水上祭・5
「……え?」
「お土産」
「え? 私に?」
困惑気味のエストにレンドールは頷いて続ける。
「俺こういうのよくわかんねーから、使えるもの。でも、無理に使わなくてもいい。今日の……記念? 思い出? として受け取ってくんねーか?」
「それは……うん。いただく、けど」
「俺さ……本当は仕事とかじゃなくてエストと手を繋ぎてぇ」
「ふぇっ!?」
「でもさ、嫌いなヤツにそんなこと言われても気持ち悪いだろ……」
火がついたように赤くなった頬にエストは細い指を添える。
「困らせたくもねーし、でも面と向かったら我慢できそうにもなくて……そういうのもあってちょっと避けてた。せっかく、エラリオとまた暮らせてるのに邪魔にもなりたくなかったし……」
石のように固まってしまったエストを見て、レンドールはバツが悪そうに頭を掻いた。
「……だから、エストが許してくれなくても忘れてくれるというなら……もしかして伝えるくらい、いいかな、と」
「レ、レンは、エラリオと取り換えたこと恨んでるんじゃないの?」
「え? なんのこと?」
「なんで取り換えたんだって、そう言ったから……大事な親友と離れ離れになった上に、私のせいで……だから……」
レンドールは怪訝そうに眉を寄せて、それからハッとして横を向いた。
「あれは……そういう意味じゃねぇ。俺はエラリオの決めたことに文句なんてねーもん。エストが無理やりそうしたわけじゃないだろ?」
「……本当に?」
「疑り深いな。違うって」
レンドールの言葉を噛み締めて、エストはレンドールの差し出した箱に手をかけた。
「……これ、開けてもいい?」
「もちろん」
少し震える手で箱を開ければ、中には銀色の棒のようなものが入っていた。先は細く、でも尖ってはいなくて丸みを帯びている。頭の方には小さな星型が集まった花のような装飾になっていて、乳白色の小さな石がちりばめられていた。そこから垂れ下がる三本の細い鎖の先に、薄い水色の雫型の半透明の石が揺れている。
「なんか、髪を纏める道具らしい。飾りのとこ、エストの名前にも合うし、雫型は水上祭のシンボルだし、と、思ったんだけど……」
自身のなさそうなレンドールの声に、エストは少しだけ笑った。
「レンにしては、上出来」
「なんだよ。エラリオが言いそうなこと言って……!」
エストは、濡れても崩れないようにとエストの母がしっかりまとめてくれた髪にその飾りを差し込んだ。シャラ、と雫の触れ合う音がする。
「ありがとう。すごく、素敵」
今度は心からそう言って、エストは目尻に滲んだ涙をそっと拭った。
レンドールはその姿に少しドギマギしながら、もう一呼吸整える。
「えっと、それで、その……この後なんだけど……村に帰るなら、花火の始まる前に獣車で町を出る。帰りの舟からも少しは見えるはずだけど……」
レンドールの指が天井を指す。
「ここの上階、部屋が取れる。もしも……よ、よかったら、もう少し一緒にいて、花火を見て……明日帰る、とかは……」
「一緒に……明日って、それは……え、と……」
エストの引いていた頬の赤みがみるみると戻ってきて、レンドールは慌てて立ち上がって身を乗り出した。
「あっ! 違う! 部屋は二つ取る! 一緒は、その、花火だけ!」
「あ、うん……そっか。えっと……」
「無理にとは言わねーから! 帰るなら、それでいいし! さっきのことも忘れてくれていいし!」
焦ったように早口でまくし立てるレンドールを周囲の客が少しほほえましそうに注目している。「お客様」と従業員にやんわり窘められて、慌ててレンドールは椅子に座り直した。
「……マジ情けねぇ……」
レンドールが両手で赤くなった顔を覆っている間に、エストは自分の心臓を宥めた。すっかりとけてしまった氷の水に浮くフルーツを照れ隠しにつつきながら、自然に口角が上がる。
「花火、見たいな……」
指の間から覗く左のお日様色が見開いた。
「お、おぅ。じゃあ、部屋を――」
そわそわと立ち上がろうとしたレンドールの肩を、先程の従業員が押さえる。
「お部屋二つですね。承りました。どうぞ、ごゆっくり」
近くの席の客たちがパラパラと拍手をしたり、頼んでいない葡萄酒が供されたりしたので、二人は赤い顔を見合わせてからしばらくうつむいていた。
結局それぞれの部屋で風呂に入って着替えた後、ベランダに出ることにする。
隣り合った部屋のベランダは薄い板一枚で隔てられており、手すりから少し乗り出して覗き込めばお互いが見える。
まだ二人にはそのくらいの距離がちょうどよかった。
身支度に時間がかかっているのか、照れがあるのか、エストはまだ出てこない。沖に停泊している船の明かりがちかちか瞬くのを見て、レンドールは声を掛けた。
「始まるぞ」
言葉尻と同時に、ひゅうっと音が駆け上がる。どぉんと腹に響く音をとどろかせて、大輪の花が夜空に咲いた。
部屋の中からでも見えないことはない。やっぱり少し困らせただろうかと、レンドールは手すりに両肘を乗せて夜空を見上げた。
(調子に乗りすぎたかな……)
二発目、三発目と続いて、水上からも火花が吹き上がる。水面に映る花火は水面下でも花開いているようだ。
と、窓が開き、ぱたぱたと人の気配が近づいてくる。
薄い板の向こう、手すりを掴む女性の手が見えた。
「は、始まっちゃった……髪ほどいたら、上手く纏められなくて……」
どぉんと開いた大輪に、エストは息を呑む。
「もう寝るだけだろ。いいじゃん。べつに」
「う、うん。そうなんだけど……」
風になびいた髪が見えて、それをエストの手が押さえる。
ふわりと石鹼の香りがレンドールにも届いた。
(この板あってよかったかも……)
花火よりもエストの方ばかり気になってしまって、一歩、二歩と板の方へ寄っていく。
次々と上がる花火の明かりでエストの手の位置を確かめている自分に気付いて、レンドールは少しだけ頭を抱えた。
「やめろ、嫌われるぞ」と「大丈夫だやっちまえ」が心臓を激しく叩いてくる。
勝ったのは「次の機会はないかもしれない」だった。
(正解が何一つわかんねぇ!)
最後にはただ本能に従っていただけだったかもしれない。
「……あ、水上でも花火吹き上がるの、ね……!?」
手すりを滑るようにして、レンドールの手がエストの手に重なった。
わずかな間、沈黙が支配する。
「い、一緒に見るって……言ったよな? 姿は見えないから……」
「……うん」
花火の音の合間、小さな声は不思議とレンドールに届いた。
そっとエストの指先が動いてレンドールの指に絡む。
(マジ、この板あってよかった!!)
数秒指先だけに意識が集中していたレンドールは、我に返ってから己の理性の薄さを胸に刻んだ。
◇ ◇ ◇
後日。
エラリオとアロにレンドールは同じ言葉を浴びせられる。
「「子供か」」
水上祭・終