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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「三井の大黒」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2025/06/09


落語声劇「三井(みつい)の大黒(だいこく)」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約45分


必要演者数:6名

      (0:0:6)

      (6:0:0)

      (5:1:0)【性別準拠人数比率】

      (4:2:0)

      (3:3:0)

      (2:4:0)

      (1:5:0)

      (0:6:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


左甚五郎(ひだりじんごろう):京都にて左官(ひだりかん)を朝廷から頂戴(ちょうだい)した当代一の大工・彫刻師。

     1600年の20~30年前後に活躍した人物。

     日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)の眠り猫を彫(ほ)るなど多くの逸話があるが、

     歌舞伎(かぶき)や講談など、それらの逸話(いつわ)が独り歩きし、複数の人物像

     が重なって左甚五郎(ひだりじんごろう)という人物が生まれたのではないかという

     説もある。

     この噺(はなし)の他にも「ねずみ」、「竹の水仙(すいせん)」、名前だけなら「叩き蟹(がに)」、

     「四つ目屋」にも登場する。


政五郎(まさごろう):大工衆(だいくしゅう)を率(ひき)いる棟梁(とうりょう)。人情深(にんじょうぶか)く、見ず知らずの甚五郎(じんごろう)を家に住ま

    わせる。


権治(ごんじ):大工見習(だいくみならい)の小僧。甚五郎(じんごろう)に丁稚(でっち)呼ばわりされる。


お勝(かつ):政五郎(まさごろう)の女房。思ってることはずけずけ言う。


大工1:政五郎(まさごろう)率(ひき)いる大工衆(だいくしゅう)の一人。

    甚五郎(じんごろう)いわく、「仕事が下手(へた)でぞんざい」


大工2:政五郎(まさごろう)率(ひき)いる大工衆(だいくしゅ)の一人。

    甚五郎(じんごろう)いわく、「仕事はマズいが力はある」


藤兵衛(とうべえ):表駿河町(おもてするがちょう)三井屋(みついや)の番頭(ばんとう)さん。(三木助師匠の口演では越後屋(えちごや)の手代(てだい)

    忠兵衛(ちゅうべえ)でしたが、先に書き起こした竹の水仙とつじつまを合わせ

    る為に改変しました。)

    甚五郎(じんごろう)に依頼していた大黒(だいこく)様が彫(ほ)り上がったと知らせを受けて

    わざわざ引き取りに来る。


語り:雰囲気を大事に。




●配役例


甚五郎:

政五郎:

大工1:

大工2:

お勝・語り:

権治・藤兵衛:


※枕は誰かが適宜(てきぎ)兼(か)ねてください。

(お勝・語り役か、権治・藤兵衛役がベスト)



枕:今は八丁堀(はっちょうぼり)と言いますと日本橋でございますが、江戸時代は神田(かんだ)、

  今川橋(いまがわばし)のすぐ近く辺(あた)りにも八丁堀(はっちょうぼり)がございました。

  銀町(しろかねちょう)なんてところもありましてね、ここに丁場(ちょうば)がたっており、

  大工(だいく)さんが五、六人、威勢のいい形(なり)をして仕事をしているところへ、

  京都からはるばる江戸へやって来た名人・左甚五郎(ひだりじんごろう)が通りかかった

  ところから、話の幕が持ち上がろうというわけで。


甚五郎:やっと、江戸へ入ったなあ。

    ここらは確か…藍染川(あいぞめがわ)とか言ってたな。

    あちこちに板囲(いたがこ)い、丁場(ちょうば)がたってるね。

    江戸の大工(だいく)てのは、どんなのかね…お、あそこからのぞけそうだ

    。どれどれ…?


    【二拍】


    おお、これはまた江戸の大工(だいく)は形(なり)が勇ましいねえ。

    けど仕事は皆目(かいもく)ダメだな…。

    どれもこれも下手(へた)でぞんざいだ。手切(てき)りまら出し釘(くぎ)こぼしだな。

    むこうの鼻の頭にほくろのあるのが一番仕事がマズい。

    あそこの…はちからげしてるのは、イジりゃあどうにかなるだろ

    う。

    半人前がそろって一人前…一人前は飯だけだ。


大工1:おぅ、おぅおぅ、ちょいと待ちねえ。


大工2:なんでぇ?


大工1:あの、あすこに立ってる妙な野郎がいるだろ?


大工2:ああ、あの紺(こん)のぶっ裂(さ)き羽織(ばおり)を着て小紋(こもん)の脚絆(きゃはん)に手甲(てっこう)した奴か。

    それがどうしたってんだい?


大工1:さっきからぐずぐずぐずぐず独(ひと)り言(ごと)言ってやがるんだ。

    どんなこと言ってのかって思ってね、俺ァ仕事しながらだんだん

    そばに近づいていったんだ。

    で、耳を澄(す)まして聞いてみるとな、

    「江戸の大工(だいく)は形(なり)が勇ましいな。」ってよ。


大工2:あったりめぇよ、こちとら形(なり)でひけを取ったことはねえんだ。


大工1:そこまでは良かったんだけどよ、あとがちょいとマズくなってき

    たんだ。

    「形(なり)は勇ましいけど、どれもこれも仕事が下手(へた)だな。それに

    ぞんざいだ。上手(じょうず)でぞんざいなのはいいけど、下手(へた)でぞんざいな

    のは始末(しまつ)が悪い。とりわけて、あそこの鼻の頭にほくろのあるの

    が一番マズい。」ってのがな、オメェなんだよ。

    いやぁ俺も普段からそう思ってんだよなぁ。

    鼻の頭のほくろ、何とかならねえかなあって思ってたんだよ。

    それでよ、「あそこのはちからげしてるのは、イジりゃあどうに

    かなるだろう」ってんで、妙なこと言いやがんな、

    はちからげってのは何だと思ったらね、松兄(まつあに)ぃがハチマキしてん

    のな。それで松兄(まつあに)ぃの事をイジりゃどうにかなるとか言ってやが

    んだな。

    おまけに手切(てき)りまら出し釘(くぎ)こぼしだの、半人前がそろって一人前

    、一人前は飯(めし)だけだの言いやがるんだ。


大工2:何をゥ!?気の利(き)いた風(ふう)なこと言いやがって!

    一人前は飯だけだあ!?俺らは飯粒(めしつぶ)の集まりじゃねえぞ!

    それに一人前の大工(だいく)をつかまえて、イジりゃあどうにかなるたァ

    なんて事言いやがんだ!おぅおぅおぅみんな!

    仕事なんぞしちゃいられねえや!手ェ貸してくれ!

    あの野郎を殴っちまうんだ!


語り:なんてんで、威勢のいい連中だからたまりません。

   余計な事言うない!ってんで、

   よってたかってぽかぽかぽかぽかッと殴り始めた。


大工1:このやろッ!


甚五郎:いたッ!


大工2:痛いもくそもあるかィ!ッ!


甚五郎:あだッ!

    痛いなあ、そう頭ばっかり殴らんで、肩のところをちょっと…


大工1:な、何を言ってやんでェ!


大工2:この野郎、按摩(あんま)と間違えてやがる。肩を殴れってよ。

    かまわねえ、やっちまえィ!


政五郎:ん?なんでェ、丁場(ちょうば)の方が騒がしいな?

    !っておいおいおい!!

    おめェら、何してやがる!!


大工1:いけねぇ、棟梁(とうりゅう)だ!

    ご苦労さんで!


大工2:ご苦労さんで!棟梁(とうりゅう)!


政五郎:なに言ってやがんでェ。

    てめぇ達にこの丁場(ちょうば)に来て仕事をしろたァ言ってあるが、

    人を殴れたァ言いつけちゃいねえじゃねえか!

    一人を大勢で寄ってたかって、殴る蹴るしやがって、

    とんでもねえ奴らだ。

    何だってそんなことしたんでェ?


大工1:えっいや、だって、そりゃあね棟梁(とうりゅう)、こっちだってつい腹が立っ

    たもんですから…。


政五郎:ったりめェだ。嬉しがって殴る奴があるかィ。

    何に腹ァ立てたんだ?


大工2:何が腹立つってね、あっし達はさっきまでここで仕事してたんだ

    。そしたらこの野郎があっしの事を仕事がマズいって言いやがん

    ですよ。しかもぞんざいだっても言いやがるんで。


大工1:癪(しゃく)にさわるじゃございやせんか。

    手切(てき)りまら出し釘(くぎ)こぼしだってんですよ?

    余計なこと言うなって、ポカっと行くでしょ?

    だから皆して、のしちまったんで。


政五郎:ふーむ、この人がおめえの事を仕事がマズくてぞんざいだと、

    そう言ったのかィ?


