45 エレナと羊の毛刈り競争
「もう! エリオット様ったら邪魔しにいらしたんですか!」
「人聞き悪いなぁ。僕もご褒美が欲しいから参加するだけだよ」
「えっ。ご褒美って何ですか?」
「ふふっ。ひみつ」
「教えてくださいよー」
羊の毛刈り競争の決勝戦に急遽参加することにしたお兄様に、案の定ユーゴは突っかかってきた。
なのに、すでに二人でキャッキャしてる。
イケメンが二人並んでキャッキャしててもお兄様とユーゴだと胡散臭すぎてちっとも萌えない。
そもそもお兄様がユーゴの事を甘やかすから、ユーゴが調子に乗って、エレナが被害を被るのよ。
わたしは、アイラン様の手をひき天幕に向かい、置かれた椅子に腰を下ろす。
晴天の下、天幕の周りに観客席として沢山のラグが敷かれている。
領民達は食べたり飲んだり、時には寝転びながら寛いで観戦している。
初夏のトワイン領は、羊の毛刈りに子馬の出産、果樹園では葡萄やりんごの間引き。
小麦の収穫に脱穀、夏野菜の栽培や収穫と、日々忙しくなっていく。
普段だったら祭りの期間は、束の間の休息で長閑なはず。
なのに、いつもはエレナを可愛いがってくれる優しいおじいちゃん達が観客席の最前列を陣取って目を血走らせている。
お兄様が参加宣言をしても「エレナ様はこの土地の女神じゃ! 王太子になんかやらんぞ! ユーゴ様を応援するんじゃー!」なんて息巻いてユーゴの味方をしている。
これっぽっちも長閑じゃない。
見学に来ようとしていた殿下を、ランス様が書類の確認に連れ去ってしまったけど、見学にいらっしゃらなくて本当によかった。
こんなの不敬罪で大騒動になったっておかしくない。
王宮仕えの近衛騎士達がずっとウロウロしてるのに誰も捕まらないのが不思議なくらいだ。
そもそも殿下がお忍びで屋敷内にいらっしゃることは周知の事実なのに、みんなどうしてこんな事に盛り上がれるのかしら。
わたしはため息をつく。
殿下の前に一人で立ち、面と向かって同じ事を言えと言っても、誰も言えない。
ユーゴだって先鋒に立っているだけで、一対一じゃ殿下に言えない。
集団の力は強い。
個人ではなく不特定多数の構成員になると、日頃気弱な人間も牙を剥く。
現代の日本でも、この世界でもそれは一緒。
──エレナが階段から落ちる前、街で嫌な思いをした。
忘れ去りたい記憶だったのか全く思い出せないけれど、民衆から嘲笑われたと言うのは聞いている。
本当にエレナに対して不満があった人たちばっかりだったのかしら。
侯爵家のご令嬢であるエレナに対しても、集団として個人が特定されなければ、みんな好き勝手言えたんだろうな。
エレナに対して別になんとも思っていなくても、日頃の生活で溜まった鬱憤を晴らすために攻撃的になった人もいただろう。
集団の……民衆の力は脅威だわ。
でも、例え民衆の力が強力でも、エレナから王太子殿下の婚約者の立場を辞退したいなんて、どう考えたって無理な話だ。
殿下から破棄していただくしかない。
コーデリア様が辞退出来たのは、あくまでも候補だったから。
他にもいた候補のご令嬢たちだって、コーデリア様が筆頭になった時点で可能性がないと踏んで早い段階で辞退されたと聞いている。
領地で女神様扱いされたいから、王太子殿下の婚約者から辞退したいとか無理だ。
そんな理由で辞退なんてしたら、それこそ王室から罪科に問われて処罰されかねない。
これは破滅フラグに違いないわ。
それにしても、おかしい。
アイラン様が訪問されると聞いた時は、今わたしがいるのは殿下とアイラン様のロマンス小説の世界なのかと思った。
なのに、物語が進んでいるように思えても、殿下はアイラン様に全く興味をもってなさそうだし、アイラン様は明らかにお兄様に恋をしている。
それであればエレナの破滅フラグは無くなってもいいと思うのに、破滅フラグは消えないどころか増えていってる気すらする。
アイラン様がロマンス小説のヒロインじゃないとしても、やっぱりエレナは何かの作品の登場人物だってことよね?
まだわたしには転生されたこの世界がどんな作品でエレナに求められているのがどんな役割なのかわからない。
この世界のヒロインは殿下の前に現れていないのかな。
それとも現れるのは、まだまだ先の話なのかしら。
まだ傷が浅いうちに、エレナが殿下から離れられる様にしておかなくちゃ。
そうやって冷静に考えるわたしがいる一方で、あさましくも殿下の婚約者の座に固執しているわたしもいる。
だって、エレナは小さな頃から本当に殿下の事が大好きなのよ?
いつか婚約破棄をされるに違いないって分かっていても、少しでも長く殿下の婚約者でいたいなんて王太子殿下の婚約者の座にしがみついて、挙げ句の果て殿下がエレナとの婚約を破棄できない様に外堀を埋めている。
エレナの破滅フラグはどうやったら回避できるのかしら……
『どうしたのエレナ? エリオットを応援するんでしょ?』
わたしは頷き力なく笑うと、アイラン様と一緒にお兄様を応援する事にした。