第三十八話 必殺の一撃(1)
春の温かさに皆身体を震わせなくなってきたこの時期、遂に日本軍は重慶を中心に中国軍を東西に分断することに成功し、毛沢東は西に、蒋介石は東に、各々の主力と共に立てこもる姿勢を見せていた。
既に両者にはアメリカ軍がインド方面からの反攻作戦を画策している旨が伝えられており、両者はそこに唯一の期待を抱きながら遅滞戦闘に務めようと動いていた。
だがその期待とは裏腹に、日本軍は新設した諜報機関である情報総局の直属部隊を二手に分かち、両者が潜伏している都市へと潜入することに成功していた。
重慶から分かれた部隊は森林地帯を縫うように抜け、その行程を1週間で踏破した。
それは人体の限界を超えるような過酷さであるが、それを実現したのは卓越した身体能力、精神力、そして常軌を逸した愛国心が成すことのできる荒業であった。
蒋介石は生まれの地である浙江省寧波府奉化府へとその身を置き、臨時の総統府から指揮を執っていた。
心労からか頬は痩せこけ、出された食事もあまり喉を通らない、食糧事情は決して悪い訳では無いが、それでも日に日に使われる調味料などは劣化しているのを感じていた。
「・・・日本軍が我々を滅ぼすその時までに、必ずアメリカ軍は我々に手を差し伸ばすだろう。そうだろう?」
蒋介石のつぶやきに同席している側近たちから返事が返ってくることはない。
あまりにも強大、大日本帝国という東の海に浮かぶ島国がなぜここまでの力を保持するのかここにいる誰もが理解をできていなかった。
実際に前線で日本軍に撃ち破れた者もおり、それらにはより一層「アメリカ軍の援護は間に合わないのではないか」という考えが脳裏をよぎっていた。
あと何ヶ月とかかるのかは不明だが、さすがの日本もアメリカ軍の動きは察知しているようで、中国戦線に張り付いている部隊からかなりの数が他戦線、おそらくビルマ、インド戦線へと移動しているのが幸いであった。
日本軍の攻勢は勢いを減らし、戦線の後退は想像よりも遅々としている。
蒋介石、そしておそらく毛沢東もそこが唯一の心の拠り所だろう、だがその時、突如として蒋介石に絶望的な報告が舞い込んできた。
「総帥!総帥!緊急です!」
使いの士官がとてつもない形相で食事室へと飛び込んでくる、そのあまりの迫真さに蒋介石はもちろん、他の士官も言葉を失う。
少しの間をおいて、ようやく蒋介石は口の中を空にして尋ねる。
「ええと、何があったのだ?」
「日本政府から講和会談の要請が入りました、これは間違いなく日本政府、東條英機首相からのものです!」
その言葉に蒋介石は衝動的に机に拳を叩きつけた、怒りによるものではない、あまりの衝動に身体はとっさに机を叩いていた。
「な・・・奴ら、アメリカが介入してきたのに怖気付いたのか?いやそうとしか考えられない、奴らは焦っているのか?」
「どうしますか、総帥?」
あまりの出来事にさすがの士官らも質問を投げかけてくる、だが蒋介石にとってそんなものは受けるわけもないことであった。
「受けるわけが・・・受けるわけ無いだろうそんなもの!アメリカ政府へすぐに講和会談の要請が入ったことを報告しろ!奴らはやはりアメリカには勝てないと焦っているのだ!ここから耐える、耐えれば必ずやアメリカが西側から日本軍を打ち滅ぼす!日本政府に返事をしろ、我々には徹底抗戦の用意があると!」
「はっ!」
伝えが敬礼と共に部屋を去る、残った者らは皆笑い声をあげ始める。
「いや、我々だけでは確かに難しい話かもしれなかったが、アメリカ軍の存在にやはり奴らは焦り始めているらしいですね。」
「アメリカに永遠ともなる借りを作る可能性はあるにしても・・・奴らは日本よりマシ、そしてソ連よりはよっぽどマシだ。アメリカに助けられれば自ずと毛沢東も消し去ってくれるだろう。」