大工2:ええ、それで松兄(まつあに)ぃをつかまえて、「イジりゃどうにかなる」

    とね、きいた風な事をぬかしゃがるんですよ。


政五郎:ほお……目が高(たけ)ぇや。

    確かに松はおめえ達よりは仕事がしっかりしてて性質(たち)も悪かねえ

    しな。

    じゃあ何かい、つまり、マズいと、ぞんざいだと言われて、

    おめえらは腹が立っちまったんだな?


大工1:そうなんですよ!


政五郎:ふうむ。

    おめえ…仕事は上手(うま)いかい?


大工1:えっ…いや、あっしが自分で上手(うま)いなんて、そう思っちゃいけま

    せんや。


政五郎:おめえは?仕事は丁寧(ていねい)かい?


大工2:いやぁ、その…丁寧(ていねい)ってわけにゃあいきませんよ。


政五郎:じゃあ下手(へた)でぞんざいでいいじゃねえか。


大工1:へっ…そうなんで。


政五郎:なにもこの人を殴る事はねえだろうが。


大工2:っへへ、考えてみりゃそうなんで…。


政五郎:なに言ってやがる。

    五重塔(ごじゅうのとう)てのはてっぺんからこしらえるもんじゃねえ。

    下から積み上げてこさえるんだ。

    人に下手(へた)だのぞんざいだのと言われたんなら、もっと丁寧(ていねい)な仕事

    して、一生懸命(いっしょうけんめい)に修行して上手(うま)いと言われるようになら

    ねえか!

    むこう行ってろィ!


大工2:へ、へいっ。


政五郎:すまねえなお前さん、堪忍(かんにん)してくれよ。

    あいつら、というか江戸のモンは気が荒いからな。

    一人二人じゃねえ、大勢によってたかって殴られたんだ、たまら

    ねえやな。

    よっぽど殴られなすったね?


甚五郎:いたいいたい…二十六回。


政五郎:二十六回?

    勘定(かんじょう)してたのかい?


甚五郎:うん、まぁ、つい。

    用もないからね。


政五郎:いや、そらまぁ、用もないだろうけどよ。

    殴られながら勘定(かんじょう)するってのは面白(おもしろ)いな。

    しかし、この辺じゃ見ねえ顔だが、何だいお前さん?


甚五郎:え…?

    何だいお前さんと聞く、あんたは何だい?


政五郎:!おぉ、こいつァしくじった。悪かったね。

    人に名を聞く時には、こっちから名乗らなくっちゃいけねえやな。

    あっしァこの丁場(ちょうば)を預かってる、大工(だいく)の政五郎(まさごろう)ってモンだ。


甚五郎:おぉ、棟梁(とうりょう)か。

    さすがに貫禄(かんろく)が違うな。

    じゃあ今度は私か。申し遅れたね。

    私は西の方の番匠(ばんじょう)だよ。


政五郎:お?番匠(ばんじょう)ってえとこらぁ大工(だいく)さんだな。

    どっちの肩も持たねえけど、これァお前さんの方も良くねえやな

    。さっきも言ったけど、江戸の連中は気が荒いんだ。

    あんなこと聞かれた日にゃ、下手(へた)すると殺されちまうよ。

    畳屋(たたみや)さんだとか左官屋(さかんや)さんだとか言うんだったら、

    俺ァ手をついて謝らなくっちゃならねえけど、大工(だいく)が大工(だいく)の事を

    悪く言うってなァ良くねえように思うけど、どうだい?


甚五郎:よくない。

    同職を貶(けな)すと言って、良くねえと思うねぇ。


政五郎:あぁ…じゃあ自分でも承知してるんだな。


甚五郎:そう、承知しているから、勘定(かんじょう)しながら殴られてみたんだよ。

    二十六回のうち、三回が一番痛かった。


政五郎:はぁ、面白(おもしろ)いねえこの人は。

    で、お前さん、今どこにいるんだい?


甚五郎:ここにいるね。


政五郎:いや…ここにいるのは分かってるんだけどよ、

    江戸へ出てきて身寄り頼りってのはあるのかい?


甚五郎:ないなぁ。


政五郎:ないって…そりゃ困るだろう。


甚五郎:困るだろうねえ。


政五郎:いやいや、他人事(ひとごと)みてえに言うなよ。

    そうかい…じゃ、俺ンとこへ来ねえか?

    袖(そで)すり合うも多生(たしょう)の縁(えん)、つまづく石も縁(えん)の端(はし)と言うよ。

    お前さんが皆に殴られたのも何かの縁(えん)かもしれない。


甚五郎:ははは…これァどうも、痛い縁(えん)だねぇ。


政五郎:実は仕事が山ほどつかえててね、職人の手が足りなくてどうにも

    困ってるとこなんだ。

    お前さんが三年でも五年でもあっしのところにいてだよ、

    いいかい、国に帰る時には襟垢(えりあか)の付かねえ着物を着せて、

    土産物(みやげもの)の一つも持たして国に帰そうじゃねえか、どうだい?


甚五郎:そりゃあありがたい申し出だ。

    いやまぁ、棟梁(とうりょう)のとこへ行ってもいいけどねえ…。

    ちょいと聞いとくけど、かみさんがありゃしねえかい?


政五郎:かみさんかい?

    そりゃあるよ。


甚五郎:じゃあかみさんによく相談したほうがいい。

    私が棟梁(とうりょう)のとこに行くだろ?

    そうすると、いつか棟梁(とうりょう)とおかみさんがケンカになって、

    「あの人を家へ置くんだったら、あたしを離縁(りえん)してくれ」

    なんて事があったら、こらあマズいよ?


政五郎:冗談言うなィ。

    職人の事についてね、かかあにこれっぱかりも口出しなんぞ

    させちゃいねえよ。

    かかあがぐずぐずぐずぐず言うんだったら、叩きだしてでも

    俺ァお前さんを家(うち)に置くよ。


甚五郎:かかあを叩きだして、私を家(うち)へ置く?

    偉い!

    さすがに関東の大工(だいく)は違うね。

    褒(ほ)めおく。


政五郎:よせよおい、そんなこと言うなよ。


    おうおめぇら、今日はな、これからお断りをして仕事を上げて

    もらうんだ。

    上方(かみがた)から職人が参りまして、顔つなぎがございますから、

    少し早くお暇(ひま)をいただきます。

    明朝(みょうちょう)は早出遅締(はやでおそじ)めにしますから、ってよく断っとくんだ。

    いいな!


大工1:へいっ、承知しやした!


大工2:棟梁(とうりゅう)、あとはあっしらが片づけときますんで!

    どうぞ、お先に!


政五郎:よし、じゃあ上方(かみがた)の、一緒に来(き)ねえ。


甚五郎:それじゃあ、ご厄介(やっかい)になるよ。

    いやあ、それにしてもみんな仕事が上手(うま)い。


政五郎:いや、さっきお前さん、仕事がマズいって言ってたろ。


甚五郎:…マズいけれども、ちょっとベンチャラを。


政五郎:いいやな、別にベンチャラなんか言わなくたって。

    時に、上方(かみがた)の方はどうだね?


甚五郎:いや、もう相変わらずだね。


政五郎:相変わらず、いいやね。

    世の中てものは、あんまり変わっちゃいけねえ。

    変わらねえほうがいいやね。


語り:二人して語らいながら棟梁(とうりょう)政五郎(まさごろう)の家へと向かいます。

   藍染川(あいぞめがわ)と橘町(たちばなちょう)と言いますと、目と鼻と言うほどでもありませんが、

   男の足で少し急げばわけはありません。


政五郎:もうじきだ。こっから橘町、あっしの家(うち)は向こう角(かど)から二軒目だ。

    小汚(こぎた)ねえ家だが、遠慮しねえで入ってくれ。


    おうッ、いま帰(けえ)ったぜ!


お勝:お帰んなさい。

   どうしたの、今日はいつもより早いじゃないかい。


政五郎:ああ、脇の丁場(ちょうば)にまわらねえでな、

    藍染川(あいぞめがわ)からすぐ帰(けえ)って来たんだ。

    上方(かみがた)の大工(だいく)さんに会ってよ、連れてきたんだ。

    表(おもて)に立ってるから、ちょいと声かけてやってくれ。


お勝:そうかい、ちょうどいいねえ。

   手の足りないとこだからっ………


   ねえお前さん。

   表(おもて)に大工(だいく)さんみたいな人はいないよ。

   御札配(おふだくば)りみたいなのならいるけど。


政五郎:バカだな。

    西の方の大工(だいく)さんてな、ああいう格好(かっこう)をするんだよ。

    御札配(おふだくば)りなんて聞こえたら失礼だろうが。

    口が悪(わり)いったらねえな。

    おう、そんなところに立ってたってしょうがねえやな。

    遠慮しねえで、こっちに入ってくれよ!

