2.おトモダチの距離
学校に着き、僕は早速「人間失格」を昨日の続きから読み始めた。
ふと太宰治を自分に重ねようとする。
似ているようで似ていない。
ものの見方や考え方は似ているような気がするが人間関係を無理やり構築するという点だけでは僕と違っていている。
人間関係を道化で無理やり作るという行為は僕はしない。
だから人間とまるで関わりがないがそのおかげで人間関係というものに巻き込まれない。
まあ人間関係を構築したところで僕にはなんの関係も無い。
人に好き嫌いが無いから、僕一人と大差がない。
今までもそうだった。
どんな時もだ。
これからも多分そうだろう。
あともう一点、プレイボーイという点だ。
流石に愛人と心中を何回も図ろうとは思わない。
そもそも死という存在が身近にない。
僕は確かに人間失格だとは思うが太宰治の人間失格とは違うのかもしれない。
結果、僕と太宰治は違う人間。
そう物語に浸っているとガラガラッと勢い良くドアを誰かが開けた。
「おっはよう!」
椎名結衣だ。
朝から大きな声で教室全員に向けて挨拶をして入ってくる。
その声に反応して、教室にいた僕を除く全員が各々「おはよう」と返す。
そしてその一つ一つに椎名は歩きながら返す。
まるで一国の大統領が支援者に向けた演説をする前に歩きながら手をひらひらさせ、歓声を受け笑顔でそれに答える。
そんなパフォーマンスを見せられている気分だった。
クラスメイトは椎名が持つなにかに惹かれているのだろうか。
支持率は僕を除いて勿論百パーセント。
流石にここまで来ると、何かの宗教の教祖様と例えたほうが良いように感じてしまう。
僕はまた本に目線を落として物語の世界へ浸かろうとする。
しかし教祖様はこちらの方へやってきた。
「ねぇ。一条君」
無視をするという行為をこの宗教の総本山では流石にできないので目の前まで来ていた椎名と顔を合わせる。
椎名はニヤニヤしてこちらを見ていた。
嫌な予感がする。
「…何か用?」
「あのさ、その作品さネタばれしようか?」
「は?」
「えっとね。それは、最後にね」
「いやこれ何度も読んでるからネタバレとか関係ない」
椎名はそれを聞いて、ムスっとした。
「なんだつまんないの」
どうやらこのクラスの教祖様はだいぶ煩悩にまみれている。
「実を言うと私。その作品読んだこと無いんだよね」
「…は?」
そういった後、椎名はこちらを少し上目遣いで見てきた。まだ何かを企んでいる気がする。そういえば確か昨日、本読まないって言ってたことを思い出した。
本を全然読んでいない人間が人間失格なんて読むはずがない。
「あのね、その本を貸してほしんだよね」
「図書館に行けばいいのでは?」
「そんなのつまらないじゃん」
「別につまらなくはないでしょ」
「もの貸し借りをしてこそおトモダチでしょ?」
確かに、椎名の言い分にも一理はある気がする。
「じゃあ読み終えたらいいよ」
「おぉーよく分かってるじゃん。さすが私のおトモダチだね」
そう言うとクラスのあちこちから「マジかよ」「あいついつの間に椎名と友達になってるんだよ」などの声が聞こえた。
目立ちたくないのに目立ってしまっている。
早くこの場から立ち去りたいという願望が生まれた。
今まで影のように過ごしてきたから、誰かからの注目を集めるなんてそうそう無かった。
けれど今、ニヤニヤしている椎名の顔とクラスメイトの声が僕に向いている。
それは新鮮だったが嬉しくない。
「僕をからかって面白い?」
「うん。面白い」
椎名は間髪入れずにニヤついた顔で答えた。
ため息をついた。本当に何なんだコイツは。
僕に興味があるのか?
その興味はただのエゴな気がした。
椎名を無視して、また物語の世界へ、入ろうとしたが椎名はまた話しかけてくる。
「あのさ、一条君。今日の一限目何だか知ってる?」
昨日、確か担任が委員会を決めるとか言っていた気がする。
まあ入らないだろうけど。
「委員会決めだったはず」
「うん。その通り」
椎名の顔がまたニヤニヤしだした。
僕は悪寒を感じた。
「それで一条君は、図書委員になりなさい」
「…は?」
「私も一緒になるから」
「ちょっと待て、何で僕が図書委員になることが決定しているんだ?」
「それはね。私と仲良くなるためです」
椎名は、誇らしげに言った。
僕がおかしいのだろうか。
全然話しについていけない。
いや、どう考えても椎名の方がおかしい。
多分、椎名は思考回路がおかしいのだろう。
僕という存在に絡んできておトモダチとやらを見せつけたがっている。
そうすれば何か良いことでもあるのか?
「君はさ、この世のすべての人とおトモダチとやらになる気?」
椎名は少し考えた素振りを見せた後、答えた。
「うん。私はなれると思う」
「どうして?」
僕には分からなかった。
椎名の言っている言葉、そして彼女は何を考えている?
今まで友達というのものには何とも感じなかった。
強いて言うならば、彼らの価値を示すものとして捉えていた。
それなりの友達といれば自分はいじめに遭う事さえ無い。
ある程度人間関係では困らない。
そう彼らは考えていると思っていた。
でも椎名の言うおトモダチは違うのか?
言語の問題か?それとも人間の感性の問題か?
椎名は何を基準でおトモダチと呼んでいるんだ?
そのおトモダチとやらに何を求めている?
というかおトモダチって何?
友達って何?
「うーん。そうだ!」
椎名はまた少し考えているようだった。
そして何かをひらめいたのか、胸の前で手を合わせて椎名は話してきた。
「だからさ、一緒に図書委員になってよ。そうしたら理由を教えてあげるよ」
椎名は、満面のドヤ顔だった。
今、ひらめいたかのように振る舞っているが、最初から企んでいた気がした。
これは、友達のいない僕への優しさなのか。
だが椎名の顔を見るとそこまで考えていない気もした。それに昨日の考えすぎで、肩透かしをくらったことを思い出した。本当はおトモダチには何の意味もないのではないのか。
「わかった、いいよ」
僕はとりあえず返事をした。
どうせ他にもやりたい人がいるだろうから手を上げなくても決まるだろうし、それに椎名がやるとなると全く読書に興味のない男が集まるだろう。
そう思って一旦承諾をした。
「本当に!」
椎名の顔は、満面のドヤ顔から満面の笑顔になっていた。
その顔を見ると、少しだけ揺らいだ。
椎名は、「それじゃ。よろしくね」と言い残して席へ戻って行った。
僕は、また本の世界へ浸ることにした。
一時限目が始まった。どんどんと委員会の委員が決まっていく中、遂に図書委員の番になった。
椎名の方へチラッと目を向けると、ちょうど目が合った。
椎名は「手を挙げてね。」と言わんばかりのニコッと笑顔でこちらに合図した。
それと同時にクラスの男子の目もこちらへ送られた。
本当に気が乗らない。
クラスの男子たちの視線は、「手を挙げるな」と言わんばかりの敵意むき出しだった。それをお構いなしに、椎名はこちらをじっと見ていた。
最後の最後までやるか迷ったが、結局手を挙げた。
手を挙げたクラスの男たちもいたため、じゃんけんをすることになり、いつもは豪運ではない僕の右手は火を噴いた。
そして、僕と椎名は一緒に図書委員になった。