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【番外編】この婆、最強につき

挿絵(By みてみん)



外野のざわめきに釣られるように、アスモデウスがふらりと歩み寄る。

その姿にはまるで、王族が晩餐の余興を見にきたかのような悠々とした気品が漂っていた。


テーブルに散らばるカードを見下ろしながら、彼女は一枚を指先で摘み上げる。

その動きすら、まるで舞踏会の扇を広げるかのように優雅だ。


「さて、このカードをどの的に向けて投げれば良いのかのう? このテーブルについた人間、全てが的か?」


——その一言が放たれた瞬間、場の空気が凍りついた。


ざわつきは悲鳴に変わり、何人かは椅子を倒して逃げ出した。

まるで冗談の通じぬ神の怒りが降りかかったかのように。


だが、そんな緊迫を静かに制したのは、落ち着き払ったディーラーの女性だった。


「ポーカーは初めてでしょうか、お客様?

では、(わたくし)が説明致しますので、そこに黙ってお座り下さい」


声は柔らかだが、背筋に刃が這うような冷たさがあった。

彼女が指差したのは、術良の隣の席。素直に従って腰を下ろすアスモデウスを見て、術良が小さく囁く。


「ねえ、あの女の人……なんか言葉に棘がないっすか?」


ディーラーはオホンッと咳払いし、説明を始めた。


「まず、お客様へ二枚のカードをお配り致します。他のお客様に見えないよう、配られたカードをご確認下さい」


実演と共に、彼女は術良・アスモデウス・コンメンにカードを配っていく。

しかし次の瞬間、空気がまたもや緊張に包まれる。


アスモデウスが、堂々とカードを頭上に掲げながら言い放った。


「心臓マークのAと十じゃ。 どうじゃ、我の勝ちか?」


——まさかのネタバレ。しかも“心臓マーク”。


「あの婆さん、マジっすか……」

「……兄ちゃん、知り合いなの? すげぇの連れてんな」


術良とコンメンが同時に引いた顔を見せる中、ディーラーの眉間には深い皺が刻まれていた。


「今回はチュートリアルですので、本番では他のお客様にカードを見せないようお願い致します。


……大丈夫か、この女」


最後の一言は、聞こえぬほどの低音で吐き捨てるように呟かれた。

それでもアスモデウスは、どこ吹く風。にこにこと笑って座っている。


「では、手札を確認した後、ベットをするかフォールドをするか選択して下さい」


その言葉に、アスモデウスがまたもや小首を傾げ、ぽつりと口を開いた。


「なんじゃ、(ぬし)は我と寝たいのか? やれやれ、困ったヤツじゃのう……。 そういう話は、皆の目がない所でだなーー」


「おまえの頭の中は、いったいどうなっているんだ? 回線が焼き切れているのか?」


ディーラーが氷のような声音で言い返した刹那、術良とコンメンの反応が重なる。


「やべえ女だな」

「やべえ女っすね」


ディーラーは再び咳払いし、あくまで冷静に説明を続けた。


「では、ここに三枚のカードを提示致します」


ディーラーの手元から、場に三枚のカードが滑らかに並べられる。

だがアスモデウスはまったく空気を読まず、ぐるりと首を回して辺りを見回した。


「のう、酒はどこじゃ?

主に注目すれば良いのかーーッ!?」


その言葉が終わるより早く、彼女の額にトランプが突き刺さった。

まるで手裏剣のように鋭く放たれたカードの主は、言うまでもない。ディーラーだった。


「お酒は飲み過ぎると、パアの頭が更にパアになってしまいますよ」


笑顔の奥に、戦場の兵士に匹敵する疲労が滲んでいる。


「大丈夫なんっすか、このカジノ……」

「俺も長くここにいるが、ちょっと自信ねえな……」


場の空気が少し緩みかけたその時、ディーラーは説明を続ける。


「こちらの三枚のカードとお客様の手札を見比べて、役が成立するかを確認して下さい。

勝負を続けるならコール、降りるならフォールドです」


三人はそれぞれカードを睨みつけ、思案に沈む。

特にコンメンの表情は重苦しく、どこか諦念すら見えた。


「……ラグだ。 駄目だなこりゃ。

だが、今回は、そこのお嬢ちゃんのために乗ってやるよ」


そう言ってチップを軽く前に出す。


「僕はツーペアっすね! さっきといい、やっぱりツキが回ってきてるっすよ!」


術良もリラックスした様子で続き、場にはどこか柔らかい空気が戻りつつあった。

一方でアスモデウスはカードを見つめたまま、眉間に小さく皺を寄せていた。

どうやら、本気で何が正解か分かっていない様子だ。


見るに見かねたディーラーが隣に座り、手取り足取りでの講習が始まった。



そして——数十分後。


「それでは皆様、手札をお出し下さい……」


ディーラーの声には、悟りにも似た疲労の色が滲んでいた。

アスモデウスの物覚えの悪さは予想を遥かに超えていたらしく、目元のクマがその証左だった。


まずはコンメンが、手札を伏せるように出した。


「ノーハンドだ。 ……これが本番じゃなくて助かったぜ」


術良は勝ち誇ったようににっこりと笑い、カードを置く。


「スリーカードっす! まあまあな役っすけど、とりあえずコンメンさんには勝ったっすね!」


「ったく、言ってくれるぜ、兄ちゃんよ」


そしてアスモデウス。

その顔には、まるで世界の秘密を解き明かしたような得意げな笑みが浮かんでいた。


「ロイヤルスイートティーラテフラペチーノじゃあ!」


場が静まり返る。

アスモデウスの手札はハートのAと10。場に並ぶのはハートのJ、Q、K。


——ロイヤルストレートフラッシュ。

ポーカーにおける最強、そして最も稀な役が、いとも簡単に完成していた。


「無欲の勝利っつうのか、ビギナーズラックっつうのか……」


コンメンは乾いた声で呟き、術良は頭を抱えた。


「どこのコーヒーショップのメニューっすか……」


アスモデウスは満面の笑みでVサイン。

その光景を見ながら、ディーラーがぽつりと漏らした。


「今から本番なんですよね……。 他のディーラーと交代してよろしいでしょうか……」


その声音は、魂がどこかに置き去りにされた者のようだった。

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