    今ここに出てきたのが俺のかかぁなんだ。


甚五郎:ああ、今のかい。

    おもしろい顔の。


政五郎:…こっちもあんまり口の良い方じゃねえな。

    まあいいや、おいお勝(かつ)、上方(かみがた)の大工(だいく)さんだ。


お勝:まあ、はじめてお目にかかります。

   政五郎(まさごろう)の女房(にょうぼう)で、お勝(かつ)と申します。どうぞよろしく。


甚五郎:あぁあぁ、これはお内儀(ないぎ)で。

    お鉢(はち)にお目にかかります。


政五郎:上方(かみがた)は言葉が柔らかいね。かかぁじゃなくてお内義(ないぎ)ときた。

    しかしお鉢(はち)にお目にかかるとよおい。


お勝:お腹すいてるんじゃないのかい?

   夕飯(ゆうめし)は前なんでしょう?


甚五郎:うん、夕飯(ゆうめし)は前で、昼飯(ひるめし)も前だね。空腹だ。

    くうーって言うとふくーってくるくらいだよ。


政五郎:ああ、やっぱり減ってるか。

    おいおっかぁ、飯(めし)の支度(したく)してくれ!


お勝:もうちょっと待っとくれ。

   すぐにできるからさ。


   【二拍】


   はい、どうぞ。


政五郎:飯(めし)は手盛(ても)りでやってくれよ。

    はは…しかし面白(おもしろ)い人だ。


お勝:お前さん、どこで会ったんだい?


政五郎:藍染川(あいぞめがわ)の丁場(ちょうば)だよ。

    若(わけ)え奴とちょいと揉(も)めてるとこへ行きあってな、聞いてみたら

    大工(だいく)だってんで、じゃあ家へ来てくれってことになったんだ。


甚五郎:どうも、ご馳走(ちそう)さまでした。


政五郎:おぉっとっとっと!あとを片付けなくったっていいんだよ。

    どうせいま若(わけ)え奴が帰(けえ)ってきて飯(めし)を食うんだ。

    一緒に片付けるからいいんだよ。端(はし)の方へ寄せときゃいいんだ。

    それよりこっち来なよ。


甚五郎:はあ、なんです?


政五郎:こんな事を頼むと間抜けな野郎(やろう)だと思うかもしれねえけどよ、

    うちの若(わけ)えモンがお前さんに手荒な事を、乱暴をしたんだ。

    本当ならあいつらに謝(あやま)らせるのが当たり前なんだが、

    だけどお前さんもこの家(うち)にいて、

    一つ釜(かま)のものを食ったり鍋(なべ)のものを食ったりするのに、胸の中に

    妙なものが残っててもまずいやね。

    だからあいつらにも謝らせるけど、お前さんもすまねえが一言(ひとこと)

    、謝っといてやってくれるかい?


甚五郎:【膝を叩いて】

    えらい!さすがに棟梁(とうりょう)、よくそこに気が付いたなあ。

    いやあ、謝るとも。すまねえってさ。


大工1:棟梁(とうりゅう)、ただいま!


大工2:棟梁(とうりゅう)、ただいま帰(けえ)りやした!


政五郎:おう、帰(けえ)ってきたか!

    ご苦労ご苦労!

    上方(かみがた)の、みんな帰(けえ)ってきたよ。


甚五郎:あぁ、帰って来たかぁ。

    ご苦労ご苦労。


政五郎:おぉい、親方(おやかた)が二人できちゃったよおい。

    おうおめぇら、こっちの上方(かみがた)のに家(うち)にいてもらう事にしたから。

    さっきおめぇ達は手荒な事をしたんだ。

    謝っとかなくちゃいけねえぞ。


大工1:へい。

    おう上方(かみがた)の、さっきはちょいと気が立ってたもんだから、

    ポカポカッといっちまった。


大工2:すまねえ、堪忍(かんにん)してくれ。

    痛かったろ?


甚五郎:痛かった。痛かったよ。お前のが一番痛かった。

    仕事はマズいが力はあるね。


大工2:よせよおい、変なこと言うなよ。


政五郎:へへ、面白(おもしろ)い人なんだよ。

    肚(はら)ァ何にもなくってね。さっぱりしてていいやな。


大工1:で、棟梁(とうりゅう)、名前はなんて言うんです?


政五郎:おうそうだった。まだ名前を聞いてなかった。

    名前どころじゃねえ、西と聞いただけでどこの生まれかも聞いて

    なかったよ。

    お前さん、西のどこの生まれだい?


甚五郎:飛騨(ひだ)の高山(たかやま)だよ。


政五郎:飛騨(ひだ)?へえ、いいところで生まれなすったな。

    飛騨(ひだ)とくりゃあ、大工(だいく)の本場(ほんば)だ。

    いい職人がたくさんいるだろうなあ。

    とりわけ、俺たちの稼業(かぎょう)で神様と言われ、名人と言われる、

    左甚五郎利勝(ひだりじんごろうとしかつ)という方がいなさるけどな。

    お前さんも一度くらいは甚五郎(じんごろう)先生にお目にかかったことがある

    だろう。どんな人だい?


甚五郎:甚五郎(じんごろう)先生…へへへ…甚五郎(じんごろう)ねえ…甚五郎(じんごろう)…。

    つまらねえよ。


政五郎:つまらねえ?ははは…。

    「只(ただ)の目に なに石山(いしやま)の 秋の月」か。

    先生を見るだけの眼もねえと見えるな。

    まぁまぁいいや、そいつはいいけども、お前さんの名はなんて

    言うんだい?


語り:名人だの神様だの言われ、飛騨高山(ひだたかやま)の甚五郎(じんごろう)とは

   なんだか気恥(きは)ずかしくて言いにくくなってしまった甚五郎(じんごろう)先生。

   しばらく考えておもむろに切り出します。   


甚五郎:私?私ねえ…。

    名前は……あったよ。


政五郎:そりゃ当たり前だよ。

    名前のねえ奴はいねえやな。

    だから、お前さんの名前はなんて言うんだい。


甚五郎:名前なぁ……なんて言おう。


政五郎:なんて言おうってのはねえやな。

    お前の名前聞いてんだよ。


甚五郎:ぁ~…それがその、ね、…忘れた。


政五郎:おぉい、しっかりしねえしっかり!

    人の名前聞いてるんじゃねえんだ、お前さんの名前を聞いてるん

    でェ。


甚五郎:それがさぁ、忘れるってのはひどいもんでねえ。

    人の名前は憶(おぼ)えてるんだ。

    自分の名前だけ忘れちゃったんだよ。


大工2:おいおい呑気(のんき)な男があるもんだね。

    てめえの名前を忘れたとよ。


大工1:名無しじゃマズいやな。

    上方(かみがた)の上方(かみがた)のって言ってたら、馬方乗(うまかたの)り継(つ)ぎするなんて事に

    なっちまわぁな。


政五郎:うーん、それじゃあよ、おめぇ達でなんか合いそうな名前を

    考えてやってくれや。


大工1:へっ、てめえの名前を忘れてやがるたぁな。

    腹も立てられねえや。


大工2:世の中にゃ、ずいぶんポーッとした奴がいるもんだ。


大工1:おう、そいつだ。


大工2:なにが?


大工1:ポーッとしてるから「ポン州(しゅう)」てのはどうだい。


大工2:いいね、ポン州(しゅう)ってなァうってつけだ。

    どうだい棟梁(とうりゅう)、ポン州(しゅう)なんてな?


政五郎:ぽんしゅうぅ?

    ははは、ポン州(しゅう)たぁ付けやがったなぁ。

    おう上方(かみがた)の、いま若(わけ)え奴が「ポン州(しゅう)」なんて考えたけどよ、

    さすがにポン州(しゅう)はマズいだろ。


甚五郎:ポン州(しゅう)?いや、ポン州(しゅう)大好き、うん。

    ポン州(しゅう)になりたいと思っててね。


政五郎:お前さんがかい?

    おめぇら、ポン州(しゅう)いいとよ!


大工1:お、よござんすかい?


大工2:へえぇ、おい、いいかいポン州(しゅう)!


甚五郎:【のんびりと返事】

    あいよ。


大工2:返事してやがるよ。


大工1:しかしのんびりしてやがるな。


語り:その日はそのまま寝てしまいまして、やがて鴉(からす)カァで夜が明けます

   。朝飯(あさめし)を済ますと政五郎(まさごろう)が呼びます。


政五郎:おう、ちょいとポン州(しゅう)来てくれ。


甚五郎:棟梁(とうりょう)、なんだい?


