第三十三話 大陸打通作戦最終段階(3)
※1942年4月3日 雲南省尋旬
昆明の崇明県を発って半日が経過、第51師団は北方40km程の地点にある尋旬へと到達している、途中遭遇した部隊は指揮系統が壊滅している中まともな指示もなく容易く撃破され悠々と突破に成功していた。
そして行動開始から初めての敵拠点、尋旬へと南から到達し、各兵科の隊長組があつまり、目の前の森を抜ければすぐに広がる尋旬を突破するべく会議をしていた。
「捜索連隊の報告によると、極小さな集落にすぎませんがここには西側に山があり南と東側には田園が広がっています。やはり予想通り西側から突撃するのは難しく、南、東には対戦車砲、重機関銃を始めとした火砲類が配備されています。周辺にいた中国軍部隊もどうやらここに集結しつつあり、一旦ここで遅滞戦闘を行おうとしているようです。」
地図を指さすのは参謀長の大橋であり、それを聞きながら司令の中野は頷いている。
「どうだ?岡部少将、ただ力任せに行けると思うか?」
中野は歩兵団長の岡部に意見を求めるが、岡部は特に意見を出すこともなく「はい」と答える。
「本当ですか?あの対戦車砲や機関銃はどれもアメリカから供与されているもので、我々には非常に脅威になるじゃないですか。まだここまで到着していませんが砲兵隊はもう半日すれば総砲撃が開始できるだけの準備が整います。集落とはいえ要塞化されているのですから多少の民間人への被害を鑑みても安全策を取った方が・・・。」
砲兵連隊長の渡辺がそういうと中野も同じく同調するようなしぐさを見せる。
「渡辺大佐の言う通りだ、兵士が充足されたとはいえ貴重な戦力だ、無謀な策に走って重慶まで行かねばならない戦力を早々に削りたくはないんだが・・・。民間人への被害と、我々の命、天秤にかけた時にどちらに傾くかと言えば流石に・・・。珍しいな、いつもならこんなところ突撃させるわけがない君らしくもない。」
中野がそういうと岡部も「いや・・・」と言って前方を眺める。
そこには零式突撃戦車が隊列を組んで待機していた。
「我々の要望で軍技廠に急遽作成いただいたあの戦車、あれがあれば今までよりはるかに安全に我々は突撃を行えます。幸いここには装甲戦力を阻む悪路は存在しません、平原であればかの戦車の効果を最大限発揮できるはずです。あの対戦車砲は恐らくアメリカの37mm砲、あの戦車の正面装甲を貫くことは出来ません。あの戦車を先頭に突撃させ、いずれかの連隊を追従させます。重機関銃と火砲を破壊、後方から戦車を盾に歩兵を集落に突入させます。これであれば歩兵の損害も軽微に済むはずです。」
「・・・私は岡部さんの意見に賛成です。指揮系統が壊滅している今、時間は無駄にできません。我々に課されたのは先鋒であり、そもそもある程度の損害は許容してでも少しでも早くここを突破するべきです。」
大橋の言葉が決め手となったのか、中野も頷く。
結果として配備された零式突撃戦車20両を盾に歩兵が突撃するという岡部の案が採用される。
「そうと決まれば即行動開始だ。我々に時間はない、どの連隊を突入させるかは岡部少将の判断に任せるから、準備完了の後すぐに突撃を。」
中野の言葉に岡部はただ「了解。」とだけ言って頷いた。
少しの時間が経ち、零式突撃戦車が煙を上げる、動き出したそれは歩兵を後ろに連れながら集落へと突撃を開始する。
といっても当然歩兵が随伴できるだけの速度であり、決して機動性があるわけでもない。
森を抜け平野へと抜けた歩兵団は1.5キロ程先に広がる集落から即座に迎撃を受け始める。
配備された火器はどれもアメリカ製、12.7mmブローニング重機関銃やM3 37mm対戦車砲などどれもただの歩兵にとっては致命的なまでの威力を持つ装備である。
だがそれでも零式突撃戦車を止めるには火力が低く、突撃開始からすぐに対戦車砲からの被弾を受けたものの車体正面に張られた装甲は貫通を許すことなく走り続け、ブローニングによる射撃も当然盾となった零式突撃戦車によってはじかれ、歩兵たちは必死に身をかがめて随伴を続けている。
突撃戦車側も榴弾を装填し、走行しながらの射撃を繰り出すがスタビライザーの無いそれはまったく照準も定まらずに手前、奥、右、左へとばらけてしまう。
