第三十六話 ホワイトハウスにて
※1942年5月1日 ワシントンD.C. ホワイトハウス
現在のアジアの状況は著しく悪く、フィリピンを始めとしたアメリカ領の諸島が次々と陥落、マレー、インドネシアも陥落し、大日本帝国による覇権が確立されようとしていた。
ヨーロッパでは独ソ戦が繰り広げられているが、ドイツ軍の補給線は限界を見せ始め、現在はソ連南部への侵攻を始めている。
アメリカからのレンドリースによってソ連には多くの兵器が流れているが、それでも現在のドイツ軍を跳ね返すまでには至っていない。
そして大日本帝国は先月、中国において一斉攻勢を仕掛けると同時にインド洋で唯一残されたセイロン島の攻略を開始した。
トリンコマリーの基地は空襲によって破壊され、反抗手段も持たない現地軍は為す術もなく攻略されるばかりで陥落は確実となっている。
つまり日本軍はインド洋の支配を確立し、これは連合国軍がアジア、太平洋線域に介入するにはハワイを経由した東方からしか手段がなくなったことを意味しており、インド洋を経由した輸送効率が致命的なまでに下げられている今、中国、インド、ビルマなどの救援は殆ど不可能に近い。
駐在武官であるスティルウェルが戦死し、混乱した中の攻勢は止まることを知らず、5月半ばには重慶にて中国軍は東西に分断されると予想され、早急な対応が求められていた。
ここホワイトハウスでは、日本軍に対応するための会議が行われていた。
陸軍からは陸軍参謀総長のジョージ・マーシャル陸軍元帥にヘンリー・スティムソン陸軍長官、海軍からは海軍本部長のアーネスト・キング海軍大将が、その他にも何人かが集まっている。
「大統領、中国を救援しなければなりません。今回は中国を救援するか、見捨てるかではなく、救う前提でどのように救援するかを話さなければ。」
マーシャルの言葉には一同が頷いている。
「中国は時代の遅れた軍隊ではあるが、人口だけは頭一つ抜けている。我々が協力してやれば日本軍を極限まで削り切ることが出来るはずだろう?」
ルーズベルトの言葉にマーシャルは頷く。
「しかし今回は、中国へのレンドリースが不可能に近い。ソ連は武器さえくれてやれば勝手にドイツ軍を削ってくれるが、今回はアメリカ軍を派遣することになるな・・・。」
ルーズベルトはレンドリース法を可決させ、多くの兵器を同盟国やソ連へと渡し続けていた。
建前上は武器の支援であるから、それを断るわけもなく国家の危機に瀕しているそれらの国はアメリカからの武器を活用して戦争を行う。
アメリカは一見武器を放出する損な役割に見えても、実際は自国兵士を傷つけることなく敵国を損耗させることが出来るという美味しい話であった。
それは中国戦線においても同じだったが、中華民国、共産党などに多くの兵器をレンドリースし、更には実質的な支配下に置いて活用するためにスティルウェルという駐在武官を派遣して戦争を行おうとしていたものの、それは日本軍の想像をはるかに超える攻勢によって破綻したのである。
「大統領、中国の市場は莫大です、この戦争が終結した後にはあの資源、人口を孕んでいる中国という国家は必ずや手にしておかねばなりません。その為には現在日本軍が多くの地域を支配している中国方面ではインドを橋頭保として、中国へと西方から軍を侵攻させ、戦争終結時に多くの駐中国軍を残します。そして日本を落として太平洋における戦争が終結した後に確実に再発する中国における内戦において、駐中国軍を活用し一斉に共産党を排除すれば、戦後の中国市場が我々の手に入ります。それを考えれば我々の軍が直接動くことが逆に良い方向へ作用するかと。」
マーシャルの言葉は戦後を見越したものであり、そこには今もなお日本に負けるわけがないという自信の表れでもあった。
「確かにな。しかし、インドに陸軍部隊を派遣するとしてもインド洋は既に日本軍の手に落ちている。どのようにしてインドへ上陸させる?」
ルーズベルトの言葉に返事をしたのは陸軍側ではなく、キングであった。
「日本軍は知っての通り戦力を一点投入することで優位性を確保し続けています。現在セイロン島が攻略されかけているが、あの大艦隊がインド洋にとどまり続けるとも考えにくい。正規空母を二隻失い、二隻行動不能で修理行きとなった今、尚更分割してインド洋に残す余裕はないはず。恐らく次に目標となるのはニューギニア島か、ソロモン諸島・・・セイロン島が完全に日本軍の手に落ちた後あの艦隊はインド洋から再び太平洋へと移り、拠点もトラック泊地になるはず。そのタイミングであれば多少のリスクはあれどインドへの輸送が出来ない訳ではありません。未だにイギリスとソ連が統治しているイランは健在ですし、イランへ上陸させた後陸上輸送でインド東方へと送れば被害は出さずに中国方面への介入が可能かと。我々も太平洋で活動できる主力艦は真珠湾攻撃、インド洋海戦で多くを失ってしまいましたので、分散させる余裕はありませんがそれは日本も同じです。」
