29 エレナ、殿下に花園へ誘われる
「では、エレナ様。午後の授業を行う講堂までお送りします」
そう言ってランス様が花園を先導する。
お兄様や殿下はゆっくり歩いてくださるので、ランス様のペースだと早歩きだ。
わたしは慌ててついていく。
多分、ランス様的には早歩きなんてしてないのよね。
エレナと足の長さが違いすぎるだけ。
それにしてもランス様と二人きりなんてエレナのおぼろげな記憶の中でも初めてで、殿下と歩く時より緊張する。
少し早歩きなこともあって、沈黙が続く。
でも、ランス様にしか聞けない事を聞くチャンスだ。
殿下がわたしに対してネガティブな印象になっていないかランス様に探りを入れたい。
だって、殿下がわたしについて愚痴る事があるとしたら、きっと相手はランス様だもんね。
どこまで答えてくれるかわからないけど、今を逃したら次のチャンスは巡ってこないかもしれない。
「あの……ランス様」
私の声掛けに、ランス様が立ち止まり振り返る。
「何でしょう」
殿下は感情のない微笑みだけど、ランス様は笑顔すらない。
表情筋が死んだ顔で私を見つめる。
「わたしのせいで殿下に御心労をおかけしていませんか?」
「どうしてそのようにお考えなのですか?」
一瞬怪訝な顔をした後、すぐに無表情に戻って質問を返される。
そうよね。わたしみたいな小娘の探りには簡単に答えてもらえないよね。
「わたしが殿下にお考えがあるにもかかわらず、シーワード領の内政に働きかけるような事をお願いしてしまって、ご負担になってないかと思ったのです。殿下はお優しいので、わたしには頼るように言ってくださいましたが、内心ではどう思われているのか心配なんです」
好き勝手言って平和をかき回す迷惑なやつだとか愚痴ってるかもしれない。
あくまでも目指すのは殿下とコーデリア様が予定通り結ばれて、わたしはお咎めなく婚約破棄されること。
国家の平和を乱す迷惑なやつとして婚約破棄されたら、お家断絶とか、国外追放とか、下手したら死刑とかなっちゃいそうだから回避したい。
「あぁ。そういう意味ですか。それは平気ですよ。そういうことなら殿下のおっしゃる通り頼っていただいていいんじゃないですか」
せ
『そういう意味』とか『それは』とか『そういうこと』とかなんだかランス様の含みのある返答に戸惑う。
素直に聞いた方が答えてくれるのかな。
なけなしの勇気を振り絞る。
「あの」
「なんでしょうか」
「殿下は、わたしのことをどう思っていらっしゃるのでしょう」
ランス様は口をつぐむ。
「ランス様なら、ご存知なのではないですか?」
じっと見つめても、ランス様が返事をしてくださる様子はない。
「失礼しました。こんなことランス様も聞かれたらご迷惑ですよね」
諦めてそう言うと、ランス様が口を開く。
「エレナ様。気持ちなんて人づてに聞くものではありませんよ。エレナ様はご自身の気持ちを自分の代わりに誰かから伝えられたらどう思われます」
「……嫌な気持ちがするし、わたしの本当の気持ちが伝わらないと思います」
そんな話をして、はたと気がつく。
エレナとして生まれ変わったのか、エレナに憑依しちゃったのか、それすらわからないわたしは、エレナだけどエレナじゃない。
エレナの気持ちをわたしが殿下にお伝えするのはエレナの本当の気持ちなのかしら……
「殿下がどう思ってらっしゃるかをわたしの口から言う事はできませんが、私は殿下がエレナ様を婚約者に選ばれて良かったと思いますよ」
「え?」
「私としては愉快な気分です」
「……えっ? わたし、愉快ですか?」
「あぁ。いえいえ。そういうわけでは……私の戯言ですからお気になさらず」
そう言ってランス様は何かを思い出したかのようにクスクス笑う。
普段笑うことのないイケメンの笑顔に見惚れて、聞きたかったことの収穫がなかったことなんてどうでもよくなってしまう。
午後の授業の準備で慌ただしくなり始めた教室までわたしを送り届けてくださった。