14 エレナ、シーワード公爵邸に到着する
「エレナ!」
蔓棚の下で泣くわたしを見つけて、息を切らしてお兄様が走り寄ってきた。
急にギュッと抱きしめられる。
「大丈夫?」
「……くっ苦しいわ! お兄様! 強く抱きしめすぎよ!」
驚いて泣き止んだわたしの顔を見ると、お兄様は抱きしめていた力を緩め頭を優しく撫でてくれた。
「よかった。エレナが倒れてるんじゃないかって、心配したよ」
「大丈夫よ。もう倒れたりしないわ」
春先に階段から転がり落ちた事を、いまだにお兄様は心配してくれている。
お兄様の胸に顔を埋めながら優しく頭を撫でてもらうのを堪能し、イケメンの匂いを嗅ぐために深呼吸する。
「もう落ち着いた? エレナには僕がついているよ。僕は何があってもずっとエレナだけのお兄様だからね」
そう言って、わたしのつむじに口づけをそっと落とす。
エレナに優しくて甘いお兄様は、衝動的に部屋を飛び出した事を責める事はせずに、エレナが欲しい言葉をかけてくれる。
お兄様の言葉は、甘い甘いシロップをスポンジケーキにかけたようにわたしの心に染み込んでグズグズに崩してしまう。
わたしは悪くない。
殿下がわたしの気持ちを分かってくださらないからだわ。
なんでわたしの気持ちを殿下は理解してくださらないの?
お兄様は分かってくださるのに。
殿下だって昔は……
わたしのシリルお兄ちゃまは、なんでも分かってくださっていたのに!
そんな図々しい思いで胸の中が埋め尽くされる。
だめよエレナ。
そんな甘えたこと言ってはいけない。
殿下をシリルお兄ちゃまなんてお呼びして、妹ぶってはいけないわ。
ちゃんと反省して。
部屋から飛び出したからみんなきっと驚いたし、感じが悪かったわ。
一応は殿下の婚約者なのに、場を弁えないなんて、殿下の顔に泥を塗ったようなものよ。
殿下にきちんとお詫びしなくっちゃ。
「ゴホン」
わざとらしい咳払いが聞こえて、振り返ると殿下がすでに佇んでいらした。
もしかしてお兄様といらしたの?
「……お兄様、殿下まで巻き込んでしまわれたの?」
そっとお兄様に尋ねる。
「……違うよ、殿下もエレナを心配してご一緒くださったんだよ」
かすかに眉間に皺を寄せているけれど、冷静にわたしとお兄様を眺める様にして視線を合わせない殿下を見て、怒ってらっしゃるのを察する。
「あの、殿下……挨拶もそこそこに部屋を飛び出して申し訳ありませんでした」
わたしがおずおずと謝罪すると、殿下は何か言いたそうに一瞬わたしの顔を見て口をつぐんだ。
ため息を大きくついて、もう一度わたしを見る。
「いや。無事に到着して何よりだ。明日からはエレナにも手伝ってもらう事がたくさんあるから、今日はゆっくり休養を取るといい」
言葉を選びながら殿下はわたしを労う。
きっと言いたいことはいっぱいあるのに、殿下は何も言わない。
叱られた方がいっそ楽だと自分が悪いのに責任転嫁してしまいそうになる。
殿下と最近は少しだけ会話が続くようになったと思っていたのに……
また距離を取られて、振り出しに戻った気分。
でも、そうよ。
この場にはエレナを蹴落として王太子妃の座を狙うような迷惑なご令嬢は招待されていない。
エレナと仲睦まじい姿をアピールして牽制する必要なんてない。
距離を取られて当たり前だわ。
わたしはため息をつく。
エレナの記憶は曖昧なままなのに、感情はエレナにどんどん同調しているように感じる。
わたしにはエレナの気持ちを制御できない。
これがいわゆるシナリオ強制力ってやつなのかしら?
ねぇ、エレナ。こんな状況で、ロマンス小説のヒロインみたいな設定の王女様なんかと対峙して大丈夫かな?
もし、本当に王女様がヒロインの物語に転生していたりしたら……
エレナは悪役令嬢としてわがままな振る舞いをしないって言い切れる?
心の中で反芻してみても、何も答えは見出せなかった。