31 イスファーン王女の侍女ネネイの使命【サイドストーリー】
ネネイ(アイラン様の侍女)視点の一話です
「ネネイ。エリオットってわたしに気があると思わない?」
私は主人であるアイラン様に呆れた顔を向けた。
客観的に、どっからどう見ても、あの男にそんな気なんてこれっぽっちもない。
それなのに、見目の良い男から優しく甘やかされたくらいで簡単に勘違いできるなんて……
「あーあ! 今日はエリオットがいないからつまらないわ!」
「行儀が悪い」
ソファに寝転がったアイラン様を嗜める。
「隣国の王子と親密になって縁談を結んでくるから離宮から出してだとか言ってらしたでしょ? 邪魔な兄妹がいないのですから、今日は王太子様に近づけるチャンスですよ。お話でもされに行ったらいかがですか」
最近のアイラン様は当初の目的を忘れて浮ついていることに釘を刺す。
「ネネイは分かってないわね。話に行ったって無駄よ。シリル殿下は女性にご興味ないって本当ね。わたしがあんなにアプローチしたのに、ちっともなびかないんだもの。最初のうちは整った顔で笑顔を向けられるとドキドキしたけど、目の奥が笑ってないのに気がついてからは、笑顔を向けられると違う意味でドキドキするわ。絶対近寄ってはいけない種類の人間よ」
そう言ってアイラン様は私に向かって鼻を鳴らすと髪の毛をかき上げた。
さすがにアイラン様でも、王太子の本性に気付くことができていたらしい。
イスファーン王室だってアイラン様が隣国の王子に見初められるだなんて思っていない。
思っていないからこそ、王室は今回あえてアイラン様を使節団の一員として参加させて、何も成果を得ずに帰って来たことを責め立て言う事を聞かせ、イスファーン王室に楯突くムタファ族の首長にアイラン様を婚約者として送りつけて友好の証にするつもりでいる。
万が一アイラン様がシリル殿下に見染められればそれはそれでめでたいことだが、変に手だけ出されて捨てられたりなど価値が下がるような事があっては困る。
そこで侍女の一人である私がアイラン様のお目付役に選ばれた。
浮ついた気持ちで問題を起こされたら困る。
「ねぇ、ネネイ。もし、エリオットから求婚されたらどうしたら良いと思う?」
「されません」
「なんで言い切れるのよ!」
アイラン様は私を睨みつけてくる。
むしろなんで求婚されると思ってるのか聞きたい。
いや、うっかり聞いた日には妄想を垂れ流されるから聞かないけれど。
私はため息をついてアイラン様と向き合う。
「いいですか。エリオット様がアイラン様に求婚するということは、こちらの姫君を降嫁させ王族でなくそうとする事です。そんな外交問題に発展するような事、たかが貴族の子息が単独で決められるものではありません。それに釣り合いだってとれていません。こちらは腐っても王女様です。あちらは単なる貴族の息子です」
「腐ってもってどういうことよ!」
「失礼しました。つい本音が。でもよくお考え下さい。アイラン様は我がイスファーンの未婚女性の中で最も位が高い『姫君の中のお一人』なのです。エリオット様はこの国の未婚男性の中で何番目ですか?」
「知らないわよ!」
あくまでも名目上は外交のために来たはずなのに、ヴァーデン王国について何一つ学んでこなかったアイラン様にそんなこと聞いて答えられるはずがない。
「いいですか。まずは王太子殿下であるシリル殿下が一番目です。二番目は?」
「……エリオット?」
「違います。なんでこんな初歩の段階で躓いてるんですか?」
「じゃあ、誰よ」
「現ヴァーデン国王陛下の二番目の弟君であるテオドール王弟殿下です。次が臣籍降下した国王陛下の一番目の弟君であるヴァーデン公爵のそのご子息リシャール様で、ここまでが王室と縁のある方々です。続いて他にも公爵家が三家ありますが、流石にアイラン様でも今回の交易で窓口になるシーワード公爵家にご子息がいないのはご存じですよね? 他の二つの公爵家のうち未婚の男性はフォスター公爵家のオーウェン様が筆頭です。現在宰相をされているへルガー公爵の御子息はすでに結婚されていますが、男のお孫様のセルゲイ様がいらっしゃいます。まだ三歳ですけど。ここからようやく侯爵家です。いいですかどう高く見積もってもエリオット様は五位以下のグループです。そしてその五位以下のグループの中で順位をつけていきますと──」
「そんなに知らない貴族の名前をいっぱい言われてもわからないわよ! つまりなんなの? わかるように説明して!」
アイラン様が覚える気がないから私が代わりに覚えた異国の貴族男性の名前などの情報を、呪詛のように唱えていたのを遮られる。
「……つまりエリオット様は我が国にとってアイラン様を降嫁させる先として釣り合いもとれずに相応しくないということです」
「じゃあ……ネネイは、私がムタファのエロジジイに嫁ぐのは、釣り合いがとれて相応しいと思っているの?」
アイラン様の金色の瞳が私を捉える。
カターリアナ族首長の娘だった姉様と同じ金色の瞳は、誇り高き姉様と違って怯えている。
それはもう、見目の良い男から優しく甘やかされたくらいで、その男が自分を救ってくれるんじゃないかと勘違いした夢に縋るほどに。
姉様の様に権力の駆け引きの犠牲となる道を、心の弱いアイラン様には歩ませたくはない。
でも……
「カターリアナ族のためです」
私は姪であるアイラン様にそう冷たく言い放つことしかできなかった。