。そ、それで、どうする帰りは?」


 あたしがちょっとうろたえて目線を泳がせつつたずねると、一樹はそれ以上あたしの態度を追及することはなかった。


「そうだな…片瀬は、本当に用事とかないか?」


と、一度確認してから一樹は、


「実はまだ書類作成が終わってなくて。模範演技の披露が終わったら、早退して事務所にまた戻りたいんだ。」

「OK。事務所はこっちの路線からだと時間がかかるしね。いいよ、待っておくから、帰りも送るよ」

「そうか?すまん。あ、じゃあ、見に来るか、発表会」


 車から降りてボストンバックを肩にかけながら、一樹はあたしを誘った。


「え?部外者も見ていいの?」

「大丈夫。模範演技の後はいろんな道場の弟子が集まってるし、子どもも学生もいて、その家族も来てるし」

「ふぅん。合気道なんて、初めて見る。楽しみだな」


 あたしの言葉に、一樹はめずらしく笑顔を浮かべた。

 それは男性に対して使うには問題があるかもしれないが…大輪の花のように華やかで美しい笑顔で。

 友達として完全に距離を保っているあたしですら、グラグラくるような優しい笑顔に、心の底から「罪作りなやつ!」と思ったのだった。


************


 一樹は、道着に着かえるために更衣室に行き、あたしはブラブラと体育館の武道場のまわりを散歩していた。


 道場は一樹の言う通り、いろんな年齢の子がいた。小学生くらいの子も、大人も。

 白い道着に、帯。帯は白以外にも黄色や赤や紫なんかもあった。

 黒帯までにいろんな段階があるんだろうか?

 そんなことを思いつつ歩いていると、


「片瀬!」


と一樹の声がした。

 振り向くと……。


 白い上着に、黒い袴の一樹がたっていた。

 いつも以上にスラッと見える。


「…袴、はくんだ」

「そう、大人はこれが正式。稽古のときははかないんだけどな。暑いし」

「ふうん……」


 正直、この姿には、クラクラ来た。


 あたしは、男の和装に弱い。

 キリリと着こなした浴衣だとか、羽織袴だとか…もう、なんていうかそれだけでドキドキしてしまう。

 そんなあたしにとって、白い着物に黒の袴のストイックな雰囲気は…もうみごと、

「ど・ストライク!」

なのだ。


 それがまた、眉目秀麗な一樹が着たら素晴らしすぎて……もう、文句のつけようがなかった。


 伸びた背筋によって、無駄な皺なく着こなされた白の上着。合わせからみえる首元は案外たくましくて、その上には切れ長の冷静沈着な瞳に通った鼻筋。キリっと結ばれた唇。

 黒髪が少し影をつくって頬にかかるのすら、男の色気にみえた。

 袴は下半身を長く見せ、その先には素足。骨ばった足の指先が、男っぽくてドキっとした。

 あわてて、また顔に目をうつすと、一樹と目があった。


 どうしよう、目が、そ、そらせない。

 あたしがうろたえて立ちすくんでいると、


「なに見てんの…あぁ、めずらしいか、眼鏡してないの」


 一樹は今きづいたかのように、目元に手を添えた。


「…うん」


 あたしがちょっと困ったように返事すると、照れたように一樹は言った。


「模範演技で、動くからコンタクトにするんだ。今までは、武道館で演技の前に付け替えてたんだけどな。今日の、この県立体育館の武道場は初めてだから、更衣室の使い勝手とかわからないし、念のために事務所でコンタクトにつけかえてきたんだ」

「ふうん…」


 愛想のない返事しかできない。

 ――……一樹の姿がまぶしすぎて。


「片瀬、こっちの脇で座ってたらいいぞ?はじまるまで時間があるが…オレは師匠のところに行かないといけないんだ。一人で大丈夫か?」


 のぞきこまれるようにしてたずねられて、あたしはブンブンと首をふった。


 ――やめろっ、顔のぞきこむなっ!