政五郎:ああ、座ってくれ。

    昨日来たばかりでまだ疲れが取れてねえとこに、仕事を手伝って

    くれってェのも野暮(やぼ)な話だが、何しろ人手(ひとで)が足りなくてどうにも

    しょうがねぇんだ。

    どうでェ、すまねえけど今日から仕事を手伝ってもらえねえかい

    ?おもちゃ箱ねえだろ?あ、上方(かみがた)じゃなんて言うか知らねえけど

    ね、江戸じゃ道具箱の事をおもちゃ箱と言うんだ。

    気に入るかは分からねえけど、ちょいと俺のおもちゃ箱を見ても

    らって、気にいるようだったらひとつどうでェ、仕事にかかって

    みちゃくれねぇか?


甚五郎:おぉ、棟梁(とうりょう)の道具箱、拝見(はいけん)しよう。これかい?

    ふん、ふんふんふん…


    あぁ~見事なお道具だな。

    まぁ使いやすいように直さしてもらうとこもあるかもしれねえけ

    ども、借りてもいいかな?


政五郎:おぉ使えるかい?

    じゃあそれ持ってってくんねぇな。


甚五郎:ありがとう。

    これ、そこの丁稚(でっち)、丁稚(でっち)!


権治:丁稚(でっち)って言ってやがらァ。

   俺ァ権治(ごんじ)ってんだよ。


甚五郎:権治(ごんじ)でも丁稚(でっち)だ。

    道具箱を担(かつ)げ。


権治:なんでェ、不精(ぶしょう)なこと言いやがって。

   他の兄(あに)ぃたちはみんな自分で道具箱を担(かつ)いでったじゃねえか。

   自分で担(かつ)いで行きゃいいだろうが。


甚五郎:黙って担(かつ)げ。

    天子(てんし)様の靴は、関白職(かんぱくしょく)でなくては取れんぞ。


権治:大きなこと言ってやんなこんちきしょうめ。


政五郎:権治(ごんじ)、担(かつ)いでいってやれ。

    まだ本当に疲れが取れてねえんだろう。


権治:へぇーい。


語り:小僧の権治(ごんじ)に道具箱を担(かつ)がせ、昨日の藍染川(あいぞめがわ)へやって参りました

   ポン州(しゅう)…もとい甚五郎(じんごろう)。またまた鷹揚(おうよう)に命じます。


甚五郎:丁稚(でっち)、何をすればいいか、聞いてみろ。


権治:それもやらせるのかよ!ったく…。

   兄(あに)ぃ!ポン州(しゅう)何すればいいんだって。


大工1:あ?板削(いたけず)れって言っときな!


権治:へーい。

   良かった、俺と同じだ。


   あー、板を削(けず)れって。


甚五郎:板か。

    あぁよし、削(けず)ろう。


語り:甚五郎(じんごろう)、おもむろに荒仕工(あらしこ)中仕工(ちゅうしこ)むら直(なお)し仕上げ、四丁(よんちょう)の鉋(かんな)を

   パンパンパンパンッと抜きますと、権治(ごんじ)を振り返ります。


甚五郎:丁稚(でっち)、砥石(といし)を持ってこい。


権治:またあんなこと言ってやがるよ。

   自分で取ってくりゃいいじゃねえか!


甚五郎:不精(ぶしょう)なやつだ。


権治:んなっ、お、おめえの方が不精(ぶしょう)じゃねえか!

   ったく…ほれ、砥石(といし)!


甚五郎:うむ、ご苦労。


権治:なんでそう偉そうなんだよ…!


語り:受け取った砥石(といし)を目の前に置くと、やおら鉋(かんな)を研(と)ぎだした…

   のはいいが、これがいつまでたっても研(と)ぎ続けている。


大工1:お、四(よっ)ツか。

    そろそろ曇(くも)りにしようじゃねえか。


大工2:そうだな。

    おう、ポン州(しゅう)!

    曇(くも)りだぞ!


甚五郎:曇(くも)り?

    この天気にか?


大工2:あんなこと言ってやがるよおい。


大工1:煙草(たばこ)を飲もうってんだよ!


甚五郎:俺ァ煙草(たばこ)は嫌いだ。

    勝手に喰(く)らえ。


大工1:なに言ってやがんでェ。


大工2:いぃいぃ、俺たちだけで一息(ひといき)入れようや。


語り:他の大工(だいく)たちが一休みしている間も甚五郎(じんごろう)先生、ひたすら鉋(かんな)を

   研(と)ぎ続けている。


大工2:お、九(ここの)ツか?昼飯だな。

    ポン州(しゅう)にも声かけてやんな。


大工1:よしたほうがいいよ。

    俺ァ飯(めし)は嫌いだ、勝手に喰(く)らえ、なんて言うに違いねえよ。


大工2:飯(めし)はそうはいかねえだろう。

    おう、ポン州(しゅう)!

    昼飯だよ!


甚五郎:…飯(めし)のおかずは何だ?


大工2:今度は聞いてやがるよおい。

    鮭(しゃけ)だよ!


甚五郎:鮭(しゃけ)か…、ブリはないか?


大工2:何を言ってやがんでぇ、ブリなんかねえよ!


甚五郎:じゃあ旨(うま)そうなところを取っとけ。


大工1:あんなこと言ってやがるよ。


語り:かくして今でいう午後三時過ぎくらいまでひたすら鉋(かんな)を研(と)いでいた

   甚五郎(じんごろう)先生、やっと研(と)ぎ終わりますてえとすっかり台直(だいなお)しを済まし

   まして、そこへ松板(まついた)のコブコブだらけの奴を二枚持って来ます。


甚五郎;どれ…やるか。


語り:削(けず)り台の上へ乗せると、おもむろに鉋(かんな)を掛け始めます。

   これが鉋(かんな)で板を削(けず)るというよりは、鉋(かんな)が板の方へさわると、

   板の方からきゅるるるるーっきゅるるるるーっと削(けず)れていく。

   二枚の松板(まついた)をそれぞれ片面(かためん)ずつ削(けず)りまして、仕上げの鉋(かんな)を掛けると

   ピタリっと板同士を合わせました。


甚五郎:これ丁稚(でっち)、この二枚の板を剝(は)がしてみろ。


権治:へっ、何を言ってやんでェ、今おろした板じゃねえか。

   剥(は)がしてみろだって?わけねえじゃねえか。

   ただ合わせただけの板なんて、よっ……え?


   あれ?っ、っ…!

   え、これ、剥(は)がれねえぞ…?!


   ちょ、おい兄(あに)ぃ、ちょいと来てくれよ!


大工2:あん?どうしたぃ?


権治:ポン州(しゅう)が変な事しやがったんだ。

   板ァ削(けず)って合わして、剥(は)がしてみろってみろって言うからやって

   みてるんだけど、剥(は)がれねえんだ。


大工2:なァに言ってやんでェ、おめえは力がねえんだよ。

    俺ァ力じゃちょいと人にひけは取らねえよ。

    ポン州(しゅう)だって俺の事ァ、仕事はマズいけど力はあるって褒めやが

    ったんだ。

    そういうのはな、横にしてやったってしょうがねえんだよ、ドジ

    だな。

    こうやってよ、縦にして立てるんだよ。

    そしたらこっち側に手を掛けて、

    よっ、とこうやってェッッ!!っとッ…!

    は、剥(は)がれねえ…!?


    おいポン州(しゅう)、妙な事しやがったなぁ。

    これ、剥(は)がれるのか?


甚五郎:毛ほどのムラが無いから、合わせた板は剥(は)がれない。

    それを無理に剝(は)がそうとするんなら、凄く力のある人が拝(おが)むよう

    にしてぎゅーーッと擦(こす)れば剥(は)がれる事は剥(は)がれるが…

    板の間(あいだ)から火が出て、火傷(やけど)するぞ。


大工1:おいおい、物騒(ぶっそう)なもんこしらえやがったなぁ。


甚五郎:じゃ、私は帰るよ。


大工1:あっ、ちょっ!

    帰っちまったよあの野郎。


語り:唖然(あぜん)とする他の大工(だいく)たちを尻目(しりめ)に、すたすた帰る甚五郎(じんごろう)先生。

   その後もどうにかして合わせた板をはがそうと頑張(がんば)るが、

   結局は無駄骨(むだぼね)に。

   そこへ政五郎(まさごろう)が顔を出します。


大工2:おっ、棟梁(とうりゅう)だ。

    ご苦労さんで!


大工1:ご苦労さんで!棟梁(とうりゅう)!


政五郎:おう、お前らもご苦労だな。

    ポン州(しゅう)の奴が早く帰って来て二階上がって寝ちまったが、

    それで、仕事の方はどうだ?


