そういう仲・後編
早朝目覚めると、アロには二枚の毛布がかかっていてレンドールの姿はない。炊事場に小さな竈が組まれていて、やかんがシュンシュンと湯気を上げていた。
アロがそれをぼんやりと眺めているとレンドールが外から戻ってくる。
「おっ。起きたか。天気いいからまた暑くなりそうだけど、今朝は冷え込んだから温かいモン腹に入れた方がいいかと思って」
やかんの中に採ってきたキノコを放り込んで、カップには携帯食を何か開けている。やかんのお湯を注いで適当にかき回したものをレンドールはアロに差し出した。
とろみのついたスープ状になった中身をアロはぼんやりしたまま口にする。キノコの香りのついたスープは胃に落ちても優しかった。
「……僕、あんまり朝は食べないんだけど……」
「食わねぇと山歩きはきつくないか?」
言いながらパンに齧りつくレンドールに視線を向けると、アロの胃はそれだけでいっぱいになりそうになる。
「これは飲めそうだから、ありがたくいただきます」
「そっか。ゆうべやっぱり寒かっただろ」
「そうですね。助かりました」
二枚の毛布をつまみ上げるアロにレンドールは頷く。
「今夜は最初から二枚かけといた方がいいかもな」
「寝る時に暑くなかったらそうしましょう」
レンドールの助言に素直に賛同したアロに、レンドールはカップで口元を隠しながら笑った。
二日目も一日目と同じようにまず狩猟小屋を目指す。
通り道で目についたものも調べながら進むので、到着は昼過ぎくらいになった。荷物を置いてからも調査を進めていく。たまに目にする野生動物たちも、人間の気配に逃げていくものが多かった。
滞りなく終えて、三日目。
この日は山の渓谷側に重きを置いての調査だった。
もしかしたら一番重要なところかもしれない。レンドールでもそう思うのだから、アロが真剣な表情で作業を進めていくのも当然だ。
こちらで出会う動物たちは警戒はしているものの、すぐに逃げるようなことはなかった。レンドールも気を張って、時には剣を手に追い払いに行く。
一息ついて振り返ると、屈み込んでいるアロに狙いをつける大山猫が見えた。立ち上がればアロより少し小さいくらいだろうか。
「アロ!!」
声と同時にパチンコを構える。
エストに教えてもらった香辛料の塊は今でも常に持ち歩いていた。
それを眉間にくらって「ぎゃっ!」と声を上げ、大山猫は逃げていく。アロは少し緊張した面持ちでそれを見送った。
「大丈夫か?」
「……ええ。襲われても怪我はしないので大丈夫ですよ」
「でも、渓谷も近いし、なんだっけ。力が出なくなるんだろ? 怪我の治りが遅くなるとかあるんじゃねーの?」
こてん、と首を傾げてから、アロは笑った。
「ああ……僕が怪我も病気もしないのは、力の有無とは関係ないですよ。僕らを勝手に死なせたくない第三者が施したものです。それに、渓谷の結界も今はもうないですから、なけなしの力がさらに弱ることもないです」
「んん? あれ? そう、なのか? そういえば、エラリオとリンセがなんか音がしたって言ってたか……」
「そうですね。結界が崩れた音です。僕が半分封印したから保てなくなったんですよ。まあ、もう半分は健在なのでやろうと思えばそれよりは弱いものをまた構築することは出来るのでしょうけど……」
アロは木々の梢が透かす空を見上げる。
「今の僕には何ができるわけでもないので、そのままのようです」
「ふぅん……」
よくわからないまま、レンドールも木漏れ日を見上げる。
調査を再開すれば、さすがにいくつかの黒化が見つかった。木の実だったり、小動物の死骸だったり。
きちんとメモを取ってから、アロはそれらから黒い力を瓶に移していく。いつかに比べたら微々たる量ではあるけれど、レンドールは以前と同じことを訊いた。
「それ、どうすんの?」
「使わせてもらいますよ。今の僕の力だけだと何をするにも時間がかかりすぎる。あとはそうですね。もしものときのために」
じっとレンドールを見上げたアロは、何か言いかけて口を噤んだ。
「……また巫女を仕立て上げようとかじゃないんだな?」
「他人に使う余裕はもうないですよ」
自嘲気味に笑う姿からは嘘の臭いはしない。
「それに、結界が無くなったこれからはこの力が増えることはありません。今ある余剰分をかき集めたらそれでおしまいです。無駄には使えません」
「そうか……」
以前は植物は微々たるものだからと回収していなかった。それを積極的に集めているところを見れば、本当にそうするしかないのだろう。アロは移動して同じ作業を根気よく続けた。
小屋に戻り夕食を済ませると、気が緩んだのか疲れが出たのか、アロはうとうとと舟を漕ぎ始める。レンドールは仕方ないなと片付けと寝床の準備をしてからアロを揺すった。
「ほら、横になっていいぞ。明日は帰るだけだから少々寝坊してもいいし」
「……ん」
ランプも消して、レンドールも一緒に横になる。毛布を二枚重ねでかけるには寄り添っていないとどちらかがはみ出してしまう。
まだ眠くなくて天井を見つめていたレンドールの方にアロが寝返りを打った。
「……ねぇ、レン。時々……僕の護衛をしてくれない?」
「なんだよ。命令か?」
「そうじゃないけど……代金はちゃんと出すから」
「でも俺、今はフリーじゃねぇし、休みだからって別の仕事入れすぎると何かあったとき対応できねぇ」
「……そう、だよね……」
暗くてアロの表情は良く見えないが、見えないからなのか消沈した声音にレンドールは罪悪感を覚える。
「金出せるならリンセでも、他のやつでも雇えるだろ」
「うん……でも、レンがよかった」
「なんで」
「僕、死なないけど、今は獣たちに対抗できる手段が無いから襲われたら逃げられない。一度食われて終わりならまだいいけど、減らない餌になるのはさすがに怖い。それが怖いということをレンは解ってくれる気がして……もちろん、それが罰だと言われれば、そうなんだけど……」
返す言葉を探して、レンドールはしばし黙り込んだ。
「金で……俺を雇って何するんだよ」
「そうだな……今日みたいに黒化を探して回収するのもしたいけど……レンとだったらつまらないと思ってたことが楽しくなるのかなって気もして」
レンドールが思わずアロに目をやれば、暗闇に慣れてきた目がまどろんでいるアロの顔を映す。
「それって……」
「今回も仕事だったけど、なんか悪くなかったんだよね。だから……」
閉じた瞳は、半分寝惚けているのかもと、いつもより素直な物言いにレンドールも戸惑う。
「……やっぱ、受けらんねぇ……」
「そう……」
今度の返事には落胆はなく、口をついて出ただけの印象を受ける。もう眠ってしまうだろうかと思いつつ、レンドールはそっと続けた。
「金もらったら仕事になっちまうだろ。遊びに行きたいってんなら、休み合わせようって言えよ」
ぱちりとアロの瞳が開いた。
夢でも見ていたかのように数度瞬いて、確かめるようにレンドールの片方だけの瞳を覗き込む。
「僕、レンと出かけたいって言った?」
「言った」
「一緒に、行ってくれるって?」
「遠くまでは行けねぇぞ。釣りなら、ついでに黒化も探せるかもな」
苦笑したレンドールに慌てたように背を向けて、アロは「休みを確認しておきます」と小さく言った。
*そういう仲・終*