第三十四話 情報総局にて
※1942年4月5日 情報総局
「スティルウェル将軍の死亡が確認されました。恐らく欺瞞情報である可能性も低いかと。蒋介石は生存したそうですが。」
情報総局、たった一週間と少しばかりでも内部の様子は変化している。
大勢の局員が急ぎでそれぞれの機材などを搬入し、既に活発に行動を開始している課も多い。
大木は局長室で堀と二人、重慶からもたらされた情報の数々に目を通している。
先ほどの機材の中には局長室や各課に設置された写真電送装置、例に漏れず軍技廠によって改良が施されたいわゆるFAXが設置されており、元から朝日新聞社などによって実用化されていたものの、更なる改良によりより鮮明な情報がリアルタイムで堀や各課に届けられている。
大陸から送られてきたのは爆撃翌日の大陸の新聞や、現地局員によって撮影された画像などさまざまである。
その新聞にはスティルウェルを始めとした駐在武官組の大半が死亡したという内容と共に重慶爆撃の被害が記載されていた。
「わざわざ欺瞞の為に駐在武官が死亡したという情報を中国が現地で流すとは思えません。確実な裏を取るには米国課による調査が必要ですが、ほぼ確実かと。」
そういうと大木は勝手に茶を淹れて堀の机に運び、新聞のFAXも一緒に手渡して椅子の横に立つ。
「・・・ん?あぁ、座ってよい。」
「では!失礼して。」
「・・・米国課はなかなか厳しいな。」
様々な報告書を手に取り呟くように言う。
大木も「えぇ、」と答えると座ったばかりなのに立ち上がり、部屋の中を歩きながら教員のように話を始める。
「やはり我々最大の敵はアメリカです、戦争とは軍だけではなく、我々情報が何よりも大切。アメリカは物量だけでなく情報面でも手ごわいですね。簡単に行動開始できない理由の一つがアメリカの防諜機関が優れていることにあります。しっかりと準備してからでなければ局員を無駄に死なせるだけです。何が必要か、勿論堀さんが一番ご存じかとは思いますが、今月から始動する直轄部隊、これが無ければ話になりません。敵地で重要な活動を行う際には圧倒的な練度の少数精鋭部隊による支援行動が必要不可欠。そのリスクを負って手にする情報とは、この戦争を終わらすことすらできる程の強烈な兵器です。もしこの機関の始動が仮に1年早くて、米国課が活動開始できていれば・・・もしかしたら先の海戦で米国の機動部隊が増援として参加することを事前に察知して、二航戦は壊滅せずにいれたかもしれないですしね。」
落ち着きながらも淡々と話す言葉には事実しかなく、とくに最後の方に関しては海軍将校である堀にとっては耳の痛い話である。
大木が陸軍出身の情報将校といえども、その言葉は決して海軍を皮肉る為ではなく一切そういった意図のない「本心からそう思っている」と理解できるがゆえに堀は溜息をつくことしかできなかった。
無論、この態度は上官に対しては無礼極まりない物ばかりであり咎めようと思えばいくらでも出来るものではある、それでも許されているのは堀自身そこまで厳格な上下関係を求める性格ではないことと、大木自身が実際この職に関しては有能と言わざるを得ない腕の持ち主であるからで、それはわざわざ機関設立の際に秘書という、職に囚われず堀の許可さえあれば何をするにも不自由がないポジションを用意していることからも明らかである。
その為大木は堀の秘書でありながら、実質強力な権限を持つ実行役的な存在であった。
「はぁ・・・言わずともわかっている、いちいち言うな。この機関が始動したいま、先の海戦のようなドジだけは踏ませまい。直轄部隊に関しても今月中には訓練が開始されるだろう。」
この情報総局、日本軍の切り札的存在となるべく始動したこの機関直轄の部隊は今月には編成が完了する予定である。
切り札的存在の機関の切り札、極秘中の極秘、日本軍全体から選抜された少人数の兵士たちは皆身体能力、戦闘能力は勿論、精神力、そして忠誠心と厳格な基準をクリアした者たちだけで編成される。
そしてその部隊の編成も終え、本格的に完成を迎える情報総局が最初に、“致命的”な作戦を決行するのは中国戦線、日中戦争を早期終結させるための作戦である。
「中国課は順調そうだな。」
「えぇ勿論、局長自ら提案された作戦とあらば死に物狂いで算段は整えますよ。毛沢東と蒋介石の所在は常に現地局員が把握しています、部隊の結成と錬成さえ終えれば何時でも。」
「畑さんが大陸を分断した時が決行の時、つまり順調を超える速度で最終段階を進められても部隊の錬成が終わらなくて困るんだがな・・・まあ今のところは想定通りの進軍速度だ。重慶陥落は5月半ばくらいだろう。」
堀と大木の会話する情報総局の作戦、それは情報総局が単独で行う最初の、そして一国との戦争を終わらすべく計画された作戦であった。
それは情報総局の本部局員と、政府関係者、陸海軍上層部のごく僅かのみが知る極秘中の極秘作戦である。