キングの言葉に一同は再び頷く。
イランは東をインド、北をソビエトと国境を接する、連合国からしたら非常に重要な物流拠点であった。
ナチスドイツの支配が広がるヨーロッパを経由したレンドリースは北極圏では流氷が、フィンランド湾を経由した場合Uボートによる商船狩りが熾烈であり、さらに包囲下のレニングラードを経由した大量の輸送は不可能に近く、現状ソ連への安全なレンドリース経路はこのイランを経由した南方からの輸送のみである。
更に中東、インドにおけるイギリス軍の兵站の最後の砦でもあり、セイロン島が陥落し日本軍によるインド洋の制海権の確立が完全に成し遂げられた場合、インド沿岸からの上陸は絶望的であり、インドよりも西方に位置し日本海軍による目が届きにくいイランを経由せずにインド方面へ支援を送ることは不可能に近かった。
「それで・・・インド、ビルマ側から日本軍を削るとしていつ頃に開始できる?中国が東西に分断されてどれほどの間持つのかが重要だ。共産党は削れても構わないが、国民党が削り切られるのは宜しくない。」
ルーズベルトからの問いかけにマーシャルが書類を見ながら答える。
それは駐在武官であったスティルウェルからもたらされた情報であった。
「スティルウェルからの報告では分断されたとしても、包囲される東方には中華民国傘下の主力の大半が残留する見込みです。更に東方には都市も多く、早々と食糧事情が悪くなることもないでしょう。西方に脱出しているのは殆どが共産党軍です、こちらも共産党本拠地がある方への脱出ですから、早々に潰されることもないでしょう。準備期間は2か月、順々にインド方面へ陸軍を派遣します。中国の兵器は古くとも、人の数は日本に比べて圧倒的です、命を削ってでも相当の間耐えきってくれるはずです。これは本来欧州での対ドイツでの準備戦力でしたが、流石にインド、中国が落ちるのは看過できません。それに、我々が中国において陸軍でも本格参戦すれば日本陸軍を打破し、その後に欧州へ移動させるほどの時間的猶予はあるはずです。」
マーシャルの言葉には自信が見える、その力強い発言にはルーズベルトだけでなく他の参加者も頷いていた。
「良し、やってみろ。スティムソン、イギリスへ連絡しイランからインド東方への輸送網の確保をしろ。それとキングはイギリス陸軍がアフリカで手一杯なのはわかっているが、海軍はまだ残っている。我々の輸送船団の護衛を合衆国海軍と協力して行うように伝えるんだ。インドを守る為なのだから拒否する権利はあちらには無いだろう。それに今さらドーバーに戦艦を置いておく必要もないはずだ。日本も空母を失ったと言えど建造中の空母が完成間近だったはずだし、あまり借りを作りたくもないがエセックス級や護衛空母が量産体制に入るまではイギリス海軍の手を借りねばらんな。」
「はっ。」
ルーズベルトは指示を出すと立ち上がる。
他の者同様、ルーズベルトもまた日本、ドイツ、イタリアなどを相手に負けるわけがないと今も思っている、イギリスやソ連だけでは枢軸国相手に勝てるかはわからないが、戦時増産体制へと移行中のアメリカの態勢が整ったとき、世界のどこにもアメリカに勝てる国家は存在しないという自信がルーズベルトにはあったのである。
「あと2年すれば我々に勝てる国家・・・いや、陣営は存在しなくなるが、だからといって悠長に待っている道理もない、焦る必要はないが叩けるうちに叩かなければ。日本は少し調子に乗りすぎている。だろう?」
その言葉に皆が同意する、アメリカの工業力の前では日本など格下も格下、事実未来技術を手にしようとも日本とアメリカでは根本的な地盤が違く、ルーズベルトの発言には間違いなどない。
本来であればこの指示や目標も全て正しいと言え、当然それを疑う者は今この場に存在しなかった。
だが大日本帝国は世界にとってのイレギュラーな存在、それを知る者もまたこの場には存在しない、アメリカ合衆国のアジア、太平洋における権威、それを完全に失墜させる原因が今決まったなど誰も想像だにしていなかったのである。
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