第四話 マレー沖海戦
1941年12月1日 南シナ海
被撃墜無しで太平洋艦隊を壊滅させた華々しい真珠湾攻撃から早くも10日が経過し、日本軍は真珠湾攻撃に続いて東南アジアへ一斉に攻勢をかけていた。
南洋部隊はフィリピンやマレーシア、インドネシアへの攻撃を開始し、一斉に南方獲得を画策している。
フィリピン上陸部隊とマレー半島のコタバル上陸部隊は航空隊との連携も抜群で華麗な勝利を今は収め続けている。
当然司令官である山下奉文と本間雅晴は未来知識を持つ人物であり、元から成功裏に終わっているマレー作戦とフィリピン上陸作戦を更に華麗な物へ仕立て上げ、史実以上の成功を収めている。
そして成功を納め続けている陸軍の上層部、特に前線指揮官達はある変化が起きていた。
それは例外なく未来知識を得た人物たちであり、共通しているのは「過度」なまでに人道主義者へ変化したというものである。
図書館の蔵書には当然、敗戦後の日本において「戦犯」として裁かれた情報もある。
フィリピン上陸作戦の司令官である本間は、もとから人道主義者である自負もあり、周りも全員がそれを認める程であった。
だがそれでも戦後は戦犯として処刑されたという現実に、本間は驚くと共に山下や他の司令官達も「もしも」があったときの為に、敵兵に対する処遇を出来る限りの待遇でもてなし、規律を犯した日本兵は逆に厳しく罰することで現地住民や捕虜に対してのアピールを行った。
もっともこれは生まれながらの人道主義者である本間などは別として、人が変わったというよりも、将来の自分の為の保身からくる行動であることに変わりないため、人として人道主義者になったと呼べるかは別ものではあるが。
だがそんなことは他国の兵士はおろか、日本軍の兵士も知る由はなく、マレーシアやフィリピンで捕虜になった兵士や現地住民は日本軍の待遇に満足する者が多く、フィリピンの都市ではレジスタンスの抵抗等も一切なく日本軍の指示に忠実になるなど、今のところは概ね良い方向に作用していた。
そして今日この日、南シナ海において、偵察飛行中の海軍第22航空隊の偵察任務に就いていた一式陸上攻撃機がシンガポールを発つ英国艦隊を発見した。
特徴的な見た目のキングジョージV世級が一隻と、巡洋戦艦が一隻、護衛艦が複数、その報告を受けた司令の松永貞市少将はこれを情報通り極東艦隊と断定し、攻撃隊を準備させたものの、時間が夕方で到達するころには夜間になることが確定していたため、攻撃は翌日以降に持ち越しになることが松永から決定された。
そして問題はここからである、南シナ海には各艦隊が展開していたが、偵察機の発見した極東艦隊のすぐ近くに南方艦隊がいたのである。
現在マレー作戦遂行の為に南シナ海には小沢治三郎中将率いる陸軍の支援艦隊である馬来部隊と南方方面艦隊総司令官である近藤信竹中将率いる主力艦隊である南方艦隊が活動していた。
金剛型二隻、高雄型二隻を中心とした南方艦隊はあと一時間ほどで水平線に敵艦隊が見えるという距離に位置しており、早ければ数時間後には交戦距離に到達するところであった。
新鋭戦艦を旗艦とする極東艦隊がすぐ近くにいるという報告を受け、近藤は即座に判断を下した。
「夜戦であれば我々が勝利する、これは間違いない事実だ。」
マレー作戦の為に特別に編入された旗艦金剛の司令塔で、近藤は側近たちに敵艦隊へ進路を向け夜戦の準備をするように命令した。
報告のあった方向へ艦隊の舵を取り進む中、参謀長の白石萬隆大佐が近藤に話しかける。
「長官、一度決められたことに今さら提言するのは参謀としてはあまりよろしくないとは重々承知しておりますが、サイゴンには我々の直率の第22航空戦隊もいるではありませんか。此度あの艦隊を発見したのもあの部隊ですよ。」
陸上攻撃機による航空攻撃の方がよいのでは、という白石の問いはもっともである。
何よりも史実日本軍は航空隊を活用しプリンスオブウェールズとレパルスを撃破したというのだから、尚のこと航空隊に任せれば良いのではというのは正しい。
だがそれに近藤はそうだね、と言って続ける。
「けどもうこの時点で歴史は歪み始めているよ。」
「それは・・・。」
近藤の言うことも正しい、本来であればいまだに太平洋戦争は始まっていないのだから。
だが戦争はもう始まり、マレー半島での上陸作戦、フィリピンでの上陸作戦も現段階では成功している。
本来であればこんなところで艦隊同士相まみえることなどなかった。
だが今はすぐそこに極東艦隊が存在する、それは歴史が既に塗り替わり始めている証拠であった。
「こんな近くにいるのに距離を取って航空隊に全てを任せるのは安全だろうが、少し先を見てみないかね。航空隊は少しよくやりすぎているよ。」
最後の思いがけない言葉に白石は「はあ・・・。」とあっけにとられたような反応をする。
今海軍では大艦巨砲主義が影を潜め、航空主兵論、航空機至上主義になりつつある。
勿論それは図書館の存在を知る者たちだけでの傾向ではあったが、当然白石も近藤もそれを知る者であるからこそ、この期に及んで航空機を下に見るような発言には引っかかるものがあったのだろう。