日中戦争を早期に終わらせる、それは陸海軍両方とも最優先事項として合意していることであり、特に陸軍は分断したとしても主力である国民党軍の大半が残る東部を陥落させるには、数が数なだけに途方もない資源と時間が必要になることを理解していた。
そこで堀が提案したのは毛沢東の暗殺と、降伏すれば中華民国を併合せず傀儡国家として存続させ、そこに蒋介石を総統にすえると確約することであった。
戦争の為手を取り合っているとはいえ毛沢東と蒋介石の仲は日本軍内でも周知の事実であり、国民党にとって毛沢東率いる共産党軍は今でも敵であることは変わりがない、そこに目を付けた堀は毛沢東の暗殺と日本の傀儡国家となるのならば占領中の全ての領土を返還した上で総統の地位を用意すると取り付けることで早期講和を目指す算段であった。
そしてこれは政府による公的な宣言や会合で行われることはなく、情報総局の局員と部隊によって秘密裏に行われることになる。
つまりそれは毛沢東を暗殺した部隊が直接取引を行うことで、「いつでも殺すことが出来る」という圧をかけることに他ならない。
そうなれば傀儡国家とはいえ、指導者の地位を確約された上にずっと悩みの種であった共産党の指導者、毛沢東を排除することまで日本軍が行えば蒋介石と言えど妥協する可能性は高いと堀は考えていた。
「蒋介石も、毛沢東も戦争している相手から直接暗殺されるなんて考えもしていません。案外私的な時間には護衛も軽微です。しかし、毛沢東を暗殺した上とは言え、傀儡国家へと成り下がることを認めるでしょうか?」
「やつは臆病なうえ、頭もいい。話せばわかるだろう。我々が手を貸さねばいずれソ連にも見捨てられると。重慶が陥落した時点で蒋介石は詰みだ。数年間包囲に耐えきってももし我々が毛沢東を暗殺しなければ、疲弊したところへソ連が共産党へと手を貸し国民党は瞬く間に滅ぼされると。既に頭の中でその考えはあるだろうが、我々が現実として突きつけ、そこで唯一自身が指導者のまま居続ける選択肢を提示すれば食いつくだろう。領土も返還され、傀儡に成り下がるだけで快進撃を続ける日本という国に護ってもらえるという利点もある。」
本来であれば政府を通さない交渉など前代未聞であり、内閣や政府はそれを許さないだろう、だが現在の総理大臣は陸軍の東条英機である。
東条英機に堀が直接説明に伺ったとき、東条の反応は案外にも協力的であった。
元はと言えば満州や蒙古など、世界から見れば茶番にしか見えない経緯で無理やり建国したのである、平時でない今なおさら日本がそのような工作をして中華民国を傀儡に置いても世界はただ傍観するだけだろうというのは目に見えていた。
アメリカ、イギリスを相手に快進撃を続けている今であればそれはなおさらであろう。
当然日中戦争の早期解決は海軍でも課題であり、海軍大臣の米内に対しても、多少手荒であっても早期解決が見込めるのであれば目を瞑ると口約束を取り付けていた。
「陸の戦いには疎い、毛沢東は雑に暗殺しても良いが蒋介石は丁重に攫うか、夜間にでも忍び込むのか、まぁそこは貴様らに任せた方がいいだろうな。」
「勿論私も情報畑なので、戦闘の事は一切。まあそこは奥山大尉に任せましょう。」
奥山道郎、未だ23歳の若き士官であるが知能、戦術、身体能力、指揮能力、忠誠心全てを満たした優秀な人材として中尉から特例で大尉へと昇進させたうえ部隊指揮官へと抜擢された人物である。
奥山が指揮官として抜擢されたのち現在隊員の選別が行われていた。
「そうだな。ただ、情報というものがどれだけ戦争を左右するか認識させるためにも失敗は許されんぞ。」
堀の言葉に大木は自信気に返事をする。
「勿論です!既に中国課の者たちは精いっぱいやってくれています。では、私も用事があるので失礼いたします。」
「どこへ?」
「北野少将が内地へ戻られているそうで、丁度奥山さんから会ってくるよう依頼されているのです。」
北野少将、北野政次と言えば、人体実験などを行っていた元731部隊の隊長であった人物、そして今もなお731部隊を併合した軍技廠の細菌研究部の部長を務める人物である。
堀はそのような話を聞いていなかったが、暗殺方法や部隊の錬成に関しては完全に一任していたため特に咎めず、そして今この場で毛沢東暗殺作戦に使用されるのが武器ではないことを悟った。
「大木、貴様だから何も言うまいが、くれぐれも日本の為になる選択肢を取るように頼むぞ。」
堀はそういいながら若干睨みつけるな目線を送る、731部隊と言えば戦後日本に良くない影響を及ぼした部隊なのは大木も知るところである、暗殺の際に地域丸ごと巻き込むような非人道的なことをすればそれこそ悪影響を及ぼす可能性すらある以上、堀も念のため釘を刺さざるを得なかった。
だが大木はそれにも臆さずいつも通りの声色で、だがいつもの飄々とした態度ではなく、覚悟を決めたかのような表情で返事をした。
「承知しております。ご安心を。」
そういって退出する大木を堀はやはり溜息をつきながら見送るのであった。
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