水上祭・3
突然の衝撃に、エストは声も出なかった。
少し前を行くレンドールも、もちろんずぶ濡れだ。息を整えたところで、今度は左右からバケツの水が宙に踊るのを見た。悲鳴と歓声が上がる。
雫型の飾りをたくさんつけたモービルが光を反射しながら水と風に揺れ、カラフルなマントを着た人々が水を避けながら踊るように動く。
ほんの一瞬でエストは祭りに呑まれてしまった。
レンドールに手を引かれていなければ、波のように蠢く人々に流されるまま、あっという間に迷子になっていたことだろう。
水の洗礼はしばらく続く。
バケツやたらい、竹筒の水鉄砲やジョッキ、サラダボウルなど水が入るありとあらゆるもので道の両端、あるいは建物の上階から水が飛んでくる。マントを着ていても足元はすぐにびしょ濡れになった。
レンドールも珍しく裸足に革の編み上げサンダルを履いているのだけれど、さもありなん、だった。
中央に噴水のある広場に出て、ようやく水の猛攻が止んだ。
それまで黙って進んでいたレンドールがエストを振り返る。
「どう?」
滴る水滴を払いもせず、口元は少し笑っている。
「どう……って……ひどい……」
呆然としていたエストは少しずつ我に返って、笑んでいるお日様色の瞳を見ているうちに可笑しさがこみ上げてきた。
ふふ、と声が漏れたらもう止まらなくて、二人は意味もなく笑い合う。
エストがエラリオとティハサ村に来てからの緊張が、全て流されていったかのようだった。
水が飛んでこないこともあり、レンドールは手を離そうとした。広場には屋台も出ていて、つまり安全地帯である。人は多いが、ゆっくりと進むのならはぐれたりしないだろう。
けれどエストはその手が完全に離れる前にぎゅっと掴み返した。
少し呼吸を整え、真直ぐにレンドールを見上げる。
「あのね。レンは謝らないって言うから、レンのこと許してあげられないけど、ちゃんとエラリオを助けてくれたから……昔のことは忘れることにする。レンが立派な護国士だってことも、わかったから」
「え……」
しばし絶句して、レンドールはエストを見下ろしていた。
にこりと微笑むエストに心臓の音がうるさく高鳴っていく。
そわそわと、情けないと思いつつ、どうしても聞いてみたくて、レンドールは顔を寄せて声を落とした。
「それって……謝ったら、許される……のか?」
「試してみる?」
「…………!」
喉まで声が出かかって、けれどレンドールは頭を振ってそれを振るい落とした。
「……エストに許されても、自分を許しちゃだめだ。他のことなら土下座でもなんでもするけど」
エストは喉の奥で笑う。
「うん。そう言うと思った。私、レンのそういうところ……」
――ドォン!!
