おたま
我はおたま。決して蛙の子にあらず、線の間に乗ったり挟まったりするおたまだ。
長らくは木の繊維のうえに呼ばれていたが、最近は黒とも赤とも青とも緑ともつかぬ光る板の上にぽんと召喚される。未だ水の中に生まれたことはない。多分。
そんな我の悩みは、兄弟のほうが尻尾のオシャレなこと。
これ、笑うな。我は真剣だぞ。
我一つで兄弟二つ分、あるいは四つ分、八つ分であるのに、我よりあれらのほうが、尻尾が派手なのだ。なんだか腑に落ちぬ。
白い兄弟は我二つ分だが、白抜きされた分垢ぬけているし、真ん丸な兄弟は卵の身でありながら、我四つ分とずっしりして特別感がある。
我にとっての水槽の、多くは我四つ分の広さ。
卵の兄弟一つで水槽を占領している様は、どこか荘厳さを感ぜられる。悔しい。
そうだ、水槽と言えば、この間我七つ分の水槽に呼ばれたのだ。
水槽は我四つぶん、三つ分のことが多いのだが、七つ分の水槽も悪くないと思った。
そして我は珍しい水槽に呼ばれたことを兄弟に話した。
そうしたらあやつ、俺は俺二十三個分の水槽に呼ばれたことがあるぞ、なんと言いおったのだ。
なんだ自慢か?自慢なのか?
無性に腹が立ってきたな。こういう時は、体をバツ字にするに限る。
しばらくは、バツ字のおたまのまま、苛立ちをおさめてくるとするか。
ではまた、どこかで。