 あたしは高鳴ってくる胸を落ち着かせながら言った。


「大丈夫だ。帰る時にまた声をかけてくれたらいい。あたしは、ここらでその模範演技とやらを見せてもらうからっ」


 微妙に声が揺れてしまった。


 見慣れない姿、しかも自分好みの姿をされると、こうも人は揺れてしまうものなのか。

 外見でこんなに心が左右されてしまうなんて……自分の浅はかさに、ちょっと呆れてしまう。


 でも、やはり、好みなものは仕方がない。

 そう……今の一樹の姿は、あたしの好みそのまま…理想の男性像そのもの、といって過言ではなかった。

 中身を知らなければ!こんな無意識の罪作り男だと知らなければ、無邪気に片思いも出来ただろうが……。


「片瀬、じゃあ、また後で。今日はありがとうな」


 一樹は、うなづくあたしに軽く手を振り、控室の方へと去って行った。


****************


 合気道というのは、武術でありながら武力で勝ち負けを争うことをしない…のだそうだ。

 一樹から、以前そう聞いた時、なんだか妙に納得した。

 一樹が誰かを力で打ち負かすとか…そういうのは、想像がつかなかったから。

 今回の模範演技というのも、約束稽古という「何の技を行うのかを事前に合意してからするもの」らしい。



 道場の中は、時間とともに道着を着た人であふれかえってきた。

 白の稽古着の人もいれば、一樹のような白の上衣に黒袴の人もいる。


 あたしは、一樹にいわれた道場の片隅に正座していた。

 畳の道場なのだが、サイドは床張りになっていて、普段着の見学の人がめいめい座っていて、カットソーに綿パンのあたしもそんなに場から浮くこともなく座っていられた。

 眺めていると、畳の道場の中心では、白上衣に黒袴の人たちが審議をしたり、他のお弟子さんたちを誘導したりしている。


 そしてそのうちに開会となった。

 沈黙の中ではじまり、師範の方と思われるひとたちの挨拶などがあった。

 そして、いよいよ模範演技がはじまるアナウンスが流れたのだった。


 道場のまわりに弟子たちや見学者がすわり、畳の中心四方はあけられた。


 けっこうな人数が集まっている空間なのに、不思議と静けさがあった。

 その中で、白上衣と黒袴の姿の二人が正座し、礼をした。


 一人は、短髪の体格の大きな男性だった。どっしりとした風格がある。

 そして真向かうは、一樹だった。


 戦うわけではない、二人とも事前に決めてある定まった技を行うだけと聞いているのに、胸がドキドキと高鳴ってくる。


 合図とともに、二人は再び礼をしたかと思うと、颯爽とたちあがった。


 まるで風が吹き抜けたかのようだった。


 大きな男性の腕がふりあがり一樹に向かってきたかと思うと、一樹はその腕をとり流れるように回る。

 回転しながら、腕をねじると、男性はくるりと転がった。

 ふたたび男はたちあがりむかってくるが、一樹は今度は逆側にかわしながら、今度はむかってきた腕を払い、そのまま男をうつ伏せに倒す。


 シュッと音がするのではないかというくらい機敏な動きを見せたかと思うと、静止したかのような沈黙の一瞬がある。

 そしてまた動となり、静の到来。


 軽やかな動きとともに、一樹の長めの黒髪が頬にかかる。

 短髪の男性を倒す一瞬に、一樹が男に添える手首が美しくしなる。

 一樹の鋭い眼が男の動きを捉え、静けさをたたえたまま見下ろす……。


 一樹と男性の動きがまるで大気の流れのように、道場のなかで動く。

 突風のように、そよ風のように、凪の時のように……


 そして、再び、二人は真向かって正座し一礼して……終了となった。


 正直、あたしは、呆けていた。


 もともと所作が美しい男だとは思っていたけれど、今の一樹は一段と流れるような動きをしていた。

 白い上着に黒袴のすっきりしたいでたちで、静かにけれども俊敏な動きを見せた一樹は見とれてしまう美しさだったのだ。


 一樹の出番の後も、いくつかの組の模範演技が披露されていたが、目にうつるものの心に留められなかった。

 そしてそのうち模範演技の時間が終わり、お弟子さんたちの発表会の時間へとうつっていった。


  


 ぼんやりしていると、肩をたたかれた。


「おい?片瀬?」

 

