そういう仲・前編
※アロとレンドールのその後を少し
「――というわけで、この辺りの山も調査に入るのでご一緒いただけたらと」
にこにこと地図を指差しながらアロはレンドールにひたと視線を据える。
他の二人もいるのに、これは『誰か』ではなくレンドールを指名していると言ってよかった。
レンドールは呆れた表情を隠しもせずに残り二人の『士』を窺う。
「いいんじゃないか」
「一番慣れてそうだしな」
慣れているのは山歩きか、政務官にか。どちらの意味で言っているのか判らないが、業務の割り振りとしても妥当ということか。
アロの職権乱用な気もしたレンドールだったけれど、彼もアロに聞いておきたいことがあったので、ここは大人しく引き受けておくことにする。
季節はそろそろ夏が過ぎようというところ。常駐の仕事にも慣れてきて、山の奥にまで分け入るのは久々だった。
常駐でも時々山には入る。狩りや採取の付き添いだったり、異常がないか確認するためだったり。行方不明者が出れば捜索にも出るし、地形の把握はしておいて損はない。とはいえ、政務官側の調査は数年に一度しかない。今回は魔物が去ったというので、実りにどの程度影響があるのか――あるいはないのか――の調査だという。
南側の渓谷の縁に連なる山脈を三日ほどかけて渡り歩くルートだった。
「狩猟小屋を目標に、少し道を外れて植物の生育チェックと黒変が出ていないかを観察していきます」
アロは帽子を被り直して気合の入った様子で背負い袋の肩ベルトに手をかけた。
山のふもとまでは騎獣で来たが、そこからは歩きらしい。
ラーロをやめて〝アロ〟になってからは、彼はレンドールのところに来るのもドアからの訪問はしていない。きちんと陸路や水路で普通にやってくる。周囲に人がいないのを確認してから、レンドールはアロに尋ねた。
「……相変わらず怪我はしないのかよ」
「しませんよ。ですので気を使わないレンが良かったのです。可愛くてひ弱そうな政務官がひょいひょい山歩きするのもおかしいでしょう。ずっと猫を被るのも面倒ですので」
「可愛いとか自分で言うなよ」
「客観的な意見だと思いますけど?」
アロはそのまま山道へと入って行った。
夏の名残はまだ緑の影を黒く落としているものの、よく見れば花の後に実が膨らんでいる。気の早い木は風に揺らされてレンドールの上に硬い実を落としてきた。それを草むらの陰で狙っている小動物の気配も感じられる。
狩猟小屋までは山道を行くので時々すれ違う人もいる。アロの青い制服に少し驚くものの、レンドールが後ろからついていくのに気付くと納得したように軽い挨拶を口に乗せた。時には何か動物に出会ったと情報をくれる者も。
一度狩猟小屋に荷物を降ろしてから、今度は道なき道を進んでいく。地図とコンパスを確かめながら真面目に植物を観察していくアロの様子に、レンドールは小さな違和感を募らせていた。
屈み込んで木の根元を見ていたアロが、立ち上がってふと木の上を仰ぐ。レンドールもつられて視線を上げれば、鳥の巣がかかっていた。
しばらくそれを見上げて、アロが小さくため息をつく。
「あれも確認したいところですけど……」
「……飛び上がってとか、壊さないように手元に下ろしてとか、できるんじゃねーの? そういうことやってもいいように俺なんじゃ? 地図だって、前に使ってた石みたいな地図はラーロじゃないと持ち出せなかったのかよ」
仕事ぶりに口を挟むのも、と思って黙っていたレンドールだったけれど、つい疑問が溢れてしまう。アロは拗ねたように口を尖らせて、僅かばかり黙り込んだ。
「……もう、大層なことは出来ないので」
「んっ?」
純粋に首を捻るレンドールの眼帯を見つめてから、アロはそっと視線を逸らした。
「レンに飛び込んだ目を封印するのにほとんどの力を使っちゃったんだよね。まだ目の前にいる人の考えくらいはわかるけど。あいつがその封印を解かずにいるから……」
ぽかんと口を開けたレンドールは、エラリオもリンセも詳しく語らなかった……語れなかったところを聴いているのだと遅れて悟って、ようやく護国司をやめた理由にも納得がいった。
「……俺の、せい?」
「自惚れないでください。それが一番僕の国を護れる可能性があっただけの話です!」
ぷいと横を向く頬が少し赤い。
「レンはついでで助かっただけなんですから!」
「あー。うー。そうか。ええと。でも、それでもありがとう……」
意識の無くなったレンドールからその目玉を取り出すくらい、いくらでもできただろう。だから、自分の力を失くしてまでレンドールを助けてくれたことに純粋に感謝する。それが伝わったのか、アロは完全に背中を向けてしまった。
頭をひとつ掻いて、レンドールは鳥の巣を見上げた。
「……何を見ればいいんだ? 鳥の種類? 卵の有無?」
「……判るなら、種類と卵があれば黒化が出てないか、ですけど」