大工2:いやあ、ダメだ棟梁(とうりゅう)。

    アイツぁ国に帰しちまった方がいい。


大工1:あいつは大工(だいく)じゃないね。

    手品使(てづまつか)いだよ。


大工2:板ァ削(けず)らしたんです。

    そしたら片面(かためん)ずつ削(けず)りやがって、剥(は)がせるもんなら剥(は)がしてみろ

    ってんで、ハナは権治(ごんじ)がやったんです。

    そしたら剥(は)がれねえんです。


大工1:だから次はあっしがやったんで。

    仕事はとにかくですよ?

    あっしは力じゃひけを取ったことはねえんで、目いっぱいやって

    みたんですけど、剥(は)がれねえんですよ。


大工2:しかしずいぶんドジな野郎がいるもんだね。

    一枚の板を二枚にして使おうって言う世の中にですよ?

    二枚の板を一枚にしやがったんですからね。

    仕事しねえくらいがいいようなもんで。


大工1:棟梁(とうりゅう)、悪い事(こた)ァ言わねえ。

    あんなのは帰(けえ)しちまった方がいいよ。


政五郎:なに、削(けず)った板を合わして、剥(は)がれねえ…?

    そりゃ水につけたのを合わせたんだろ。

    おめえ達はドジだからそれに気が付かなかったんだな。

    削(けず)った板を水につけねえで剥(は)がれねえなんて仕事する人はな、

    日本で一人…まあ事によると一人もいねえと言っていいくれぇの

    もんだ。

    おめえ達は間抜(まぬ)けなもんだから、水につけたのを気づかなかった

    んだろ。まぁまぁまぁ、それァいいけどもよ、

    ポン州(しゅう)に板を削(けず)れって言い付けたのァ、誰だ?


大工1:へい、あっしです。


政五郎:…ちょいとそこに座れ。

    おめえ達は脇(わき)の丁場(ちょうば)へ行って、「何をしましょう」って聞いたら

    「板を削(けず)ってくれ」って言われて、

    はいそうですかって素直にやるか?やらねえだろ。

    板削(いたけず)りってな、小僧の仕事だ。

    今日は頭が痛むから帰(けえ)してもらいやす、腹が痛(いて)ぇから仕事を休ま

    してもらいやすと道具箱を担(かつ)いで帰ってくるのとな、

    上方(かみがた)から出てきて江戸で身寄り頼りもねえと思うから、

    板ァ削(けず)れと言われても「あぁ情けねえな」と思いながら二枚の板

    を片面(かためん)ずつ削(けず)って帰(けえ)ってくんのとはわけが違うんだぞ!

    板ァ削(けず)っとけなんて言い付けるたァ、生意気(なまいき)な事ぬかしやがって

    !


大工1:いぃいえ棟梁(とうりゅう)、実はあっしじゃねえんで。


政五郎:じゃあ誰だよ、梅か?

    なに、松?

    松、おめえか!?

    なに、竹が?

    おめえか竹!

    違う?芳公(よしこう)?

    芳公(よしこう)、どうなんだ!?

    そうじゃない?国が?

    こら、国!

    なに、秀(ひで)が?

    おめえが言ったのか!?そうじゃない?

    じゃあおめえか!?


大工2:どういたしまして、…ってあ、あと振(ふ)る奴いねえ。

    へへ、そのうち誰か来るでしょ。


政五郎:なに言ってやがる。とんでもねえ奴らだ…!

    おい権治(ごんじ)、ポン州(しゅう)呼んで来い。


権治:へい。


   【二拍】


甚五郎:棟梁(とうりょう)、どうしたんだい?


政五郎:おうポン州(しゅう)、こっち来てくれ。

    今日は俺が丁場(ちょうば)へ来なかったせいでとんだ粗相(そそう)をしちまった。

    お前さんに板削(いたけず)れって言い付けたってな。

    心持(こころも)ちが悪かったろ。すまねえな、堪忍(かんにん)してくれ。


甚五郎:ははは…棟梁(とうりょう)、心持(こころも)ちなんぞ悪くないよ。


政五郎:いや、そんな事はねえだろう。

    気が付かなくて悪かったな。

    だからよ、気持ちの治(なお)るまで二階で寝起(ねお)きしてくれ。

    それで気持ちが治(なお)って仕事しようかなと思ったら、手伝ってくれ

    りゃいい。


甚五郎:あぁ、二階で?

    寝たり起きたり?

    私はそれが一番好きなんだ。

    それじゃ、ゆっくりさしてもらうよ。


政五郎:ああ、そうしてくれ。


語り:それから本当に毎日二階で食っちゃ寝(ね)するだけの生活に突入した

   甚五郎(じんごろう)先生。それが続くとさすがにおかみさんのお勝(かつ)も黙っちゃい

   ません。


政五郎:なんだ?話ってのは?


お勝:ねえお前さん。どうなのさ、二階のポン州(しゅう)。


政五郎:なにが?


お勝:何がじゃないよ。

   いくらお前さんが拾(ひろ)って来たかしれないけどさ、

   毎日毎日朝から晩まで寝たり起きたり、起きてくるのは飯(めし)の時だけ

   、しかも飯時(めしどき)に起きてきて膳(ぜん)の上をじーっと見て、


甚五郎:また鮭(しゃけ)か…ブリはないか?

    富山(とやま)のブリは美味(うま)いぞ。


お勝:なんて言うんだよ。いいかげん癪(しゃく)にさわるったらないね。

   あんなブリの好きな奴はないよ。

   そんなにブリブリ言うんなら、富山(とやま)行って垂(た)れてりゃいいんだよ!

   あんなのを置くくらいならね、あたしは離縁(りえん)してもらうよ!


政五郎:おい、ちょいと待ちなよ。

    そこがマズいんだよ。


お勝:何がマズいのさ?


政五郎:いやな、相染川(あいぞめがわ)の丁場(ちょうば)で初めてあいつに会ったんだが、

    その時に家(うち)に来いっつった俺にポン州(しゅう)がな、

    「おめえ、かかあがあるか。」ってんで、妙なこと言いやがった

    なと思って、あるっつったら、「家(うち)へ帰ってかかあと相談して

    きたほうがいい」なんて言いやんだよ。

    「俺がお前さんの家(うち)に行くと、いつかおかみさんと棟梁(とうりゅう)が剣呑(けんのん)な

    仲になって、あの人を置くくらいならあたしを離縁(りえん)しておくれ、

    なんて事があってもマズいよ」

    なんて言うから、

    冗談言うなってんだ、職人の事についてかかあにこれっぱかしも

    口出しなんざさせねえ!

    口なんぞ出しやがったらかかあ叩きだしてやる!ってよ。


お勝:へえ…そういうこと言ったのかい…?


政五郎:いや、ホントに叩きだしゃしねえよ。

    その時のはずみってやつだ。

    叩きだしてもおめえを家(うち)へ置くよ、ってったら、

    あとのあの野郎の言い草(ぐさ)が癪(しゃく)にさわるんだよ。

    「えらい!さすがに関東の大工(でぇく)は違うね、褒(ほ)めおく。」

    ってのが俺の胸にドキーンと来たんだ。どうにもしょうがねえん

    だよ。

    まま、そう嫌な顔をするなよ。長い事じゃねえんだ。

    年でも変わったあたりで国に帰すようにするからよ。

    拗(す)ねてねえで茶でも煎(い)れてくれよ。


    おうポン州(しゅう)!

    茶が入ったぞ!降りて来ねえかい?


甚五郎:【のんびりと】

    あいよ。


政五郎:あいつの返事はどうも変にのんびりしてやんな。

    まま、こっちへ来ねえ。

    退屈(てぇくつ)だろ、毎日寝て起きてだけってのも。


甚五郎:いやあ、退屈なんてしないねえ。


政五郎:まあ飲みなよ。

    たいしたうめえ茶でもねえけどさ。


    【自身も茶を一口すすって】


    なあポン州(しゅう)、いつだったか俺ァ藍染川(あいぞめがわ)の丁場(ちょうば)で、

    お前さんの削(けず)った板てのを見せてもらった。

    板が剥(は)がれなかったから、本当はどれだけの仕事をするのか

    まだ目にしてねえが、いい仕事をしなさる。

    上方(かみがた)の人の仕事は丁寧(ていねい)だな。

    まあ、お前さんも江戸に来て見てあらかた様子(ようす)は分かったと思う

    けどよ、江戸の仕事ってなァね、表(おもて)から見ると百人の手間(てま)がかか

    っているように見えても中に入ってよく見ると八十人ほどの手間(てま)

    しか掛かってねえ。

    ところが上方(かみがた)だと表(おもて)から見て百人の手間(てま)がかかってると思うと

    実は百五十人の手間(てま)が掛かっていたりする。それだけ丁寧(ていねい)だって

    こった。

    なんでそうなのかってと、江戸ってとこは火事(かじ)早(ぱえ)え土地でな、

    三年に一度は必ず焼けると覚悟してなくちゃならねえ。

    そういう考えがあるもんだから、なかなかいい仕事をしようと

    思えねえんだ。

    見てくれのいい仕事で手を抜いてあるから、どうしてもぞんざい

    になっちまう。

    お前さんは自分の腕を磨(みが)こうと思って、上方(かみがた)から江戸に出てきた

    んだろうけども、せっかくの良い腕が落ちる事はあっても決して

    上がる所じゃねえ。

    どうだい、あらかた江戸の見物が済んだんなら、国に帰った方が

    良かねえかい?