「真珠湾では圧倒的過ぎる成果を示したらしいが、まだあれは停泊中の艦隊に対する攻撃という前提の話だ。もしかしたら世界には作戦行動中の戦艦であれば・・・と思うものもいるかもしれない。いや大艦巨砲主義を信じる者なら恐らくほとんどがそのままだろう。ここで我々の部隊が艦隊決戦であの最新鋭戦艦を沈めれば・・・しかも相手は名誉を重んじ、古い思想、古い慣習に囚われるロイヤルネイビーだ。次こそはと復讐に燃え、更に戦艦を寄こしてくるかもしれない。ここであの航空隊で極東艦隊を完封してみろ、時代は航空機だ、と世界一の空母保有国である我々日本には空母が揃うまで手を出してはいけないと数年間は派遣してこなくなるかもしれん。」
「それは、大艦巨砲主義時代からそうでしたが、保有戦力での敵艦隊の抑制という目的に合っているような気がしますが・・・。」
白石のその返事に近藤は笑いながら答える。
「私はね、戦術では評価されてないという自負もあるが、先見性はあると思うんだがね。イギリスとアメリカ、あの国たちに牙を立てた今、我々に残されたのはひたすら撃破することだけだ。数の戦い、言い換えれば国力の戦いになったとき、イギリスには勝てるだろうが、アメリカには今のままでは絶対に勝てない。建艦競争が続けばいつかアメリカに物量では勝てない日が来る、それは君も知るところだろう。それと、大西洋でドイツ海軍はなんの役にも立ちはしないよ、イギリス海軍は時をみてこちらに戦力を投入してくるだろう。それが数年後だとして、アメリカ海軍の補強と重なったとき、我々にそれを跳ね返せるだけの力があるかどうかは確かではない。南雲の機動部隊が健全である保証もない。となればアメリカの太平洋艦隊を叩いた今、イギリスも早いうちに叩くに限るんだよ。」
「つまり、イギリス本国から更に艦隊を誘き出すっていうんですか?」
あまりにも規模が大きすぎる話である、そんなに簡単にここ「極東」にまで部隊を寄こしてくるのかという疑問が白石には残る。
「マレー、インドネシアはわからんが、奴らにとってインド、オーストラリアはもはや植民地ではない。白人が住み着くオーストラリアに、中国へのレンドリースに重要なインド…あの二カ国だけは守り抜かなければならない存在だろう。ここで航空機の力を見せすぎて【本来の目的通り敵艦隊を抑制する】よりはいいんじゃないかと思うんだがね。何よりも大艦巨砲主義が去ったといってもそれは我々上層部だけの話だ、兵士たちはそれを知らない。艦隊決戦であの戦艦を沈めたとなれば、国民も喜ぶし、我々の誇りにもなる。名誉は軍隊を強くするよ。」
「そうですか・・・まあ、もう退けない所まで来ていますし、やるしかないですね。」
白石は内心、思ったよりも大きい男だなと近藤を再評価していた。
もともと人物的には海軍でも温厚で少なくとも嫌われてはいない人物だったが、単に指揮官としての能力に疑問が残ると評されがちな人物であった。
だからこそ白石も念のためと躊躇しつつも提言をしたのだが、ここまではっきりと今後の予想を立てられれば、参謀長の自分にはもう意見は出来ないな、と感じたのであった。
「けど、まあ戦闘は得意ではないな。いざとなったら君に任せようか。」
近藤は笑いながら白石に問いかける。
白石はそれに勘弁してくださいと笑いながら返した。
「あくまでこの艦隊の参謀長ですから。提案だけですよ、するのは。」
わかった、と近藤が返し沈んでいく夕日を眺めながら数分が経つ。
「正面に敵艦隊発見!」
内通信で報告が響いたのは、夕日が完全に沈み海上から明るさが消えかけた時だった。
※
日本軍
南方方面艦隊
総司令官 近藤信竹中将
参謀長 白石萬隆少将
航空参謀 松永貞一少将
南方艦隊 旗艦 金剛
司令官 近藤信竹中将
参謀長 白石萬隆少将
戦艦 金剛・榛名(金剛型)
重巡 高雄・愛宕(高雄型)
駆逐艦 陽炎型10隻
馬来部隊(南遣艦隊) 旗艦 鳥海
司令官 小沢治三郎中将
参謀長 澤田虎夫少将
重巡 鳥海(高雄型)最上・三隈・鈴谷・熊野(最上型)
軽巡 川内
駆逐艦 朝潮型8隻・陽炎型6隻
第22航空戦隊 基地 サイゴン飛行場
司令官 松永貞一少将
元山航空隊・美幌航空隊・鹿屋航空隊所属
作戦機
戦闘機 零式艦上戦闘機 26機(主力)・九六式艦上戦闘機 16機(補欠)
攻撃機 一式陸上攻撃機 98機(主力)・九六式陸上攻撃機 40機(補欠)
計180機
イギリス軍
極東艦隊 旗艦 プリンスオブウェールズ
提督 トーマス・フィリップス大将
参謀 ジョン・リーチ大佐 ウィリアム・テナント大佐
戦艦 プリンスオブウェールズ(キングジョージV世級)・レパルス(レナウン級)
駆逐艦 エレクトラ・エクスプレス・テネドス・ヴァンパイア 計四隻
ご閲覧いただきありがとうございます。誤字報告なども頂いており大変助かります。
是非誤字脱字など見つけられたからは教えて頂けますと幸いです。
よろしくお願い致します。