 ふりかえると、眼鏡をかけた一樹。


「あ……お、おつかれさま」


 あたしが返事をすると、一樹はほほ笑んだ。


「大丈夫か?ぼんやりしてたぞ。眠気がきたか?」

「ううん、そういうわけじゃないけど」


 こたえつつ一樹の姿を見ると、来た時と同じ黒シャツにジーンズ姿になっていた。


「あ、もう帰る?」

「あぁ、師範にも挨拶してきた。片瀬は、もう見学いいか?」

「うんうん」


 うなづきながら、あたしも立ち上がろうとした。


「あっっ」


 いつのまにか痺れていたのか、足がとられて身体がゆらめく。


「っ!」


 さっと、たくましい腕に支えられた。寄りかかった胸は……一樹のもの。

 脇に手を添えられ、


「足、くじいてないか?」


と、顔をのぞきこまれた。


「う、うん」


 眼鏡の一樹の顔は見慣れているはずなのに、頬がほてってくるのを止められない。


 こんなの――……反則だ。


「一人で立てるか?支えた方がいいか?」

「ひとりで、……だ、大丈夫」


 ちょっと不安だったが、びりびり痺れつつも一樹の手を放して一人で立った。


 一樹の万人への優しさに……惚れこみたくない。

 不毛な片思いの渦に巻き込まれたくなんか、ない。

 今日一日で何度も感じた高鳴る動悸を、また抑えるようにして、意識的に一樹の顔を見た。


 あぁ……。

 いま、眼鏡をかけてくれていて、良かった。

 心からそう思う。


「ありがと。大丈夫だ。恥ずかしいな、正座で痺れてよろめくなんて、な」


 自然に、あたしは笑えただろうか。

 眼鏡越しの一樹の表情がちょっと曇る。


「少し、やすんでいくか?無理させたかもな」

「いや、そんなことないよ。ほら、行こう」

「……そうか?」


 一樹は、困ったような顔をする。

 軽くひそめられた眉に、あたしの気持ちは燻ってくる。


 面と向かうより、車の中のように並んでいる方がいい。

 この顔には、言葉には、気遣いには、自然とひきこまれてしまう……。


 あたしは、一樹の横に並ぶようにたち、先に少しずつ歩き出しながら言った。


「じゃあさ、缶コーヒー買ってくれ。入口のところに自販機あっただろう?微糖がいいな」


 あえて、ちょっとしたお願いをする。

 すると、嬉しそうな声で一樹は返事した。


「おう!事務所に着くのは昼過ぎになるだろうから、売店で昼用に何か食べるものもいるか?」

「いや、いいよ。一樹は食えば?」

「いらん。それより片瀬、女が『食え』はないだろう?」

 

 いつもの感じで一樹は返事してくる。

 ほっとした。

 あたしの顔のほてりや、胸の動悸は悟られなかったようだ。

 だからあたしはいつもの調子を取り戻す。


「おい一樹。一樹はあたしの親でも兄貴でも彼氏でもないんだから、そこは口出すな。あたしの言葉づかいが荒いのは昔っからだろ」


 照れ隠しもあって、あたしがぶっきらぼうに答えると。

 一樹はやれやれ……という雰囲気で、ポンとあたしの頭に手をのせた。


「まぁな、たしかに口出しすぎた。ごめん。口悪い女でも、オレの大事な友達には変わらん」


 ……はあぁぁぁ。

 あたしは今日一日の中で一番大きなため息を心の中だけで吐いた。


 よく気を回す、一樹。

 人一倍気遣いの細やかな、一樹。


 でも、その無自覚な罪作りは――……やめてくれ。


『オレの大事な友達』


って。

 異性として、嬉しいような誇らしいような、ちょっと悲しいような、このフレーズ。

 一瞬またまた一樹に惹かれそうになった自分に「駄目だ!」とストップをかけつつ、一樹に笑って返事した。


「大丈夫、あたしも、彼氏の前ではもう少し可愛くしゃべるから」



 *** 



 一樹とあたしは、友達。

 甘さのかけらも、ない。


 甘さはふくんでいないけれど、無自覚の艶をふりまく…眼鏡越しの瞳に危険は感じるけれど。

 罪作りな外見に、罪作りな優しさ。

 でも、まだ眼鏡越しなら耐えられるから。


 ……だから、どうかお願い。


 もう、眼鏡は。

 は・ず・す・な!





ここに登場した一樹は、「はまってワンだふる。」という小説第二話に別名ハンドルネームで登場しております。

そちらも、よければのぞいてみてくださいませ。


7/13誤字訂正しました。

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