甚五郎:棟梁(とうりょう)、ありがとう。

    いや、私もそう思った。

    どの仕事を見ても雑だなあってね。


政五郎:気が付いていなすったかい。

    あ、いや、今すぐに帰れってんじゃねえんだ。

    この暮れも押し詰(つ)まってるってえのにそんな不人情(ふにんじょう)な事はしねえ

    し、出ていかれちゃ俺も困る。

    今のところはひどく懐都合(ふところつごう)も悪い。

    春になって、少(すこ)ぅしばかりまとまった銭(ぜに)も入ったら、お前さんに

    襟垢(えりあか)の付かねえ着物を着てもらって、たとえわずかでも土産物(みやげもの)の

    一つでも持って、国に帰ってもらうからよ。

    それまではゆっくりしていくといい。

    けどただ寝て起きてってのもつまらねえだろ。

    どうだい、少し夜(よ)なべやってみねえかい?


甚五郎:お、それを棟梁(とうりょう)に聞こうと思っていた。

    大工(だいく)に夜(よ)なべてえのは?


政五郎:ああ、別に大工(だいく)に夜(よ)なべてのもおかしな話だけどね。

    大工(だいく)にとっての春の小遣(こづか)い取りだよ。

    踏み台をこしらえたり、塵取(ちりと)りこしらえたりして、

    それを市(いち)で売って稼(かせ)いだ金が皆の春の小遣(こづか)いになったり、

    かみさんや子供の物を一つでも買おうと、こういうわけだ。

    お前さんも退屈(てぇくつ)しのぎに、やってみたらどうだい?

    端切(はなぎ)れならたくさんあるんだ。

    どうでい塵取(ちりと)りは?


甚五郎:塵取(ちりと)りねえ…むずかしいなあ。


政五郎:塵取(ちりと)りがかい?

    あんまり難しいってほどのものでもねえと思うんだが…。

    じゃあ踏み台ならどうでい?


甚五郎:踏み台なあ…できんなあ。


政五郎:不器用(ぶきよう)な大工(だいく)だねおい。

    踏み台ができねえなんて…あ、上方(かみがた)の人は彫(ほ)り物をするっていう

    けど、彫(ほ)り物ができるとイイ銭(ぜに)になるぜ。

    この暮れの市(いち)でもってね、恵比寿大黒(えびすだいこく)なんざよくこしらえてね、

    こいつが少し売れた日にゃ、まとまった銭(ぜに)が入るぜ。


甚五郎:恵比寿大黒(えびすだいこく)…?

    あ…。


語り:ここではたと思い出した甚五郎(じんごろう)先生。

   まだ山城国(やましろのくに)伏見(ふしみ)にいた折(おり)、江戸表(えどおもて)駿河町(するがちょう)は三井屋(みついや)の番頭(ばんとう)、藤兵衛(とうべえ)

   から持ち込まれた依頼がありました。

   三井屋(みついや)のあるじが縁(えん)あって運慶(うんけい)先生の彫(ほ)った恵比寿(えびす)様を手に入れた

   。商(あきな)いの神様として、恵比寿大黒(えびすだいこく)様のある事は知っている。

   ところが恵比寿(えびす)様だけではどうも具合(ぐあい)が悪い。

   そこで当代一(とうだいいち)の呼び声高い、甚五郎(じんごろう)先生に大黒(だいこく)様を彫(ほ)って欲しいと

   、こういう依頼があったわけです。


甚五郎:うん、大黒(だいこく)様か…!

    それじゃ棟梁(とうりょう)、その、福の神をやらせてもらいますよ。


政五郎:お、やってみるかい?

    端切(はなぎ)れならいくらでもあるからよ。


甚五郎:ありがとう。

    二階を仕事場に借りてもいいかな?


政五郎:おぉいいともいいとも!

    ゆっくり使ってくんねぇ。


甚五郎:それと、種油(たねあぶら)を三升(さんじょう)ほどいいかな?


政五郎:おう、いま取りにやらせるよ。

    権治(ごんじ)!いるか!?


権治:へーい、棟梁(とうりゅう)、どうしました?


政五郎:種油(たねあぶら)を三升(さんじょう)、買ってきてくれ。


権治:え、何に使うんです?


政五郎:いや、ポン州(しゅう)が使うんだよ。


権治:え、舐(な)めるんで?


政五郎:バカ、猫のバケモノじゃねえ。

    いくらポン州(しゅう)の人がいいからって、おめえが舐めてたんじゃ

    しょうがねえな。夜なべして彫(ほ)り物するんだよ。

    早く行ってこい!


権治:へーいっ!


甚五郎:じゃあ、仕事を始めさしてもらうよ。


語り:甚五郎(じんごろう)先生、自身の目利(めき)きにて美州(びしゅう)の本木(ほんぼく)、檜(ひのき)のごく地肌(じはだ)のいい端切(はなぎ)れを

   選んで二階に戻った。

   コツコツカリカリコツコツカリカリ心魂(しんこん)傾(かたむ)けて、全集中(ぜんしゅうちゅう)にて大黒(だいこく)様を

   彫(ほ)り始めた。


政五郎:おう、今日も二階から鑿(のみ)の音が響きだしたな。


お勝:ねえお前さん、西の人ってのは料簡(りょうけん)がしっかりしてるのかねえ?

   小遣(こづか)い取りにやってみたらどうだって言われたらさ、

   今度は朝から晩までと言っていいほど仕事してて、あんまり寝てる

   の見た事がないよ。

   夜中でもコツコツカリカリコツコツカリカリやってるよ。


政五郎:え、寝ずにかい?

    おいおい冗談じゃねえ、からだ壊しちまうよ。

    しょうがねえ、ひとこと言っとこうか。


    おぅい、ポン州(しゅう)!


甚五郎:【のんびりと返事】

    あいよ。


政五郎:~~どうもあいつの返事は気が抜けるな。

    あいよ、ってんだからね。

    聞いたよ、ほとんど寝ないでやってるってこたぁ、

    よほどできたのかい?


甚五郎:かしらに少し、形が付いたなあ。


政五郎:かしらに?


    おいおっかあ、ポン州(しゅう)は彫(ほ)り物には慣(な)れてやんだな。

    恵比寿大黒(えびすだいこく)なんてのはね、顔が良くなくっちゃいけねえんだ。

    面(めん)だよ、うん。だからポン州(しゅう)の奴、ずーっと面(めん)だけ先に片付けち

    まったんだ。

    手が少しくらい曲がって立って、足がどうにかなってたって、

    顔さえよけりゃ買ってくんだよ。

    こりゃあ、ことによると数物師(かずものし)かもしれねえなあ。

    それじゃ、よっぽどできたんだな?


甚五郎:ひとつ。


政五郎:ひとつぅ?

    おいおい、大仏様の孫みてえなものをこしらえたってダメだよ。

    じゃあ、よっぽど大きいのかい?


甚五郎:お身丈(みたけ)は、三寸(さんずん)くらいかな。


政五郎:おかしいねぇ。

    お前さん、夜中にコツコツやってたって言うじゃねえか。


甚五郎:いや、夜中は寝る。


政五郎:だってよ、コツコツ音がしてるっておっかあが言ってたぜ。


甚五郎:いやあ、枕元に板と鑿(のみ)を置いといてね、

    目の覚めるたんびにコツコツ叩くだけ。


政五郎:おいおい、何をしてやんでェ。


語り:そうこうしているうちにある日、甚五郎(じんごろう)が二階からすっきりした顔

   で降りて来ますと、政五郎(まさごろう)に声を掛けます。


甚五郎:棟梁(とうりょう)、ちょいと丁稚(でっち)をお借りしたいがなぁ。


政五郎:おう、いいぜ。

    権治(ごんじ)!ちょいとこっちへ来い!


権治:へーい。

   なんです、棟梁(とうりゅう)。


政五郎:ポン州(しゅう)が頼みたい事があるってよ。


権治:ええ…

   なんだい?