盾といっても歩兵団全員が隠れられるほど大きなものでもない、戦車から離れた最後尾の方では少しはみ出てしまっただけでブローニングに半身を持っていかれるものも続出している。
だがそれでも臆することなく兵士は進み続け、衛生兵は開けた場所でも臆することなく伏せながら処置を施す。
第51師団歩兵団第66連隊、たった一回死地を乗り越えただけの彼らには以前とは格の違う覚悟が宿っていた。
仲間が一人、また一人と脱落しうめき声を上げようと進み続けるその姿には充足員として来た新米兵士たちをも励まし、奮い立たせる。
後ろを振り返れば点々と倒れる人の姿が見えた、それでも必死の突撃に、ついに敵の拠点へと到達する。
目と目が合うような距離、対戦車砲を操っていた兵士が砲の発射とともに次弾装填が間に合わないと感じたのか逃げ出すと、その場にいた他の兵士もそれ続く。
この場にある中で最も貫通力が高く、そして戦車に対して唯一効果的であろうM3戦車砲すら一切貫通しないそれは中国軍兵士からは確実な死をも感じさせるものであり、わずかに築き上げられた土嚢を、必死に発射を続けるブローニング重機関銃の銃座ごと轢き潰すと一斉に後ろに待機していた兵士が飛び出し、各車両の後ろから雪崩込むように兵士が突入し手前の家屋から次々と制圧を加えていく。
後方から同じく零式突撃戦車に座乗して歩兵団に追尾していた岡部は集落へと踏みったときにはいたるところで射撃音が聞こえてきた。
「どうだ、状況は。」
戦車から降りると報告のために待機していた兵士へと問いかける。
「山を向く西側の防御は薄く、砲台や銃座は確認できません。東方からはここ南側に移動しようとしていた対戦車砲を確認しましたが、すでに放置されておりまして・・・どうやらここにいた中国兵は殆どが集落の家屋に隠れているようです。中には残っている民間人もいるようで、どうするか・・・。」
その兵士の言葉に苦虫を噛むような表情を浮かべて少し悩みだす。
「・・・手榴弾は使っていないだろうな?」
「はっ、民間人を巻き込む可能性を鑑みて小野田副団長の命で禁じられております。」
「わかった、民間人を絶対に巻き込むな。事故と呼べない数を巻き込むと上がうるさいからな・・・。しかし困ったな、民間人を盾にされるとややこいことになる気がする。」
そう言いながら戦車の中で再び待っていると、やがて奥から兵士に連れられた親子が現れる、痩せたまだ幼い娘と、その母親の両手には今にも息絶えそうなほどに痩せた赤子も抱えられていた。
それを連れてきた兵士が先ほど報告を上げた兵士と会話を交わすと、すぐに岡部の乗る戦車へと駆け寄ってくる。
「何だ、どうした?」
「それが、あの者たちは降伏した者ですがどうやら家に中国兵が入り込んで家にあった衣類を強奪されたとのことなのです。他にも民間人に紛れた中国兵にひとりやられました。」
その兵士の報告に岡部は舌打ちをすると地面に転がる石を蹴り飛ばす。
つまり、すでにこの集落には便衣兵が紛れ込んでいる・・・それが捕虜として捕まるためか、民間人に紛れ日本軍の兵士を一人でも多く道連れにするためか、恐らく殆どが前者であろうそれがすでに発生したことが確定した今、男性民間人すべてが危険因子である、だが岡部といえど成人男性すべてを射殺しろ命じられるほどの覚悟は持っていなかった。
「クソ・・・。・・・わかった、報告ありがとう。」
そう言うと岡部はその後に連れられてきた捕虜を2つに分けさせる。
女子供、そして【正規】の中国軍兵士のそれらは丁重に扱うよう命じ、すでに確保された建物へと誘導された。
民間人に見える成人男性、それは個別に誘導され、複数の兵士が囲うようにして座り込ませられる。
武器を捨て降伏する兵士も多く、民間人へと紛れたものがどれほどなのかは未知数ではあるが、まともに戦う中国兵はほぼおらず、集落はすぐに第51師団の手に落ちた。
岡部は司令部へと報告をすると、集めた捕虜を前に佇んでいた。
すでに集落の全てが探索され、生きている成人の男で民間人の皮を被った人間は今岡部の前に鎮座する者たちで全てである。
「便衣兵に何人やられた。」
探索、戦闘を終えた副長の小野田に問いかける。
「私が知る限りでは二人で済んでいます、どちらも降伏したと思い持ち物を確かめるべく身体調査をしようとしたときにやられています。どちらもその場で射殺したそうですが・・・。」
