39 エレナと祭りの最終日
『わぁ! 本当に羊ばっかり! 領民より羊の方が多いのね』
わたしの案内で牧場の羊を見たアイラン様は、感嘆の声をあげる。
──お祭りの最終日。
たくさんの領民達が、メインイベントである羊の毛刈り競争に参加する。
羊の毛刈りは夏の暑さに羊達が耐えられる様に、今からどんどん進めなくちゃいけない。
少しでも義務的な作業が楽しく行える様にと、昔から行われていて、優勝すると記念品が贈られる。
贈られるのは新品の農機具で、優勝して手に入れた鍬や鋤を自慢しながら夏の農作業に従事してくれる。
特に新婚家庭や子供が生まれたばかりの家に賞品が渡るように他の競争と優勝者を調整して、最後同率一位を何件も出す馴れ合いが繰り広げられる和気あいあいとした長閑な競争だ。
『ここにいる羊はこれでも一部だけなんですよ。肩慣らしですでに刈られた羊もいるし、牧場にはこれから刈る予定の羊もまだまだ沢山います』
『まだまだ沢山! こんなに羊がいたら羊毛がいっぱいとれるわね』
『そうなんです。捨てちゃうくらいいっぱい毎年羊毛が余るんですよ』
『ふーん。エレナ達はイスファーンに余り物を売りつけるの?』
あっ……!
やばい。口を滑らせた。
『羊毛は捨てるような余り物ではないですよ。肥料にしたりと有効に活用しております』
「ふぉひーひゃま!」
わたしは後ろから口を塞がれる。
振り返ると、さっきまでいらっしゃらなかったお兄様がわたしの事を呆れた顔で見つめていた。
「もう! エレナったら他の領地の特産品の案内は一生懸命してたのに、どうしてうちの領地の事になると足を引っ張る様な事言っちゃうの」
「ごめんなさい」
『あら。もう契約は結んだのでしょ。今更もっと安くしろなんてケチくさい事、わたしは言わない。それに今はイスファーンの特使達はみんなヴァーデン王国の王都に行ってて、いまわたしの周りにいるのは貿易の事なんて興味もない者ばかりだ』
ヒアリングはできるようになってきたアイラン様は、お兄様がわたしに呆れてるのに気がついて、助け舟を出してくれた。
『アイラン様の広い心に感謝いたします』
お兄様にうやうやしく手を取られて微笑みを向けられたアイラン様は、顔を真っ赤にしている。
ネネイの視線が痛い。
お兄様はネネイに釘を刺されて以来、これでもアイラン様への態度は加減してる。
だって普段のお兄様だったら、指先にキスして耳元で囁いてウィンクしてもっと芝居がかった台詞回しを平気でするもの。
ただ多少加減をしても、ロマンチストでデロデロに甘いお兄様の振る舞いは、年頃の女の子への破壊力は抜群だ。
結局側から見ればお祭りの三日間ずっとアイラン様をちやほやし続けていた。
「お兄様どこにいってらしたの?」
「あ、そうだ。ねぇ、エレナ。ユーゴ知らない? 用があるのにさっきから見かけないんだよね」
「ユーゴ? 見ていないわ」
言われてみればいつもお兄様にべったりついて回ってるユーゴがいない。
珍しい。
「そろそろ父上達が慰問から帰ってくるからお迎えの準備もしないといけないし、毛刈り競争が始まってるから盛り上げなきゃいけないし、来なくていいのに殿下まできちゃってるから接待もしないといけないんだよね。僕はアイラン様のエスコートで忙しいからユーゴがやらなきゃいけない事いっぱいあるのになぁ」
お兄様はユーゴをこき使いすぎじゃないかしら?
そんな事を考えていると……
──わぁぁぁ! いいぞ! いいぞ!
羊の毛刈り競争を観戦している領民達の大歓声が鳴り響く。
『ねえ、エレナ。羊を毛刈りするだけでこんなに盛り上がるの?』
『いつも盛り上がるけど、ここまで盛り上がるのは珍しいですね。うーん。なんでこんなに盛り上がってるのかしら』
『ねぇ、エレナ。エリオット。近くに行きましょ!』
アイラン様は、わたしとお兄様の腕を取ると、歓声の鳴り響く先に走り出した。
「何してるのユーゴ」
「毛刈り競争を盛り上げておりました!」
羊の毛まみれになって領民達に囲まれていたユーゴが、お兄様にそう尋ねられると、キラキラした目で私たちを見つめ満足げに答えた。
「うん。盛り上がってるのはみれば分かるよ。だから、ユーゴは何をしてこんなに盛り上げたの? ユーゴが参加したくらいでこんなに盛り上がるわけないでしょ」
「若様! そんなことはありませんぞ! ユーゴ様は我らの希望じゃ!」
「そうじゃ! そうじゃ!」
「えぇ? みんな、なに言ってるの?」
ユーゴを取り囲んでいた領地の高齢者達が頬を紅潮させて、今度は若様ことお兄様を取り囲む。
いつもエレナを可愛がってくれるおじいちゃんおばあちゃん達はみんな元気だ。
「良いですか若様! 権力を笠に着せて女神様を軽んずる愚かな王子から、女神様を取り戻しましょう!」
「んん? みんな、なに言ってるの?」
「そうじゃ。ようやく顔を出したかと思えばろくに挨拶もせずに閉じこもりおって。あんな陰湿な男に女神様を輿入れさせるなど領主様も若様も権力に目が眩んでおるのですか!」
「えっえっ?」
毛刈り用の鋏を振り回しておじいちゃん達が唾を飛ばしながら騒いでいるなか、ユーゴがわたしの手を取る。
「じっちゃま達! ばっちゃま達! 任せてください! 僕は女神様をお救いする騎士として、全力を尽くします! 僕がこの毛刈り競争で優勝して、エレナ様を手に入れ、女神としてこの領地に残っていただきますから!」
そう芝居がかった台詞をはいたユーゴは、手に取った指先に口づけを落としウィンクをする。
「……ユーゴ。何言ってるの?」
大袈裟にかぶりを振ったユーゴに「エレナ様お任せください」と耳元で囁かれて、わたしは片手で顔を覆い天を仰いだ。