甚五郎:ああ、ちょいとこっちへ…。


    この手紙を、三井屋(みついや)さんに届けておくれ。


権治:ああ手紙ね。

   わかったよ。


甚五郎:さて…。

    そうだ棟梁(とうりょう)、湯に行きたいな。風呂に。


政五郎:おうそうかい。

    おいおっかあ、湯札(ゆふだ)出してやんな。

    ゆっくり入ってあったまって、よく洗って来(き)ねえ。

    お前さんみてえにそう不精(ぶしょう)じゃ、小汚(こぎたな)くってしょうがねえよ。

    綺麗(きれい)になって来な。


甚五郎:【のんびりと返事】

    あいよ。


政五郎:へへ、のんきな野郎だな。

    仕事してんのかね?


大工1:ああ、あいつァ変な野郎でさ。

    昼間ちっとも仕事をしねえんだ。


大工2:あっし達が仕事してる所に来ては、じーっと見てやがんですよ。

    それで、あっしが踏み台をこしらえたら、


甚五郎:うん、この踏み台は百年はもたない。


大工1:って、あたりめえじゃねえかって話で。

    長生きする野郎だとあっしは思ったね。


大工2:踏み台が百年も二百年ももつかってんだよな。

    どうせあいつなんざ、ろくな仕事もできやしねえよ。


大工1:たしか、恵比寿(えびす)だか大黒(だいこく)だかこしらえやがったんでしょ?


大工2:どんなもんだかね、あっしがいっぺん見てやろうじゃねえか。


政五郎:まぁまぁまぁ、むやみに人の仕事を見るもんじゃねえ。

    俺が見てくるからよ。

    上方(かみがた)の人だからってバカなこと言うんじゃねえ。

    あっちの人の仕事ってのはうめえんだぞ。

    とりわけて飛騨高山(ひだたかやま)の左甚五郎(ひだりじんごろう)先生て方は、俺たちにとっちゃ神様

    みてえな方だ。

    これからおめえ達がお目にかかる折(おり)があるかねえか分からねえが、

    もしも、この方が甚五郎(じんごろう)先生だという方にお目にかかったら、

    爪の垢(あか)ァいただいて、煎(せん)じて飲め。

    そうすりゃ、いくらかでも仕事がうまくなるだろ。


大工1:はぁぁ、会ってみてえなあ甚五郎(じんごろう)先生によ。


大工2:そういう人に限ってよ、爪なんざきれいに掃除(そうじ)して垢(あか)なんかねえ

    んだ。


大工1:そこへ行くとあのポン州(しゅう)、あの野郎と来た日にゃ、

    爪じゅう垢(あか)だらけ!


大工2:あんな小汚(こぎた)ねえ野郎はねえと思うね!


政五郎:まあ、とにかく俺ァちょいと二階行って、仕事ぶりを見せてもら

    うかね。

    おめえ達ゃ、留守番(るすばん)しててくれや。


語り:政五郎(まさごろう)、二階へトントン上がって行きまして、ガラリ障子(しょうじ)を開けま

   す。さぞ散らかってるだろうと思っていたが、目の前に広がった

   光景は予想に反し、案外なものでした。


政五郎:はてな…?綺麗(きれい)に仕事が片付いてやがるな…?

    ん?床(とこ)の間に…鑿(のみ)がきれいに並べてあるぞ。

    道具はねえって言ってたが、鑿(のみ)だけは持ってたんだな。

    彫(ほ)り物(もの)大工(だいく)か…?

    隣にあるのは…なんだ?布にくるんだ物があるぞ。

    彫(ほ)った大黒(だいこく)様は三寸(さんずん)くらいだって言ってやったな。

    これか…?


    !!うっ、こ、こいつァ…ッ!?


語り:丁寧(ていねい)に巻かれていた布を取り除(の)けると、中から現れたのは大黒(だいこく)様。

   目の錯覚(さっかく)か、それがパッと目を見開(みひら)いてニヤニヤっと笑ったように

   見えました。

   さすがに大工衆(だいくしゅう)を率(ひき)いる政五郎(まさごろう)、棟梁(とうりょう)を務めるだけあって人の仕事

   ぶりがどの程度のものかはすぐにわかります。

   その造形(ぞうけい)の細(こま)やかさ、見事(みごと)さにしばし呆然(ぼうぜん)としてしまいました。


政五郎:こ、こんなできばえの大黒(だいこく)様は見た事がねえ…!

    …事によると…いや…まさか…


お勝:【階下(かいか)から】

   ちょいと、お前さーん!

   お客さんだよ!


政五郎:ぉ、おう!今行く!


    【二拍】


    なんだ?客だって?


お勝:駿河町(するがちょう)の三井屋(みついや)さんから、使いの方が見えられてるんだよ!


政五郎:なに、三井屋(みついや)…!?

    ウチはあすこへは出入りしてねえはずだが…。


    いらっしゃいやし、棟梁(とうりゅう)の政五郎(まさごろう)てモンです。

    お出入りはございやせんが、どうぞ、お見知りおかれまして。

    よろしくお願い申します。


藤兵衛:手前(てまえ)、三井屋(みついや)から参りました、番頭(ばんとう)の藤兵衛(とうべえ)と申します。

    こちら様においでの、飛騨高山(ひだたかやま)の左甚五郎(ひだりじんごろう)先生から、

    大黒(だいこく)様が彫(ほ)り上がったとお手紙を頂戴(ちょうだい)いたしまして…。


政五郎:えっ…あっしのとこに…?


    【つぶやく】

    !っそうか…やっぱり…!


    ええ、いらっしゃるんですが、今ちょいと湯(ゆ)に行かれまして。

    もう間もなく、お帰りになるでしょう。

    ま、どうぞお上がりなすって。

    おいおっかあ、座布団(ざぶとん)持ってきて、お茶ァ差し上げて。


お勝:ど、どうぞ…。


政五郎:粗座布団(そざぶとん)に出がらしのまずい粗茶(そちゃ)で申し訳ねえ。

    おっかあ、粗茶菓子(そちゃがし)は…あ、切らしてるのか。

    ま、しばらくお待ちなすって。


    【つぶやく】

    やっぱり、名人になる人ってなぁ違ったもんだね。

    昔から、能ある豚はへそを隠すなんてことをよく言うよ。


    【二拍】


甚五郎:はい、ただいま。


政五郎:おうっ…!お帰りなせぇ。


    番頭(ばんとう)さん、お帰りになりやしたよ。


藤兵衛:おぉ先生!お久しゅうございます!

    三井屋番頭(みついやばんとう)の、藤兵衛(とうべえ)でございます。


甚五郎:あぁ~藤兵衛(とうべえ)さんか。

    ご無沙汰(ぶさた)だねえ。


藤兵衛:お手紙を頂戴(ちょうだい)し、すっ飛んで参りました。


甚五郎:いやどうも、すっかり遅くなってねえ。


政五郎:先生、そこじゃ話がしにくいんで、ずっと、ずーっとこっちへ、

    入っちゃってくださいな。


甚五郎:へ?


政五郎:先生、ずーっとこっちへ。


甚五郎:あぁ……はっはっは…そうですか。

    じゃ、ごめんください。


    …棟梁(とうりょう)、ただいま。


政五郎:先生、棟梁(とうりょう)はよしてください。

    政五郎(まさごろう)でいいんで。

    先生、あなたもお人が悪いや。甚五郎(じんごろう)先生でしょ?


甚五郎:ああ、私ね。

    今ね、湯(ゆ)の帰りに、思い出してね。


政五郎:いやだよ先生ぇ。

    っておめぇら、何ポーっとしてつっ立ってんだ!

    きちんとご挨拶(あいさつ)申し上げろィ!

    このポン州(しゅう)様が甚五郎(じんごろう)先生様なんでェ!

    ほんとに、とんでもねぇ奴らだ!

    ポン州(しゅう)ってな、おめえ達の事じゃねえか!

    先生、何も知らねえこととはいえ、どうか勘弁してやっておくん

    なせェ!   


大工1:じっ、甚五郎(じんごろう)先生!

    お目にかかれて、光栄(こうえい)でござんす!


大工2:あっしら、とんだ無礼(ぶれい)な事を…どうか、ご勘弁(かんべん)下せェ!


政五郎:かかぁ、おめえもだ!

    知らねえこととはいえ、先生のブリ好きにケチつけてブリブリ

    言いやがって!

    早く頭ァ下げろ!