その言葉に「そうか」とだけ答えると岡部は通訳と、最初に連れられてきた女を呼びだす。
そしてその女の肩に手をおいて問いかけた。
「先ほど言っていた、あなたの家から旦那さんの服を奪ったクソ野郎はこの中にいるか?私には全員同じ顔に見えるがあなたには見分けがちゃんとついているはずだ。大丈夫、本当のことを言ってくれれば悪いようにはしない。それに、対価として君の腹をすかせた赤子に娘、あなたにも満足行くまでの食事を与えよう。」
その言葉に通訳は少し驚きながらも、言われた通りの通訳をする。
そうするとその女はうつむき、少し考えた後に顔を上げて見渡すと、おどおどと二人の男別々にを指差す。
「わかった、ありがとう。・・・小野田、この三人に約束通り満足行くまでの食事を与えろ、すぐに連れて行け。」
岡部の言葉を察したのか、小野田はただ頷くとすぐに見えないところへと親子を連れて行く。
そして姿が見えなくなったのを確認すると岡部は兵士と目を合わせ、その兵士もまた意図を感じたのか女に指された男の腕を引っぱり、岡部の前へと突き出す。
何をされるのか、本人たちも既にわかっているだろう、必死に身振り手振りアピールをするが既に日本軍兵士の心に響くものはなく、特に岡部からすれば尚更憎い感情を増幅させるだけであった。
「二人やられて、ちょうど二人か。良いかお前ら、これは岡部通という一人の軍人が行った私的な処刑であり、部下である貴様らはこの上官の行動を止める権利がなかったためただ見ることしか出来ないんだ。良いな。」
そう言いながら胸元から九四式拳銃を取り出すと覚悟させる隙をも与えずに2発ずつ、確実にその二人を屠るために頭へと撃ち込む。
すぐに力が抜けたようにその場に崩れ落ちる二人、それを見せられたその場の男たちは悲鳴を上げることすら出来ずにただ恐怖に身体を震わせている。
「この中に便衣兵がまだいるのはわかっている、出てこなければ仕方がない、全員を殺すしかなくなってしまう。便衣兵となったことを自ら申し出てこの場にいる善良な民間人を助けるか・・・自分もろともここにいる皆を巻き込むか選べ!どの道死ぬのであれば民間人を巻き込みたくないだろう!さあ、今すぐ申し出ろ!あと1分以内に申し出なければここにいる全員を殺す!」
その言葉を翻訳する通訳は言葉をつまらせながらも忠実に岡部の言葉を訳す。
それを見守る日本兵たちも、皆が焦点の合わない目をしながらうつむき、ただ岡部の言葉を聞いている。
岡部の言葉は便衣兵と言うよりかは、本物の民間人に響いたようで、ひとり、またひとりと便衣兵を蹴飛ばし、この者が便衣兵であるとアピールをし始める。
もとはといえば人口も百数十人程度の小さな集落であったであろうここは、皆が顔なじみなのだろう、その行いには皆一切の躊躇いがなく突き出された者を弁護するものもいなかった。
結果便衣兵として混ざっていた者は20人近くにのぼり、一列に並ばされたそれらのものは死の恐怖を前に失禁するものもいた。
「団長、団長の拳銃だけでは大変でしょう。私もお供させてください。」
「吉川・・・いいのか。」
吉川、その人物は岡部が歩兵団に着任したときに団を案内した人物であり、その後もただの兵士でありながらも何かと岡部の世話をさせられている人物であり信頼も厚かった。
「私も許せません、この者たちは罰されなければならない。」
その表情に曇りはなく、それは眼の前の命を断つ覚悟を感じさせるものであった。
「すまないな」と岡部が言う、だが二人で照準を定め引き金をひこうとする瞬間、待ての言葉が聞こえた。
岡部がその声を聞くと、少し落胆したかのような表情を浮かべその声の方向を向く。
トラックから降りて全力で駆け寄ってくるのは中野と大橋であった。
「岡部少将、正気なのか?!一旦銃を降ろせ!」
岡部は手に持っていた拳銃を仕舞うと、吉田もまた小銃を肩にかけ中野と隣りにいる大橋に向かって敬礼をする。
「拳銃の音がしたかと思えば少将・・・この二人はまさか貴官が・・・。」
あとからついてきた大橋もその状況を見てすぐに何があったかを理解したのか、言葉を失っていた。
「はい、私が【独断】にてこの二人を処刑しました。この場にいる全ての兵士は無関係です。」