蒋介石はそういうと気分よく葉巻を懐から出すと咥え、火をつける。
長く吸い込み、味を楽しみ脳を落ち着かせ、吐こうとしたその時だった。
ここ後方ではもう聞くこともなくなっていた乾いたそれは、間違いなく鉄砲の音であった。
しかもそれらは一発だけではない、いわゆる機関銃のようなテンポでの音、だがそれは機関銃というにはいささか軽い音であった。
同時に敷地西側から盛大な爆発音、そして地震のような地面の揺れ、食器は床に落ちて割れ、皆は立っているのがやっとであった。
「ゴホッ・・・何事だ?!」
吸った煙にむせながらも蒋介石は窓から爆発のあった方向に目を向ける。
そこは守衛詰所、何かのミスで弾薬が誘爆したのかなんて考えていたが、それは一切の間違いであることを悟った。
先ほどから響く連射音、それは爆発によって空いた穴からなだれ込んで来た歩兵たちによるものであり、一瞬にしてそれらは建物内へと侵入していた。
「う、嘘だ。日本軍か・・・?だが、そんな、まさか!」
ここに私が居ることを何故知っている、蒋介石は一瞬で絶望の淵へと立たされていた。
騒ぎが大きくなり、建物内での発砲音が絶えず起こり始める、守衛がいるにしてもこんな場所に日本軍が潜入しているなんて思いもしていないし、警備は希薄である。
周りにいた士官たちも皆絶望から震え、声も出せず、中には摂ったばかりの食事を戻す者もいる。
発砲音が近づいてくる、部屋の近くにいた者たちは武装もなく為すすべなく殺されていることは想像に容易い。
やがて扉を勢いよく蹴り開けられると、そこには草や泥で身体中を汚した日本軍兵士の姿があった、顔には黒い塗料のようなものが塗られている。
前線に立つことのないもの達でも一瞬でわかる、精鋭部隊であるのだろうという雰囲気と佇まい、蒋介石たちはただ呆然とするしかなかった。
「蒋介石総帥、ですね?」
通訳超しに放たれる言葉、その通訳の放つ中国語は中国人の言葉そのものであり勉強で手にすることは出来ない本物であった。
一発で見抜かれるのも異常、いくらなんでも初対面で総帥とはいえ見破るとは思えない。
蒋介石はそこまで豪勢な軍服に身を包んでいるわけでもなく、周りもまた士官である、それに写真があるとはいえ即座に顔を見分けることなど不可能に近いのではないかと考えていた。
突入してきた部隊の隊長らしき人物は紙を蒋介石の顔を交互に見比べると、再度言葉を発する。
「合っていますね?あなたが蒋介石でしょう?答えてください。」
どうこたえるのが正解なのか、嘘をつき、隣の者が蒋介石だというか、蒋介石がそうすればこの者は話を合わせるくらいの忠誠心を持っている。
今、蒋介石にとって確実なのは間違った言葉を発すれば即座に命が奪われ、自身の野望が一瞬にして潰えるということだけであった。
だが、最後の最後で嘘をつく気分にはならず、蒋介石はボソッと「私だ。」とだけ答える。
「でしょうね。」
隊長らしき日本兵がそう呟くと周りの兵士が手にしていた武器によって周囲にいた士官が一瞬で殺戮されていく。
「あ、あぁ・・・!」
「安心してください!あなたの命は今は奪いません。我々は中華民国政府、中国国民党の蒋介石総帥に講和の代表団として派遣されました。・・・交渉を始めましょう。」
その人物から放たれた言葉、それはあまりにもあり得ないものであった。
ご覧いただきありがとうございます、PATRIONです。
大変更新が遅れました、本当に申し訳ありません!
中々作業に手が付けられず一か月ほど間をあけてしまいました。
今回は(1)と(2)の同時更新になりますので、(2)の方も是非宜しくお願い致します。
お待たせして申し訳ありませんでした!




