水上祭・1
本編完結から少し後
アロにもらったチケットを持って、ヘネロッソで行われる『水上祭』に行きます
「え。エラリオ、行かねーの?」
玄関先て素っ頓狂な声を上げたレンドールにエラリオは苦笑する。
行くわけないだろ。とは声に出さなかったけれど、こんな時でも自分を邪魔にしない、ある意味壊滅的に恋愛に向かない親友には変わって欲しくなくもある。
「仕事あるからさ。ほら、その祭りで人手も少なくなるから」
「みんな休むんだから、別に……」
「まだみんなの目は優しくないし、こういうことで点数稼いでおかないとね」
畑の作業は無くなることがない。毎日伸びる雑草に、天気が続けば水も与えなければ。戻ってきた青の瞳は病気の類も見分けてくれるから、実のところエラリオは結構重宝がられている。
みんな表面上は距離を取ってるように見せているけれど、レンドールの変わらぬ態度もあって、思っていたよりは邪険にされていない。収穫の頃には、どさくさに紛れてみんな元のように接してくれるようになるんじゃないかとエラリオは思っている。
(エストがレンと親密になってくれれば、女性陣もそこそこ軟化してくれそうだし)
とはいえ、護国士として、そして魔物を二度にわたって撃退した英雄として、レンドールもちょっとしたモテ期なのだけれど。本人はあまり気づいていないらしい。エラリオとしては牽制しあって目立った動きがないうちに、妙なこじれ方をしているエストにも参戦できる余地が欲しいと思っていたので、ラーロ……今は、アロという政務官には感謝していた。
(彼、俺には何か思うところがあるようだけど)
青い瞳で視える範囲の外にいる人間だ。考えても仕方ないと、エラリオはレンドールに顔を寄せて声を落とした。
「思ってること、ちゃんと言えよ。もう全部終わったんだからさ」
「……なっ……なんのコト……」
胸をつつかれ、焦るレンドール。
エラリオはにやりと笑った。
「好きだろ? 最初から。最初の最初は、そういう『好き』とは違ったかもだけど」
だから、エラリオは動いた。
それが間違いじゃなかったと『今』が証明している。
「いい機会だから、お互いたくさん話すといいよ」
口をパクパクさせて酸欠の魚みたいになっているレンドールからエストの部屋へと視線を移して、エラリオはエストにも聞こえるようにそう言った。
それからハッと気づいてレンドールに視線を戻す。
「移動は舟と獣車だぞ。シエルバ使おうなんて思ってないよな?」
「え?」
確かにエストも騎獣を使えるけれど、それではゆっくり話せたものじゃない。きょとんとしたレンドールの顔に、エラリオは頭を抱えたくなった。
そこへちょうどいいタイミングでエストが支度を終えてやってきた。髪を纏めるのを手伝っていたエラリオの母にレンドールは頭を下げる。エラリオに似て(エラリオが似ているのだが)整った顔立ちは年を取っても美しかった。
「じゃあ、あの、いって、きます」
エラリオの母に一礼したエストは、緊張した面持ちでエラリオに並んだ。
「ご、ごめんなさい。お待たせして……」
「時間通りだろ。早く来たのは俺だし。それより、エラリオ行かねーって」
ちら、とエラリオと視線を合わせたエストは、にっこり笑ったエラリオから素早く視線を外して下を向く。
「う、うん。そうみたい。仕事、あるって……」
「やめてもいいけど……」
「えっ」
「レン」
怖い顔をしたエラリオにひらりと手を振って、レンドールは続ける。
「……せっかくめかし込んだのにもったいねーよな。じゃあ、まあ……行くか」
エストはリボンと髪を綺麗に編み込んで後ろにまとめ、綺麗なグラデーションの空色のサンドレスに襟ぐりの広い胸元までの短い服を重ねていた。濡れるのを見越して透けてもいいようにショートパンツも穿いていたが、さすがのレンドールもそれで騎獣に乗れとは言いにくかったので、おとなしく川の方へ向かう。
紺のTシャツとベージュの短パンという子供の頃から代わり映えのしない格好だったことをレンドールは少しだけ後悔した。
村の北側を東西に流れる川は商人には欠かせない交通路だ。ラソンの町まで陸路で行けば丸一日かかるところが半日程度ですむ。商船が多いのと、割高になるので一般の人はあまり使う機会が無いのだが、ヘネロッソでの祭りの期間だけは一変する。普段は商品を運んでいる船が人を運んでくれるのだ。やはり割高だけれど、年に一度のお祭りには財布の紐も緩くなるというもの。
朝一番の船は子連れなど日帰り勢で込み合うのだが、移動中に昼の時間になってしまうこのくらいになると少し余裕がある。
二人は駆動機付きの小舟に中年夫婦と男性数人のグループと共に乗り込んだ。
「船でも行けるのね」
水の近さと揺れる船体におっかなびっくりしていたエストだったけれど、動き出せば心地よい風に目を細めていた。
「西の山を越えるよりはずっと早いからな。祭りの期間中は船持ってるやつも稼ぎ時なんだよ」
「ふぅん……」
普段見ない景色と、すれ違う小舟の船頭同士の挨拶にも目を細めて、エストの視線は忙しそうだった。
「……薬屋、やらねーの?」
エストの資格が一番生かせそうな仕事をどうしてやらないのか、レンドールは単純に不思議に思っていた。エラリオと同じように雑用のようなことをあれこれやっている。
エストは左手に見える山脈を見上げながら答えた。
「うん……まず、人を知らないとと思って」
「人?」
「人だけじゃなくて、土地柄とか……そこそこにあるかかりやすい病気とか、民間療法の中にも理にかなったものもあるし。あと、単純にある程度信頼してもらってからの方がいいかなって。|魔物に憑りつかれてた人の連れてきた怪しい人、だもの。警戒するのは当たり前でしょ」
「え。そういう警戒されてるのか?」
「レンは、魔物を追い払った英雄だものね」
感じないよね。と苦笑されて、レンドールの胸はドキリと鳴った。
「追い払ったのは俺じゃねーし。みんなにもそう言ってるし……エラリオだってもう全然普通だって話したのに」
「うん。レンの前ではみんなそんな態度出さないよ。それに、そう言ってくれたから、無視されたりひどい扱いとかは無いもの。だいぶ打ち解けてはきたの。もう少ししたらセリノさんのところでお手伝いさせてもらおうかと思ってる」
「そう……そっか。えーと……悪かった、な」
エストは振り返ってレンドールを見つめた。
板を渡しただけの椅子に並んで座っているので、やけに近く感じて、今度はレンドールが景色の方に視線を移した。
「何に対しての謝罪?」
「ん? ……なんか、いろいろ」
「今の話の中にはレンが謝るようなことはなかったと思うけど」
「そうかな……俺、気づかないとこでやらかしてたりするから」
「……確かにその気はあるけど……」
「え。マジ?」
思わず振り返ったレンドールをエストは小さく笑う。
「うん……でも、私も謝ることあるから……」
「エストが? 俺に?」
心底不思議そうな顔をしたレンドールに、エストは困ったような笑みを浮かべた。