声に疑問を滲ませたアロがちらとレンドールを振り返ったのに頷いて、レンドールは手袋をはめた。そのままするすると木を登っていく。巣のかかる枝に辿り着けば、アロがあんぐりと口を開けて見上げているのが見えた。
巣の中には中型の茶色い鳥がうずくまっていた。レンドールに気付いて威嚇してくる。
「悪ぃ。ちょっと確認するだけ」
そう言っても鳥には伝わらない。思いきり突かれながら並んだ卵をざっと確認したが、まだら模様の小ぶりの卵には黒いところは無いようだ。戻るときには飛び降りて、アロに報告する。アロには呆れた顔で迎えられた。
「猿みたいですね」
「うるせぇ。手伝ってもらったら、「ありがとう」だろ」
「頼んでませんけど……でも、次にまた見つけたら、お願いできますか?」
「いいぜ」
ニッと笑ったレンドールに、アロはどうしてか困ったように眉を下げて、少しだけ微笑んだ。
*
同じように何ヵ所かでチェックしてから狩猟小屋へと戻る。まだ猟のシーズンには早いので他に利用する人もいない。
アロは黙々と作業を続けていたので少し疲れた顔をしていた。携帯食で食事を済ませてしまえば、次の日に備えて眠るだけだ。少し物足りなかったレンドールがミルク味の飴を取り出して口に入れたのをアロは目に留めた。
「……本当に気に入ってるのですね」
「今はちょっと手に入りにくくなっちまったけどな。時々知り合いに頼んだりしてる。いるか?」
ひょいと剥かれた飴をアロの前に差し出せば、アロは少しためらった後に手を出した。
「……いただきます」
そっと口に含んでから、何か言いたそうにレンドールに目をやる。
「なに?」
「いえ……どうしていつも惜しげもなく分け与えるのかなと……入手も簡単じゃなくて、好物なら独り占めしたいでしょう?」
「好物ってわけでもねーけど。甘いものは疲れが取れるだろ。アロも疲れてそうだったし、あんま深く考えたことねぇわ」
「僕は食べなくたって平気なの、知ってるじゃない」
「そうだったか? でも、腹が減らないわけでもないだろう?」
「そうだけど……」
「飴ひとつで恩を売ったりしないから、難しく考えないでもらっとけよ……っと、恩で思い出した。水上祭の時はチケットありがとな。おかげでエストにも楽しんでもらえたみたいだ。で、その時聞いたんだけど、エストにくれた義眼、特別製ってマジ?」
ああ、と呟いて、アロはにこりと笑う。
「そうですよ。きちんと視神経に繋いで機能するようになってます」
「やっぱ、そうなのか。近くでじっくり見てもわかんねーくらいだから、すげーなって……」
アロはふふん、と胸を張って、それから意地の悪い笑顔を浮かべた。
「そんなに近くでじっくり見る機会があったんですね?」
「んっ!?」
「水上祭では何をやってるのかと心配もしたんですけど……結果良かったならお節介した甲斐があったというものです」
言葉に詰まって視線をさ迷わせたレンドールを笑って、アロは寝支度を始める。床に毛布を敷くだけの寝床は、今はまだ暑いくらいだけれどすぐに冷えてくるはずだ。不意に騒いだ心臓を宥めながら、レンドールも隣に寝床を用意する。
「……近いですよ」
「夜半から朝にかけて冷えるんだよ。気づいてから火を焚くと時間かかるし、焚いて寝ると暑いし、冷えてきたら寄っていいから」
「人をカイロ代わりにということですか? 僕を起こさないでくださいね」
「俺はいかねぇよ。冷えとは無縁だからな。エラリオはたまに俺で暖を取ってたから」
「……ふぅん。そこもお子様体質なんですか」
「うるせぇ!」
寝るべきではあるけれど、うまく眠れないのか、アロは何度も寝返りを打っていた。
うとうととまどろんでいるうちに寝息が重なって、夜が深くなっていく。息を潜めたような静けさの中、床下から這い上がる冷気にアロの身体がふるりと震えた。浮き上がった意識で寒いかも、と思ってしまったら、指先や足先の冷たさが気になってもう一度眠りに入れなかった。身体を縮めて毛布を巻き付けるようにして、指先にそっと息を吹きかけてこすり合わせる。しばらくそうしていても手も足も冷たいままで、いっそ起きだして火を焚こうかとアロが思ったとき。
アロの背中側からふわりと毛布で包み込まれた。ゾクゾクしていた背中にほかほかと温かな体温が当たって、それはすぐに離れていった。アロが振り返ろうとすれば、肩や背中に何かが当たる。どうやらレンドールが自分の毛布にアロを入れて、寝返りを打ったようだ。
アロが口を開こうとした時にはもうレンドールは寝息を立てていて、その行動が意識的なものかどうかも判断がつかなかった。背が離れていれば、そこに冷えた空気が入り込む。躊躇いはわずかで、アロはレンドールの背に自分の背を預ける。
レンドールの体温が、目が冴えてしまったはずのアロを再び眠りへと誘うのに、そう時間はかからなかった。