お勝:い、いま謝るよ…。

   先生とは知らず、ご無礼(ぶれい)いたしました…。


甚五郎:いやいや、棟梁(とうりょう)もお内儀(ないぎ)も、そうされると私が決まりが悪い。

    みなさんも、そうされると決まりが悪いんだ。

    あとで話はまたゆっくりしますがね、気を悪くしないで。

    藤兵衛(とうべえ)さん、ちょいと待ってておくれ。


    【二拍】


    これなんだが…お気に入るかどうだかな。


藤兵衛:!はあぁ~……。

    先生、素人(しろうと)のわたしが拝見いたしましても、結構(けっこう)な作でございま

    す。

    主(あるじ)もさだめし喜びましょう。

    先生、確か伏見(ふしみ)で三十両(さんじゅうりょう)、手付けでお渡ししてございます。

    ここに七十両(ななじゅうりょう)持参いたしまして、百両(ひゃくりょう)でお願いいたしたいと存じ

    ますが、もしもご不足でございましたら、ご遠慮なくおっしゃっ

    ていただけますよう。


甚五郎:いやいや、とんでもない。

    ありがたく、頂戴(ちょうだい)するよ。

    さ、棟梁(とうりょう)、これを受け取っておくれ。


政五郎:えっ!?う、受け取れって…これ、五十両(ごじゅうりょう)も…!?


甚五郎:今まで世話(せわ)になったぶんだよ。


政五郎:そ、そんな…先生、あっしァ、先生に襟垢(えりあか)の付かねえ着物を着せ

    て国にお帰り願うつもりが、これじゃあっしらが女房子供(にょうぼうこども)に襟垢(えりあか)

    のねえ着物を着させてやれる事に…ありがとうごぜえやす…!!


藤兵衛:それと先生、お好きとうかがいましたので、お口に合いますか

    どうか…一樽(ひとたる)持参いたしました。

    どうぞ、お疲れ休めに召しあがってください。


甚五郎:あァ~心に掛けてもらって…ありがとう。


藤兵衛:そしてこちらが先生のお骨折(ほねお)り、お肴料(さかなりょう)という事で、二十五両(にじゅうごりょう)

    持参いたしました。

    どうぞ、お納(おさ)めを。


甚五郎:いやぁ、これは過分(かぶん)にどうも。

    重(かさ)ね重(がさ)ね、ありがとう。

    お肴料(さかなりょう)は、奥州松島(おうしゅうまつしま)見物に取っておこう。


藤兵衛:それから運慶(うんけい)先生の恵比寿(えびす)様に、歌が付いておりました。

    「商(あきな)いは 濡(ぬ)れ手で粟(あわ)の ひとつかみ(一つ神)」とございまして。


甚五郎:ふんふん、なるほど。

    じゃあ、まずいけど後をつけ足そうかな。


    ちょいと、筆と紙を借りますよ。


権治:へーい!今すぐに!


   どうぞ、先生!


甚五郎:どれ…、

    「守らせたまえ 二(ふた)つ神(かみ)たち(二掴み)」


語り:三井(みつい)に残る左甚五郎(ひだりじんごろう)作、三井(みつい)の大黒(だいこく)でございます。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


桂三木助(三代目)

三遊亭圓生(六代目)


※用語解説


・八丁堀(はっちょうぼり)

東京市の1878年-1947年(明治11年-昭和22年)の京橋区の地名

(本八丁堀や南八丁堀など)、および現在の東京都中央区の

地名。


・丁場(ちょうば)

運送や道普請などの受持ち区域。


・ぶっ裂(さ)き羽織(ばおり)

乗馬や帯刀の際に便利なよう、背縫いの下半分を縫い合わせない羽織のこ

と。背割羽織とも呼ばれ、江戸時代には佐賀県で麻製のものが作られてい

た。


・小紋(こもん)

着物(和服)の種類の一つ。

全体に細かい模様が入っていることが名称の由来であり、訪問着、

付け下げ等が肩の方が上になるように模様付けされているのに対し、

小紋は上下の方向に関係なく模様が入っている。そのため礼装、正装とし

ての着用は出来ない。


・手甲(てっこう)

主に手の甲や腕を保護するもの。

日焼け防止、怪我の予防、防寒、虫除けなど、様々な目的で使われる。

また、お祭り衣装や伝統的な服装の一部としても用いられる。


・脚絆(きゃはん)

活動時に脛を保護し、障害物にからまったりしないようズボンの裾を

押さえ、また長時間の歩行時には下肢を締めつけて鬱血を防ぎ脚の疲労を

軽減する等の目的がある。日本では江戸時代から広く使用される。

元となった脛巾(はばき)自体はそれ以前から(武家・庶民共に)

見られる。現在でも裾を引っ掛けることに起因する事故を防いだり、

足首や足の甲への受傷を防ぐ目的で着用を義務付けている職場があり、

作業服などを扱う店で販売されている。

伝統的なものに、大津脚絆、江戸脚絆、筒型脚絆がある。


・番匠(ばんじょう)

中世日本において木造建築に関わった建築工のこと。

木工(もく)とも呼ばれ今日の大工の前身にあたる。


・藍染川(あいぞめがわ)

この名前の川は二つあった。

一つは駒込地区の谷戸川から不忍池に流れている幅一間程度の小川で、

川の周辺に集まっていた紺屋が、この川の水を使い藍染の布を晒していた

。 もう一つは内神田地区にあった小川で、同様に紺屋町あたりに多く

あった染物屋が染め布を晒していたと伝わる。


・橘町(たちばなちょう)

元和七年(一六二一)西本願寺(現本願寺築地別院)が創建されると

町一帯は門前町ないし寺内町となった。

寛永江戸図には「本願寺御堂」の門前辺り、浜町堀沿いに「町や」とあり

、明暦大火直前の明暦三年(一六五七)の新添江戸之図では「寺内」

「町」とある。立花を売る店が多かったため立花たちばな町と称され、

のち橘町と改められたという。


・飛騨高山(ひだたかやま)

飛騨高山は現在の岐阜県北部に位置する。

飛騨地方の中心地であることから、飛騨高山と呼ばれる。

標高差が大きく、森林率も高いことから、自然が豊かな地域としても知ら

れる。


・御札配り

御札配りは、各家庭で家内安全を願い祀られるお祓いの大麻(御札)を、

その土地を守護する神社が地域に頒布する伝統行事。


・只(ただ)の目に なに石山(いしやま)の 秋の月

風流に無縁な凡人の目には「近江八景」石山の秋月も無価値である。

良い物を見せてもその真価は分からないという意味。


・丁稚(でっち)

商家や職人のお店で働く、掃除や使い走りなどの雑務をこなす若い人の

ことを指す。

または年少者を可愛げに呼ぶ言葉としても使われる。


・鷹揚(おうよう)

ゆったりとしてこせこせしない様子。おっとりとして上品なこと。


・荒仕工(あらしこ)・中仕工(ちゅうしこ)・むら直し・仕上げ

荒仕工(あらしこ):粗く削る為の仕立て方

中仕工(ちゅうしこ):中間削り


・三寸(さんずん)

一寸の三倍。約九センチ。


・端切れ(はなぎれ)

木端(こっぱ)のこと。木の端材(はざい)。


・数物師(かずものし)

洋服の仕立ては当初、一ツ物師(ひとつものし)が高級官吏の御用服を、

数物師が一般官吏の制服を主に手掛けていたことが、「数物師」という

用語の由来とされる。


・四(よっ)ツ

この場合の四ツは昼四ツ、つまり、巳の刻(午前十時)ころを指す。


・九(ここの)ツ

この場合の九ツは真昼九ツ、つまり、午の刻(十二時)ころを指す。

正午という言葉はその名残である。


・一両(いちりょう)

現在の価値で約七万五千円~八万円。

だから七十両だと最大約五百六十万円なーりー。



・手切(てき)りまら出し釘(くぎ)こぼし

昔の職人の衣裳は、股引に腹掛、足袋と草履ばきであった。

腰が座っていない大工は身だしなみも決まっておらず、

肝心なところを出して、切れ物道具を持ったら怪我が絶えなく、

また貴重な釘もよくこぼす事から、出来の悪い大工を揶揄した言葉。

また釘をこぼすと、釘から芽が生えると怒られた。



・袖すりあうも多生の縁

道で他人と袖が触れ合うような小さなことにも、前世からの深い因縁が

あるという意味の慣用句。仏教の輪廻転生の考え方に基づいており、

人間関係の縁を大切にする思いが込められている。


・つまづく石も縁の端

ふとした石につまずくことも、何かの縁の始まりだから大切にしよう

という意味の言葉。日常で起こる小さな出来事も、縁や因縁で結びついて

いるという考え方に基づく言葉。


・本木(ほんぼく)

主に建築や家具などの材料として使われる「木」を指す。

「本木」は、その品質や用途によってより価値が高い、特に優れた木材を

指す言葉。


・美州(びしゅう)

美濃国(みののくに)(現在の岐阜県)を指す。

ちなみに同じ読みでも尾州だと尾張国(おわりのくに)(現在の愛知県の西半分)

を指す。




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