大きな爆発音がして、広場も小さく揺れた。繋いだ手にきゅっと力は入ったけれど、レンドールが焦る気配はない。湖の方を振り返ってまたエストの手を引いた。
「爆破漁だ。行こう」
湖に向かえば、爆発音と同時に大きな水柱が立った。
岸辺で腕章をつけたスタッフが袋を配っている。それをひとつ受け取ると、放送が入った。
『つかみ取り開始で~す! 皆さん、ケガのないように!』
わっと人々が湖に群がっていく。中には浮き輪をつけて沖の方まで泳いでいく人もいた。
レンドールもずんずんと水に入って行くけれど、エストは少々腰が引けている。
「レ、レン、どこまで行くの?」
「あの辺りまでは遠浅のはずだから……でも、膝くらいまででやめといた方がいいな」
レンドールはいいだけ濡れているけれど、エストはまだそうでもないのを思い出して、レンドールは膝下くらいの深さで足を止めた。湖の沖の方でスタッフが船を走らせると小さな波が出来て、爆破の衝撃で浮いていた魚が波に乗って押し寄せてくる。
子供たちもはしゃぎながらめいめいに魚を拾い上げていた。
「ほら、拾って入れろよ」
「う、うん……でも……これどうするの? 持って帰るにはちょっと……」
「岸にテントがあっただろ? あそこに持っていくと重量に合わせて記念品がもらえるんだ」
「ああ、なるほど!」
それなら、とエストは漂っている魚を片っ端から捕まえていった。一匹袋に入れるのにキャーキャー騒ぎながらの若者グループとは違って、黙々と手を動かす。山暮らしが長かったので、エストにとっては川で魚を捕まえるより簡単な作業だった。
周囲のものをあらかた袋に放り込んで、少し場を移動する。沖から流れて来たものに手を伸ばせば、子供の手と重なった。思わず顔を見合わせた少女は、慌てて魚を抱え込んだ。
「ルイサの!」
「あ、うん。どうぞ」
おとなしく譲れば、少女は少し沖の男性のところへ水を掻き分けて行った。少女が魚を袋に入れれば、男性は頭を撫でている。嬉しそうに笑う少女にほっこりとして、エストもまた流れてくる魚に手を伸ばすのだった。
周囲にめぼしい魚が無くなって、エストは少し沖へと視線を巡らせる。沖の方にはまだあるようだが全身濡れる覚悟がいる。悩んでいると、先ほどの少女がまだ魚の残る方へと移動しているのが見えた。胸元まである水を漕いでいたその姿が、不意に水の中へと消える。
「えっ……」
潜っただけだろうか。周囲の大人は魚を獲るのに夢中で誰も注意を払わない。
「レ、レン! 今子供が……」
少女のいた方へ足を進めながら、傍にいたレンドールを呼ぶ。
「見えなくなったのか?」
「潜っただけかもしれないけど……」
「どの辺だ?」
「あの、まだ魚の浮いている少し手前……」
レンドールは眉を顰めてエストの腕を掴んで止めた。
鞄の紐を短くして背負うようにしていたものと魚の入った袋をエストに手渡す。
「急に深くなってる辺りだ。エストは岸に戻って、俺が子供を抱えて上がってきたらテントに走って伝えてくれ。医者もいるはずだ」
「わかった」
レンドールは沖へ向かい、エストは岸に向かう。
エストの見間違いで、少女はどこかで魚を掴んでいるかもしれないと、水から上がったエストは目を凝らす。
少女は見つからず、水に潜っていったレンドールもなかなか上がって来なくて、荷物を抱える腕に力が入る。
と、レンドールが顔を出した。すぐに少女の頭も。ぐったりとした少女に肌が泡立つ。
すぐにエストはテントへと走った。
「子供が深みにはまって……今、ゆ、友人が引き上げて」
レンドールを指差せば、運営の面々が慌ただしく動き出す。
少女に対応してスタッフが少なくなったところにケガ人や薬を求めてくる人が来て、ちょっとしたパニックになりかけている。エストは資格証を提示して、しばしの手伝いを申し出た。
幸い、意識のなかった少女はすぐに息を吹き返して元気な泣き声を響き渡らせた。医者と泣き声で気付いた両親に後を任せて、レンドールがやってくる。
「エスト」
全身から水を滴らせているレンドールにスタッフがタオルを渡してくれた。
ちょうどエストの方も一段落したので、そこで退散することにする。
「助かりました。ありがとうございます。景品で申し訳ないですけど、よかったらどうぞ」
そう言ってスタッフは綺麗にカットされた雫型が揺れるガラス細工のキーホルダーを差し出した。
「ありがとうございます」
エストが快く受け取れば、スタッフはもう一度礼を言って頭を下げた。
「エストが気付いてよかったな」
「レンがすぐ動いてくれたから……また濡れちゃったね」
「水上祭大満喫だな。小腹空いたし、一休みするか」
魚を詰めた袋はスタッフに預けて、二人は広場へと戻ることにした。