その言葉を聞き中野は右手の拳を握る、すぐにでも自身の顔に飛んできそうだとわかっていても一切表情を変えず、臆することなく立ち尽くす。
「民間人・・・ではないのだろうな。君のことだ・・・。」
中野もまた岡部が民間人に手をかけるような人間でないことを理解しているが故に、殴らずに間をおいた。
「はい、この二人は便衣兵です。民家に押し入り衣類を強奪し、民間人に扮し挙げくの果てには私の部下を欺いて殺したのです。そしてここに並ぶ者たちも同じく。」
「だから、処刑したのか。」
「ハーグ陸戦条約では民間人へと扮することは背信行為に当たり、便衣兵は捕虜になる資格を失っている者たちであると定められています。便衣兵に対する処刑はハーグ陸戦条約でも合法であり、そのハーグ陸戦条約には我々日本だけでなく、こいつら中国軍も加盟しているのです。この行為に一切の不法行為はありませんが。」
その言葉に一切の躊躇はなく、岡部が心の底からそう思って行動したということの証明となっている、中野はその言葉を聞きただ頷くことしか出来なかった。
「岡部少将、そう、貴官のいうことは一切正しい・・・。だが、この2名に留めろ!これ以上、便衣兵であってもこの場での処刑は師団長命令によって許さない。これ以上の処刑を続ければ、命令違反で裁かれるのは岡部少将、貴様だからな。・・・理解してくれ、頼む、我が軍の上層部の方針も知っているだろう。これは貴官を守るためなんだ。」
中野の最後の言葉、それは史実を知ってしまった中野とそれを知らない岡部の決して埋まることのない溝であった。
最後の言葉、それはもし、仮に敗戦すれば便衣兵であろうともその場で裁判などをせず処刑した岡部は戦犯として裁かれかねない、それを避けるためにはたとえ便衣兵だろうとも処刑することは許されないという中野の思いである。
だが当然それを知らない岡部からすれば便衣兵すら処刑できないような、悲しいことに軍人としては行き過ぎた人道主義を抱えた、非適切な人物に見えていた。
「私を守るため?何が言いたいのかはわかりかねますが・・・司令の命令であれば当然従いますよ。では、参謀長、この者たちはすぐに捕虜として後方へ移送する手配を。私は歩兵団の者たちと被害確認などをしてきますので、すぐにここを出発できる準備をします。」
岡部はそういうとその場を去る、残された便衣兵たちは助かったのかという安堵と、それまでの恐怖で涙を流すものもいれば笑みを浮かべるものなど様々であった。
「これで良かったのか。」
中野は残った大橋にこぼすように尋ねる。
「もちろんです、もし私がこの戦争を生きて終えることができれば、後世までその、人の命を尊ぶ司令を伝えるよう自伝でも書きましょうか。」
当然大橋も中野の言葉の真理を理解しているわけがなく、中野はここで自身の知る全てを打ち明け、先の発言にも同情をしてもらえたのならどれだけ楽であろうかと内心思っていた。
だがそれは決して許されず、できることであれば自身すらも便衣兵などはその場で処刑したいという感情を必死に抑え込んだ。
「・・・しかし、岡部少将はいかがしますか。こうなればやりにくいとも思いますが、人事部に異動を願いますか?」
「いや、いい。我々の方から岡部少将の異動を願い出れば岡部少将に少なからず何かあったのではないかと詮索されかねん、今回は至って合法の行為しか行っておらず、岡部少将に落ち度は一切ない・・・。それに優秀な指揮官だ、今、この師団の歩兵団を任せられるのは彼しかいないし、このようなことがあったとしても、今後も司令である私の命令には忠実であることはお前にもわかっているだろう。・・・こんな会話をするのも時間がもったいない、さっさと進む準備をしよう。」
中野がそういうと大橋も緊張が和らいだのか少し安堵の表情を浮かべながら「わかりました。」とだけ答える。
その後処刑された二人は丁重に埋葬された。
この集落を陥落させるのに払った犠牲は突撃時に20名、突入後の市街戦で便衣兵に攻撃された2名を含んだ10名の合計30名であった。
第51師団は捕虜の受け渡しのため少数の兵士だけを残すと砲兵連隊や補給を待たずして更に前進するべく行動を開始した。
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